ソキの! 教えて? リボンちゃん。

ソキの! 教えて? リボンちゃん。 01

 ひさしぶりに『教育』をロゼアがしてくれると聞いたので、ソキはその日の朝からとっても楽しみにしていたのである。

 なんでも担当教員であるウィッシュが二週間も休暇中であるので、その間にあの状態であれ以上放置しておくのは問題である、と寮長が教員や、星降にある『学園』の運営管理処理部門の意見をあげておいたらしい。

 その回答として下されたのが、元ソキの『教育』担当であるロゼアに対する指示だった。寮長に意見や指示を仰ぎながら一定の状態にまでソキを戻すように、というのがその大まかな内容である。

 なににせよ、ソキは寮長もたまには良いことをするです、とちからいっぱいうきうきしながら思っていた。つまり、とてもとても楽しみにしていたのである。だからこそ。

 これはあんまりです、と衝撃にぷるぷる身を震わせながら、ソキは『ソキのはつおんれんしゅうちょう』と書かれた薄い教本と、それを差し出す手と、ロゼアの顔を何度も、何度もきょときょとと見比べて瞬きをした。

 ソキはこれがとてもとてもとーってもだいきらいなのである。

「……んと」

「ソキ? 今日はこれ。これを音読して、頑張ろうな?」

「んと、んと、んとぉ……。ん、んん……あ! これはぁ、ロゼアちゃんに、あげます!」

 ぺっかーっ、と輝く笑みで、そうですそれが一番ですっ、とばかり頷くソキに、ロゼアは僅かに眉を寄せて駄目だろ、と囁きかけた。朝の、授業へ行く者たちでざわめく談話室の隅。定位置であるソファの前のことである。

 ソキは降ろされたソファでやんやん、と身をよじり、差し出されたままの教本をぐいーっと手で押しやってくちびるを尖らせた。なにが嫌って、これをやるとお口とあごがとてもとてもとっても疲れるのである。くたくたになるのである。

 ぷいっとそっぽを向いたソキの前に、片膝をついて微笑んだまま、ロゼアはソキ、と囁きかけた。ソキ、ソキ。こっちを向いて。ソキ、ほら。ん、良いこ。いいこだな、ソキ。

 あまくやんわりと囁きかけ、伸びたロゼアの片手がソキの頬をするすると撫でた。

「じゃあ、はい」

 たいへんなことになったです、とソキはロゼアが諦めずに差し出す教本をふるふると涙目で睨み、ぷーっと頬をふくらませた。前言撤回である。こうなったのもきっと全部寮長のせいであるにちがいない。本当に余計なことばかりする。

 ソキ、と促すロゼアに鼻をすすりながら、ソキは仕方なく仕方なく、教本を手にとった。それをそのまま、お向かいでハラハラと見守っていたナリアンへと差し出す。

「じゃあ、これはナリアンくんにあげます」

「……ソキ?」

「ふやぁんふやぁあん……! メーシャくんはぁ……? じゃあ、これはメーシャくんにあげます」

 はい、と差し出されて、メーシャはうるわしく清らかな笑みでもって、さらりと首を傾げてみせた。

「ソキ。頑張ってね」

『そうだよ、ソキちゃん。頑張らないと駄目だよ。ね?』

「ソキ? あげようとしたら駄目だろ」

 三人に順番に応援されて怒られて、ソキはんもおおおおっ、とソファの上でちたぱた抵抗した。

 ロゼアが『教育』をしてくれると聞いていたので、ソキはそれはそれは楽しみにして、朝から髪もふあふあさらさらつやつやになるまで梳かしてもらったし、服もとびきり可愛いのにしてもらったし、昨夜ちゃんとおふろでお手入れをして肌もやわやわすべすべいい匂いになっていて、さらにはしっかり眠って朝ごはんもめいっぱい頑張ったのに。

 これはあんまりにあんまりである。ソキは発音練習が極めて好きではないのだった。

「……ろぜあちゃぁん」

「うん? なぁに、ソキ」

 一日の予定をナリアンとメーシャと相談しながら、じゃあこの時間は俺が様子を見に来るよ、助かる、などと言葉を交わしていたロゼアが、柔らかな微笑みでソキを振りかえる。

 教本を膝の上に置き、くすんくすん、と鼻をすすりながらソキはロゼアの腕に両手を伸ばした。ん、んっ、とひっぱってじゃれつきながら、ソキはこれをどしてもやらなきゃだめなんですか、と問いかける。

