今はまだ、同じ速度で 03


 上手く眠れない、というのを眠りが浅いと勘違いしたらしいソキの好意はありがたい。しかしなにより、砂漠の民として、『花嫁』の膝で眠るなんていうことはなんていうかいくら支払えばいいのですかお屋敷に、状態である。

 だいじょうぶです、とふるふるふるふる首を振るレディに、ソキがぷぅ、と頬を膨らませた。

「大丈夫です。ソキ、ひざまくら得意です」

 それでも、レディが頷こうとしなかっただろう。ソキは一瞬だけウィッシュに視線を向け、まあいいんじゃない、とばかり頷かれたのをみるや、レディに向かって両手を伸ばした。

 火の魔法使いの手を、ソキは包み込むようにして柔らかく握り締める。あのね、と甘い砂糖菓子のような声が、ふんわりと空気を揺らして行く。

「レディさん、実技試験ありがとうございましたです。ソキね、お礼がしたいの。だめ……? ね、ソキの傍にきてください。お願いです、レディさん。こっちにきて……? ソキの傍に来て。ね……?」

 おねがい、ねえ、おねがい。そんなところにいないで、もっとそばにきて。あまくあまく囁きかけながら、ソキはレディの手を引き寄せた。指先に甘えるように頬を擦りつけ、狼狽するレディの瞳を覗き込んで囁く。

「おねがい。ソキの傍にすわって……? レディさん、レディさん。……ね? おねがい」

 床についていた足に力を込めながら、ふらり、レディは立ち上がった。求められるままにソキの隣に腰を下ろすと、絡め取られた視線の向こう、淡く輝く宝石色の瞳が、とろりと喜びの熱に揺れていた。ソキはレディと視線を重ねたままでてのひらを頬に押し当て、ほぅ、と満ち足りた息を吐き出す。

「レディさん……ソキのいうこと、きいてくださいですよ。ひざまくら、させて……? ソキ、レディさんに、おひざでねむってもらいたいです……だめ? ねえ、おねがい。おねがいきいてくださいです」

 そうしたら、と。頬に手を触れているだけでぞわぞわと、独占欲と所有欲を刺激してならない花嫁が、告げる。

「ソキを、なでていいですよ、レディさん……。でも、頬だけですよ。やさしくしてくれなきゃ、や、です」

「……ソキ、さま」

「レディ」

 ほら、と苦笑しながら伸びてきたウィッシュの手が、魔法使いの肩を押し、頭をソキの膝の上にのせた。とっさに身を起こそうとするレディの額に、ソキの指先が触れて、くすぐるように撫でていく。

 てのひらは慣れ切った様子でレディの髪を撫で、頬を撫で、肌にそっと触れて行った。淡く、影が、落ちて。ソキのくちびるが、レディの前髪に、触れる。

「……おやすみなさい、レディさん」

「ソキさま……」

「砂漠の、金の光があなたに寄り添い」

 静かな言葉は、祈りだった。砂漠出身なら一度ならず聞いたことのある、やさしい、祈りだ。ぐらりと意識を揺らすレディのまぶたに指先を触れさせ、撫でながら、ソキは静かに囁いた。

「穏やかな眠りを導きますように……」

 さあ目を閉じてくださいね、レディさん。だいじょうぶ。ソキはひざまくら、得意なんですよ。囁きと共に髪が撫でられ、レディの意識はゆるゆると夢に沈んでいく。

 やがて、すぅ、と深い寝息を響かせ始めたレディを見下ろし、ソキはよし、とばかり頷いた。

「だぁいせいこう、です! ふふん、どうでしたか、おにいちゃん!」

「うん。よくできた、よくできたー! でもさすがレディ、砂漠出身、って感じ。誘惑の乗り方がゆるやかだったな」

「そうですねぇ……ソキに勝手に触ってきたりしなかったですし、すぐお膝に来てくれなかったですし」

 ソキはもしかして誘惑、あんまり得意じゃないですか、と眉を寄せて悩む『花嫁』に、『花婿』はそんなことないと思うけどな、と首を傾げて慰めてやった。

「レディだから、だと思うよ? 砂漠出身で、俺たちに敬意を今でも払ってくれてる相手だから」

「お・ま・え・ら・は……!」

「やっ、やぁんやぁんやぁんっ!」

 がっと頭を上から押さえつけられ、ソキがパニックに陥った泣き声で騒ぐ。ウィッシュは慌てふためきながらも振り返り、えっえっと戸惑いながら、やだよ離して、と首を振って訴えた。

「寮長、なに……?」

「なにじゃねぇよ……! ソキ、お前いまなにしてた……! ウィッシュ、お前もお前でなにを……!」

「やぁんやぁあんっ! ソキちょっとレディさんを誘惑していうこときいてもらっただけですだけですうぅーっ!」

 やあぁああっなんで掴むですかあぁっ、と半泣きで訴えるソキに全面同意の頷きをみせながら、ウィッシュが寮長なに怒ってんの、と涙ぐむ。

「俺はちゃんと、やりすぎて虜にしちゃわないように見守ってただろっ……?」

「そういう問題じゃ」

「寮長」

 ないだろ、と怒鳴ろうとした寮長の肩に、ぽんとばかり誰かの手が触れた。あ、とウィッシュが目を瞬かせ、ソキが泣きながらその名を呼ぶ。

「ろぜあちゃんっ!」

「ソキから手を離せ触るな。……ウィッシュさまからも。手荒なまねをしないでください」

 ウィッシュが素早く動き、ロゼアの限界が来るよりはやく、風の魔術で寮長の手をソキから払いのける。おい、と不愉快げに眉を寄せる寮長にふんわりと花ひらくように笑い、ウィッシュはそっと、己に触れるおとこの手首辺りに指先を添えた。

「……ね、りょうちょ。俺のことも、はなして?」

 パニックを起こして頭に手をそえ、なんだったですかいまなにがおきていたですかっ、とぷるぷる震えるソキを宥めながら、ロゼアが驚きに目をむいた。ウィッシュさま、と綴るくちびるにやんわりと微笑み返し、しぃ、と言葉を封じ込めて。

 ウィッシュは力を無くした寮長の手を包み込むようにしてもち、くすくすくす、と笑って告げた。

「いきなりは、いやだよ。びっくりするから、やめてね。やだって、おれ、なんかいか、いってるよ?」

「……悪かった」

「うん。じゃあもう、しないでね。ソキのことも、おこらないでね……?」

 苦虫をかみつぶしたような表情で寮長が頷いたのを確認して、ウィッシュは微笑みを深め、男の手から指先を引いた。ちらり、とソキたちの方を向く。この一連の騒ぎでも起きていないのを見るぶんに、レディは数ヶ月の眠りについたのだろう。

 星降に連絡して迎えに来てもらわないと、と思いながら立ち上がり、ウィッシュはロゼアとソキの元へ向かう。ソファの空いていた空間に体を滑り込ませて座り、ウィッシュはソキ、とようやく落ち着いたらしき妹に囁きかけた。

「レディのひざまくら、交代するよ。ロゼアと部屋にいきな。試験の結果、詳しいことはまた明日か、明後日くらいに来るから、その時にね」

「……試験?」

 いつの間に、といぶかしく眉を寄せるロゼアにないしょだよ、と笑って。ウィッシュは眠るレディの頭を己の膝上に導き、すこしばかり楽しそうに、その髪を撫でてやった。

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