言葉を鎖す、夜の別称 24

 楽音の王はキムルに、同じ属性なのだから話をしてやりなさい、とロゼアに王宮魔術師たちを押しつけて何処かへと消え。錬金術師であるキムルは、ロゼアの属性についてひと通りの講義を行った。

 それが終わったのが、つい先程のことだった。講義は錬金術師について、太陽という属性についてを詳細にロゼアに伝えたが、専門ではないソキにはいまひとつ理解しきれなかったのだろう。

 一生懸命聞いてはいたが追いつかず、それだけでも疲れてしまっていたのに、錬金術師であるキムルはなぜかソキの指輪に、旅の間に手に入れた『お守り』に興味を持ったらしく、それを見せてくれないか、と尋ねてきた。

 ソキがそれを了承し、指輪を引きぬいた瞬間のことを、妖精は思い起こして唇を噛む。

 それは虹色の波紋だった。水面に木の葉が落ち、その衝撃で淡く歪む、その様を一番思い起こさせた。指輪を引きぬいた瞬間、ソキの魔力は淡く揺らぎ溢れだし、世界へ還るように消えて行った。

 キムルも、チェチェリアも、シディも、そしてロゼアも魔力を視認しただろう。七色に満ち揺らいだ魔力のかたちは儚くうつくしかった。けれど。たったあれだけ、指輪を外しただけで、あんな風に漏れ出て良いものでは決してない。

 それは未熟な魔術師であるソキの、ただでさえない体力をさらに削って行った。妖精は眠たげに瞬きをするソキの顔をじっと見つめた。

 ごく僅かに眉を寄せてくちびるを尖らせるソキの表情は、旅の間幾度となくみた、疲れから来る頭の奥の違和感。未だ痛みにはなっていない頭痛の前兆を感じ取っている時のものだった。

 やはり、ダンスの前にどこか座らせて休ませるべきだろう。来なさい、と妖精が手を引くよりはやく、きゅぅと唇に力を込めたソキがてのひらに視線を落とす。手袋に覆われた左手。そのひとさしゆび。妖精が止める間もなかった。

 す、と息を吸い込んで予知魔術師は言葉を告げる。

「光の波紋」

 魔力が。予知魔術の魔力が世界に解き放たれるさまを、妖精は誰より近くで見せつけられた。

「風の息吹、水の流れ、清らかなるその賛歌に……くゆり、眠りゆく意思あらば応えよ。濁りは清く、澄みわたり、曇ることがない。痛みは遠ざかり、この身から消え去るだろう」

「ソキ……!」

 妖精が身を震わせるほどの怒りを、ソキはきゅぅとくちびるに力を込めて受け止めた。見つめ返す瞳は怯えてなどいない。

 ただ、なすべきことをしなければいけないと、頑なに譲ろうとしない強い意志がそこにあり。まっすぐに、まっすぐに、妖精を見つめていた。疲労の影はない。本来なら白魔術師しか使えぬ筈の癒しの詠唱。

 省略も改変もされぬ正式な魔術詠唱が、予知魔術師の身からそれを消し去っていた。

「……やめなさいと言ったでしょう。アタシは、何度も、やめなさいと……っ!」

 どうして聞けないの、と悲鳴のような声で叫ぶ妖精に、なにごとかと視線がいくつも集中し、そらされて行く。

 なによ見るんじゃないわよ言っておきますけど視線があったが最後お前のことを呪う、というおどろおどろしい意志を込めて妖精が周囲を睥睨した為だった。ソキは、ちょっとくちびるを尖らせて、首を傾げる。

「大丈夫です。ソキ、ちゃんとお勉強してるです。それに、これくらいじゃ魔力も枯渇したりしないですよ」

「アタシが言ってんのはそういうことじゃないっ! 予知魔は適性のない魔術すら発動が可能だけど、負担が大きいのっ……それも、習った筈でしょう! ああ、もう……別に、今すぐ踊らなくてもよかったのよ? 今夜中に必ず一曲。それが義務であるだけで」

 新入生はパーティーの間に、必ず一曲ダンスを披露しなければならない。相手は案内妖精であろうが、女子であろうが男子であろうがかまわないのだが、とにかく定められた義務である。

 義務である以上は果たさなければならないが、それでも、回復魔術を使う程ではなかった筈だ。止めきれなかったことが悔しい。無理をしようとする時、必ず、ソキはそれを可能にする為に魔術を発動させると知っていた筈なのに。

