4:ウィッシュ 後


 たぶん今くらいでももう、さわって、とか言ってる筈だし。びっくりする程ぜんぜん触ってくれないんだけど。閨教育でちゃんとその方法を教わっているのに。『傍付き』はどうしてか誘惑されてはくれないので。

 そういう好きっていうことじゃないだけなんだろうけどさぁ、と経験上の推測でそう呟き、ソキがひとりでねるって言い張るのそういうことだよなぁ、とウィッシュは眠たげにあくびをした。

 俺もそろそろ白雪に戻ろうかな、と考える『花嫁』に、どこかむっとしたようなロゼアが、ソキを抱きなおしながら問いかけた。

「何故ですか? その必要は、もうないでしょう……?」

「……んん?」

 あれなんか。俺の知ってる感じの『傍付き』の返事とちょっと違う、気が、とさらに首を傾げるウィッシュに、ロゼアはぱたぱたぱた、涙目で暴れるソキをやんわりと抱きしめ、額に頬をくっつけながら囁いた。

 目を伏せて。そっと、やわらかく、心から微笑む。

「ソキはもう、どこにも嫁がないでいいんです」

「う、うん? そうだね? 俺もロゼアも、ソキも、魔術師だもんね……?」

「ソキは、もう……どこにもいかないで、いいんだ」

 それをまるで、嬉しくて仕方がないことのように、ロゼアは言った。あれれ、と首を傾げるウィッシュに失礼しますとソキを抱き上げたままなので、目礼し、ロゼアは談話室を歩き去っていく。

 その背を見送って、ウィッシュはううぅん、と難しげに眉を寄せて瞬きをした。

「……もしかして。ロゼア、ソキのこと、ちょっと好きなの……? ……いやでもまさかそんな」

「え? お前なに言ってんだ……?」

「あ。りょうちょだ。りょうちょ、こんばんは。でも、もう俺帰るから、『扉』まで一緒に行って?」

 にこぉー、と笑いながら両手を差し出してくるウィッシュに分かってると息を吐きながら、現れた寮長が手をとって『花婿』を立ち上がらせる。

 ふらつきながらもひとりで立ち上がったウィッシュを眺め、言いたいことと突っ込みたいことはたくさんあるんだが、と寮長は額に手を押し当てて呻く。

「……ちょっとじゃねぇだろ……? なにがいやでもまさかなんだ。言ってみろ」

「だって。ロゼア、『傍付き』だもん。ソキに、しあわせになっておいでー、って送り出すのがロゼアだよ。それで、そのあと、ロゼアはソキじゃない誰かと恋愛して、結婚して、しあわせになるんだよ? なんか……あれ、ちょっと、おかしい。ロゼアどうしたの……?」

「いやお前がどうしたのっつーか……ソキがなんかもにゃもにゃ言ってた時も思ったんだが」

 ウィッシュの手を引いて望まれるまま、連れだってゆっくりと歩き出しながら。寮長はおそらく、談話室の誰もがそう思っているであろうことを、『花婿』に向かって問いかけた。

「お前、もしかして……ソキが、嫁がないと、ロゼアがしあわせになれないとか、思ってんじゃないだろうな……?」

「え。そうだよ? ちがうの?」

 だって俺だってそうだもん、とウィッシュは、絶句する寮長を不思議そうに眺め、ぱちぱちと無垢な仕草で瞬きをした。『花婿』の。そう整えられきった存在の、共通する認識は、疑いもなくまっすぐに囁かれて行く。

「だって、そうなんだよ。『傍付き』は皆、おんなじ。俺たちを送り出したあとに、誰か好きなひとができて、そのひとと結婚する。……ウェラ姉さんのルー……ルーベリカも、アリオト兄さんのカペラも、ディーラ兄さんのウェダも、皆……送り出して、三年もしないうちに、いつの間にか恋人出来てて、結婚したの、俺ちゃんと知ってるんだからな。だから……ソキのロゼアも、きっとそうなんだと、思うんだけど……んー、んん……?」

