おんなのこのひみつのおはなし 06
「え、もう……? あとちょっとだけ、だめ? ロゼアくん」
ロゼアは柔らかな笑みひとつで先輩の求めを却下し、失礼します、と言って談話室へ入ってきた。そこで、チェチェリアが居ることに気が付いたのだろう。あれ、と呟いて驚きに軽く目を見開き、近くまで歩み寄って丁寧に頭を下げる。
「こんばんは、先生。いらっしゃったんですか?」
「うん。お呼ばれしていてね。……ソキを迎えに来たのか」
「はい」
チェチェリアに微笑み返し、一礼したのち、ロゼアは大股でソキを座らせたソファまで歩んでくる。ソファにちょこん、と座ったまま、ソキは立ち上がろうともしなかった。
代わりにひかり輝くような笑みをうかべ、ろぜあちゃんろぜあちゃんっ、と呼んで両腕を上にあげる。ロゼアは心得た仕草で、ソキの前に片膝をつき、とん、とその体を己に持たれかけさせた。
片手で腰を抱き、もう片方の腕を脚の下に差し入れ、首筋にソキがひしっと抱きついた所で立ち上がる。慣れ切った仕草だった。ソキはロゼアの肩にきゃあきゃあはしゃいで甘えながら、あのねあのねろぜあちゃんあのね、と砂糖菓子のような声で囁いている。
「ソキ、ちゃぁんと動かないでいたですよ。えらい? えらい?」
「うん。偉かったな、ソキ。……楽しかったか?」
「ソキねえリトリアさんとお話してたんですよー」
視線を向けられて、リトリアはロゼアにぺこん、と頭を下げた。こんばんは、と挨拶しながら、ロゼアの手がその場を動かないまま、丁寧にソキの体調を探っていく。背を撫で、髪に触れ指先で透かしながら、首筋を指先が遊ぶように撫でて行く。
くすぐったいとばかりソキが身じろぎをすると、ロゼアはごめんな、と笑ってソキの頬に手を触れさせた。おおきな、あたたかな手に触れられて、ソキの瞳がじわりと輝きを浮かび上がらせる。
ロゼアちゃん、と囁きを耳にした者が恥ずかしくなるくらいの声で囁かれても、ロゼアはなにと優しく返事をするばかりで、特に動じはしなかった。親指で目の下を撫で、額を重ねて、ようやく確認を終えて安堵したのだろう。
ふー、と息を吐いてソキを抱きしめる腕に力を込めたのが、意志のこもった反応らしき全てだった。
すっかりロゼアに体を預けてくつろぎながら、ソキが不思議そうに瞬きをする。
「ロゼアちゃん、どうしたですか? なにかやなことあったです?」
「やなこと、っていうか……ソキの体調が悪くなって無くてよかったな、と思って」
一時間ひたすらその心配してた、と拗ねたように呟かれ、ソキがぱっと頬を赤らめる。ロゼアちゃんは心配性ですねー、と上機嫌に歌うように告げられ、ロゼアは苦笑いを浮かべて頷いた。
「じゃあ、行こうか。……先輩方、どうもありがとうございました。途中ですみません」
「おやすみなさいですよ」
「それじゃあ先生、失礼します」
担当教員に体を向け直し、視線を向けて微笑んでから、ロゼアがゆったりとした動作で歩き出す。ソキも王宮魔術師たちの方に視線をやり、おやすみなさい、とほわほわしつつも耳まで届くきれいな響きの声で挨拶をした。
レディは椅子から立ち上がって頭を下げ、エノーラとパルウェ、チェチェリアは微笑んで、二人が立ち去って行くのを見送った。
「……あ、ナリアンくん! メーシャくん!」
ロゼアの腕の中でうっとりまどろみながら、談話室の出入り口に目を向けたソキが嬉しげな声をあげる。ロゼアのように入室して来さえしないものの、ソキとロゼアが出てくるのを待つ様子で、ナリアンとメーシャがそわそわと中を覗き込んでいた。
二人はロゼアに抱きあげられ、こちらへ近寄ってくるソキの姿を認めると、なぜかとてもとても安心して和んだ表情になり、同時に目頭を押さえて廊下にしゃがみこんだ。
ロゼアはそんな二人を見つめながら、なんだかとても理解のある表情で頷いていた。ちっとも意味が分からない様子で首を傾げ、ソキの手がてちてち、ロゼアの背を叩く。
「ねえねえろぜあちゃん、ロゼアちゃん?」
「ん? なに、ソキ」
「ナリアンくんとメーシャくん、どうしたです?」
うん、とロゼアはゆるく笑みを深めて頷いた。悪夢から解放されたことを確信する、穏やかな表情だった。
