祝福の子よ、歌え 21


 引き寄せた手に、ぺたっ、と頬をくっつけてねだられる。ねえ、と拗ねて怒ったような、恥ずかしさでいっぱいの声で促されて、フィオーレは握られた手に力を込めた。

 ちいさく息を飲んでびくっと体を震わせられるのに、反射的に怒りすら感じて目眩を覚えながら、フィオーレは努めてゆっくりと息を吸い込み、半ば睨むようにリトリアを見た。

「あのな……。これでも怖いくらいだったら、こんなことするんじゃない。俺だから、なにもしないけど。ああ、もう……! いいよ! わかった! なにっ?」

「怒ったぁ……!」

 なんで、なんでぇっ、と混乱して涙ぐむリトリアの肩を、強く掴んで引き寄せてしまわないよう苦心しながら。両手で触れて、フィオーレは当たり前だろ、とまなじりを険しくして言った。

「怒るよおこだよお兄ちゃんは! あのねリィ、世の中には怖いひとと変なひとが思ってる以上にいっぱいいるから、こういうさぁ……! くっそかわいい……! 誰だよリィにこんなん仕込みやがったのは……! あとね、リトリア、あのね本当ならねこんなこと俺は言いたくないんだけどね、お前の泣き顔とか怯えた顔とか恥ずかしそうにしてるのとかはね、なんていうか最高にこう、そういう趣味もってる輩には大変なご褒美ですっていうか、あっいじめよっ、みたいな気持ちに相手をさせちゃうからなんていうかこうちょっと今すぐ俺を殴れ」

「いじわる、やだぁ……!」

「だからぁああああっ!」

 これでなんで今まで無事だったのかとフィオーレは心底泣きたくなったが、鉄壁の楽音防衛と組み合わせ、遠方であってもストルとツフィアがいたからであり、一定期間は『学園』で成長していたからである。

 『魔術師』のたまごの中にも妙な気持ちにさせられる者は多かっただろうが、基本的に『学園』に在籍しているということは、魔術的に未熟という証であり、つまり教員の徹底的な管理の元に多忙を運命づけられているということで、それ所ではなかったのだろう。

 なにより、在学時代の多くの期間、リトリアの傍にはストルとツフィアがいた。ソキにする、ロゼアと同じような親しさで。つまりは防波堤である。

 ソキにロゼアをくっつけておくというのは、安全上、もしかしてとても大切で必要なことではないのだろうか。それと同じことで、リトリアの傍にはあの二人が必要だったのではないのだろうか。

 いやでも楽音に戻せば陛下と楽音組が手厚く危ないのを葬ってくれる筈だからとりあえず俺は今泣くか壁を殴るかどっちかしたい、しないけど、と混乱するフィオーレに、おずおずと声がかけられる。

「……いじわる、しない? おねがい、聞いてくれる……?」

「リトリアはもう自分の身の安全の為に、いじわる、とかいう単語の発音をやめた方がいいと思う」

 フィオーレはもしかして最近お仕事が忙しくってとてもお疲れではないのかしら、という視線を向けられたので、白魔法使いはゆるりと微笑んだ。無防備な少女の頬に手を伸ばし、つまんでひっぱっる。ふわっとしていた。

