ソキの! 教えて? リボンちゃん。 06


 旅の間の寝姿を思い出す。

 ひとりで眠るの嫌いです、と告げられた言葉を思い出す。妖精は、あああぁああ、と心配そうにしているシディをひとしきり睨んで怒りを発散させ、僅かばかり気持ちを落ち着かせたあと、腕組みをしてロゼアに問いかけた。

『ソキはいつもこう? 眠る時』

 それがたとえば、抱きあげられている体勢についてであろうと、眠りに落ちる寸前になにかほわふわ話そうとしていたことについてであろうと、腕にじゃれついてきゅぅと抱き締めていることについてであろうと、体のどこにも力が入っていないくてくての、甘えきった態度についてであろうと。

 他のどんなことに対する回答であろうと、妖精は別にどれでもよかったので、あえて言葉を広げはしなかった。大事なのは、いつも、という妖精の問いに対してロゼアが答える言葉そのものなのである。

 うん、と訝しむ声の響きで、ロゼアはソキをやわりと抱き寄せ直す。

「そうだよ」

 妖精はまだ覚えている。旅をはじめて十日ばかり経った頃の、国境近くの宿のことを。怖くて怖くて怯えるように、全身どこもかしこも力をこめて。ほんのすこしでも隠れたがるように、ソキはぎゅうぎゅうに体を丸くして眠っていた。

 ちりっ、と火花のように、妖精の羽根の燐光がはぜる。眩暈を感じたのはおそらく、怒りだ。焔のように熱い。それでいて刃のように鋭い、敵視にすら似た怒り。アンタ知ってるの、と問うまでもない。

 知らない筈がない。

 ソキの言葉をどこまで飲み込んで良いのかは定かではなくとも。ひとつの事実として。ソキを育てたのは、ロゼアだ。頭の中で言葉が渦を巻く。そんな風にしておいて、どうしてソキを嫁がせようだなんて馬鹿なことをしようとしたのか、理解ができない。

 他の『花嫁』がどういう風だなんて、妖精はひとつも知らない。けれどもソキに限っていえば。穏やかな眠りの無い夜に、求め続けて悲鳴をあげるばかりの日々に。幸福が輝くことなどないだろう。

 眩暈がした。光が明滅するかのような眩暈だった。妖精はふと微笑みを浮かべ、ちらりと視線でシディの位置を確認した。今現在はロゼアの後頭部辺りを漂っているが、邪魔をすることはないだろう。

 シディから不安げな視線を向けられるのに微笑みを向け、妖精は努めてゆっくりとソキの元へと舞い降りた。ニーアの踊るような仕草を真似て一度ソキの肩の上に降り立ち、眠る横顔を観察する。

 ソキはぴすぴす鼻を鳴らしながら、ふにゃふにゃの、警戒心の欠片もない甘えた笑みでくうくう眠っている。

 妖精は再び空に浮き、ソキの頬に手を伸ばした。二度、三度、慈しむように、ゆったりとした仕草でその滑らかな頬を撫で。それから妖精は、ふ、と笑みを深めて。撫でていたソキの頬を。

『こっ……の! ばかあああぁあああ!』

「ぴゃあぁあああああっ!」

 それはもう全力で平手打ちにした。

「やっ、やぁあああ痛いですいたかたですぱちいぃんって音がしたですうういたいですいたぁいですひりひりするですいやぁいやぁあああっ!」

『お前もう普通とかそういうのは諦めろ! 馬鹿っ! そんな努力は捨てて来い!』

「よく分からないですけどりぼんちゃんがソキにひどいことをしてひどいことをいうううう!」

 テメェよく分からないならアタシに対して文句を言うなーっ、と絶叫し、妖精はソキを抱きなおして庇うロゼアに嘲笑ってみせた。一点の曇りすらない悪役の笑顔だった。

『なによ言いたいことがあるならいってみなさ……』

「やんやんもうソキは怒ったです怒ったですうううううりぼんちゃんぱちん! えいっ!」

 迫ってくる手を片方蹴って空に逃れ、妖精はぷんぷんに怒ってばったばったロゼアの膝上で暴れているソキに視線を落とした。

『アンタ怒るなら一回その膝の上から降りなさい。話はまずそこからよ、そこから!』

「きしゃあぁあああ! きしゃあああですううぅう! もー、ソキは怒った! 怒ったですうううソキはりぼんちゃんをぱちんすゆ! ぱちんってすううう! ほっぺやですってソキはちゃぁんと言ったのにリボンちゃんがソキを! ソキを! ぱちんってしたあぁああソキもするうううきしゃあああ!」

