今はまだ、同じ速度で 35
背をぴったりとくっつけて座らせられ、ロゼアの手がソキのおなかの上に押し当てられた。布の上から、そっと腹部が撫でられる。やあぁんやあぁっ、ともぞもぞ暴れるソキの頭上で、鋭い響きの言葉が、早口で交わされて行く。
「メグミカ。ソキの月の障りは……次の時期はまだだったよな」
「ええ、その筈よ。学園では?」
「特にずれてなかった。報告書の通り。じゃあ、それじゃないのか……? 熱のせい?」
わからないわ、とメグミカが低く吐き捨てるように言う。速く低く響かない声で交わされる言葉は、ソキにはうまく聞き取れない。
やあぁああふたりともないしょのおはなしやあぁあああっ、と怒ってロゼアの腕をぺっちぺっち叩けば、うん、と呟いて抱き直される。
「うん。ごめんな、ソキ。もうしない。……しないから、なにか、すこしでもいいから、食べようか」
「……たべないと、ろぜあちゃん、おこる?」
「怒らないよ。怒らない。……怒られたりも、しないよ。おなか、きもちわるいか? おなかすいてない?」
メグミカが、ねえロゼアもしかしておなかすきすぎてソキさまはきもち悪くなられているのではないかしら、という顔で口元を引きつらせた。ううぅん、と思い悩むソキを撫でながら、ロゼアがうわああぁ、と無言の呻きで天井を仰いだ。
それだ。それよね。それだよ。むうむう呻きながら、あれもしかして痛くはないですしぃ、ちょみっときもちわるいかもですしぃ、でもおなかすいてる気がしますしぃ、と考えるソキにも聞きとれるように、ロゼアがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「メグミカ。ヨーグルトと、りんごをすりおろして持ってきてくれるか?」
「分かったわ。他には?」
「他は……頼んでたあれが、出来あがってたら。一緒に」
微笑んで頷き、メグミカはすこしだけ失礼致しますね、とソキに囁き、湯呑みをロゼアに受け渡してから立ち去った。また一瞬だけ紗幕が持ちあがり、すぐに寝台は薄布に覆われてしまう。
さわさわさわ、と向こう側の空気が淡く揺れている。誰かが部屋の扉を開けたその瞬間だけ、どっと外側のざわめきが部屋になだれ込み、しかしすぐに遮断されてしまった。
ぽん、ぽん、とソキの肩を撫でながら、ロゼアが顔を覗き込んでくる。
「おなかいたい?」
「んん……。んんん……?」
よく分からないです、と言いたげに、ソキはくてんと首を傾げる。おながすいているような、ちょっとだけ痛いような、ぐるぐるした感じがして、どうも落ち着かない。
やーぁ、うー、とむずがってしきりに身動きするソキを膝の上に座り直させ、ロゼアはよしよし、とおなかの上を撫でてやった。
「今日と、明日は、ゆっくりしていような。……明後日は、『お屋敷』に行かないといけないから」
「はい。ソキ、ゆっくりするですけど。おやしき、いかないといけないです? おにいさまにお呼ばれです?」
行く、ではなく。行かないといけない、とロゼアが言う以上、それは義務や命令に近いなにかである。ソキはてっきりレロクが呼びだしたもの、と思ったのだが。ロゼアは苦笑いをして首をふり、違うよ、と言った。
「王陛下が。城が慌ただしくなるから、ふたりとも『お屋敷』にさがってろ、って……だから、メグミカも、アザも、ユーラも、ウェスカも、シーラも。みぃんなソキと一緒だよ」
「……ロゼアちゃん。ソキといっしょ?」
「もちろん」
でも、歩くのはやめような。だっこしていこうな。まだ体だるいだろ。歩くのはだめだ、と言い聞かせられて、ソキはううぅん、と眉を寄せたのだけれど。
咳が出てしまったし、気持ちが悪いのも、体がどこもかしこも痛いのも、無くなった訳ではないので。はい、ソキ、ロゼアちゃんの言う通りできるです、と頷いた。ロゼアはそれに、あまやかに笑う。
柔らかくソキを抱き寄せ、耳元で笑みゆるむ声が囁いた。