 苦笑して、ロゼアがソキをふわ、と抱きあげた。ソファに腰かけたロゼアの膝上に、いつものように横向きに降ろされる。ぽん、ぽん、と背を抱き寄せ撫でる手に、ソキは心から安堵した気持ちで、はふ、と満ちた息を吐きだした。

 肩辺りに頬をぺと、と付けて甘えていると、ロゼアの指が髪をさらさらと撫でて行く。

 待てどくらせど、ソキが嫌なら今日は辞めにしような、と言ってくれることはなく。ソキはぷぅっと頬をふくらませて唇を尖らせ、ロゼアの肩に額をぐしぐし擦り付けた。

「ソキはとってもたのしみにしてたです……。いつもみたいなおべんきょやにゃうやううんにゃうやぁあう……!」

「……ちなみにロゼア? 後半は今なんて言ってたの?」

「ん? いつもみたいなお勉強じゃないなんて思わなかったです、嫌です、って」

 ソキはすっかり拗ねているらしい。ロゼアにぐりぐり体や額をこすりつけては、ふゃんふにゃんと声をあげるのを、メーシャは授業へ行く準備を整えつつ、ほのぼのと見守った。

 俺の妹が今日も最強に可愛い知ってた、とソファにくず折れているナリアンの肩をぽんぽん、と叩きつつ、メーシャはううん、と微苦笑を浮かべる。

「ロゼアはソキの翻訳一級だから分かるけど、俺にはちょっと分からないことが多いかな……ソキが俺とおはなしする時は、ちゃんと頑張ってくれてるの知ってるよ。でもね、皆とそういう風にしなきゃだめだよ、ソキ。ロゼアが分かるからって甘えてたらいけないよ。ね?」

「そきあまえてなぁあいですうう! そき、ちゃぁんとしてるううう!」

 ふにゃあぁああっ、と機嫌を損ねた声でロゼアに抱き寄せられつつ、その膝の上でちたぱたちたぱたするソキに、メーシャは根気よく頷いた。教本を両腕に抱えて立ち上がり、ソキの前まで歩み寄って、その顔をひょいと覗き込む。

「じゃあ、発音練習できるよね? ソキがちゃんと頑張ったら、ロゼアも嬉しいと思うよ」

「がんばぁなと、ロゼアちゃん、ソキをきらいになる……? そんなのやです……ソキは、ロゼアちゃんの、うれしい。をするです」

「ロゼアがソキを嫌いになるって。俺にはちょっと思いつかないけど」

 ふふ、と微笑んで首を傾げて。メーシャはぎゅぅと拳を握って決意するソキの頭を、ぽんぽん、と手で撫でてくれた。

「きっと発音練習を頑張ると、ロゼアはソキをもっと好きになると思うな」

「きゃぁあ……! ソキ、ソキはロゼアちゃんの! ろぜあちゃんの! すきすきになるうううぅ……!」

 あの駄保護者の中でメーシャが唯一の希望だな、という寮長の視線におっとりと微笑みかけ、メーシャはじゃあ授業に行ってくるね、と立ちなおした。

 すっかり機嫌のよくなったソキが、ロゼアの膝の上からきゃっきゃとメーシャくんいってらっしゃぁーいですーっ、と声をかけるのにぱたぱたと手を振り、占星術師は穏やかな足取りで談話室を立ち去って行く。

 ロゼアも行ってらっしゃい、と声をかけてその背を見送った。数秒後。ああぁああ俺も行かなきゃっ、とソファから跳ね起きたナリアンが、片腕に教本をさらいあげ、ロゼアとソキを見る。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい、ナリアン。またあとで」

「なりあんくん、いってらっしゃぁー、ですぅー!」

 俺の妹の発声がすごくちっちゃいこみたいでかわいい、とよろけるナリアンに、通りがかった寮長がだからそれが駄目だって言ってんだろ目を覚ませ、と言いながら脛を蹴って行く。

 痛ぁっ、と呻き、ナリアンは報復を誓った眼差しで寮長を睨みつけた。が、当人はすでに走って談話室から姿を消そうとしている所である。

 あああああもおおおおっ、と声をあげながら走り出したナリアンを見送り、ロゼアは微笑んでりょうちょがけったっ、そきはみちゃったですううういじわるさんですううう、と騒ぐソキの髪を幾度も撫でてやった。

 あの速度で授業棟まで走れば、ナリアンが途中で転んだり多少体力が切れて息切れしても、開始に間に合うだろう。寮長の親切は迷惑かつ分かりにくい。

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