ひとりの。別々の夜。 54


「ロゼアちゃんのだっこ……ぎゅぅ、きもちいです……。きっと、それでソキはいっぱい眠ってしまうです。あんまり、あんまり気持ちいいから、これはもうしょうがないことです。でも、でも、でもぉ……でも、ソキは朝のロゼアちゃんも、お昼のロゼアちゃんも、いっぱぁい大好きですから、これは起きていないといけないです。明日こそ、ソキは起きるです。おねむりさんは、卒業、というやつです」

 幸い、なんだか、ひと区切りした、という気がしていたので。なにがどうひと区切りしていたのか分からないが、こんなにも眠ってしまうことは、もうおしまいの筈だった。

 寝台の傍、ちいさな棚の上に置かれた灯篭で、火がゆらゆらと揺れている。生み出される陰影の中に身を置きながら、ソキは眠るロゼアの顔をじーっと見つめていた。

「ソキは最近、ロゼアちゃんがおねむりさんな顔をたくさん見るです。おつかれ……?」

 なんだか、急に怖くなって。ソキはてのひらをぺたん、とばかりロゼアの頬にくっつけた。肌は暖かく、吐息が指先をくすぐっていく。ほっとして、泣きそうに息を吐き出して、ソキは瞬きをする瞼に力を込める。

 瞼が招くくらやみの向こうに、砕けて散らばる夢をみた。

『お姫ちゃんは本当に、頑張りすぎちゃうんだから……』

 夢で。ここ最近はずっと、同じところへいた気がする。そっちへ引き寄せられてはいけないよ、と柔らかな声がソキを導き。しんと静まり返る書庫の隅。用意された椅子の上に腰かけて、誰かがなにかをするのを、じっと見つめていたかのような。

 訪れた誰かに、胸にぱっと花が咲くような思いで。だっこをねだって、ぎゅっと抱きしめてもらったような。ソキがそれをお願いしたくなるのは、この世でたったひとり、ロゼアだけなのだが。

 夢でもこれはいけないことです、うわきー、というやつですちぁうですソキはロゼアちゃんひとすじですうううと頬に手を当ててやんやんと身をよじり、ソキはでもきもちいかったです、と息を吐き出した。

『それにしたって、こんなにここへ呼んでしまって。大丈夫なんですか? 先輩』

『大丈夫としっかり保障してしまえる程には大丈夫じゃないよ。修復にも、もうすこし時間がかかるし……でも、どの道、俺達には会わなきゃいけないから。順番が前後しただけだと思えばいいんじゃないかな』

『それでいいんですか……? ああ、ごめんな。ソキが不安がることはないよ。なぁんにも、ないよ……』

 ことん、さらさらさら。ことん、さらさらさら。繰り返しひっくり返される砂時計の音が響く、やわらかな夢だった。

『かわいい、かわいいソキ。怖い夢はここへ置いていこうな』

 頬を撫でる手が、瞳を覗き込んでくる赤褐色の慈愛が。ソキへあんまり優しくそう囁くので。ソキはけんめいに訴えたのだ。

 ロゼアちゃんが、ロゼアちゃんがね。いっぱい、みんなに、えいってされて、それで、ソキをぎゅってしてくれて、ソキは痛い所もなんにもないのに、ロゼアちゃんはたくさんお怪我をされて。

 ロゼアちゃん、ロゼアちゃんがお返事をしてくれないです。ソキ、いっぱい呼んだのに。呼んでるのに。やめてってお願いしたですのに。誰も。ロゼアちゃんも。いうことをきいてくれなくて。

 ろぜあちゃん。ろぜあちゃんが、また、そき、たすけられなくて。しんじゃう。え、えっく、としゃくりあげて訴えるソキを、抱き上げた腕に抵抗することなど、考えもつかなかった。

 大事に頬を撫でられる。首筋にしっかりと押し当てられた手が、拍に、ぬくもりに、香りに、満たされきった息を導いていく。ソキ、そき。背をとんとん、となでる指先。額に触れる手。ソキ、と囁く声が。おなじものだった。

 泣き叫んで、ほんのすこし掠れてしまっただけ。ソキにはちゃんと分かった。ロゼアとおなじものだ。ソキのロゼアではないけれど。でも、どこかのソキのものだった、ロゼアの。だから。

 えぇん、とかなしい気持ちで、ソキはその腕の中で何度か泣いた。

『ソキ、ソキ。かわいいソキ。おねむりさん。もういいよ。もう十分だよ。がんばったな。よく頑張ったな……。もう、いいよ。起きていような。おねむりさんはおしまいにしような。もう十分だろ』

『でもソキは……ソキは、まだたくさん、まちがえてしまてるです』

 それを告げたのは確かにソキで。ソキのくちで、ソキのことばなのだけれど。そういう風に言わなければいけないような気がしたから、そうしただけで。ちっともソキの意思ではなかったのだ。