 すべすべのふにふにで気持ちよくて、やぁっ、と半泣きの声で抵抗された。心底後悔する。

「……リトリア。俺がうんもうこの新しい扉あける? あけちゃう? っていう誘惑に屈する前にさっさとお願い言って」

「き……記憶、消したの、元に戻して?」

「失踪したって聞いた時からさぁー! そんなことじゃないかなと思ってたけどさー! あー! やだー! やだあぁあああー!」

 ぎこちなく頬から指を外したのち、叫んで廊下に倒れ伏しごろごろと左右に転がるフィオーレを見て、リトリアはとても残念な顔つきになって息を吐いた。

 フィオーレは、身綺麗にして黙って立っていれば必ず誰かに声をかけられるくらいの、やんわり誘因する雰囲気を持った青年である。

 うつくしい、とか、格好いい、という言葉は当てはめにくく、きれい、という表現が一番しっくりくる男なのだ。ちょっと挙動が残念なだけで。

 だだをこねる三歳児がごとく、やだやだと言い張って床をごろごろするフィオーレをしばし眺め、リトリアは手を伸ばして、青年のわき腹をつっついた。

「おねがい。聞いてくれるって、言った。ね、はやく。はやく」

「お前はなんで俺が記憶消したと思ってんの……」

 抱えたままでは生きていけない傷なら、目を逸らしていてもいい。立ち向かうだけが方法じゃない。逃げることは悪ではない。生きて行く為なら。

 息が、できないくらいの。生きて、いきたいと、思えないくらいの。胸を押しつぶすくるしさを知っている。それをリトリアが抱え込んでいたことを。少女は、かつて幼く。幼い故に、その重みで壊れて、立ち上がれなくなってしまった。

 目隠しをした。耳を塞いだ。なくていいよ、と言い聞かせた。暴走する、あの一瞬で。いいんだよ、と言った。魔術師としての目覚めは、祝福であるという。リトリアもかつて、その祈りを身に受けた。

 それは確かに祝福であった。世界からの愛であり、存在そのものに対する言祝ぎであった。だからこそ。だからこそリトリアは、それまで目を逸らし続けていた痛みから逃れられなくなって、崩壊したのだ。

 一心に愛を求めた。両親からの愛を、どうしても欲しがって。手放され、王たちのもとで大事に育てられてからも、それを求めるこころを諦めきれなかった。もしかして、事情があって傍にいられないだけで。

 預けられただけで。いいこにしていれば。いつか、迎えに来てくれるかもしれない。いつか、大事にしてもらえるかもしれない。いつか、愛してくれるかもしれない。いいこにしていれば。いいこでさえあれば。

 そうして過ごしていたリトリアに遣わされたのは、世界からの迎え。魔術師としての目覚め。愛という言祝ぎ。望まれていたことを知る。世界からの愛を知る。そうであるからこそ。

 リトリアは、愛無きことを知り。愛ではなかったことを知り、突き付けられて。おとうさん、おかあさん、と呼んで。泣いた。

 お前には無理だよ、とフィオーレは言った。記憶を失ってなお、愛されることを求めて。ストルとツフィアを求めて。両親の代替えのように。それでいて、心砕くほど求めた運命のように、手を伸ばして。

 いつのまにか、あいされていないと、向けられる想いからも目を逸らして俯いた幼子は、フィオーレが封じ込めた時のままのように見えた。また壊れるだけだ。

 だから、お前には無理だよ、と繰り返し告げるフィオーレに、リトリアは息を吸い込んで。大丈夫、と言って笑った。震えながら蕾が花開く。ようやく。綻んで、咲く。

「もう、大丈夫だから。あのひとたちが、わたしを……あのひとたちは、わたしを、愛しても、大事にも、してくれなかったけど……」

 でも、愛されていた。大事にされていた。そうしていてくれたひとたちがいた。そのことをようやく、理解する。息を吸い込むことができる。

「私は、それでも……それでも、私を、自分を、ちゃんと大事にしていいんだって、分かったから」

 だから、かえして、とリトリアは言った。フィオーレは心底気乗りのしない様子でもそもそと体を起こし、リトリアを見つめてから、分かったよ、と言った。手を出して、と求められる。

 リトリアは、まだ想い出が、ラーヴェの体温の記憶を残している手を、かすかに震えながら差し出して、白魔法使いと繋ぐ。魔力が接続される。

「……『終わり』」

 目隠しは取り払われて。七年の。こころを砕いた記憶が、ひといきに蘇った。




 そして、その一瞬。

 魔力ある者、誰もがそれを見た。




 足元からたちのぼるうつくしい魔力の欠片。夥しく満ちる、とうめいな煌めき。咲き誇る硝子の睡蓮。ふわりと舞い上がった欠片は、あまやかな芳香さえ感じさせる藤の花を形作った。

 一瞬の幻影。砕け散る音を立てて、瞬きよりはやくそれは消え去った。知る者は息を止め、忘我のまま。リトリア、と名を呼んだ。五国の魔術師、『学園』にある者、妖精たちも等しく。それを見た。

 産声より、それは悲鳴じみた。

 断末魔に似ていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る