今はまだ、同じ速度で 40


 空間には淡いひかりが満ちていた。

 寝台の四方を囲む紗幕に触れてしか訪れない、やわらかなひかり。そもそも部屋の窓や扉にも光を遮断しきらないように計算されて布が下げられているので、苛烈な砂漠の光は室内のどこにも届いていないのだった。

 それは『花嫁』の部屋に導かれるひかりだ。体調を悪くしてしまった『花嫁』の肌に、目に触れても、それを悪化させない甘くやわやわとした輝き。

 年末からずっと、不安定にぐずぐずと崩れてしまうソキの体調にも影響しないよう計算しつくされた、世話役たちとロゼアの作りあげた世界の中心。

 寝台に座りこむロゼアの膝に抱きあげられ、ソキはぽかぽかとした熱に包まれながら、きもちよく全身をくたんとさせあくびをした。

 せかいに、ロゼアとふたりきりでいる。そんな気分だった。部屋にはロゼアの他にもメグミカや、世話役たちがいるのは知っていたが、彼女たちは皆寝台を囲む紗幕の向こう側である。

 足音は響かず、気配はひっそりとしていて、話し声も遠くで吹く風が花の葉を揺らす程度にも響かない。髪に香油を塗り、丁寧に丁寧に櫛梳るロゼアの胸にぽて、と頭を押し付けて、ソキはそこへすりすりすり、と額を擦りつけた。

「ねえねえロゼアちゃん。ねえねえ」

「うん? ソキ、なに。どうしたの」

 ぽん、と櫛を寝台に置き、ロゼアの手がソキに触れてくる。あたたかな手は頬を包み込み、首筋に流れ、首の後ろの毛を指先で払ってほんのわずか、ソキを上向かせる。

 そき、とあまやかに囁かれながら額がこつりと重ねられ、ソキは胸一杯に広がるこそばゆさにきゃあきゃあ笑った。

「ソキの髪の毛、さらさらです? いいにおいです?」

「うん。さらさらだな。……ソキ、いいにおい」

 ゆるくソキを抱きなおした腕が、ぎゅぅ、と力をこめてくる。ソキの頭にロゼアの頬が寄せられてくっつき、はぁ、と満たされた息が吐き出された。ゆらゆら全身が揺らされて、ソキはロゼアにぴとっと体をくっつけなおした。

 おちちゃうです、やんやぁっ、とむくれた声に、ロゼアがくすくすと響かない笑い声で囁く。落とさないよ。絶対落とさない。ソキ、ソキ。俺の膝の上にいような。心配ならもうちょっとこっち来ればいいだろ。

 よいしょ、とばかりロゼアに座り直させられて、ソキはふすんっ、と満足げに鼻を鳴らした。

「ロゼアちゃんはぁ、このお花の香油のにおい、すきですー?」

「うん」

「じゃあ、ソキはロゼアちゃんのすきすきになるんでぇ、いっぱいしていいですよぉ?」

 寝台の、ソキにはちょっと手が届かない位置に、数種類の香油が置かれていた。ソキの体調や好みに合わせて細かな調整がされているそれは、『花嫁』用の最高級品である。

 それを惜しげもなく使いながら、ロゼアはうん、とこころもちほわほわした声で頷いた。

「髪が終わったら、手もしような、ソキ。手と、指と、爪。爪はちょっと長いのを削って、磨いて、ぴかぴかにしような」

「はぁーい。ソキ、ロゼアちゃんにおていれしてもらうぅー、ですぅー!」

「うん。腕と、脚のマッサージもしような、ソキ。服もあるから、マッサージが終わったら着替えような」

 マッサージはいらないですやです、とでかでかと顔に書きながらにこぉ、と笑って、ソキはちょこりと首を傾げてみせた。新年に入ってから、というか砂漠に到着してからというものの、服がある、と言われるのはこれで七回目くらいである。

 当然、新しい服だ。ソキが『お屋敷』に置いて行ったものではなく、『学園』から持ってきたお気に入りではなく、新品の。なんでも、世話役とメグミカとロゼアで選んでいるらしい。

 さすが王宮はハレムがあるだけあって通ってくる商人も流通している品もソキさまにふさわしいものばかりですわ、と満面の笑みでメグミカが楽しげに話してくれたので、嬉しそうなのはいいことです、と思っているのだが。

 でも昨日も新しい服、あった気がするです、とロゼアの腕の中で脚をぱたぱたしてマッサージないないですソキ大丈夫です、と主張しながら、ソキは不思議そうに目を瞬かせた。

「ロゼアちゃん。ソキ、このお服、似合わない?」

「なんで。そんなことないよ、ソキによく似合ってる。かわいいよ。かわいい。ソキかわいい」

「でっしょおおお……! ……あれ? あれぇ……? ……ふにゃん?」

 そうでしょソキかわいいでしょぉロゼアちゃんがてまひまかけて育ててくれた『花嫁』ですからぁソキかわいいんですよぉロゼアちゃんすごおいんですよおおおぉ、とちからいっぱいふんぞり返って主張したのち、ソキはぎゅうぅ、と抱き締めてくれるロゼアの腕の中、くてんと力なく首を傾げた。