 抱き上げてあやしながら、うん、と困ったような囁きが静寂を揺らす。

『全部分からなくても、もう間違えないだろ。そんなに苦しくならなくていいよ、ソキ。いいんだよ……』

『……ゆるしてくれるの?』

『許さないといけないことなんて、なんにもないよ。愛してるよ。……あいしてる』

 零れた。大粒の涙が床に触れる前に金の砂になり。ようやくソキは、己の手を引いて夢へ連れていくちからから、抜け出すことが出来たのだった。

 まばたきひとつ分の夢から覚めて、ソキはふあふあふあ、とあくびをした。

 もうー、ねむいですー、ソキはもう起きるって決めたんですからねむったらいけないんですよぉ、と何処ぞへ訴えながら、ややごわつくアスルを引き寄せ、頬をくっつける。

「……アスル、朝になったらお洗濯してもらうですよ。アスルも、ソキといっしょに、けんめいにがんばったです。だから、ふわふわにしてもらうです。これはごほうびというやつです」

 それがいいに違いない。こくり、と頷き、ソキは眠るロゼアの隣にころんと転がった。深い眠りの中にいるのだろう。穏やかな寝息を響かせ、ロゼアは目を覚まさなかった。

 眠るロゼアちゃんは、なんだかとても可愛いです、はうー、とじーっと見ながらうっとりして。ソキは突然、それに気がついた。これはもしかしてもしかしなくても。ちゅうのだいちゃんす、というやつである。

「きゃあぁんっ! たっ、たたたたいへんなことです今日こそ……! だ、だいじょぶかなぁ、だいじょうぶです……? ソキのくちびる、きもち……? ……ん、ん。たぶんだいじょうぶです。今日こそ、おきないうちに、ちゅっとするです……!」

 ふにふに、己の唇に指先を何度か押し当てて。ソキはかたい決意の顔で、こくり、と頷いた。

 それからロゼアを見て、口唇を見て、やぁんやぁんと身をよじってもじもじし。ソキはぎゅむーっとアスルを抱き潰し、顔をうずめるようにして呟いた。

「……よこうえんしゅうが、ひつよう、かもしれないです」

 どうしてか、前よりずっとどきどきするのである。口唇に、いや角度的にちょっと難しいようなら頬でもかまわないのだが。ちゅっとくちびるを触れさせるだけだというのに、なんだかとっても難しいことのような気がした。

 それに、起こしてしまっては一大事だ。ううん、ううん、と考え、ソキはアスルのつぶらな瞳と見つめ合った。ややあって、こくん、と頷く。

 ソキは両手でそろそろとアスルを持ち上げると、ロゼアの顔の前でこんなかな、こんなかな、と何度も何度も角度を調節して。えいっ、ときゅうと目を閉じて、ふにっとロゼアへ押しつけた。

 すぐさま、ぱっとアスルを取り上げ、ソキはあああぁあっ、と悲鳴を上げる。

「たいへんです……! ソキはいま目をつむってしまったです……! かくど……! ろ、ろぜあちゃの、ちゅうの、かくどが……!」

 だいしっぱいである。なんとなく、しか分からなくなってしまった。やぁんやぁああんこれくらいだったです、きっとそうです、とアスルをもにもに手でもてあそび、ソキはきょろきょろ左右を見回した。

 もう一度、アスルのつぶらなひとみと見つめ合う。

「……あするぅ? ソキが、ちゅってしてあげます」

 だって、ロゼアのちゅうはソキのなのである。アスルのじゃないのだ。ちゅー、ちゅちゅちゅ、ちうー、とちょっぴりごわつくアスルに、ソキは上機嫌でくちびるを押し当てた。

「……ソキ? なにしてるんだ?」

「ぴっ、ぴゃあぁああっ!」

「ソキ、そき。しー……どうしたの、ソキ。驚いたな。ごめんな」

 驚きのあまり、ぼてっとアスルを落っことしてしまったソキを抱き寄せ。ロゼアはがっちりとその体を抱きしめ直した。あう、あう、と顔を赤くして、ソキはそぅっとロゼアを覗き込む。

 眠たげな赤褐色の瞳が、ソキをじっと見つめていた。なにも聞けずにもぞもぞと胸元へすり寄ってきたソキを撫でて、ロゼアは笑いながら、おやすみ、と囁く。

 それに、こくん、と頷きながらも、ソキはまだちゅうが足りなかたですからあする、あするぅ、と手を伸ばしてちたぱたしたのだが。ロゼアはなぜか、それを許してくれることはなく。

 ぎゅー、ぎゅぎゅむっ、と抱きつぶされてしまったので、ソキはぷきゅ、としあわせに潰れてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る