そして焔と踊れ 03

 そろそろ定期試験なんだよね、と途方に暮れた瞳でウィッシュが現れたのは、ソキがいっしょうけんめい昼ご飯を食べている最中のことだった。

 ロゼアが用意してくれたランチバスケットの中には、レンズ豆のスープが保温筒に入れられ、ソキの手でも持ちやすいちんまりとした木の器とスプーンが一緒に入れられていた。

 ソキの好きなはちみつとミルクが練り込まれたふわんふわんのまあるい白パンはひとつ。乾燥果物が混ぜ込まれたヨーグルトはとろとろで甘く、冷たい状態を保つようにきちんと保冷がされていた。

 それをよいしょよいしょとひとつひとつ机の上に並べ、食べきれるかを考え、ちょっと難しそうな気がして眉を寄せながらも、でもでも頑張るって約束したですよ、と気合いを入れながら頑張っていた最中のことである。

 思い切りやる気を削がれた顔をして、ソキはちいさくちいさく千切ったパンをもぐもぐと噛んで、こくりと飲み込み、目の前のソファに身を沈めるように座り込んだウィッシュに問いかけた。

 座る、というよりは半ば倒れ込むような姿であるが、ソキは特に気にしなかった。いつものことだからである。

「定期試験? です?」

「そうだよ……学園はね、年末年始、お休みなんだけど。ソキ、それは知ってる? 寮長の説明、聞いた?」

 ソキはレンズ豆のスープを木のスプーンでくるくるとかき混ぜ、ひとくちぶんだけ口に含んで瞬きをした。ほんのりと塩味のきいたスープは、野菜の甘みがとけこんで優しい味だ。

 たまねぎやにんじん、葉物野菜がとろけてしまうくらい煮込まれているので食べやすく、消化もしやすい。もぐもぐもぐ。こくん、と飲み込んで、ソキはそういえば寮長がそんなことを言っていた気がするです、と返事をした。

 ソキはそもそも、寮長の話を九割七分流すことにしている。重要なお知らせを聞き逃してしまうこともあるが、それはロゼアが覚えているし、ナリアンやメーシャがそっと教えてもくれるのでなにも困らないのだった。

 ウィッシュはあたたかい微笑みを浮かべ、うっとりするような仕草でゆるく首を傾げてみせた。

「ソキ、なんで寮長そんなに嫌いなの……?」

「ロゼアちゃんにいじわるばっかり! するですよ!」

 ぷぷぷーっ、と頬をふくらませるソキは、どうやら本気で怒っているらしい。碧の、なまめかしい新緑を宿した瞳がうつくしく輝き、つよい眼差しがウィッシュを睨むようにしてみる。

「お前どっか男としておかしいんじゃないのかとか! なんでソキと間違いを起こさないんだげせぬとか! お前ソキになにも思わないのかとかあぁあああもおおおやですやですやですうううやぁんやぁんやあぁあんっ! ソキやぁんですりょうちょうきらいきらいきらいですううううううっやぁああぁあああ!」

「叫ぶと喉痛めるよ、お姫ちゃん」

 言葉の途中から遠い遠い目をしてなにも言わなくなったウィッシュに代わり、ソキを宥めてくれたのは談話室の隅で様子をうかがっていたユーニャだった。

 ユーニャはソキを驚かせないように遠くから声をかけたのち、そっと、やわらかな足運びでソファの前面に移動した。ソキの、警戒の入り混じった視線を絡めるように重ねながら、微笑を浮かべる。

 すとん、と慣れた仕草で床に膝をついてかがみ、ユーニャはソキの瞳を下から覗き込み、言葉を繰り返した。

「喉痛めるよ、お姫ちゃん。やめな。……あと、食事は終わらせてからお話しような。それでいい? お花さん」

「ゆにゃ……」

「はいはい、ユーニャ、だよ。お花さん……それとも、ウィッシュ先生? そう呼ぼうか?」

 卒業したし年上だしお姫ちゃんの先生だし、とくすくす笑いながら立ち上がったユーニャに、ウィッシュはどこか拗ねた顔つきで両手を伸ばした。こっちきて、とソキがロゼアを呼ぶのに、よく似た仕草だった。