『アンタなにそれ威嚇? 威嚇なの? そうなのそのつもりなの?』

 ふにゃぁああうやぁああうううきしゃあああぁあっ、と尾を踏まれて怒った猫じみた声をあげてじたばたじたばたひとしきり怒った後、ソキはちょっと疲れた顔をして、くちびるを尖らせつつロゼアを見上げた。

 なにせ暴れても腰をがっちり抱き寄せられていて、ソキはちっともお膝の上から降りたり立ったりできなかったのである。

 ねえアタシ思ったんだけどソキがアレなのってもしかしなくてもだいたいロゼアに原因やら理由やらあるんじゃないのかしらロゼアコノヤロウあとシディ視線を反らすなこっちみろ、と苛々しながら呻く妖精の声をまるっと聞き流して。

 ソキはねえねえロゼアちゃん、と不思議そうに語尾をあげて首を傾げてみせた。

「ソキはなんだかお膝から降りられない気がするです。ソキ、リボンちゃんをぱちん! しにいくぅ……!」

「ん? ソキはしなくていいよ。手が痛くなるからやめような」

『……あの、ロゼア? ロゼア? ロゼアもしなくていいんですからね……? その、なにか隠し持った武器をお願いだからしまってくださいね……! リボンさんも、いきなり叩いたりしたら駄目でしょう? ……いきなりでなくとも、叩くのはどうかと思いますが』

 隠し持った武器、という言葉にきらんと目を輝かせたソキが、きゃぁああんろぜあちゃそきにないしょしてるうううっ、とはしゃぎきったふあふあの声で身をよじる。

 ねえねえどこにあるですか、なに持ってるですかねえねえ、ねえねえロゼアちゃんねえねえ、と服をくいくい引っ張られて、ロゼアの両腕がソキを抱き寄せ直す。ぽん、ぽん、ぽん、と背を撫で宥められながら、柔らかな声がソキに囁いた。

「俺はなにも持ってないよ。ほら、手が両方こっちにあるだろ?」

「あれ? ……あぁあれ? あれ? ……ん、ふにゃ……やぁ、きゃう、くすぐたいですぅ……!」

「ほっぺ、まだ痛い? 赤くなってはいないな……」

 くしくし、爪先で甘く耳元を引っ掻かれ。そのまま手を滑らされて頬を撫でられて、ソキはくすぐったげにきゃぁと笑いながら、ロゼアの膝上でえへん、と胸を張ってみせた。

「ソキ、丈夫です! えらい? えらい? ……かわいい?」

「うん。ソキかわいい。可愛いな、偉いな……痛くはない?」

「だいじょ……あ! ソキ、ほっぺ、いたいいたいです。ロゼアちゃん、なでなでしてぇ……?」

 いたいとロゼアちゃんがいっぱいソキをなでなでしてくれるですううううソキあたまいいですっ、と思っているのが妖精にすら分かるぺかーっ、とした笑顔で、ソキはロゼアにぴとっとくっついた。

 頬をくしくし肩にすりつけて甘えながら、ソキはー、ぱちんてされた時にー、ほっぺが痛かったです、と主張する。ロゼアちゃんがなでなでしてくれるときっとよくなるです、と訴えると、両頬をあたたかなてのひらが包みこんだ。

「よしよし。いたいのいたいの飛んで行け、しような」

「いたいのー、いたいのー、とーんでいーくー、で、す、うー!」

 ぽむんっ、と音を立てて。うつくしく透き通る鉱石めいた質感の、花弁が一枚、ソキの目と鼻の先に現れた。ぽと、と音を立てて膝上に落ちた花弁は、凍れる冬の森の色をしている。

 目をぱちくりさせながら首を傾げるソキの頭上で、妖精はひきつった表情で羽根を震わせた。

『呪いを具現化しやがったこの馬鹿……! ちょ、ちょっとソキ! アンタそれどうすんの! ああああああこら不用意に触るな拾うんじゃないのなにきょろきょろしてんのちょっとアタシの話を……!』

「あ、りょうちょいたです! えいえい!」

『投げるなあああぁあああっ!』

 ソキにとってはこの上なく残念なことに、花弁はちっとも距離を飛ばず、床に落ちる前に消えてなくなってしまった。ぷー、と頬をふくらませて残念がるソキに、妖精は額に手を押し当てて空を漂い。とりあえずソキの躾をどうにかし直さねばなるまい、という想いを新たにした。


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