言葉を鎖す、夜の別称 12
火の魔法使いの想像はごく正確なものだった。就寝前のひととき、談話室でくつろぐソキたちの前に現れた寮長は、見慣れたくもないのに見慣れてしまった、よく分からない彫刻のようなポーズを決めてこう言い放ったからだ。
「世界が告げている……お前らを全力で、祝ってやると……!」
寮長に常に付き従う副寮長が、その言葉を丁寧に翻訳し、再度新入生に告げたところによれば、月末に新入生を歓迎するパーティーが開かれる、とのことだった。
その他にも寮長は色々と詳しく説明していたようなのだが、正直、最初のひとことですらまともに聞いていなかったソキが、それを覚えている筈もない。
その為ソキは、頭を抱えながらソファに突っ伏し、ああ早くあのひとの小指の角が常に机の角とかにぶつかり続ける呪いをかけられるようになりたいな、明日ロリエス先生に頼みこもうかな、と呻くナリアンから、要点だけを教えてもらった。
ひとつ、パーティーは月末に開かれること。ひとつ、立食形式のダンスパーティであること。ひとつ、エスコートする相手を決めてはいけないこと。ひとつ、新入生は正装の用意をしてはならないこと。ひとつ、二つの禁止事項を厳守すること。
ソキは、特に正装のくだりに、眉を寄せて首を傾げた。メーシャが捕捉してくれたところによれば、授業でダンスを教えてもらえるとのことだったが、ソキが不審に思ったのはそこではない。正装だ。
用意してはならない、というのは意味が分からないし、もっといえば、ソキはそういう場に着て行けるような服をすでに持っている。砂漠の国から送られてきた荷物の中から数点、ロゼアが残した為だ。
お兄様ばかなんですかソキはねえお勉強しに来ているんであってこういうトコに顔を出しに行くんじゃないんですよやだやだソキ着ない、と思いつつ、ロゼアがわざわざ丁寧に洗濯をして虫干しまでしてくれたので、ソキは時々、お風呂上がりの就寝前にそれに袖を通している。
ものすごく豪華なネグリジェのようなものだ。寮の女性陣には大好評である。
ともあれ、それらの服が正式な場に活用される機会を逃す手はない。寮長ソキ持ってるのでいいです、と告げるソキに、寮を取りまとめる男は面白そうに目を細め、駄目、と言った。
「正装を用意してはならない。これは、学園の伝統だ。諦めろ」
「……寮長も、用意しなかったですか?」
「用意しなかったさ。俺はな」
その口ぶりから察するに、誰かが用意してくれるものらしい。正装なしで出席しろ、という訳ではないと分かって、ソキはしぶしぶ頷いた。
寮長は説明責任を終えたと思っているのか、おお俺の女神の麗しさを想うだけで俺は足元に平伏し愛を請いたい、というか請うので当日は邪魔をしないように、とナリアンに言っている。
ナリアンは虫を見るような目で寮長を見つめ返し、同じ空気を吸いたくない、と思っているのが丸わかりのもうやだほんとうにやだなに言ってんのこの人、という顔つきで、好きにしてください、と返していた。
メーシャはパーティーという場に思いをはせているのか、いつも以上にきらきらとした笑顔で目を伏せていた。だいたいいつも通りの就寝前である。
ふあ、とあくびをして目を擦り、ソキはロゼアの服の裾をひっぱった。
「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん……ソキ、もう、ねむたいです」
「うん、分かった。……ナリアン、メーシャ……寮長」
さすがに、目の前にいるのに無視をするのはどうかと思ったのだろう。非常にためらいの残る口調ながら寮長のことも呼び、ロゼアはソキと手を繋いで、座っていたソファから立ち上がった。
「おやすみなさい。また、明日」
「メーシャくん、ナリアンくん」
ほやほや、ふんわかした眠そうな笑顔を浮かべ、ソキは直球で寮長を無視し、ぺこんと頭をさげる。
「おやすみなさいなんですよ」
『うん、おやすみ、ソキちゃん。ロゼア。また、明日ね』
「ロゼア、ソキ、おやすみ。また明日」
ロゼアとソキは手を繋いだまま、ゆっくりと歩み、談話室を出て行った。その背が見えなくなるまで訝しげに見送り、寮長が残されたナリアンとメーシャに、信じられないものを目の当たりにした眼差しで、問う。
