暁闇に星ふたつ:02


 食堂から談話室へ移動しても、そのざわめきに変わりはなく。

 いつもならもうすこし静かな一角で、新入生たちは顔を突き合わせ、どうしたものかと思い悩んでいた。

 代理とされた任から解き放たれた先輩たちが、こぞって提供してくれた会議議事録は、正直になんの役にも立たないものだ。さすが、自ら着地点を失ってまとめられなくなった、と言っていただけあると感心さえ覚えるものである。

 有用だったのは、各年の挨拶を記録した小冊子くらいだろうか。『学園』に迎えられる新入生のたまごは、毎年存在する訳ではない。一度に四人も入学したソキたちの年が、多かった、と言われるくらいに、数もすくないことだ。

 四人も来たから来年の新入生はいないかも、と早々に囁かれていた程に。

 新入生不在の時は、昨年度の者が引き継いで夜降ろしを行う。そこまでは、通例としてあることだったのだが。まさか四人が四人ともリトリアの巻き込まれ謹慎になり、いつ解けるとも知れぬ状態になったことで、だいぶ混乱していたらしい。

 ロゼアが、思い浮かばないからいったん新入生が役目に復帰できることをかけて三日前までは待とう、という所で終わっている議事録にぬるい笑みを浮かべ、一冊をぱたりと閉じた所で。

 そもそもそれらに目を通すそぶりさえなかったナリアンが、記憶を辿る表情をしながら、ぽつりと言葉を囁いた。

「去年は確か……夕方に陛下の所へ行って、説明をされてから、だったよね」

「なんだか、懐かしいな。まだ一年、なんだね」

 この一年で一番変わったことってなんだったかな、と考えながら、メーシャは華やかな笑みで提案した。どうせだからさ、と。

「星に、報告するってどうかな。この一年のこと。前は挨拶だけだったし、それで、精一杯だったけど……せっかくの機会なんだから」

 流星の夜に夜を降ろす機会が、一度以上あることは限られている。毎年新入生がいる訳ではない、けれども。毎年ひとりか、ふたりを迎えることの方が多いからだ。時には五年、六年も間が開いてしまうこともあれど。

 報告、と呟き、ナリアンは息を吸い込んだ。胸の奥まで。

「そうだね。俺、そうしようかな」

 言葉を。話せるようになったよ。音を響かせて、声を成して。言葉をもう一度、声に出す強さを、ナリアンは取り戻していた。

 一年目の、長期休暇へ向かう試験の後から、それはぽつぽつと多くなって行き。今では視線に意思を、魔力を乗せて響かせる声なき言葉は、滅多に使われない伝達手段としてあるくらいのものだった。

 それは、ナリアンが得た成長で、強さだ。眩しげに目を細めて頷く、メーシャにもそれはあるものだ。どこか人と距離を取りがちだったメーシャは、いつしか積極的に人とかかわるようになった。

 四人の中で、もっとも交友関係が幅広いのはメーシャだろう。年齢の近い男子のみならず、少女たちや年の離れた先輩、教員や時折『学園』を訪れる教員たちとも屈託なく接し、いつの間にか仲良くなっている。

 そういえばね、と朝や夕の穏やかな時間に、話題を提供するのはもっぱらメーシャだった。

 誰から聞いたんだけど、誰とこの間話していたんだけど、と口火を切る言葉はここ数カ月ですっかり聞きなれたもので、そこに記憶を失った者の孤独と、寂しさを感じさせることはない。少しの繋がりを、失うことを恐れるのでは、なく。

 繋がっていくこと。広がっていくこと。かかわっていく、その世界の広さに、メーシャは触れて笑っている。孤独と寂しさを失えてしまった訳ではなくとも。それを連れて前へ行く、歩いて行く強さを、いつしかメーシャは持っていた。

 それを見て欲しい、と。知って欲しいと、星に報告するのだ、と胸を張って。

「ロゼアと、ソキは? どうするの?」

「ふたりがそうするなら、俺もそうしようかな。報告って言っても……どう伝えればいいのか分からないけど」

「言葉にしなくても大丈夫。気持ちがあればね、星にはちゃんと伝わるよ。ロゼアが考えたいこと。伝えたいこと」

 占星術師らしい言葉に、そういうもんなのか、とロゼアが関心した風に頷く。そういうものなんだよ、と嬉しそうに頷いたメーシャが、難しそうにくちびるを尖らせるソキに、すこし困った顔をした。

 ソキ、と囁き呼ばれる言葉に、叱られた風に碧の目が向く。

「だって、ソキ、報告できることないですよ……」

 三歩進んで五歩下がる成長速度、と言われていることを、ソキはちゃんと知っているのである。体調のせいもあり、ここ一年で受けることもできた授業は数えられる程度。

 長期休暇の前の実技試験にこそ合格しているものの、それ以外の、となると実施されてすらいない。一年前とほぼなにも変わらない状態であるのは、ソキひとりのように思えた。

 ぷー、と頬を膨らませながらも落ち込むソキを、ロゼアは抱き寄せてぽんと背を撫でる。

「そんなことないだろ。ソキだって成長してるよ」

「……ほんと?」

「本当。できること、増えただろ」

 ソキの授業は、一からやりなおしになるという。座学も、実技も。魔力はようやく落ち着いたし、体調も回復して安定したので、ウィッシュが戻り次第、再開になるだろう、と寮長からも告げられていたけれど。

