ひとりの。別々の夜。 53


 今日もおまんじゅうみたいになって寝てるよ、というナリアンの言葉通り、ソキは談話室のソファの上で、うつ伏せにまるくなって眠っていた。

 寝苦しくないのかと思うが、ぷう、ぷう、すぴ、ぴっ、ぴすー、ぴすすー、と漏れてくる寝息があんまりにも気持ちよさそうなので、特に問題はないらしい。まるくなった体に、抱き込まれているのはつぶれたアスルだった。

 ソキの腕はぎゅむぎゅむと遠慮なくそれを抱き潰していたから、リトリアはすこしだけ、起きた時に腕が痛くならないのかしら、と心配になる。

 だってソキは本当に脆くて弱くて柔らかいのだ。楽音に留め置かれた先の数日で、寝室を一緒にしていたから、リトリアはそれをよく知っていた。

 大丈夫よ、と囁きながら、リトリアはソキの前に膝を折り、力のこめられた腕に指先を乗せる。ぽん、ぽん、と叩いて、撫でても、ソキは力を緩めなかった。

 代わりに、うとぉ、っとした、寝ぼけた、蕩けた眼差しで瞼が持ち上がる。

「ふにゃ、う……う、う……? り、と……あ、ちゃ……?」

「ごめんね。起こしてしまったわね。……ね、ね、ソキちゃん。腕痛くならない? ちから、緩められる?」

「んん。だめ。だぁめ。アスルは、そきの。そきのぉ……」

 あげない、とばかり抱きしめたアスルに頬をすりつけ、ソキはまたそのまま、くてん、として眠りに落ちてしまった。本当に、ちょっとばかり起きただけであったらしい。伝え聞いたように。確かにこれは、冬眠めいていた。

 最初のころはロゼアが抱き上げればすぐに目を覚ましたらしいが、最近は眠ったままであることも多く、ナリアンも数日言葉を交わしていないらしい。そうなの、と眉を寄せ、リトリアはソキの隣に腰かけた。

 ぴ、ぴす、ぴす、ぷにゃ、く、くぴー、と寝息がほわほわ響いてくるので、緊張して深刻に、考えを深めるのは難しいことだった。

『今日は、ひとりなんだね』

「はい。一時間くらいしたら、レディさんが来てくださるそうなんですが」

 えええええねえ陛下お願いお願い俺もたまにはリトリアの保護者したいんだよ保護者、いいでしょ保護者ねえねえ陛下ねえったらーっ、とだだをこねた白魔法使いは、うるさいと一言怒られた後、足払いをかけられ背中を踏みにじられ舌打ちをされ、王にいいから国から出るなと言い渡されていた。

 なんでも、砂漠の国内では先の空間破壊の影響か、魔力が落ち着いていないらしい。リトリアが訪れた折りも、空気中には魔力のきらめきが満ち、散らばって漂う状態が続いていた。

 あれでは魔術師たちの中で、体調を崩す者もあるだろう。いかな学園を卒業した魔術師といえど、あのきらめきは意識を揺らし酔わしてしまう。その状況で白魔法使いが国を、王の傍を離れるなど、考えられないことだった。

『ソキちゃんは。いったい、どうしたんだろうね』

 魔力を伝って寄せられる、その声を。リトリアは、なんだか優しい気持ちで受け止めた。こうして向かい合って話すのは、はじめてである筈なのに。不思議に緊張することはなく。

 昔、何度もそうして話していたかのように。楽な気持ちで、リトリアは息を吸い込んだ。

「私にも、よく分からないんです……予知魔術師が、皆、こう、という訳ではありませんから」

『そうだよね。メーシャくんも、俺も、色々調べたりしてるけど、こんな風に寝ちゃうっていうのは、魔術師の異変としてあまり見ないし……眠るにしても、あんまり気持ちよさそうだから、なんか違う気がするし……。それに、ロゼアが全然不安がってないっていうか、落ち着いてるから。あ、これ大丈夫なんだ……? 大丈夫なんだよね、ロゼア。うんそうだね寝てるソキちゃんかわいいね? ってなるし……』

「……ロゼアさん、落ち着いてらっしゃるんですね?」

 そういえばフィオーレも、そんな風なことを言っていた気がする。ロゼアが慌てたり焦ったりしてないから、いまひとつ緊急性を感じて対処できないんだよね、と。ソキ本人も、眠たくて寝ているだけで体調不良を感じている訳ではないらしい。それにしても、本当に気持ちよさそうに眠っている。ぴすー、ぴすー、くぴっ、ぷぷぅー、と寝息が零れるのに、リトリアは肩を震わせて笑った。

