今はまだ、同じ速度で 20


 メグミカに連れられて戻った懐かしい部屋で、ふかふかの椅子に腰を落としながら、ソキはながい旅の話を、した。

 傍らに跪くメグミカの両手を包み込んで持ち、その目を覗き込むように見つめながら、あまえた響きの声でおはなしきいて、と囁いた。

 ソキね、白雪の国にいたです。メグミカちゃんと、ロゼアちゃんがくれたアスルを馬車にぽいって、されて、皆、帰されちゃって、ソキ、ひとりで、おへやにいて。はい、とメグミカは囁き、ソキの言葉をしっかりと聞いてくれた。

 時折泣きそうな色を、怒りに鋭く研がれた獰猛な意志を瞳によぎらせながら、決してソキにそれを悟らせず。穏やかに、やさしく、ソキの言葉を促してくれた。

 だからこそはじめて、ソキは胸につかえていたくるしさを、言葉にしてくちびるに乗せることができた。それはロゼアには、しなかったことだ。ロゼアだからこそ、できなかったことだ。

 悲しいこと、苦しいこと。辛いこと、痛いこと。体調を崩すほどの感情の揺れ動き。『花嫁』の意志ある歩み。それによる怪我。それは、全て、ロゼアに向けられる叱責となる。ソキはそれを知っていた。

 ソキのせいでどれほどロゼアが怒られ、なじられ、ひどい言葉を投げつけられていたか。『学園』でそうする者はいないだろう。ソキにも、それは分かっていた。けれども、できなかった。

 ロゼアには楽しいことだけを選んで話した。旅の間にあった、心弾むことだけを。それ以外の全てを、ソキはゆっくり、メグミカに囁き告げた。物語は白雪の一室からはじまる。部屋に閉じ込められたこと。

 こわくてきもちわるいことをされて、それに、たえたこと。メグミカと、ロゼアを、待っていたこと。

 ふるえる指先に力を込めて、ソキは待ってたんですよ、と囁き告げた。

「メグミカちゃんも、ロゼアちゃんも、ソキをしあわせにする為に、『花嫁』に、してくれたです……ソキは、その為に『花嫁』になったんですよ。だからね……」

 きっと嫁ぐとしてもあの場所じゃなかったです。耐えて、待っていれば、必ず誰か迎えに来てくれたです。だからソキね、ちゃんと、怪我しないように、お熱とお咳がでないように、お部屋でじっとしてたんですよ。

 ふわりと笑ってソキは告げた。けれども。『花嫁』を迎えに来たのは、『お屋敷』からの人員ではなく。手を差し伸べ部屋から連れ出したのは、案内妖精。魔術師の導きだった。

「ソキ、はじめてひとりで、お外にでました。はじめて、ひとりで、たくさん、歩いたです……でもね、すぐね、あしが……痛くなっちゃったです……あるけなくなっちゃうです。ころんでね、いたくてね、でも、ロゼアちゃんがいないの……」

 ロゼアちゃんに会いたくて、たくさん、たくさん探したです。馬車はいやだったです。きもちわるくなるです。もしロゼアちゃんが歩いてたらソキわからなくなっちゃうから、だから。あるいたの。

 リボンちゃん。案内妖精さんね、リボンちゃんっていってね、リボンちゃんいっぱい怒ってね、でもね、ソキね、あるいたの。はい、とメグミカは囁いた。泣きそうなソキの頬に手を押し当て、ゆるゆると撫でさする。

「頑張りましたね、ソキさま。ほんとうに、よく……さすがは、ロゼアのソキさまです」

「……ほんとう?」

「はい。メグミカはソキさまに嘘を申し上げませんよ。……たくさん、たくさん、歩いたのですね」

 ソキさまがほんとうに頑張られて歩けるようになったと、メグミカは先程見せて頂きました。目を細めてうっとりと告げる少女に、ソキはうん、としあわせな気持ちで頷いた。

 続きを聞かせて頂けますか、と促され、ソキはそっとくちびるをひらく。

「……ロゼアちゃんは、どこにも、いなかったです。お屋敷にかえってきて、おにいさまが……ロゼアちゃん、やめたって、いって。もう、いないって、いって、ソキ……ソキ、ロゼアちゃんに会いたかったです。やめたって、うそだって、おもって、でもロゼアちゃん、呼んだのに。ソキ、いっぱいいっぱい呼んだのに、ロゼアちゃん、きてくれなくて……! ソキ、だから、ロゼアちゃんを追いかけることに、したんですよ。ロゼアちゃん、楽音の国境を越えたって、聞いて、方向は一緒だったから、どうしても、どうしても会いたくて……」

