今はまだ、同じ速度で 09

 白く塗られた外壁に、黒一色で作られた棚が天井まで続いている。棚にはソキの手にも収まってしまうちいさな小瓶がいくつもいくつも並べられており、淡い色合いで作られた、星屑の形をした砂糖菓子がいれられていた。

 瓶にはその味を示す為に、だろう。いちごや、りんご。ぶどうや、薄荷の葉などの彫り込みがなされ、愛らしくもうつくしい。細い路地ほどの幅しかないちいさなちいさな店内に、ソキのきゃあきゃあはしゃぐ声がやわやわと響いて行く。

 黒塗りの棚には、どの段にも、ぎっしりと愛らしい小瓶と菓子が並べられている。いちばん上の棚はソキの手の届かない高さで、けれどもそこまで視線を向けるには、まだまだ時間がかかりそうだった。店内にはほの甘い香りが漂っている。

 ひとつの棚の前にちょこっとしゃがみ込み、ソキはんっと、えっとぉ、と首を傾げ、悩みながら、どの味にするかを考えていた。おひとつどうぞ、と試食でりんごの味がするこんぺいとうを貰って、それがとってもとってもおいしかったのだ。

 特別なものではない。あまい砂糖と、それに付与されたりんごの味がするこんぺいとうだった。純粋で、まじりけがなく、ほのかに温かみを感じさせた。

 ソキはちいさな編み籠を両手でもちながら、りんごと、ももと、ヨーグルトと、ぶどう、と瓶に書かれたこんぺいとうを見比べた。淡い色合いの可愛らしい砂糖菓子は、薄く細く差し込んでくる陽光にきらきらと艶めき、本当の星の欠片を閉じ込めたかのようにも思える。

 どれも、きっと、とてもおいしい。んん、とソキは心底困りきって首を傾げた。ソキには『学園』に入学する時に、兄レロクが砂漠の国からふんだくった専用の預金口座があるので、特にお金に困っている、ということではなく。

 このお店にある品物をまるごとぜんぶ買ってしまうことだって出来るのだが。問題はそういうことではなく。瓶は小ぶりでちいさくて、とてもとても可愛らしいのだけれど。

 ソキにはきっと、ひとつか、ふたつくらいしか、持ち歩くことが出来ないのである。ソキにはきっとちょっと重いので。ソキは、鞄にアスルを詰め込んでからのびたんばたんと転びまくった旅路を思い出し、むううう、と眉を寄せて考えた。

 アスルがいなくても転んだとかそういうつごうのわるいことはおもいださないことにした。

 りんごが好きなのである。でも、ももと、ぶどうも好きだし、よーぐるとも、すごくすごく好きで。きゅぅん、と喉を鳴らして、ソキはそーっと視線を、棚のひとつ上の段に持ちあげた。

 真白のこんぺいとうには、ミルク。透き通る黄色のものには、レモン、とかかれていた。これほしい。でもそきもてない。

「ソキ」

「ぴゃあぁあ!」

 耳を掠めるように囁かれた、あまく優しい笑い声に、ソキはぴょこっと飛びあがって口を両手で押さえた。ちいさな店内には幸い、ロゼアとソキ以外の客の姿はないので妙な視線を向けられることはなかったのだが。

「……驚かせたか? ごめんな、ソキ」

 どきどきする胸を両手で押さえて、ソキはふるふるふる、と首を横に振った。名前を呼んでくれる声が、なんだかあんまり優しく響いたので。驚いたのも本当なのだけれど、なんだか。しあわせで。うれしくて。胸から指先まで、じん、とした。

「ん、と……。ろぜあちゃん、なぁに?」

「うん。どれが欲しいんだ?」

 じわじわと目を潤ませるソキの頬に、ロゼアの手が触れて行く。頬を撫で下ろし首筋に触れ、額と髪にも。あたたかな手が触れて行く。その手にきゃっきゃとじゃれつきながら、ソキはえっとぉ、とほわほわに響く声で言った。

「ヨーグルトとね、ももとね、りんごとね、ぶどうね、どれにするかね、ソキ、考えてるです」

「うん」

 聞くなり、ひょいひょいひょい、とひと瓶ずつを取りあげて、ロゼアの手がソキの足元に置いてあった編み籠に、それを投げいれて行く。

 編み籠を持ち上げたロゼアは、そのままソキが眺めていたミルクとレモンのこんぺいとうに、サイダー、と書かれた淡雪のように白いこんぺいとう、みかん、紅茶、花梨、薄荷、と書かれたものもひと瓶ずついれて行く。

 どれも、ソキがほしい、と思いながらも悩んで、諦めかけていた味ばかりだった。ソキがとびきり好きな、いちごはふた瓶、籠の中に転がされる。

 あ、ライチもある、と呟きながらひょいとふた瓶追加したロゼアの腕を、ソキはハッとしてくいくいとひっぱった。

「ろ、ろぜあちゃ……! ソキ、持てない……!」

「うん。俺が持つから心配しないでいいよ」

 はい、ソキはこれ食べような、と試食用にもらっていたであろうミルクのこんぺいとうがくちびるに与えられる。ソキが目をぱちぱちさせながら、あれっ、と思っている間に、ロゼアは会計を済ませてしまってた。

