楽屋裏:ナリアンくんとメーシャくんもいっしょ 後


『ロゼアは……ちょっと分かりやすくなったかな』

「わかりやすく、です?」

『文字が拗ねてる。一緒にいたかったのに、って』

 くすくす、口に手をあてて肩を震わせて笑うナリアンの目が、よしロゼアでちょっと遊ぼうかな、というからかいに満ちていた。んん、と首を傾げ、ソキはナリアンにロゼアの書き文字を見せてもらうも、当然のごとくよく分からない。

 さすがナリアンくんです、写本師さんです、と感心しながら、ソキはでもでもぉ、と頬をぷっとさせながら反対側に首をくてん、と傾げてみせた。

「ロゼアちゃん、授業に行っちゃったです」

『うん。それはね、授業だから。行かないと駄目だからね。ロゼアは真面目だし』

「……あれ? ナリアンくんは、どうしたですか? おやすみ……?」

 黒魔術師の特別授業、の筈である。ナリアンは風属性の黒魔術師だ。それも、とびきり魔力のある。

 なので今日はもう夕食の時くらいにしか会えないのではと思っていたことを思い出し、ソキはぱちぱちとまばたきをする。ナリアンは、ふ、と遠くを見るまなざしで囁いた。

『前半と後半、三十分ずつしか参加を許可されなかったんだ……』

「ナリアンくん。仲間はずれさん? いじわるされたんです? ソキ、いっぱい、めっ! ってしてあげるですよ」

 飲み終わってからになった保温筒を机に戻し、ソキはううん、とナリアンに向かって体を乗り出した。あ、わっ、と慌てた声をあげながら察して身を寄せてくれたナリアンの頭を、ちまちまふわふわ、ソキの手が撫でて行く。

「ナリアンくん、元気だしてくださいです。それで、今日は黒魔術師さんがなにしてるか、ソキに教えてください」

『うん。……うん?』

「ロゼアちゃんね、ソキにないしょー、にしたんですよ? なにするです? 特別じゅぎょ? ソキも一緒です? って聞いたんですけどぉ、ソキは談話室。ゆっくりしていような。黒魔術師が皆集まるんだ。それで授業するんだよ、って言って、教えてくれなかったです。ぷぷぷ。ロゼアちゃんがソキにないしょしたぁ……! ぷぷぷぷ! ……あっ、それで、ナリアンくん? ナリアンくんはー、きょうー、なにをするんですかー……?」

 きらきら、わくわく、そわそわそわ。じぃー、とばかり見つめられて、ナリアンはにっこりと笑みを深めてみせた。

 ああぁ今日も俺のいもうとはかわいいなー、ほんとかわいいとびきりかわいいソキちゃんせかいいち、と深く頷き、ナリアンは特別授業だよ、とロゼアと同じ言葉を繰り返した。

『午前の前半と、午後の後半に分かれてるんだ』

「それで? それで?」

『俺は、三十分ずつしか参加できないから、その間はソキちゃんの傍にいようかな。いてもいい?』

 もちろんです、とにこにこ頷いて、ソキはあれ、と目をぱちぱちさせた。

「ナリアンくん?」

「うん。なに、ソキちゃん?」

「ナリアンくんは、三十分で、なにするです?」

 助っ人かな、と苦笑いするナリアンに、ソキはそうなんですか、と頷いた。

 なんだかそれはちょっぴりかっこいい気がするです。ナリアンくんはすごいですね、としみじみすれば、ナリアンはくすぐったげに目を細めて笑い、ありがとう、と囁いてくれた。

 その穏やかな落ち着きは以前からナリアンのものだったけれど、長期休暇が終わってから、たびたび現れるようになったものだ。いや、長期休暇明け、というよりも。ナリアンが肉声で話すようにもなった、定期試験が終わってから、だろうか。

 ナリアンはすこしばかり、ソキの知る青年とは変わってしまった。でもそれは怖い、悲しい変化ではない。冬の重たい外套を、春になったから脱いでしまい込む。ただそれだけのような穏やかな時の流れ。