 一目でもいい。話せなくてもいい。ただ、会いたい。それだけで、その気持ちだけで旅を続けたのだと告げるソキに、メグミカはちいさく頷いた。そうしながら、思わず、声を低めて吐き捨てる。

「もう、ラギさんはどうしてソキさまに、そこのところ説明してくださらなかったのよ……ロゼアが学園に向かう為に屋敷を離れたって、そこで説明してくれていればソキさまの悲しみがだいたい解消したでしょうに……! どうにか……どうにかラギさんを殴る方法はないのかしら……二回……いや三回くらいで我慢するから、ラギさんを殴って、かつ若君にバレずそしてラギさんからかえりうちにされない方法が……! 思い浮かばない……! あああああでも殴りたいの一回じゃなくて三回くらいはこう」

「ふにゃ? めぐちゃん、なぁに? なんて言ったです?」

「いいえ、ソキさま。それで……? 最後は、ロゼアに、会えたのでしょう?」

 旅物語は学園で幕を閉じる。幾度となく繰り返される体調不調と、会えない悲しみ、苦しさの果てに。それでも歩いて、ようやっと辿りついた学園で、ソキはロゼアの腕に帰ったのだ。

 うん、と瞳に涙をうるませ、幸福に微笑み、ソキはながい物語を締めくくった。

「ソキ、ロゼアちゃんに、会えました。……あのね、いちばん最初のね、夜にね」

「はい。学園での?」

「うん。入学式が終わって、夜にね、眠る時にね、ソキね。……うれしくて、うれしくて、しあわせだったです」

 いまも。ロゼアの腕に抱きあげられ、その中で瞼を閉じてまどろむ瞬間が、ソキの幸福だ。その腕の中で眠りたかった。世界で一番安心できる場所。幸福の全て。その腕の中で眠ることができなかった長いながい、旅の果て。

 抱き寄せられたぬくもりが、すべての悲しみ、苦しみ、痛みも、辛さも、溶かして消してなくしてしまった。そこにあるのは穏やかな恋だった。ひたすらに満たされる幸福と、あまいときめきをもたらす、そんな恋だった。

 それが最近、すこし変わってしまったことを思い出して、ソキはきゅぅと眉を寄せた。しあわせは変わりなく、そこにある。安心も、あまいどきどきも、ロゼアの腕の中で眠る幸福に寄り添っている。それなのに。それだけではなくなってしまった。

 胸の奥が、いたい。

「しあわせ、なのに……」

 すきで、すきで。だいすきで。それだけで満ちていた恋が、痛みを発するようになった理由は、ソキがきっとワガママだからだ。求めてしまった。それが叶わないと知っているのに。そうなれないと、分かっているのに。

 好きになって欲しい。ロゼアに。『花嫁』としてではなく。『傍付き』としてではなく。ソキが、ロゼアに。恋を、して欲しい。そんなことができるわけがないのに。ソキはロゼアの『花嫁』だ。そうして一度完成してしまった。

 メーシャはソキを、もう『花嫁』ではないと、言ってくれたけれど。完成してしまったものは変わらない。ソキも。ロゼアも。ソキは分かっている、知っている。ソキはロゼアの『花嫁』だった。だからこそ。

 ロゼアをしあわせにできる、おんなのこには、決してなれない。

 ふ、と。部屋を目指してくる足音を聞きとめて、ソキは顔をあげた。視線を、扉のない部屋の入口に向ける。ソキの区画は使われていない筈の場所だ。そこを目指してくる者があるとすれば、事情を知る誰か、である。

 足音は、ふたつ。首を傾げるソキが待つ間に、足音がゆるりと部屋の前で止まった。入室許可を求める声よりはやく、ソキは顔を輝かせ、人影に向かって両手を伸ばす。

「ロゼアちゃんの……!」

 とん、と椅子から滑り降りた足が、床の上でちいさな音を奏でる。ソキさま、と驚いた声をあげるメグミカの隣でふらりと立って、ソキはよろこびにきらめく声を震わせた。

「ロゼアちゃんの、お父さんと、お母さんですっ……!」

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