ソキの! 教えて? リボンちゃん。 02


 もおおおおりょうちょほんとにもおおおっ、と怒っているソキを宥めて、ロゼアははい、とそのちいさい手に教本を持ち直させた。

 『ソキのはつおんれんしゅうちょう』の文字をじぃっと見つめたあと、ソキは眉をきれいな八の字にくにゃりとさせ、くちびるを尖らせてロゼアに後頭部をすり付ける。ぐりぐり、とさせて甘えながら、ソキの視線が逆さまにロゼアを見上げた。

「ろぜあちゃん……ロゼアちゃんにあげたいです。め?」

「だ・ぁ・め。だめって言ったろ?」

「……ろぜあちゃんが、ソキに、だめ。ていったぁ……。ソキはしょうがないからがんばることにします……」

 ようやくそこで諦めきったのだろう。ほよほよと息を吐きだし、ひとしきりガッカリしたのち、ソキはよし、と手をきゅっと握り締めた。教本を持ち直し、んしょんしょ、と膝上で座りの良いようにもぞもぞされるのを、ロゼアは微笑んで見守った。

 位置を決めたのだろう。ぺとん、と体をくっつけて寄りかかってくるソキに、ロゼアは柔らかな声で囁きかけた。

「いいこだな、ソキ。じゃ、最初からしような」

「ソキはガッツと根性で頑張ります! んっとぉ……『むかし、むかしの、おはなしです。このせかいが、いつつのかけらに、なるまえのこと。たくさんの、なをもつ、くにぐにの、なかに。さばくのくには、ありました』」

 ちらっ、とソキが視線をあげて確認してくるのに、ロゼアは微笑んで頷いた。

「うん。読めてるよ。……もうちょっと頑張れる?」

「はい、ソキは頑張るです。んと、んと……『さばくの……国は、まずしく。ゆたかであるのは、砂ばかり。陽の光があるばかり。砂漠の民は、水を求め、住む場所を求めて国中を歩きまわりました。けれども水も、長く住める場所も、中々見つかりません。砂嵐が建物を覆い、水は枯れ、陽は厳しく……彼らがすっかり歩き疲れてしまった時のことでした。地を駆ける獣と、空を飛ぶ獣が現れ、こう仰いました。豊かな水と、穏やかな地に私たちは住む。そこをお前たちに譲ろう。ただし、お前たちの連れるそのうつくしい娘と、若者を、私たちに捧げるのであれば』……うゆ。ソキは頑張ってるです。ソキかわいい? ほめて?」

「かわいい。ソキかわいい。……できてるよ、頑張ってるな。偉いな、ソキ。偉いからぎゅってしような」

 授業時間にまだ余裕があって談話室にいた少女たちから、あのソキちゃんのなんの脈絡もなくかわいいと褒めての要求をぶちこんでくる所はほんとすごいと思うちょっと見習いたい恥ずかしくてできる気がしないけど、という視線が向けられる。

 ソキはちっとも気にした様子がなく、えへへんもっと褒めても良いんですよぉ、とふんぞり返りながら、ロゼアの膝上で小休止のお茶を飲ませてもらっていた。

 ソキのおてては教本でふさがっていますです、たいへんですおちゃがのめないです、のませてくださいです、とねだった結果である。

 んく、んく、とやたら幸せそうにお茶を飲み、ソキはすりすりすり、とロゼアの胸に頬をすりつけた。




 妖精が『学園』を訪れたのは、その日の昼過ぎのことである。特に用事があった訳ではないがソキの顔が見たくなったなんてそんなことはない。決して。

 強いて言うなら先日訪れた時にロゼアを呪うのを邪魔されたので、そのことに対するお説教をしなければなるまい、と思っていたくらいである。

 のろっちゃだぁめえええっ、とやたらふあほわしきった発音で、それはもうぷりっぷりに怒ったソキが珍しすぎて、なんなのよアンタやればできるんじゃないのほらもっと怒ってみなさいよほーらほーらっ、と髪の毛を引っ張っていたら、うっかりロゼアを呪うのを忘れてしまったのである。

 ちなみにすぐソキには、やぁあああんっ、とぐずられた。あのどんくさい相手はうまく怒りを持続させておくこともできないらしい。それにしても珍しいものを見てしまった。今度からソキを怒らせたくなったらロゼアを呪おう、と妖精は決意していた。