 てちて、てっ、ちっ、と久しぶりに、危なっかしくひとりで歩いて、ソキはロゼアの背にぎゅぅっと抱きついた。

「ろぜあちゃん、だぁいすきですぅ……!」

「うん。俺も好きだよ、ソキ」

「ソキ、あとでメーシャくんにお手紙書くです。ふた瓶あったですから、お手紙と一緒に、ひとつ、ライチの、メーシャくんにあげていいです?」

 このこんぺいとうのお店を教えてくれたのは、メーシャである。お礼をしたいのだった。そのつもりだよ、と頷くロゼアに、ソキはきゃあぁと歓声をあげた。

 やんやんさすがはロゼアちゃんですぅ、とおなかに手を回して背中に好きなだけすりすりすりすり甘えてなつき、ソキはとろとろのしあわせ笑顔をふりまいた。

 会計を終えたロゼアはこんぺいとうをまとめて鞄にしまい込み、ソキの体をやんわりと抱き寄せた。首筋に腕を回すと、ひょい、と体が抱きあげられる。ロゼアにぴったりと体をくっつけてから、ソキは店内を振り返り、奥にいた店主にぺこんと頭を下げた。

「こんぺいと、おいしかったです。ありがとうございました。ソキ、だいじに食べるです」

「ありがとうございました。また、来ます」

 ソキが積極的に礼を告げるのは、『花嫁』時代から考えても珍しいことだった。よほど気に入ったんだろうな、とばかり礼を告げたロゼアの目が柔らかく笑う。またのおこしをお待ちしております、と店の奥から老いた男の、穏やかな声が響く。

 ふたりは一度だけ振り返って笑顔を浮かべ、もう一度ぺこり、と頭を下げて道の先へと歩き出した。こんぺいとう屋があるのは、『天文通り』と呼ばれる大通りに面した、細い路地の奥だった。

 ひっそりとした道を通り抜ければ、元のざわめきに溢れた場所へ戻っていく。ゆるやかに続く坂の両端に、様々な店が軒を連ねていた。

 さて次はどこの店を見ようか、と考えるロゼアの腕の中で、ソキはふと、なだらかな坂の上を仰ぎ見たる。自然と、ロゼアの目もそれを追いかけていく。天文通り。その名の通り、星降が誇る天文台へ続いて行く大通りのことである。

 坂を登り切った場所には白亜の城壁に囲まれた別荘のような、優美なつくりの建物がそびえている。

 丸屋根の、どこか可愛らしい雰囲気の棟がいくつも連なったつくりの建物は、一般に開放された観光場所と、占星術師たちが泊まりがけで作業をする研究棟に分かれている、とのことだった。

 星降の王宮魔術師のみならず、他国の魔術師、『学園』に在籍する生徒も、時折そこに招かれる。ただし、占星術師だけが。『学園』で魔術師たちは、その天文台をこう教わる。世界にたったひとつ存在する、占星術師たちの聖域。けがされぬ星の館。

 いつかメーシャも、そこへ呼ばれる日が来るのだろう。ロゼアにぴと、と体をくっつけながら、ソキがわずかに瞳を陰らせて息を吸い込む。ソキ、と訝しくロゼアが名を呼んだのを合図にしたように、花色のくちびるが、そっと言葉を吐きだした。

「ソキ、あそこへ行ったことあるです……ここにあったですね」

 『花嫁』として、ソキは四カ国の様々な都市へ赴いた。旅行、と呼ばれるそれは花嫁の顔見せであり、嫁ぎ先の候補者たちの品定めだ。ソキは実によく旅行に行かされた。その脆いつくりの体が悲鳴をあげるまで。

 ソキが泣き狂い、ロゼアちゃんのそばにいるもうやだおそといかない、と訴え熱を出して寝込んでしまうまで。ソキは最優の『花嫁』だった。そしてソキの実兄であるレロクの、前の当主は、その最優を金銭を稼ぐ道具として、この上なく重宝した。

 怒り狂ったレロクが、当主から屋敷の運営権を半分簒奪してしまうまで、それは続けられた。案内妖精がソキの元を訪れた時、白雪の国に呼ばれていたのもその旅行でのことだ。

 レロクの意志ではない。その半分の権利を持つ前当主が、断らせない方法でソキを連れ出させてしまった為だった。それが、若君、と呼ばれるレロクを激怒させたらしい。

 ソキが屋敷に戻った時、レロクは半分ではなく全権を握っているようだった。時折、ソキの元に舞いこむ屋敷からの手紙でも、それはうかがい知ることができた。だからこそ、ソキはロゼアと一緒に砂漠の国へ帰省する、と決めたのだ。

 前当主が屋敷にいるままであったなら、ソキは頑なに行かない、と言い張っていただろう。ロゼアも連れて帰ることは、決してすまい。それほど、心穏やかではいられない、相手だった。その者に命ぜられて繰り返した旅行であるから、ソキは基本的にその間のことを口にしない。

 ロゼアが、そのことを聞いたのはも、ほとんどはじめてのことだっただろう。ソキ、とロゼアが名を呼びかける。いやなら、もう宿へ戻ろうか、とロゼアが告げる間際だった。

 ソキは、その天文台をまっすぐに指差した。坂の上、道の先。人々が行きかうその先を。

「ロゼアちゃん、ソキ、あそこへいきたい」

「……天文台?」

「うん。ソキ、ロゼアちゃんと天文台、行きたいです。お昼でもね、お星さまがね、たくさん、見られるんですよ。とってもとってもきれいです。すごいんですよ。ねえねえ、ソキ、あそこへいきたいです。ロゼアちゃんと行きたいです。ロゼアちゃん、ろぜあちゃん、おねがい……!」

 ソキと一緒に天文台へ行って、とねだるソキの言葉に、ロゼアはすぐ、うん、と頷いてくれた。いいよ、行こう。静かな歩みで、ロゼアがソキを抱き上げたまま、なだらかな坂道を上っていく。

 その腕に体を預けてしまいながら、ソキはいつか見たその建物を、ふるえるような気持ちで仰ぎ見た。魔術師たちが、けがされぬ星の館、と呼ばれるその建物は、抜けるような青空の元にその身を晒し。

 ただ、ただ静かに眠りについているように、見えた。

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