 それはふりだしに戻ったということで、成長、とは違う気がしていた。ソキばかりが立ちあがった所で、足踏みをしている。ロゼアも、ナリアンも、メーシャも、もうずぅっと先にいるような。取り残された気持ちになる。

 それはひどく心細くて、悔しくて、さびしい。できることは、ある。ロゼアがいうならほんとうのことで、それは、『学園』に来てから増えているのだろうけれど。それじゃあ、それはなんだろう、と考えた時に、現す言葉がソキには見つけられない。

 胸の中には空白がある。その空白を埋める術を、ソキはまだ知らないでいる。




 ソキはなんだかちぃとも成長をしていない気がするです、とソファに座り込んだまま不機嫌にぐずられて、妖精は少女の手の上で隠すことなく頭を抱えた。

「アンタ……今それに気がついたの……?」

「大変です、リボンちゃん……! これは、これは大変な、たいへんなことです……!」

「そうね本当にね……。気がついてなかった所から来たと思えば前進はしてるんだけどね……」

 昼下がり。

 気まぐれに姿を見せた妖精を見つけるやいなや、リボンちゃあぁんっ、と悲痛な声であわあわと両手を伸ばされるものだから、なにかと思えばこれである。

 怒るより先に目眩を感じ、それをやりすごしながら、妖精はうろんな目で周りを見回した。

 妖精が思うに、ソキがそれに気がつきもしなかった元凶であり原因であり根本的な問題点でもあるロゼアは、なぜか不在のようである。聞きたくもなかったが、ロゼアどうしたのよ、と問いかければ、ソキはぷぷりと頬を膨らませて頷いた。

「チェチェ先生にとられちゃったです……。……あ、あっ、違うです! 違うですうううチェチェ先生が宿題の提出の受け取りと、添削の結果を渡しに来たですからぁ、ロゼアちゃんは授業中? なんですよ?」

 あわあわと訂正するソキに、そうねアンタ本音が零れやすくなったわねと白い目で頷いてやる。だってぇだってえ、と指先をつんつん突き合わせながら、ソキはしょんぼりとしてくちびるを尖らせる。

「ソキ、気がついちゃったんですけど……謹慎が終わって授業が再開っていうことは、また授業にロゼアちゃんが取られちゃうってことです……。ソキはこんなにロゼアちゃんと一緒にいたいのに、やっぱりロゼアちゃんはソキより授業の方が大事なんです……。ねえねえ、リボンちゃん。ソキ、今からでも黒魔術師さんになれないです?」

「無理に決まってんでしょうがこのあんぽんたん!」

「……ロゼアちゃん、予知魔術師にならない?」

 世界崩壊を招くような恐ろしいことを言うんじゃない、と一瞬遠のいた意識の中で罵倒して、妖精は頭を両手で抱えてソキの手の上でしゃがみこんだ。あれ、あれ、と目をぱちくりさせるソキに、妖精はやめてちょうだい、とうんざりした声で言う。

「魔術師の適性は、本人の努力や希望で、どうあるものでもないの……。変化はしないし、変更もできない。誰であっても、なんでもね! ……そのことに今アタシは心から感謝したわよ……!」

「……ほんと?」

「ごねるんじゃないの!」

 ふくふくの頬を蹴飛ばせば、ソキはいやぁんと身をよじって鼻をすすった。そうかなぁ、そうかな、そうだったですぅ、と語尾を疑問の形にあげて呟くのを見る分に、なんだかあまり納得はしていないようだ。

 無理なのよ、ときっぱり言い切って、妖精は息を吐きながら立ちあがる。

「それで? アンタ、どうしたいっていうの?」

「ソキ、成長をするです」

 ぐずる口調でくちびるを尖らされて、妖精は適当な態度で、はいはいそうねと頷いてやった。

「良い機会だから、アンタ一回初心を思い出しなさいよ。授業もやりなおしするんだったら、それくらいの方がいいわ」

「しょしん? です……?」

「そうよ。アンタが、『学園』に招かれようとする時になにを考えていたのか。なにを、目指していたのか。思い出して、もう一度、それを目指してみなさいな」

 だいたいからしてアンタ、この一年でやりたいことがころころ変わり過ぎだったのよと叱られて、それを半分聞き流しつつ、ソキはうんうんと唸ってソファに座りなおした。

 旅のことを思い出す。白雪から歩いた、道のことを考える。ぞっとするような記憶の空白には意図して触れず、そこへ落としてきた想いを拾い集める。てのひらに。もう失ってしまわないように。

 ぎゅっと握って歩いて行けるように。うーん、と首を傾げ、ソキはぽつりと呟いた。

「ロゼアちゃんに会いたかったです」

「その初心は捨ててこい」

「いちばん大事なやつですぅ……!」

 でも会えたからこれはもういいです、と頷くソキに、妖精はぱたぱたと羽根を動かしてそうね、と言ってやった。ものすごく適当な返事であっても、怒られたとしても、無視はされないので。ソキは己の案内妖精のそういう所が、とてもとても好きで嬉しく思っている。

 口に出して告げると前髪を掴んで引っ張られ、続きを促されたので、ソキはすすんと鼻をすすって額を手で押さえた。

「照れ隠しに引っ張っちゃやです……リボンちゃん、いじわるですよ」

「そのまま脱線し続けなくなったらアタシもやり方を考えてあげるわ」

「ソキの前髪がおハゲちゃんになっちゃったらどうしようです……」

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