祝福の子よ、歌え 15


「ツフィアさま、それは殴りに行かれたのではなくて?」

「そうよね……。大事に可愛がってた女の子が久しぶりに会ったら手篭めにされかけていたとすれば、それはもう殴りにも行きますわよね……。そして現場は絶対に見せない。分かる」

「リトリアさま? その、だめ、はどういう風に仰られたの? 私にそっと教えてくださる?」

 頭の上を飛び交う会話にいまひとつ納得しきれない顔をしながらも、リトリアは求められるまま、えっとえっと、と顔を赤らめて涙ぐみ、瞬きをした。

「い……息ができなくて、苦しいから……あんまり、たくさん、キスするの、だめ、って。言ったの。嬉しいけど、どきどきしちゃうし、苦しいから、だめって」

「……そうしたら?」

「嫌って言えたらやめてくれるって……」

 でもね、でもね、いやじゃないの。いやじゃないけど、だめなの。言ったのにやめてくれないの、と思い出して恥ずかしさのあまり涙ぐみながら訴えるリトリアに、女性陣の笑みが深くなった。

 リトリアさま、とすんすんしゃくりあげる少女に、囁きかける声はやさしい。

「それでやめる方は滅多におりませんわ」

 内容はともあれ。えっ、と目をぱちくりさせるリトリアに、目元に刷く色はどれにしましょうね、と悩みながら両手で肩が包まれた。

「ちなみにその、ストルさま? 出身はどちら?」

「出身? えっと、砂漠の……砂漠の、えっと」

 都市の名前をうろ覚えでもぽそぽそ呟けば、そうでしょうね、と深く頷かれる。なんでも、『お屋敷』を辞した元『傍付き』が、ちらほら居を構える都市のひとつであるらしい。

 それがなにを意味するか分からず、あいまいに首を傾げるリトリアに、鮮やかな紅が刷かれる。咲き初めの薔薇のいろ。

「方々の血の末であるならなおのこと、魅了には耐性がありましょう。……ご安心なさって、リトリアさま」

 まあ愛らしい、でもいくつか色を試させてくださいね、と告げられながら、両手を包んで囁かれる。

「その方、ちょっぴりいじわるさんなだけですわ。性格が」

「性格が……えっ、ストルさん? ストルさん、いじわる……?」

「お心当たりは?」

 ない、とは、絶対にいえない。頬を赤らめてもじもじ指先を組み替えたのち、ちょっとだけ、とごくごく控えめに述べたリトリアに、女性陣はなぜか気合の入った表情で頷きあった。

 それにぱちぱちと瞬きをして、唐突にそれを思い出したので、リトリアはあっと声をあげた。

「で、でもでも、ストルさんはツフィアが好きなのかもしれなくて……? ツフィアはストルさんが好きだったのかも知れないの……!」

「あのね、リトリアさま」

 ふわりと包み込む陽光のように、誰もが笑った。

「勘違いですわ」

 告げられる内容はともかくとして。なんだか今日はそればっかり言われてる気がする、あれ、えっと、と混乱するリトリアに、でもどうしてそう思うかは教えてくださいませね、と囁きが問いかけ。

 あれよあれよという間に事細かに話を聞きだされ、下された結論は。その日何度も繰り返された言葉と、全く同じものだった。




 待合室らしき広々とした空間に、笑い声が響いている。もっちもっちぎゅむぎゅむいじいじとうさぎを苛めながら、リトリアはかれこれ三分は爆笑しているラーヴェのことを、恨めしげに睨み付けた。

 うるうるつやつやふわふわに仕上げられたリトリアがようやっと女性陣に解放され、盛り上がっておいででしたね、と微笑むラーヴェにこんなことを言われました、と頬を膨らませて報告してから、ずっとこうである。

 それはまあ確かに、よく考えれば、ラーヴェを魅了してしまっていたかも知れないというのは思い上がっていたというか、勘違いというか、恥ずかしいので聞かなかったことにして欲しいので笑われるくらいならいいかな、と思えなくもないのだが。

 思えなくもないのだが、しかし。

 笑いすぎである。

「も、もおぉ……! 違うって分かったんですから、もう笑うの、だめ! だめぇっ!」

「誤解を……させておりましたね。可愛らしい方だ」

「もおおぉおそういうことばっかり言うからあぁあああっ!」

 そもそも、呼吸とか瞬きくらいの感覚で可愛いとかあれこれ褒めてくるのがいけないのである。そう訴えればにっこり笑って老後の楽しみですからと囁かれたので、なんでもそれ言えばいいと思ってーっ、とリトリアは怒った。

 それはもう怒ったのだが。うっとりするような微笑みで怒っているのを見守られ、リトリアはへなへなと力なく、長椅子に体を突っ伏した。

「お疲れですか?」

 誰のせいだと思っているのか。ごく自然に手を伸ばし、指にからめるように髪を撫でてくる男を睨み付け、リトリアは通りがかった髪結いの女性に、本日二度目の訴えをした。

「ラーヴェさんがいじわるします!」

「許してさしあげてね。その方とても自由ないじわるさんなの。……それでは、わたくしはこれで。またお声かけくださいませね。数日はいらっしゃるのでしょう?」

「え」

 声をあげたのはリトリアだった。髪結いの女性とラーヴェをきょろきょろ見比べて、数日、聞いてないです、と控えめに抗議する。そもそもリトリアは、逃亡中の身で、一刻も早く王宮まで辿り着かなければいけないのである。