 まあ、それはそれとして、ロゼアを一回や二回、三回、四回、五回くらいは呪わねばなるまい、と妖精は思っていたのだが。

 談話室目指して飛びながら、それとも七回くらいかしら、と指折り数える妖精を、すっかり諦めきった顔つきでシディが眺めやる。

『リボンさん……その回数は、ちなみにどういった基準で……?』

『基準? アタシがそうしたいと思ったその時の気分だけどアンタなにか文句でもあるっていうの?』

『……いいですか? いいですかリボンさん……? ロゼアは、ロゼアはですね……? 今日の空は晴れ、とか。花の蜜がおいしい、とか。鉱石が光を弾いてうつくしい、とか。今日の風の吹き具合が飛ぶのに最適、とか。そういうのと同じ感じで、よしロゼア呪おう、と思っていいものではないんですよ……? ロゼアは、魔術師。そのたまご。僕たち魔力からうまれた妖精族の、もっとも近しい友にして、同朋。盟友で、隣人たる存在。世界分割の功労者、その一員たる存在なんです』

 談話室の扉の前でぴたりと静止し、妖精は不満げな表情で腕組みをした。

『シディ。アタシのやることに文句でもあるっていうの? そんなこと言うならわざわざ、説明してあげたっていいけど。いい? アイツは! ロゼアは! ほっとくとすぐソキを甘やかすのよ……! なんでたかだか二ヶ月だか三ヶ月だかで! アタシと旅した時より歩くのがどへたくそになってんだ絶対にソキがだっこぉ……ろぜあちゃん、だっこですよ、だっこ、だっこぉ……とかなんとか! 甘えてねえねえしたのをぜんぶ聞きいれてだっこだのなんだのしてたからに決まってんだろうがああああああロゼアあのヤロウ!』

『甘える方にも問題があるとは思わないんですか……?』

 さっ、と的確に距離を取って問いかけたシディに、妖精はこの上もなく品のない所作で舌打ちをしたのち、長く伸ばされたその直刃のような髪を、手でかきあげながら言い切った。

『いいこと? ソキは甘えないと弱るのよ?』

『え、ええぇええ……えっ、ええぇえええぇええええええ……?』

『まったく! ロゼアあのヤロウ! ソキがぴいぴい甘えてくるのを聞き入れるのは二割でいいっていうのよ二割で! 適当に頭でも撫でときゃ落ち着くにきまってんだから! だっこだって抱きあげて撫でてぎゅってして、はいおわりー、くらいにしときゃいいのよずっとだっこしてそこらうろつきまわってんじゃないのよ歩かせればいいじゃないのよ手を繋げ手を! ああああああああああああロゼアあのやろおおおおおおおおおっ!』

 あのね、あのね、りぼんちゃあのね。おやすみのあいだね、ろぜあちゃんずぅっと、ずぅっとですよ、ソキをぎゅぅってだっこしてくれてね、ソキそれですごくうれしくてね、それでね、しあわせでね、と。

 先日、ぐずった後に落ち着いたソキが、聞き取りにくくひたすらあまい、ふんわほんわしきった声でてれてれしながら語った言葉を思い出し、妖精は再びロゼアあのやろおおおおっ、と叫んだ。

 談話室は幸か不幸か、殆ど人影がない。妖精の怒りを聞きとめる者はなかった。昼食後の、穏やかな空気と午後の授業へ向かう慌ただしさの交錯すら、ひと段落したあとなのだろう。

 まどろむ陽光が室内を包み込み、ある者は次の授業に向けて復習を、ある者は課題に取り組んで眉を寄せている。

 その空間に我が物顔で侵入を果たし、妖精は一応室内を見回したあと、先日ソキを発見した談話室の隅へ向かった。なんでも入学式当初からの定位置で、談話室にいる時はだいたいそこでくつろいでいるらしい。

 果たして、今日もソキはそこにいた。その姿を妖精が認めた瞬間、傍らでシディがああああああと呻いて頭を抱えるのが見えたが、反応してやる気にはならない。ふ、と妖精はやさしい微笑みを浮かべた。

 ぱたり、ぱたり、ゆっくりと二枚羽根を動かしながら高度を下げつつ、ソキの姿を再度確認する。ソキは三人がけのソファにひとりで寝転んでいた。その腕には見慣れたアスルが抱かれているのがすこしだけ見える。

 やたらとふぁんしーなしろうさぎのぬいぐるみっぽいものもソファの右端にふたつ、並べて置かれているのが可愛らしすぎて忌々しい。

 ぴす、ぴす、ぷぅ、ぷにゅ、すぴ、すぴー、と気が抜けすぎて触ったら壊れて歪む印象しかふりまかない、あまあまでふにゃふにゃの寝息が響いていた。

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