 いつもより、なんだかちょっと、かわいい、の回数が多かった気がするのだけれど。ううぅん気のせいです、と訝しみつつ頷いて、ソキはちょいちょい、と服の裾を指先でひっぱって、露出した脚を隠してしまった。

 ソキの服はいつも長い丈のワンピースで、普通にしている分には脚がでないつくりなのだけれど、ぱたぱたするとちょっぴりみえてしまうのである。

 恥ずかしいです見えるのだめですやんやんですっ、と整え直して、ソキははふ、とまた満足げに息を吐いて頬を頭にくっつけているロゼアの、腕をぺっちぺっちと指先で叩いた。

「ろーぜーあーちゃーん。ろー、ぜー、あー、ちゃーん? ソキ、もうお洋服、たくさんあるですよ?」

「うん。……うん? 大丈夫。室内着じゃなくて外出着だから、『学園』で授業に着ていける服だよ」

「……んん?」

 叩いてしまった腕のあたりを撫でながら、ソキは不思議そうに瞬きをする。ソキの持つ服は肌触りのいい柔らかな布で仕立てられたものが大半だ。

 今着ている白いワンピースも、一枚では肌が透けてしまうほど薄く透明な布地を、幾重にも重ねて作られたものである。絹のように滑らかな手触りは、淡いひかりの中で真珠のような光沢を放つ。

 ソキはその布をちょい、と指先で摘んでひっぱった。

「これは室内着、です」

「うん。室内着だな」

 ついでにいうなら寝間着でもある。体調を崩してから、ソキは丸一日をおきて過ごす、ということが殆ど出来なかった為だ。寝て、起きて、ロゼアの腕の中でまた眠って、起きて、また寝て、の繰り返しである。

 年が明けてすぐに『お屋敷』に出向いた以外は、ほぼ王に貸し与えられた居室の中、というよりもこの寝台の中でロゼアの腕の中である為に、外出着に袖を通したのですらその用事の時だけだった。

 帰って来てすぐにお湯で体をさっぱりさせ、やわらかな室内着、兼寝間着に着換えさせられて寝台の上をころんころんとしていたら一日が終わってしまった。以来、ソキの体調は特にすごく元気、というほどでもないので、やはり外出着には縁遠かったのだが。

 いつの間にかソキの髪をふたつに分け、その片方を三つ編みにしているロゼアは、先端をきゅぅと赤いリボンで結んで満足げだ。はいこっちも、ともう片方の髪もあみあみされるのを眺めながら、ソキは外出着です、ともう一度呟いた。

 それはつまり。

「きゃあ、ロゼアちゃん! ソキ、元気になったんですよー!」

「うん。そうだな、ソキは元気になったな。でもまだ動くと咳が出るから、お散歩に行くのはやめような」

「……あれ?」

 きゅ、とロゼアがふわふわした笑顔で、ソキの髪にリボンを結ぶ。ソキが普段使っているものとはほんのすこし色合いの違う、沈む夕日の色濃さを溶け込ませたような、細身の赤いリボンだった。

 ソキは三つ編みのひとつを摘んでぴこぴこ振りながら、きゅぅと眉を寄せて首を傾げた。

「ロゼアちゃん? 外出着ですから、ソキはお外出ていいです?」

「うん、いいよ。動いても咳が出なくなったら、行こうな」

 とりあえず髪はこんなもんかな、と頷き、ロゼアが脚をぱたぱたするソキを抱き上げなおす。こーら、と困った声で服の上からふとももを撫でられて、ソキはぷぷぷ、と頬を膨らませた。

「ソキ、もうお熱下がったです。お咳もでないです」

「うん? ……うー……ん」

 ぎゅー、と抱きしめられてあっけなく不機嫌を崩壊させながら、ソキはふあぁ、とあくびをした。寝台の中は心地いい熱で満ちていて、喉を痛くすることもなければ、悪戯に熱をあげたり、体を冷やしてしまうことがない。

 ロゼアちゃんのお傍あったかいですきもちいいです、とねむたい気持ちでふあふあとあくびをするソキの頬を、てのひらがゆっくりと撫でて行く。

「ねむい? ……ねていいよ、ソキ。眠るなら髪の毛ほどこうな」

「……ロゼアちゃん。おててと、爪の、お手入れ、するです」

「今じゃなくてもいいよ。あとでにしような、ソキ。眠たいなら、眠らないとだめだろ」

 ソキを胸元に抱き寄せたまま、ロゼアが寝台に体を倒す。ぱふ、と音を立てる仕草は珍しく、ソキはきゃあきゃあ声をあげて笑った。ふ、と笑ってソキの背を撫でながら、ロゼアが幾度も名を呼んで来る。

 ソキ、そき、そーき。ソキ。ソキ。そこにいるのを確かめるように。そこにある幸福を確かめるように。雨上がりの灯篭に揺れる火のような色で、ロゼアの瞳が滲んでいる。花に降る雨のような。満天の幸福に満ちている。

「ソキ……ソキ」

 おやすみ。いい夢を。『花嫁』を眠りへ導く囁きで、ソキをことん、と眠りに落っことしながら。ロゼアはそっと響かぬ声で囁いた。何度も、何度も。その幸福を噛み締めるように。傍にいるよ、と。

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