 再三に渡るその訴えをうん、うん、と頷きながら聞き。ラーヴェはそっと、リトリアの体を引き寄せ、その頭を膝の上にくっつけた。

「さ、すこしお眠りになられなくては。おやすみなさい」

「……え、あ、あれっ? え、ちが、眠くてぐずっているとかそういうんじゃないです……やっ、やぁっ、寝かしつけられてる気がするの……! 自立が阻まれてる気がするの……!」

「気のせい、気のせい。こら、起きようとしない」

 やんわりと肩を押さえて横に寝転がる体勢を取らされ、ぽん、ぽん、と背を撫でられる。抜け出そうとしばらくもぞもぞしていたリトリアは、やがて意識を柔らかくまどろませ。ころん、とあっけなく、望まれた眠りへ落とされてしまった。




 膝枕があんまり気持ちいいからいけないので、リトリアの意思が弱いとか、くじけやすいという訳ではないのである。たぶん。

 昼寝から目覚め、膝にぐりぐり頬や頭をこすりつけながら拗ねきった声で訴えれば、やわらかな声はそうですね、と肯定してくれた。

「よくお眠りでしたね。顔色もいい」

「ううぅ……ソキちゃんになっちゃう……。自立! 自立します! おはようございます! ……もうなんですぐそうやって笑うのおぉっ!」

「あまりに可愛らしいものですから、つい」

 許してくださいね、と頬を大きな手で包んで指先で撫でられて、リトリアは顔を真っ赤にして涙ぐんだ。

 同じことをもしストルに言われたり、されたりしたら、きっとひたすらどきどきして、なんだかちょっぴり不安なような、怖いような、落ち着かない気持ちになってでも嬉しいと思うのだが。

 うううぅ、と呻きながら、リトリアはぐいぐい、ラーヴェの手を押しやった。

「あんまり触ったり撫でちゃうのだめ! 禁止!」

 恥ずかしくてこそばゆくて、溶けてしまいそうな気持ちになる。うーっ、と呻きながら力を込め、リトリアは半泣きでにこにこと笑うラーヴェを見た。

「なんで離してくれないんですかあぁ……!」

「ん? ああ、髪が寝乱れてしまいましたね。すこし直してから行きましょうか」

「おはなし聞いてえぇっ!」

 その後、もにもにもちっと頬がもてあそばれて、ようやっと開放される。ふふ、となんだかとても嬉しそうに笑われたので、リトリアはよろよろ椅子に座りながら、胸に手を当てて深呼吸した。

「帰ったらソキちゃんとロゼアくんに言いつけちゃうんだから……」

「やめて頂けますか」

「いじめられた! って! 言いつけちゃうんだからぁっ!」

 いいこだからやめましょうね、とやんわりした声でしっかり言い聞かせながら、ラーヴェは編み上げられていたリトリアの髪を解いていく。

 目の横辺りの髪から三つ編みを作っていく指先は慣れきっていて、痛かったり、引っ張られたりすることは一度もない。そう時間もかからず、はい、できましたよ、と言われたので、リトリアは立ち上がってラーヴェの手をきゅっと握り締めた。

 さあ宿に戻ろう、という気持ちになって、数秒考え、リトリアは顔をそらして笑いをこらえているラーヴェの背を、ぺしぺしと手で叩いた。

「ラーヴェさんが! だって! いつも! いつも手を繋ぐからだってえぇええっ!」

「はい。偉いですね。さ、戻りましょうか。うさぎはぎゅっとして行きましょうね。忘れないように。……帰りに市に行きましょうか。欲しいものは?」

「ないです。……ない、です! 買っちゃだめ!」

 息をするように褒めて貢いでくるのは、もうこの数日の旅路で分かりきっていたので。リトリアはきっぱりと、もうだめ、と言ったのだが。ラーヴェは聞き分けの悪いこどもを窘めるような微笑みで、そっと息を吐き出し、それでは、と言った。

「おねだりの仕方と、上手な拒否の仕方を学ばれましょうか。良い機会ですから」

「ラーヴェさんは私をどうしたいの……」

「すくすく育って頂きたい。それだけですよ」

 私はもう十六なんです、成長期は終わってるんです、でもおむねはこれからふっくらするんです、でもすくすく育ったりはしないんです、というリトリアの訴えは、ラーヴェの微笑みひとつで流された。

 はい、はい、そうですね、と言って、手を引いて連れ出される。振り払って走っていくこともできた。どうしても、それができない訳ではなかった。繋いだ手に込められるのはやわらかな力で、繋ぎとめておくには弱く。

 それでも、リトリアはとうとう、預けた指先を取り返すことも、振り払うこともできずに。穏やかな熱に、指先をゆだねていた。

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