 次にやったら今度こそ覚えていなさいと苛烈な怒りを瞳に宿して睨みつける妖精に、ソキは淡く微笑み、うん、と頷いた。

「ごめんなさい、リボンちゃん。……でもね、でもね、あのね、ソキね」

「あぁん?」

「……どうしても、リボンちゃんと踊りたかったです。ソキね、いっぱい練習したの。みてくれる……?」

 妖精はソキの手を離して胸元を押さえて呻き、天井を仰いで睨みつけ、首を左右にふったのち、一番近くにあった椅子を蹴り飛ばした。

 リボンちゃん蹴っちゃだめですっ、と叱ってくるソキをコイツどうしてやろうかという目で睨み、妖精は再び少女の手を握る。強く。

「一曲よ」

「うん! ……うん! わぁ、リボンちゃんだぁいすきっ」

 とろけるような笑みと声でふわふわと告げるソキに溜息をつきながら、妖精は手を伸ばし、少女のヴェールを指先で払った。そっと忍びこませた手で、甘い香りのする肌に触れる。

 叩かれた白粉のさらりとした感触と、しっとりと、吸いつくような肌が手指に心地良い。熱は出ていないようだった。そのことに心から安堵しながら、ちょうど一曲が終わり、音楽が途切れたその場所へ、妖精はソキの手を引き足を踏み入れた。

 踊り終えて休憩する者、新しくパートナーの手を引いて向かう者が行きかう中を進み、妖精は誰かを探して視線を動かして。ひとりの青年の後ろ姿に、見つけた、とばかり目をきらめかせた。甘い光ではない。

 獲物を見つけ出した獰猛な輝きである。

 ちょっとここで待っていなさいとばかりソキの手を離し、妖精が楽団の指揮をしていた青年に走り寄っていく。

「ユーニャ! ……ユーニャ! ちょっとアタシが声かけてるんだから振り向くか返事くらいしなさいよっ!」

「ちょっ、蹴らないで妖精ちゃん。え、え? な、なに? なんだよ、どうしたの。ひさしぶり」

「ええそうね久しぶりね元気そうでなによりだわ。ところでアタシ、今から踊るの。曲のリクエストをしても?」

 妖精に後ろから脚を蹴られて振り返ったのは、ソキを『お姫ちゃん』と呼ぶ黒魔術師、ユーニャだった。儀式準備部に所属しているユーニャは、新入生が挨拶を終えたあとも忙しく動きまわっていた筈なのだが。

 それが終わったあとは休む間もなく、楽団の指揮者を務めていたらしい。心地良い疲労を感じながらも満足げに笑うユーニャは、指揮棒を手の中で弄びながら、好奇心旺盛な猫のように目を細めた。

「いいよ。なに踊んの? フォックストロット? クイックステップ? パソドブレとがジャイブも行けるよ」

「ワルツ」

「……ウィンナ・ワルツ?」

 珍しいねそんなゆっくりしたのにすんの、と言いながら指揮棒を構えなおすユーニャの足を遠慮なく踏みにじり、妖精はハラハラと見守っているソキに視線を向けながら、アンタよく考えなさいよ、と吐き捨てた。

「スロー・ワルツよ、スロー・ワルツ! いいこと? ゆっくり弾きなさい」

「……あぁあ、お姫ちゃん踊るのか。分かった……けど、え、誰と踊るの?」

「アンタなんなの馬鹿なのしらばく会わない間に頭の回転鈍くなったの? アタシが一緒に踊るに決まってるじゃない。アタシが! ソキの! 案内妖精だったんですからね!」

 どうだアタシのソキはすごいだろう綺麗だろうよく見なさいよ、とばかり胸を張って告げる妖精に、ユーニャはうわぁ、と遠い目をして首を振った。

「……挨拶すんの見とけばよかった。忙しくて注意向ける暇なかったんだよね」

「なにそれアンタどういう意味」

「いや、ただ普通に。妖精ちゃんがどんな紹介したのかと思って」

 俺の時となにか違ったりすれば知りたいからさ、と笑うユーニャに、妖精は腕を組んで告げた。

「一緒よ、一緒。おおまかにはね」

「その、微妙な違いが知りたいんだって」

「誰か捕まえて聞きだせばいいじゃないの。……とにかく、スロー・ワルツ! 頼んだわよ!」

 手抜きで指揮してみなさい呪ってやるからね、と言い残して立ち去る妖精を、ユーニャはやれやれとばかり見送り、ソキに目を留めて微笑みながら手を振ってきた。

 それに、なんとなく手を振り返していると戻ってきた妖精がそれを掴み、あんなのに手を振るんじゃないの、と溜息をつく。

「さ、ワルツよ、ソキ。……踊れるわね?」

「うん。……リボンちゃん、よろしくお願い致します」

 がんばりますね、と微笑むソキの片手を取り、その場に跪いて。手袋の上から妖精が口付けると同時、音楽が奏でられた。

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