「ソキちゃんったら……もう。かわいいなぁ……」

『ね。……あ、ロゼアおかえり。リトリアさんがお見舞いに来てくれてるよ』

「ただいま、ナリアン。リトリアさん、こんにちは。ありがとうございます」

 実技訓練から戻ったのだろう。ロゼアは、動きやすそうな黒の上下に身を包んでいた。その姿を、どこかで見た気がして。リトリアは体に緊張を走らせかけた。黒い服のロゼアは苦手だ、とリトリアは思う。

 普段は全然、そんなことを思わないのだけれど。その色は。血に触れても、分からない。

 表情をかたくするリトリアに、汗くさいかなすみません、と穏やかな声で謝罪して。ロゼアはまるくなって眠るソキを、ひょい、とその腕に取り戻した。頬を撫でるように滑ったてのひらが、とくとくと拍を刻む首筋に押しあてられる。

 指先がもう一度、頬のまるみを撫でるように触れて。耳を覆うようにくすぐった後、額にくっつけられる。ん、ん、と淡く喉を鳴らすソキに、ロゼアはほっとしたように息を吐き出した。

「ソキ、そき、そーき。おねむりさん。ただいま」

「ん、んー……んぅ……? ろぜあちゃん!」

「うん。俺だよ。……俺だよ、ソキ」

 リトリアとすこし距離をあけてその隣に座り、ロゼアはふにゃふにゃと目を覚ましたソキの額に、己のそれを押し当てた。きゅぅ、と嬉しくてたまらない声をあげて、ソキがくしくし、肌をこすり合わせる。

 抱き潰していたアスルを膝に落下させ、ソキはロゼアの首に、あまえた仕草で腕をまわした。

「ろぜあちゃー……すきー。すき、すき、すーきー……ろぜあちゃーん。すきすきー……」

「うん。俺もだよ、ソキ。かわいいソキ。俺のお花さん。……今日はなんの夢?」

「きょうは、なんのぉ、ゆめー……?」

 口をちいさな三角形の形に半開きにしながら、ぽやぽやと繰り返すソキは、誰がどう見ても完全に寝ぼけていた。んー、んー、と考えてロゼアに体全体をすりつけてもぞもぞしたのち、ソキはぎゅむり、とばかり抱きつき直してあくびをした。

「わかんなくなっちゃたです……。でも、でも、ソキは、ろぜあちゃん、すき……すき」

「ん。知ってるよ。もうちょっと眠る? 夕ご飯には起きような、ソキ」

 ふにゃふにゃ、リトリアにはうまく聞き取れない声で。恐らくは、ロゼアちゃんの言うとおりにできるです、というようなことを言ったのち、ソキはまた瞼をおろして、すうすうと眠りに戻ってしまった。

 これが今日だけのことであるなら、昨夜よほどなにかあって疲れているのだろう、とも思えるのだが。ソキがこうなってから、もう一週間も経過しているのだという。眠っているだけみたいなんだ、とロゼアは言った。

 意識が。その体にない方が、言葉魔術師は武器の調整がしやすい。不意にそう思って、リトリアは眉を寄せ、ロゼアの言葉に頷いた。

 ソキはしあわせそうに眠っていた。悪い夢ではないことが、幸いに思えた。




 ほやほやと瞬きをして、あくびをして四肢に力を込め、ソキは寝台の上に起きあがった。ちょっぴりゴワついてしまったアスルに、くちびるを尖らせながら頬をすりつける。

 膝の上にぽんとおいて室内を見回せば、最近すっかり見慣れた、夜である。ぷー、と頬を膨らませるのにもなんだか慣れてしまって、ソキはやんやん、と寝台の上で体をもぞもぞさせた。

「ソキがせぇーっかく起きたですのに、また夜です……。ソキは朝とか、お昼にも起きたいです……」

 どうも日中は、ねむたい、という記憶しか残っていない。なんとなく起きて、ロゼアにご飯を食べさせてもらってうとうとして、おふろに入れてもらって、お服を着替えさせてもらって、いる気は、するのだが。

 くちびるを尖らせながら両手をぺた、とあてた髪も、肌も、汗や汚れでぺたつくことはなく。さらりとした感触が心地いい、きちんとお手入れなされたものだった。

 もぉー。もぉー、あっでもロゼアちゃんたらちゃぁんとおていれー、をしてくれているですソキは嬉しいです、と気を取り直してもじもじし、薄暗い部屋に響く寝息に、視線を向けた。

 寝台にはロゼアが横になっている。その両手はゆるくソキの体に巻き付き、抱き寄せていたが、組んだ指はほとんど外れかかっていた。起きたソキが好き勝手にもぞもぞ動いていた為である。

 胸にきゅっと抱き寄せられた心地いい眠りを思い出し、ソキは熱っぽい息を吐き出した。

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