今はまだ、同じ速度で 28

 傍にいるよ、じゃなくて。傍にいたい、だとか。一緒にいるよ、じゃなくて、一緒にいたいと求める言葉を、ソキはロゼアから聞いたことがなかった。

 『花嫁』は知っている。『傍付き』は『花嫁』にそういう感情を抱かないし、持つこともないのだと。求めれば応えてくれる。求めれば、求めるだけ、それをくれる。求めた以上に与えられることはないし、同じようにそれを、求められることは、ない。

 『傍付き』にとって『花嫁』はいつか手放すものだ。手を離して送り出すものだ。だから求めないし、それを決してしてはくれないのだと。ソキはもう何年も、分かっていたのだけれど。ほしいほしい、とわがままのように。

 日ごと、夜ごとに降り積もって行く感情がどんどん息をくるしくしていく。

 応えるのではなくて。ただ返すのではなくて。ロゼアから、ソキを、求めて欲しいと。その感情がどうしようもなく溢れそうになってしまったのは、砂漠に帰って来てからのことだった。

 それまでも、そう思っていても、ソキはちゃんと我慢できていたのに。その腕の中に抱きあげることを求めて、その場所で眠っても、甘えても、それだけはちゃんと我慢できていたのに。

 夜。中途半端に目覚めてしまったしんと静まり返る夜の中でまばたきをしながら、ソキはもそり、ロゼアの腕の中で体を起こし、熱っぽい息を吐き出した。

 ざわめき、熱を宿し、じんじんとしびれるような、ちくちくと突き刺し貫くような胸の痛みが、全身に広がって、痛くて苦しくてせつなくてどうすることもできない。

 砂漠の多くがそうであるように、年明けと共にソキは年齢をひとつ重ねて十四になる。ロゼアも、十七になるのだった。

 くらやみの中で見つめるロゼアの面差しは、ソキの知る幼さをいまや完全に消し去ろうとしていた。笑うとあまく、おさなく、愛らしくもなる母親似の顔立ちは、けれども男性的な精悍さを増していて。

 ロゼアは、とてもかっこいい、おとこのこになろうとしている。じわ、と浮かんだ涙をこしこしと手で拭って、ソキは浮かび上がってきた、いや、という気持ちを押し殺した。いつかこのひとは、だれかのものになってしまう。

 ソキではないだれかをそのうでにだきしめて。それがしあわせだとわらう。ソキを、しあわせになれるよ、ともう会えない永遠の先に送り出したあとに。

 いや、だと思った。『花嫁』でしかなかった時に、何度も、何度も思って、考えて、でもそのたびがまんして、耐えきって。

 ロゼアがいうのなら、その腕の中ではない場所にソキのしあわせが、いちばんしあわせになれる場所があるのだと囁いて、送り出される、そのことが。そのあとに巡り合うのであろうロゼアの恋を、しあわせを。いやだと思った。

 しあわせになってほしいのに。ソキはロゼアにしあわせになってほしいのに。それは本当のことなのに。どうしてソキじゃだめなんだろう、と思って、『花嫁』は淡く笑った。

 それは、ソキが『花嫁』だからで。ロゼアが『傍付き』だからなのだ。ロゼアは、もうソキを『花嫁』じゃないよ、と言ったのに。一度も求めてはくれないから。

 涙が滲んだ目をこしこしと擦って、ソキはくてんと首を傾げた。それともロゼアが言ったのは、『花嫁』だった、だろうか。でもどちらでも同じような気がした。だって今もソキばかりなので。ロゼアはソキを求めてはくれないので。

「……ろぜあちゃん」

 こわい。いつか。もしかしたら。ソキが十五になったら、嫁がなければいけない年齢を超えてしまったら。ソキが手を離す前に、ロゼアが。ここではないどこかでしあわせになっておいで、と告げるような気がして。

 だってソキの知る『傍付き』は、誰もそれを嫌がらないのだ。『花嫁』を、『花婿』を嫁がせることに。その先にしあわせがあるよ、と囁いて微笑んで。送り出して、数年後に、誰かと結婚してしまう。

