ひとりの。別々の夜。 24


 りょうちょはきのうソキのおてぁみをもっていかなかたです、これはほんとうにたいへんなことです、と半泣きでぐずりながら訴えられて、寮長は朝の清涼な光が降り注ぐ廊下に、生ぬるい笑みでしゃがみ込んだ。

「体調悪いなら寝てろよ……。ふあふあふあふあ話しやがって。半分くらいしか解読できねぇだろうが……」

「うにゃぁあうやんうやんふにゃぁん! ソキはロゼアちゃ、にぃ! おてぁみをかいてあた、ですううりょうちょもてかなかたですううう! ろぜあちゃんは、きっと、ソキのおてがみがなくてがっかりしたにちぁいないですううううそきちゃぁんと書いてあったあぁああああったですううう!」

「……あぁ。昨日な? 手紙を書いてあったのに俺が持ってかなかったって怒ってんのか?」

 ふぎゃあぁあああんっ、と怒りの声をあげてじたばたじたばたばたくてんっ、ぜいはぁぜいはあ、としながら、ソキはくちびるを尖らせ、頬をぷぷーっと膨らませて頷いた。

 熱で赤く染まった顔をふらふらとさせながら、寮長に向かって手紙を押しつける。

「ちゃぁんとロゼアちゃんに届けてくれなくちゃだめなんですよ……。昨日と今日のロゼアちゃんも教えてくれなくっちゃだめです。ソキは昨日も、今日も、いいぃっぱぁい、ロゼアちゃんがすきすきだいすきですけど、明日もいっぱい大好きですでもソキはもうきょうはおうちかえるです……」

「前から思ってたんだが、お前の『おうち』ってロゼアか? ロゼアだろ?」

「ねえ、ねえ、りょうちょ。ロゼアちゃんは? 昨日と、今日のロゼアちゃんは……?」

 廊下の端から、リトリアが腕いっぱいに毛布や薬を持って走ってくるのが見えた。過度に慌てたり咎める表情はしていないので、別に無断で抜けだして来た、という訳ではないのだろう。

 完全な同意を得て来ていると見るには、寮長の目からでさえ、ソキはちょっと体調が悪すぎた。けふ、こふん、と咳き込みながら、熱でだるそうにぱしぱしと瞬きをする。

「ロゼアちゃんは、今日も授業を頑張ってるです……? ロゼアちゃんたら、頑張りやさんです……すてきです……。ロゼアちゃんが、あんまりすてきで、ロゼアちゃんにきゃぁんってなるひとが増えたらどうしようです……」

「授業はしてるだろうが、絶対それどころじゃねぇよ……」

 なんでお前の心配はそうありえない方向にありえない方向に斜め上に過ぎるんだと呻かれ、ソキは心の底から正直にまっすぐに、寮長にだけは言われたくないですとすこし傷ついた表情で指先を突き合わせた。

 リトリアが着せかけてくれる毛布にもこもことくるまりながら、溜息をつく。

「寮長には分からないですけど……ソキのロゼアちゃんはたいへんとっても人気があるですよ」

「ソキ、テメェ。その言い方だと俺に人気が無いようにしか聞こえないだろうふざけんな。……寮長の考える人気というのは、本当にこの世に存在しているものなのでしょうかソキにはちっともそんな風に思えません、みたいな顔すんのもやめろ……!」

「やぁああんやぁああああん! りょうちょがソキのほっぺを押しつぶすですううううう! ソキはりょうちょにいじめられてるうううう!」

 ちたぱた暴れるソキの頬をもにもに両手で潰しながら、寮長が呆れ顔でお前いまほんとに体調悪いんだな、と呟いた。指先に感じるじわりとした発熱した体温と、かさつく荒れた肌は、すくなくとも『学園』にいる間は覚えのないものだ。

 そう毎日頬を潰してはいないので、確実とは言えないのだが。ここ数日で、ソキの体調が直角に近い勢いで悪化しているのは確かなことだった。

 けふ、けふ、とすぐに辛そうな咳をするソキから手を離し、シルはリトリアになるべく寝かせておくように、と言って立ち上がった。

「昨日も今日も、ロゼアはお前の案内妖精の対応で忙しそうだったぞ」

「う? ……リボンちゃん? リボンちゃんが来てるです?」

「魔術的な空間の接続が途絶えて、お前が『学園』に戻って来られないって聞いたらしくてな。シディ、だったか。ロゼアの案内妖精と連れだって、来たっていうか怒鳴りこんで来たっていうか……」