「偉いな、ソキ。言うこときけて。……ソキ、ソキ」
「ロゼアちゃん。きゃぁ! なんですか? なーあーにー?」
「んー……? なんでもないよ」
なんでもないよ。だから、俺の腕の中から出ないでいような。歩かないでいいよ。ずっとだっこしてればいいだろ、ソキ。ゆっくりするってさっき言ったろ。だから、今日はソキはずっとここにいればいいよ。
ぽんぽん、と背を撫でられながら囁き落とされて。ソキはきゃっきゃとはしゃいだ声で、そきろぜあちゃんのいうとおりできるぅーっ、と笑った。ほ、と肩の力を抜いてロゼアが笑う。
ゆるゆるソキの体を揺らしながら、いいこだな、とロゼアが笑う。穏やかに、やんわりと目を細めて。なんだかとても、しあわせそうに。んん、と首を傾げ、ソキはロゼアにぴとっとくっついた。
「ロゼアちゃん。なにか嬉しいことあったぁー? ですー? ねえねえ、うれしいこと、あったんです?」
「うん? ……ソキがすこし元気になってよかったな、と思って。メーシャも心配してたよ」
「メーシャくん? ……メーシャくん、心配かけちゃったです……? メーシャくん、ソキ、元気になったですよ」
不安げに視線を彷徨わせながら告げるソキの頭を撫でながら、ロゼアは元気にはなってないだろ、と言葉にはせず苦笑した。あくまでソキの状態は、とりあえず落ち着いただけ、である。
このまま水分をとることを拒否され、食事もとらなければ、数時間であっけなく悪化することは目に見えて分かっていた。けれども、叱ったり、怒ったりすれば、ソキは頑なになるだけだ。
『学園』に帰ったらメーシャに元気になったの見てもらおうな。あとで手紙も書けばいいよ、と告げ、ロゼアはソキと額を重ね合わせる。ソキの体を重たくしていた熱は、まだ引いてはいないものの、嫌な熱さを帯びていないように思われた。
「メーシャくんに、おてがみ……? メーシャくん、いないです?」
「うん、年末に戻ったよ。挨拶にも来てくれたけど、ソキは寝てたから会えなかったな。ごめんな、ソキ」
「んーん……? ……ねんまつ、です……? ねんまつ?」
ねん、まつ。その言葉を何度か繰り返して呟き、ぱちぱちと目を瞬かせて。唐突にソキは、きゃあぁっ、と叫び声をあげた。
「ロゼアちゃんたいへんたいへんです! もしかして一年が終わっちゃいます!」
「うん? ……うん、昨日終わったよ、ソキ。今日から、新年」
「……あれ?」
くてん、とソキは首を傾げて、ロゼアの腕の中でいっしょうけんめい指を追って日を数えた。んっと、んーっとぉ、と指折りながら考えて、けれどもちょっぴり計算が合わない。
あれ、気が付かないうちに何日か無くなっちゃったです、と訝しむソキを抱きなおし、ロゼアはぽん、ぽん、ぽん、と腹あたりに触れ、撫でてくる。
「たくさん寝てたもんな、ソキ。……よく頑張ったな。熱も、痛いのも。がんばったな、ソキ」
「んん? ……えへへ。でしょぉ。ソキ、がんばったですよぉ?」
「はい。さすがはロゼアのソキさま! よく頑張られましたわね……! 頑張られたからお茶を飲まれましょう?」
紗幕の隙間から体を滑り込ませつつ告げたメグミカに、ソキは勢いで機嫌良く頷いた。ソキ、おちゃ、のむです。えへん、と胸を張りながら告げれば、さすがはロゼアのソキさまですっ、とめいっぱい嬉しそうな声で繰り返される。
「メグミカは嬉しゅうございます。ソキさま? お茶を飲まれましたら、なにか召し上がられましょうね」
ヨーグルトも、リンゴもありますよ、と告げるメグミカが、跪く己の膝上にのせた木盆の上には、それとは違う薄布のかけられた小皿がひとつ、置かれているように見えた。
それなんですか、と目をぱちぱちさせながら、ソキはロゼアと一緒に湯呑みを持ち、ゆっくり、ゆっくり、ぬるまったお茶をこくん、と飲み込む。今度は咳はでなかった。
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