 皆そうだった。ウィッシュの『傍付き』だったシフィアだけは、どうしてか、今も未婚のままでいるのだけれど。その他はもうみんな、結婚してしまっている。

 ソキはちゃんと知っていた。『傍付き』はしあわせになる。『花嫁』を送り出した、そのあとに。

 彼らのしあわせは、そのあとにある。だからロゼアがしあわせになる為に、ソキは早く、傍を、離れなければ、いけないのに。ぐずぐず、浮かんで来た涙と鼻をすすりあげ、ソキは眠るロゼアに手を伸ばした。

 一度でいい。たった一度でいいから、もし、ロゼアが。ソキの傍にいたい、だとか。一緒にいよう、ではなくて、一緒にいたい、だとか。言ってくれれば。俺の『花嫁』じゃなくて。俺の、ソキ、って。言って欲しい。

 一度だけでいいから。ソキがそれを求めて言ってもらうのではなくて。ロゼアが言いたくて言って欲しい。ソキを求めて欲しい。好きになってほしい。それをどうしても諦められない。

 眠るロゼアの頬にぺたりと手をくっつける。それだけで胸がいっぱいだった。しあわせで、しあわせで、胸がいっぱいで、悲しくて苦しい。こんなに好きなのに。こんな風になるのはソキだけで。

 この世界のどこかには、こんなふうに触るだけで、ロゼアが胸をざわめかせる誰かが。ロゼアをしあわせで満たすおんなのこが、いるのに。それはソキではなくて。ロゼアは、ソキに、そういう風に満たされてはくれないのだ。

「すき……。すきなの、すき、すき。ロゼアちゃん、すき……すき、な、ですぅ……!」

 だから、離れたくない。なのに、離れなければ。ロゼアはしあわせになれない。誰よりしあわせになって欲しいのに。ロゼアを好きなソキの気持ちが、それをどうしても邪魔してしまう。

 ロゼアの傍にいるだけでしあわせだった。その腕に抱きあげられることがなによりの。その腕の中でしか今も、安心して眠ることが出来ないくらいに。好きで、恋しくて、触りたくて。触って欲しくて。

 ロゼアちゃん、と囁いて、ソキは頬に触れさせていた手を、おずおずと撫で下ろし、首筋に押し当てた。ロゼアがそうしてソキの体調を確かめるように。触れる、だけで。指先がいたいくらいしびれた。

「……そき?」

 眠たげに崩れた声にそっと名を呼ばれ、ソキは火に触れてしまったかのようにロゼアから指先を離した。ぎゅぅ、とてのひらを握りこんで胸元に押しつける。全身が、まだじんじんとしびれて、あまく、いたい。

 や、となにも考えずに、ソキはロゼアの腕の中から離れようとした。ソキがそんな風に触っていたのが知られてしまったら。きっとロゼアはすごく困る。嫌われてしまったら。たえられない。

「ソキ? ……ソキ、そき。どうしたんだよ。どうしたの? 怖い夢でもみた……?」

 座りこんでいた姿から立ち上がろうとしたソキを、ロゼアの腕がやわらかく捕らえて抱き寄せる。ぽん、ぽん、と落ち着かせる為に撫でられる背が、ぞわぞわと震えた。

「ろぜあちゃ……!」

「うん? ……うん、なに。ソキ」

「そき、そき……ひとり、で、ねる。ひとりでねるです……!」

 さわってさわって、と。全身が訴えている。さわって、ねえねえ、ロゼアちゃん。さわって。もっと。ぎゅってして。なでて。それがどれくらいきもちいいことなのか。閨教育が。

 『傍付き』ではない者が『花嫁』に教育する、数少ない特例であるそれが。『花嫁』にそれを教えるので。ソキはもう知っている。どうすればいいのか。なにを言えばいいのか。どうねだればいいのか。ぜんぶぜんぶ、知っている。けれど。

「ひとりでねるぅ……!」

 ソキに。『花嫁』に性欲を抱かない『傍付き』に、決してそれを求めてはいけないよ、と。それはなによりの、彼らから与えられる献身の、親愛の、裏切りであると教わるので、教えこまれるので、刻みつけられるので。

 そんなにひどいことは、ソキにはできない。それなのに、ロゼアの腕の中はあたたかくて、気持ち良くて、しあわせで。背を撫でる手が、頬に触れる指先が。

 いままでずっと我慢してきた筈のそれを、いままでずっと、ずっと我慢できていた筈のそれを。出来なくさせてしまいそうなので。半泣きでぐずって訴えるソキの頬を、ロゼアの両手が包み込むように触れた。

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