 なんでよりにもよってロゼアとかナリアンとかメーシャじゃなくてソキなのよどうしてソキがひとりの時にそんなことになってんのよもっと生命力が強そうというかひとりでほっといて転がしておいてもどうにかできるのを選んでしなさいよソキがひとりで戻って来られないとかそんなの絶対にさびしがってぴいぴい騒いでしょんぼりしてしょんぼりしてしょんぼりしきって体調崩すに決まってんだろうがいったい誰の許可を得て空間の接続を途絶えさせたんだ言ってみろ、リボンさんよく息が続きましたね、シディうるさいくちをはさむなっ、と大変な騒ぎであったらしい。

 顛末の一欠片を聞いて、ソキはしみじみと頷いた。

「さすがは、リボンちゃんです……。怒ると、とっても、怖いです」

「……アイツ、昔はもうすこし温厚だったんだぞ?」

 魔術師として目覚め、同じ妖精に導かれて『学園』へ迎えられたシルだからこその言葉に、ソキは目をぱちくりさせ、くてんと首を傾げてみせた。案内妖精が温厚だったことなど、はじめて会った時から、一回も覚えがないのだが。

 それともソキの基準がちょっぴり違うだけで、中には温厚、としていいこともあったのだろうか。ううん、と悩み出すソキに、考えごとするなら体調が良い時にしろよ、悪化するぞ、と言って。

 寮長はソキの頭をぽんと撫で、預かった手紙をひらつかせて数歩距離を広げた。

「じゃあ、俺は行くから。次は早くて今日の夜か、また明日な」

「やんやん。ソキはりょうちょより早く、おうちにかえるぅ……」

「はいはい、ぐずらないでいいこで眠ってろよ? ……まあ、手紙の他にあれ持ってけこれ持ってけとか言わない分、ロゼアよりは大人しくて助かるけどな」

 魔力のきらめき。光の粒子を空気にじわじわと滲ませ零しながら苦笑するシルに、ソキはどういうことですか、とばかり瞬きをした。次の国へ跳躍する為に集中しながら、寮長はそのままだよ、と苦笑する。

「ソキが体調悪くしてるだろうから、これなら食べられそうだから、とか。寝心地の良い夜着だとか、まくらだとか。お香だとか……薬くらいなら、なんとか持って来られないこともないんだろうが。こうも連続して、連日あっちこっち行くとなると、どうしても自分以外は運べない」

「……そうなんです?」

「手紙くらいならな。服にいれて、自分の一部とみなせるくらい軽量だから、そう負担でもないんだが……」

 昨日も今日も、相当ごねられた、と寮長は言った。ソキは、ロゼアちゃん、とごねる、という単語がどうしても結び付けられず、ぱちぱちぱちと瞬きをして、不思議そうにへー、そうなんですか、と頷いた。

 八割以上を、どうでもいいこと、として聞き流した時の声だった。寮長は、ふっと笑みを深めてソキの額を指で突いた。

「まあいい。寝てろよ」

「……ソキ、アスルないと眠れないです……占星術師さんのも、夜に起きちゃったです」

「羊でも数えてろ。羊に飽きたら兎、兎に飽きたら妖精な」

 妖精など数えたら、リボンちゃんでいっぱいでなんだかとっても眠れなくなりそうである。戦慄するソキと同じものを想像したのか、寮長は悪かった妖精は止めにしようと早口で呟き、代替えを告げることなく姿をかき消した。

 消える寸前の寮長の面差しは、寮で見るどんな時より疲れていた。廊下を行きかう魔術師たちの顔にも、疲労は現れ始めている。

 さ、今日こそ本当にずっとお部屋にいましょうね、と言ってくるリトリアに頷きながら、ソキは手を繋いでよち、よち、と歩き出した。誰もが解決の為、それぞれの力を惜しみなく発揮して、ずっと努力してくれている。

 そのことは、ソキにだってちゃんと分かるのだ。

 それでも、どうしても。今日こそソキは帰るです、と零れてしまった言葉に。響く返事はなかった。

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