言葉を鎖す、夜の別称 13


「ソキねえロゼアちゃんに教えてもらったです」

 懐かしい記憶を呼び起こしていたルルクの意識を、ソキの声が引き戻した。ソキは変わらず自慢げにえへんと胸を張って、ロゼアちゃんすごいでしょうさすがはソキのロゼアちゃんですっ、となぜか満足げだ。

 うん、と曖昧に首を傾げてルルクは息を吸い込む。懐かしい、綺麗な記憶と共に、なんだかすごくこわいものを思い出しかけた気がするが気のせいだということで処理したい、断固としてしたい。

「ロゼアくんは……踊りの先生、だったの?」

 ふるふるふる、とソキは首を振った。

「ロゼアちゃんはねえ、傍付きなんですよ。ソキの傍付きなんですよ!」

「……傍付きっていうのは踊りを教えてくれる人なの?」

 砂漠の国出身でないルルクは、どうもそれにピンと来なかった。『花嫁』と『傍付き』。その言葉や関係に、砂漠の国出身の者であるなら、説明をされずとも理解が及ぶというのだが。

 今の所ルルクの目から見た二人は、ものすごく仲の良い幼馴染のような恋人のようなそうでないようななにかである。とてもではないが説明できない。

 ロゼアを保護者のようだとも思うことがあるが、それはそれでしっくり来るような、来ないような、いまひとつあてはめられないのである。ただ、保護者という単語を思う時、ルルクの心にはなぜか恐怖がよぎる。

 その単語はとても怖いものだった。なにが怖いのかが思い出せないのが怖い。そしてその恐怖は、パーティーで踊る二人の姿を思い出すたびに頭の端をちらつくのだった。

 保護者怖い。心に焼きついたその単語を振り払うように息を吸い込み、ルルクは訝しげなソキにもう一度問いかけた。傍付きとはそういう、教養の教師めいたことをする者なのかと。ソキはちょっとくちびるを尖らせて、拗ねた声で言い放つ。

「ちがうんですよ。ロゼアちゃんがソキにするのは、ほとんどぜんぶ、です」

「……へ?」

「ソキにかかわる、だいじなことの、ほとんどぜんぶをロゼアちゃんがします。踊りも、歌も、ロゼアちゃんが教えてくれたです。お作法も、お勉強も、遊びも……ロゼアちゃんじゃなかったのは、閨のことと……あと、ほんのすこしです。だから、ロゼアちゃんは、ソキができることならなんだってできるです。ね? ロゼアちゃんすごぉいんですよ!」

 かつてなく自慢げに語るソキに、ルルクは思わずロゼアの年齢を思い出していた。記憶が間違っていないのであれば、ロゼアはまだ十六歳。成人してから一年が過ぎたばかりである。

 砂漠の国の一部では年が変わると共に年齢を重ねて行く数え方をするので、ごく正確な所は分からないが、それにしても。ソキが十三であることを考えれば、恐ろしいほどの教育の質だった。『花嫁』は『傍付き』が育てる。

 文字上の情報として、ルルクはそれを知ってはいたのだが。

「……もしかして、ロゼアくんって、すごいの?」

「だから、ソキはそう言ってるです」

 ぷぅ、と頬を膨らませて言うソキに頷きながら、ルルクは膝の汚れを払って立ち上がった。まあ、それはそれとして。

「じゃあ、そのすごいロゼアくんにすごいって言ってもらえるように、ソキちゃんも踊りの練習しようねー?」

 ぴく、と身を震わせてソキの動きがとまった。パーティーの開催が寮長から宣言されて数日。ソキの世話役のひとりとして傍にいたおかげで、少女がとにかく、ロゼア、の単語に弱いのは分かり切っていた。

 ロゼアちゃんにすごいって言ってもらえるです、と視線を彷徨わせ、とたんにそわそわしだしたソキに頷き、ルルクは満面の笑みで言い放った。

「ロゼアくんに教えてもらってたら、なおさら! もっと、もーっと上手くなって、すごいなソキよく頑張ったなって言ってもらいたくない? もらいたいよね? そわそわしちゃうよね?」

「う、うにゅ……で、でもでも、そき、そき、ろぜあちゃんみたい……」

「また今度ね? 今日は、練習しよう?」

 それに今日から先生が来てくれるんだよ、と告げるルルクに、ソキはきょとんとした目を向けた。

「せんせいです? ……踊りの?」

「学園を卒業した王宮魔術師さんなんだけど、この時期は新入生の女の子の為に踊りを教えに来てくれるの」

 そこでソキは気が付くべきだったのだ。ルルクが、新入生の、ではなく、女の子の為に、と限定して言った意味を。

 先生が教えてくれるから上手くなってロゼアくんに褒めてもらおうね、という言葉にこくりと頷き、ソキはちまちま、廊下を歩いて『新入生女子の為のときめきダンス練習室』へ移動した。ちなみに、男子部屋の隣である。

 壁の一部が鏡張りになったその部屋の中に、動きやすそうな黒いワイシャツとズボンに身を包み、ひとりの女性が立っている。振り返る、一億の孤独と共に時を止めた宝石色の瞳。それを宿す女性の名を。

「エノーラさん……! です……っ? あれ? せんせい、エノーラさんなんです?」

「ソキちゃん、エノーラ先輩のこと知ってるの?」

「学園に来る旅の途中会ったです。それと……」

 入学式前に指輪をみてもらうので会ったのだ、と告げかけたソキの唇が、歩み寄ったエノーラの指先で塞がれる。びっくりして目を向けたソキに、エノーラはしー、と微笑みながら告げた。

「それは、秘密にしておいてくれる? ……ひさしぶり、ルルク。元気だった? 今日のパンツ何色?」

「エノーラ先輩……! 今日は、あ……あか、です」

「そう、ルルクの肌には赤が似合うものね。かわいい」

 頬を染めながら告げるルルクに、エノーラがしっとりとした笑みで微笑みかける。そんな、と恥じらいに視線を伏せたルルクの頬を、エノーラが愛でる手つきで撫でていた。その間に挟まれるかたちで、ソキはうん、と頷く。

「ソキ帰りたいです」

「あっ、ごめんねソキちゃん。今日のパンツ何色?」

「そこじゃないですよ……!」

 ごめんね無視していたわけじゃないの、という申し訳なさそうな表情で、なんでそんなことを聞かれなければならないのか。頭を抱えてふるふるとうずくまるソキを可愛がる目つきでしばし眺めたのち、エノーラはひょい、としゃがみこんできた。

「じゃあ、気を取り直して。踊りの練習、しよっか?」

「とりなおせないです……エノーラさん、なんで、せんせい……?」

 ルルクが未だほんのり赤らむ頬に手を押し当てながら、夢を見るような口調でエノーラ先輩はとても踊りが上手なの、と教えてくれた。今日の寮長の機嫌の良し悪しと同じくらいにどうでもいい情報です、とソキは思った。

 そんなソキの髪をひとすじ、指にくるくる巻いて遊びながら、エノーラはきらめく笑顔でそんなもの、と笑う。

「合法的になんの問題もなく女子の腰を抱き寄せる機会を、私が逃すとでも……?」

「エノーラさんはそろそろ捕まったりしないです? なんで?」

「一応まだ訴えられたこと、ないもの?」

 一応、で、まだ、なのがとても怪しい。髪の毛触っちゃやです、と眉を寄せてくちびるを尖らせるソキに、エノーラはうん、と頷いて。それじゃあ練習しようね、と囁きかけた。


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