「ちょっとこの一時間、寮長が……」
「……だいたい分かりましたです」
ロゼアが簡単に説明してくれたところによると、談話室を追い出された寮長他男子一同は、この一時間、空き部屋に集められていたらしい。曰く、よっし俺たちも男子会しようぜ、と寮長がのたまった結果とのことだ。
ロゼアたちは当然逃げようとしたのだが、気が付いた時にはナリアンの襟首がしっかり寮長に掴まれており、物理的に不可能であったらしい。ナリアンを置き去りに逃げるようなことは、ロゼアにもメーシャにも決してできない。
かくして男子一同は、寮長による寮長の為の俺の女神の麗しさを語る会、に付き合わされていたらしい。ロゼアたちが一時間で抜けてこられたのは、ソキを迎えに行かなければいけない、という理由があった為だ。
なければ恐らく朝まで付き合わされていた。ナリアンが談話室の入口まで戻ってきたロゼアの腕の中、ふにゃふにゃと甘えているソキを見てぶわりとばかり涙ぐむ。
『ソキちゃん……ソキちゃん! ロゼアくんとソキちゃんが一緒にいる……! 悪夢は終わったんだね……!』
「ああ、ナリアン。もう大丈夫だからな……! うん、やっぱりロゼアとソキは一緒にいてくれないとだめなんだよ。だって二人が一緒にいるだけで、こんなにも癒される……」
「二人とも……今日は、ゆっくり休もうな」
そしてあの魔の一時間をなかったことにしよう、と真顔で告げるロゼアに、立ち上がったナリアンとメーシャが頷いた。三人は無言でかたい握手を交わし、ひとり、ソキがきょとんとして首を傾げている。
おとこのこの友情はちょっと理解できないらしい。でも仲良しなのはいいことですねー、と笑って、ソキはぎゅぅとロゼアに抱きつきなおした。
「ロゼアちゃん、ソキちょっとねむたくなっちゃったです……」
「うん。寝に行こうか」
「ナリアンくん、メーシャくん。おやすみなさいですよ……」
ふぁ、とあくびをしたソキの髪を、ロゼアが穏やかな手つきで梳いて階段をあがっていく。そのさまを談話室の扉に張り付いて見ていた女子が数名、ふるふると首をふりながら室内を振り返って、言った。
「いやあれ絶対付き合ってるって……」
「だってどうせソキちゃん自分の部屋で寝ないんでしょ? ロゼアくんの部屋で寝泊まりしてるもんね?」
「チェチェリア先生、実際の所どうなんですか? ロゼアくん」
そうだ担当教員がいた、とばかり室内の視線がチェチェリアに集中した。うるわしき氷の女王はそれに柔らかな笑みを浮かべて、立ち上がり。また明日な、と言って、少女たちの問いを聞かなかったことにした。
褐色の地に一冊の本が落ちていた。辺りには木もなく草もない。焼け焦げた土の上、ひらかれた本が風にぱらぱらとめくられて行く。
染みひとつない真っ白なページ。ことばはひとつもかかれていない。
ソキは眩暈を感じてその場に座りこんだ。傍らで、本がめくられて行く。ぱらぱらぱら、白いしろいページがめくられていく。ことばはひとつもかかれていない。
『――わたしは、あなた。あなたは、わたし』
闇空に滲みだす星明りのような声で、風にめくられながら本が歌った。
『わたしは写本、あなたの写本。祝詞を告げ、呪詛を囁く。あなたの声の全てを記す。あなたの言葉の全てを記す……けれど、ああ、たりない、たりない、たりない……予知魔術師、あなたの、わたしは写本。けれど、予知魔術師、あなたは……わたしは、あなたが、妖精と巡り合ったその時からの、あなたの写本』
たりない、たりない、たりないの。あなたがたりない。わたしだけではたりない。ぱらぱらぱら、ページがめくられ、本が歌い続ける。夜明けを待つように、東の空は薄紫に染まっていた。
『思い出して、思い出して……それを忘れたままでは書きかえられてしまう』
ソキのくちびるが弱々しく動く。本は風に煽られめくられ続けている。
『お願い、お願い。今度こそ……今度こそ、守って……』
白いページに。
『ロゼアちゃんを守って……!』
ことばはひとつも、かかれていない。
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