 ゆるく、ゆるく、時が巡って行く。ナリアンの面差しはソキが覚えているより、もっと、大人のおとこのひとになった。お休みの間に。ソキが。ロゼアを離せば、きっと、その間に。ロゼアはこう言う風に、ソキの知らない、おとこのひとになる。

 泣きそうに目をうるませるソキに微笑みを深め、ナリアンがソキちゃん、と名を囁いて顔を覗き込んでくる。

「ソキちゃんは、綺麗になったね。前も、うんと綺麗だったけど、それよりずっと綺麗で可愛くなった」

「……でしょお? ソキ、お休みの間、ずっとロゼアちゃんと一緒でね。ロゼアちゃんね、ずっと、ソキのお手入れしてくれたです。髪はね、香油を塗ってロゼアちゃんが梳かしてくれてね、さらさらでいいにおいでね。お肌はね、おふろに入ってね、お湯に薬草とか、お花とか浮かべるんですよ。お花とね、ハーブは、ロゼアちゃんが選んでくれたのです。それでね、爪はね、ロゼアちゃんがやすりでね。くしくしって削って、磨いて、クリーム塗ってくれてね。お服はね、ロゼアちゃんが選んで、ソキに着せてくれるです。あっ、髪ね、髪ね、お休みの間にね、ロゼアちゃんは編み編みしてくれるようになったです。髪を編み編みするのね、ソキ、ずぅっとほんとは駄目だったんですけど、あみあみしてくれるよになったんですよ」

「……えっと。編み込み、とか。そういえば、編み込み……してたの、あんまり見たことなかったけど……駄目だったんだ?」

 そうなんです、とソキは頷いた。『花嫁』の髪は、そのうつくしさを際立たせる為に様々な手段で整えられる。

 結う者も短くする者も様々だが、ソキのそれは体の表面を艶やかに零れ落ちて行くうつくしさを重視されたが為に、纏められることは殆どないことだった。

 やわらかく、結ったあとですぐに波打ってしまうこともあるだろう。『花嫁』にそれは許されなかった。だから休みの前まで、ロゼアはソキの髪を梳かすことはあれど、編み込んでくれることは殆どなかった。

 一度か、二度。ソキの実技授業を行うにあたって担当教員から指示があった時だけ、編んでくれただけなのである。そういえば、ミルゼが。ソキの異母姉たる『花嫁』が嫁いでしまってから、ロゼアはよく編み込んでくれるようになったのだ。

 赤いリボンを編み込んだり、花を飾ったり。ソキを抱き寄せて、かわいいソキ、と笑ってくれるようになった。

 かわいい、かわいい、かわいいソキ。ソキ、ソキ。今日も耳元で満足げに囁かれたあまやかな声を思い出し、ソキは幸福で頬を赤らめ涙ぐみながら、アスルをぎゅぅと抱きしめた。

「あのね、ナリアンくん。ソキ、あの、最近……あの、さっきもナリアンくん、言ってくれたですけど」

『うん?』

「ソキ、かわいくなったです? ロゼアちゃんがね、とっても、褒めてくれるの……」

 かわいいって。いっぱい。真っ赤な顔でアスルをぎゅううぅっと抱きしめながらぽそぽそと呟くソキに、ナリアンは口元に手を強く押し当てて笑いをこらえ。どこか不安げなソキに、うん、と頷いてやった。

「漏れてるだけだから、大丈夫だよ、ソキちゃん」

「……ふにゃん?」

「ロゼアは、ずっと前からそう思ってたよ。ソキちゃんのこと、かわいいかわいいって」

 思っていたよ。くすくす笑いながら囁いてくれるナリアンに、ソキはそうなんですけどぉ、とくちびるを尖らせた。だってそんなのはソキがロゼアの『花嫁』だったから、あたりまえのことなのだ。

 すねた口調でそう呟くと、ナリアンはまた面白そうに目を細めてやさしく笑い。そうだね、と吐息に乗せて呟いた。それも、それで、本当だから。

 ロゼアとソキちゃんと、どっちが早く気が付くかな、と大人びた顔で笑うナリアンに。ソキはナリアンくんがなにを言ってるのか分からないです、とぷぅっと頬をふくらませた。

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