「……なんでロゼアは間違い起こさねぇの?」
「……まちがい?」
「性的な」
ごふうううっ、と聞いたことのない音を立ててナリアンが咳き込んだ。メーシャはええと、と柔らかな笑みを浮かべたまま、どこか小奇麗な仕草で首を傾げてみせる。
「それは、ロゼアに聞かないと……」
あっ、逃げた。さりげなく全力で逃げた、と寮の視線が集中する中、寮長は真面目な顔でそれもそうか、と頷いた。メーシャとナリアンは、明日の朝からロゼアに降り注ぐであろう災難を思い、そっと目を伏せた。
ごめんロゼア本当にごめん。というか寮長爆発四散すればいいのに、すればいいのに、という意志をひっそりと響かせて。寮の夜は、ふけて行く。
目の前のかたく閉ざされた扉を恨めしげに睨み、ソキはそれをつんつんと人差し指で突っついた。あけてあけてよねえ開けて、とにゃあにゃあ鳴きながら扉をひっかく猫を見つめる眼差しで、栗色の髪をした少女がソキの傍らにしゃがみ込む。
少女は唇を尖らせて頬をぷーっと膨らませ、ソキ拗ねてるんですよっ、と主張する後輩に、こころゆくまで癒されほのぼのとしながら、言った。
「ソキちゃん? ソキちゃんもダンスの練習に行こうね?」
「……ルルク先輩に、ソキはちゃぁんと言ったと思うです」
ぷぷぷーっとさらに頬を膨らませながら、ソキは訝しげに眉を寄せ、こてんと首を傾げてみせた。
「ソキねえちゃんと踊れるんですよ? だからねえ練習はいいです。ロゼアちゃんが練習するの見たいです」
「駄目なんだなー、それが!」
唇に指を一本押し当てながらウインクし、ルルクは弾む声で説明してあげるっ、と言い放った。いいですいいですソキ聞かない、とぷるぷるぷるぷる首を振るソキと、その前にしゃがみ込んでにこにこ笑うルルクを眺め、生徒たちは足早に授業へ向かって行く。
授業棟、と呼ばれる学園の一角。その廊下でのことである。ひろい作りになっているので扉の前で少女二人がしゃがみこんでいようと、通行の邪魔にはならないのだが、座学室や実技授業の為の訓練室へ続いて行く廊下だから、人通りが多く、視線がいくつもよこされた。
けれどもソキは見られる、ということに慣れきっているし、ルルクも特に気にならないらしい。二人ともそちらへはちらりとも視線をよこさないまま、扉の前で視線を交わし合っていた。
鍵のかけられた大きな扉には『女子立ち入り禁止』と書かれた紙が張られていた。
さらに扉の前には、立て札。『新入生男子の為のめくるめくダンス特訓室』と書かれていた。
立て札を恨めしげに睨むソキに、ルルクが説明できる喜びに溢れ切った笑顔で囁きかける。この学園には、基本的に人の話を聞いているようで聞いていない者が多い。
女の子に見つめられるとどきどきしちゃう年頃の男の子たちの繊細な心を守る為にうんたらかんたら、と言ってるであろうルルクの説明を七割方聞き流し、へー、そうなんですか、わー、そうなんですか、と頷きながら、ソキははみゅ、と溜息をついた。
「踊ってるロゼアちゃん格好いいのに……ソキだってあんまり良く見たことないのに……」
「へ? ロゼアくん、踊れるの?」
「ロゼアちゃん上手なんですよっ!」
ちからいっぱい自慢げにふんぞりかえって言うソキに、ルルクはへぇ、と感心したように頷いた。学園には各国から様々な者が魔術師として集まってくるが、その中で、踊りというものに触れたことがあるのはごく少数である。
さらに、夜会で求められるようなダンスとなると、育ちや身分がものをいう。ルルクが知る中でも、たいした練習もせず、パーティーで見事に踊ることが出来たのはほんの数名だけだった。
入学の時期がずれたので、初年度のそれを目にしたことはないが、彼らが踊る姿はとにかく人目を惹きつけた。華があったのでよく覚えている。
特にきれいに踊っていたのはフィオーレとリトリアで、新入生だった少女の相手を務めたのが白魔法使いであったのだという。学園で新入生歓迎パーティが開かれるたび、白魔法使いが先に卒業してしまうまで、二人はよくダンスホールの中心で微笑みあっていた。
その姿は、夜に咲く白い花のようだった。
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