「やだよ、いいよ。ゆうにゃ、ゆーにゃ。ひさしぶり。ひさしぶり……元気?」

「元気だよ、俺はね。お花さんは出歩いていいの? 白雪の陛下はなんて仰ってる?」

「うん? 咳出たら帰って来なさいねって。仕事熱心なのは良いことだと思うわって褒めてもらった」

 ソキが認識する限り、ウィッシュは今日はまだ咳をしていない。そっか、と頷いたユーニャはぐるりと机をまわりこみ、ウィッシュのすぐ隣へ腰かけた。ごく自然な仕草で指先が伸ばされ、頬を撫でたあと、首筋にやわらかく押し当てられる。

 スープをもぐもぐもぐと食べて飲み切って、ヨーグルトに手を伸ばしながら、ソキはちょっと不思議な気持ちで目を瞬かせた。

 ふ、と安堵に緩んだ口元で、ウィッシュの首筋から指を離したユーニャが、きれいに編み込まれ整えられたウィッシュの髪をさらりと撫で、手を離しているのがみえる。

「お花さん、食事は? してきた?」

「ん、してきた」

「そっか。ちゃんと食べて偉いな、お花さん。……飲み物くらいなら飲める? お姫ちゃんも。あったかいお茶持ってきたげる。談話室乾燥してるから、すこしずつ、なんか飲まないと」

 それでお姫ちゃんのご飯が終わるまで、お花さんは俺とお話でもして待っていような、と告げるユーニャに、ウィッシュはこくりと頷いた。別にわざと食事時に来てしまった訳ではないのは、ソキが一番よく知っている。

 現在は普通に、午後の授業中だからである。それも、ユーニャは分かっているのだろう。

 申し訳なさそうなウィッシュの頭を軽く撫で、せんせい悪くないんですよ、と言わんばかり眉を寄せるソキに知ってるとばかり微笑みかけ、ユーニャはしなやかな身のこなしで立ち上がった。

 机に片手をついて身を乗り出したユーニャは手を伸ばして、ソキがどうしても食べ切れなくて困っていたまるい食べかけの白パンをひょいと取りあげた。半分にちぎって、ソキの手に戻す。

 もう半分を口の中にぽんと放りこんで食べながら、ユーニャはびっくりするソキに、しぃ、と言わんばかり微笑みかけた。

「残しても怒られない、とは思うけど。俺が手伝ったのはロゼアにはないしょな」

「な……ないしょ、です。わかったです」

「うん、ありがと。それと……寮長は俺が仕置きしておくから、お姫ちゃんは怒らなくて良いよ」

 ひんやりとした笑みだった。思わずソキが、こくこくと何度も頷いてしまうような微笑みだった。ユーニャはソキの反応に満足そうに頷き、じゃあお茶持ってくるからすこしだけ待っていてな、と言い残して談話室を出て行く。

 途中、副寮長であるガレンを呼びとめて一言、なにか告げているのがソキからも、ウィッシュからも見て取れた。しおき、です、とソキが呟き、ウィッシュがやや遠い目をする。

「……ごめん、シルりょうちょ……ユーニャおこらしちゃった……」

「おにいちゃん、ユーニャ先輩にお花さんって呼ばれてるです? なんで?」

「先生、な。ソキだってお姫ちゃんって呼ばれてるだろ? それと、一緒」

 俺は『お花さん』で、ソキは『お姫ちゃん』なんだって、と告げるウィッシュに、ソキはいまひとつ分からないながらも、ふぅん、と頷いた。しばらくするとユーニャが、茶器一式をトレイに乗せて談話室に戻ってくる。

 ポットの中は宣言されていた通り、お茶だろう。透き通る硝子の茶器の中で、うす透明な黄緑色の液体がゆらゆらと揺れている。それなのに、なぜか甘いココアのにおいがふんわり漂った気がして。

 ソキは嫌そうに眉を寄せながら、ちょっとだけ、首を傾げた。

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