 でもなんか、あんなに離そうとしないでいてくれるものだっけ、と首を傾げながら、ウィッシュは記憶を辿るように視線を彷徨わせた。

「……んー。ロゼアどうしたのかな……。なんかちょっと違う、気が……」

「俺は今改めてお前の中の認識が、ちょっと、どころじゃなくおかしいことに気が付いてる所なんだけどな……?」

「いい? 寮長。あのね、『傍付き』っていうのは、あれで普通なんだよ? ソキは特に『花嫁』の中でも小柄っていうか、昔から体つきがちょっとちぃちゃかったからさー。だっこが多かったしだっこすきだったし」

 俺がいま言ってるのはそこじゃない、というかそこだけを言ってんじゃない、と告げるような寮長の遠い目に、ウィッシュはうぅん、と首を傾げ、納得しきれないような瞬きをしながらも、まあいいか、と結論付けてしまった。

「それよりも寮長? あんまりロゼア叱ったりしないでやってな。ソキがすっごい怒ってるよ? こないだだって、ソキはりょうちょきらいきらいです! りょうちょろぜあちゃんおこる! そきりょうちょきあい! ってそれはもうほんと怒ってて。俺頑張ってとめたんだよ?」

「とめた……?」

「ソキが寮長に呪いかけようとしたんだよね。ええと、あの時はなんだったかな。確か、ええと……りょうちょなんか、おみずのむたびにぜったい、けふって、むせちゃうといいです! とかなんかそういう感じのアレだった気がするけど。ソキは無意識だったみたいだけど、呪いかけるつもりとかもなくてさ。ただ、ソキは予知魔術師じゃん? で、まだ魔術発動とかも不安定だから、わりとこう魔力漏れ的な感じでうっかり呪い発動しかかっちゃって。いやとめたけど」

 それでしばらく実技授業もやめにしてるんだけど、再開するまでにもうちょっとでいいからソキの怒ってるのどうにかしないと危ないよ。とめるけど、とさらりと言い放ち、ウィッシュは口元に手をあて、ふあふあと眠そうにあくびをした。




 えく、えく、と弱々しくしゃくりあげながら、ソキは寝台に横たわったロゼアにぎぅーっと抱きつき、首筋にすりすり頬をこすりつけて訴えた。

「そき、ひとりで……けふ、けふぅ! ねぅ……こふん。やぁ、やぁぅー……!」

「ソキ、そき。もう寝ような?」

「ふにゃあふやあぁあっ……! ろぜあちゃん、いじわるぅー……!」

 すりすりすりっ。ぴと。すりすり、ぎゅぅー。すりりっ、と好き勝手甘えてすりよって抱きつきながら半泣きで訴えるソキの髪を、ロゼアはゆっくりと撫でている。髪を指先に絡めて。

 てのひらでぐっと、ソキの体を押しつけるように抱き寄せた。

「……ひとりでねたいの? ソキ。ひとりだと、俺いないよ? なでなでも、ぎゅぅもなしだし、すりすりするのもできないだろ。それでいいの? 俺がいなくていい?」

「ぐずっ……ふぇ、ええぇん……! ろぜあちゃんがぁー、そきにー、いじわる! いうですぅー!」

 やぅー、やですぅー、とねむたくて、半分寝ぼけた声でむずがるソキの髪を、指先でするすると撫でて。ぱらり、音を立ててソキの背に髪を散らしながら、ロゼアはそっと囁くよう、耳元に問いかけた。

「ソキ? ……俺と一緒にねる? いっしょがいい? どっち?」

「……そきろぜあちゃんといっしょがいいです。いっしょに、ねるぅ、です」

「うん。いいこだな、ソキ」

 じゃあ眠ろうな、とあまく安堵に緩んだ声で笑い、ロゼアの手が毛布を引き寄せる。はふ、と眠そうにあくびをしたソキの頬を指の背で撫ぜ、ロゼアも静かに瞼を下ろした。くすんくすん、とまだぐずるソキを、抱き寄せたまま。

 朝まで決して、離すことはなかった。

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