祝福の子よ、歌え 22


 冬の雪、夏の薄荷。秋の銀木犀、春の白藤。しらじらと、しらじらと。ほんのり、わずかに色彩を乗せた魔力が、綿毛のようにあたりを漂っている。風の動きとは異なる流れに、ふわりふわりと揺れている。

 それはぱちりと弾けるしゃぼん玉のようでもあり、窓辺に垂れ下げる硝子飾りのようでもあった。砂漠の王は息を吐きながら、目の前のそれを手で払い、ゆっくりとした歩みを再開した。

 通常の魔力は、魔術師でなければ視認することも叶わず、まして触れることなどできないものだ。いくつかの例外が、魔法使いの行使するそれ。レディの出現させている、火の鳥が最たるものだろう。

 純度の高い、極限まで圧縮された魔力は、時としてまことの存在を呼び込み、世界に対して定着する。

 フィオーレの行使する白魔術が形を成さないのは、主として直に身体に対して魔力が注がれるからだ。携帯用回復魔術試作品、と称してちいさく可憐な白い花を渡されたこともあるので、やってできない、ということではないらしかった。

 さてあの花はどこへ置いたんだっけか、と思考を巡らせながら、砂漠の主たる男は、しんと静まり返った廊下を行く。ひかりあふれる陽の刻限であるのに、なんの気配も、なんの音もしない。眠りすら刈り取られた静寂。

 どこまで範囲が広がっているのは想像もしたくないが、すくなくとも城とその周辺に関して、意識を保っているのは砂漠の王ひとりきりであるらしかった。

 あるいは、これを成した魔術師なら、意識を保っていてもおかしくはないのだが。なんと言って叱るかを考えながら、王はふわふわ漂う魔力が濃くなっていく方向へ足を進めた。幼い泣き声が聞こえてくる。

 最後の廊下を曲がると、王の寝室の前にしゃがみこむリトリアと、壁に背をつけて横たわる白魔法使いの姿があった。フィオーレの意識はない。まず間違いなく他の者たちと同じように、衝撃に耐え切れず昏倒したのだろう。

 泣き声はリトリアのものだった。膝を抱えて顔をうずめ、幼くしゃくりあげている。外傷がないことだけを確かめ、王は深く息を吐いた。

「リトリア」

 少女は、ぱっと顔をあげた。涙が零れるその瞳と、前髪の一部に、瑠璃のような色が混じり揺らめいている。咲き初めの藤紫と、水辺にまどろむ鉱石のいろ。二つの色彩は交じり合わず、不完全なまま髪の一部と、その瞳に宿っていた。

 この世界でその特徴を併せ持つ者は、唯一。花舞の、王の直系であることを意味している。記憶と共に、失われたはずのものだった。白魔法使いが意図したことではなく。

 恐らくは自ら消してしまったのだろうとされていた、花舞の正式な王位継承権を持つ者であることを示す特徴。用意していた言葉のなにもかもを取りこぼし、砂漠の王は額に手をあて、足元をよろけさせた。

 そこへ、立ち上がってかけてきたリトリアが、ぶつかるように抱きついてくる。胸元に顔を埋めて泣かれるのに息を吐いて、王は編みこまれた髪を乱れさせないよう、指先でそっと、リトリアの頭に触れた。撫でる。

 ぐりぐり顔をこすり付けて甘えながら、泣き声交じりにリトリアが呼ぶ。

「シアちゃん……!」

「あーあぁああ……おま……それでか……!」

 叶うなら頭を抱えてしゃがみこみたかったが、リトリアに抱きつかれている状態では難しい。代わりに天井を仰いで深々と息を吐き、ごめんなさいごめんなさい、と繰り返すリトリアの頭に、ぽんと手を乗せる。

「思い出したんだな? ……俺が誰だか分かるな?」

「うん。……うん、シアちゃん」

「人前で呼ぶなよ。今のお前はスティの……楽音の、王の、王宮魔術師でもあるんだから」

 しませんしませんごめんなさい、とぴいぴい泣くリトリアに、砂漠の王はもう一度息を吐く。反射的に謝っているというより、とにかく反省していて、口に出さずにはいられない。そんな風に受け止められた。

 ああもう泣くなよ、と顔をあげさせ、王は丁寧な仕草でリトリアの涙を拭ってやる。ぱちぱち瞬きをして、せわしなく深呼吸されるのに、王もようやく落ち着いた気持ちで口を開いた。

「リィ」

「はぁい……。ごめんなさい反省しています……なぎ倒してごめんなさい……。えっと、えっとね、一時間もすれば、皆起き出して来ると思うの。それでね、ちょっと頭の痛い人とか、体調の悪い人もいると思うけど、安静にしていてば魔力も抜けるから……そういうことじゃない?」

「いや、聞きたかったのはそういうことなんだが……。お前、失踪してどこでなにしてたんだ?」

 泣いていたせいで崩れてしまっているが、普段はしていない化粧が見て取れる。触れた髪も、肌も艶やかでしっとりとしていて、体調もなにもかもが落ち着いているようだった。そして服装を含めて、全体的な仕上がりがとても可愛い。

 様々な欲目を差し引いても。眉を寄せていぶかしみながら、ハレムでハーディラの所にでも隠れてたのかと問いかければ、リトリアはふるふると甘えた仕草で首を振った。

「違うの。ハレムには行っていません……あっ、でもシアちゃんの初恋の君にはお会いしたい……。顔をそっと見に行ってもいい? どんな方? あ、まって、言わないで。ううん……美人さんでしょう。美人さん! シアちゃん面食いだもの」

「お前には面食いどうのこうの言われたくねぇよ……」

「ふふ。初恋は否定しなかった……! やっ、やぁっ、いじめないで……!」

 無言でリトリアの頬を摘んで引っ張って伸ばし、砂漠の王は溜息をつき、満足か、と問うた。

「指名手配させるような真似しやがって……謝っとけよ。イリス泣いてたぞ」

 星降の王は、そうでなくともよく泣くのだが。はい、と真面目に反省した返事をして、リトリアは目元を指で擦った。まだ涙が零れてくる。鼓動をおかしくさせる程の悲しみは、落ち着いてはぶりかえして、リトリアを苛んだ。

 きゅっと唇を噛んでうつむくリトリアの前に、砂漠の王はしゃがみこんで聞いた。

「辛いだろ」

「……うん」

「耐え切れなかったんだってな。……辛かったろ」

 うん、と素直にそれを認めて、リトリアは頷いた。ずっと迎えに来てくれると思ってたんだもん、と堪え切れなくてまた涙をこぼすリトリアに、王は知ってる、と頷いた。そう思ってたことも、そう思い込もうとしていたことも。

 違うって言ってやれなくてごめんな、と王はリトリアに囁いた。愛していなかったと、捨てて行ったのだと。教えてやれないままでいて悪かった、と告げる砂漠の王に、リトリアはぱっ、と花開くような笑みを浮かべた。

「ううん。私がちいさかったからでしょう? ……きっと、ずっと、後になって。今の私くらいの年齢になったら、教えてくれるつもりだったんでしょう?」

「ああ」

「……もう、大丈夫……じゃ、ないけど。受け止められるよ」

 あのひとたちは本当に、わたしのことがいらなかったのね。そう言って、リトリアはぐしゃぐしゃに顔を歪め、悲しい、と言って泣いた。泣いて、泣いて、気持ちを落ち着かせるまで。

 砂漠の王はリトリアの傍らで、ずっと待っていてくれた。

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