言葉を鎖す、夜の別称 04

 さて私の王宮魔術師たちはこれを見てくれるかな、と麗しき楽音の国王が詩の一節でも奏でるように告げた言葉に、室内にある者全ての視線がそれへ向かって集中した。

 楽音の国王自らが持つ、なんの変哲もない白い紙にはいくつもの縦線が等間隔に引かれ、その間をじぐざぐに縫い合わせるように、不規則な配置で横線が引かれている。線は黒で引かれていたが、ひとつだけ、上下を繋ぐ赤線が誰もの目を引いた。

 呼び集められた会議室、兼、楽音の王宮魔術師の今日の三時のおやつ室に、微妙な沈黙が広がっていく。

 誰もがそろりと困惑に視線を彷徨わせ、のち、ひとりがもくもくもくと口を動かしてパウンドケーキを堪能していた、予知魔術師の少女、リトリアを肘で突っついた。

 聞きなさいあなたならば怒られないっ、と必死の視線をいくつも受け止め、リトリアは首を傾げながらマグカップに入ったミルクココアを一気飲みしたのち、唇を指で拭って、はい、と手をあげた。

 はい、と優しい教師の表情で発言を許した楽音の国王、己の主君であるうつくしい男に、リトリアは見たものをそのまま、その通りに問いかけた。

「陛下、あみだくじに見えます」

「あみだくじですからね」

 ふふふ、となにやら楽しそうに微笑をきらめかせる麗しい男は、よく晴れた日の空色の瞳をやわりと細め、手に持ったその紙をひらひらと振った。陛下、大変申し訳ありません。

 意味わからないです陛下、意味分からないです、と王宮魔術師たちの苦悩渦巻く沈黙が室内に重苦しく立ち込めて行く。ひとり、そ知らぬ顔でこてりと首を傾げたのち、リトリアは再度はい陛下と言って手をあげた。

 先程の質問をしている間に部屋に控えていた給仕が空になったマグカップに新しいミルクココアを注いでくれた為、甘い香りがふわふわと漂っている。たくさんお食べ、という城の者たちの視線は温かく、柔らかい。

 ミルクココアのふわりとした、甘いにおいを幸せそうに吸い込みながら、リトリアはにこにこ笑う楽音の王に、あどけない響きの声で問いかけた。

「なんのですか?」

「今度、学園でパーティが開かれるでしょう? 護衛につれて行く魔術師を誰にするか考えていたんですが、どうも、決まらなくて……」

 はにかむように笑う楽音の国王に、リトリアはそうなんですかと頷いたのち、籠盛りにされているチョコレートとバニラのマーブルパウンドケーキに手を伸ばした。

 ぶ厚い一切れを指先でつまみあげ、またもくもくもく、と大人しく食べ出すのは、リトリアには基本的に会議での発言権がないからと、城外での王宮魔術師の活動に関われないからに加え、入室した時に国王直々におやつを食べていていいからね、と言われていた為だった。

 国王が王宮魔術師に囁く発言は、すべからく命令の意味を帯びる。つまりは黙って聞いておいでということなので、リトリアはその通りにしているのだった。ちらりと視線を持ち上げると、国王が楽しげに笑みを深めた所だった。

「ということで、キムルが当選しました。夫を一日貸してくれますね? チェチェリア」

「……どうぞ」

「ありがとう」

 キムル、と王がチェチェリアの隣に座っていた男の名を呼んだ。男が視線をあげ、王に対して目礼する。

「僕を、王がお選びくださったのであれば」

「それでは、当日までに正装の用意をしておいてくださいね。キムルも、チェチェリアも。残念ながら夫婦でずっと一緒にいて良いですよ、という訳には行きませんが、場が落ち着いたらキムルは私の傍を離れても構いません……帰る時は声をかけます」

 楽音の国王には何度か、パーティー会場に護衛を置き忘れて帰った前科がある。いいかお前陛下の傍から離れるなよ絶対にだぞ、と残される王宮魔術師たちから視線を受け、キムルは心得た表情で頷いた。

 彼らの主君たる楽音の国王陛下は、そのうつくしい外見とは裏腹に、心もちを誰にも読ませない気質を持っている。警戒心が強い、のではない。腹黒すぎてなにを考えているのか読めないだけだ。そういう種類の人なのである。

 件の、王宮魔術師置き去り帰宅事件の時も、それがいざ実行に移される瞬間まで、誰に気取らせることもしなかった。王はあまりに鮮やかに身を眩ませてみせ、そうしてからはじめて、きまぐれではなく周到に用意を重ねて計画された結果だと認識させたのだ。

 去年は、もうしませんよ大丈夫、と言っておいてやっぱり逃げられたので、楽音の王宮魔術師たちは今年こそ、と逃亡を阻止する気合いに満ちていた。

 幸い、学園でのパーティーは王が同行させる王宮魔術師の他、予定がない者は顔を出しても良いことになっている。今年こそ、今年こそだめですからね陛下っ、と無言で訴えられつつも、楽音の国王は、そういえば、と楽しそうな笑顔を浮かべてみせた。

「君が、パーティーの準備を楽しく進められそうな情報をひとつ、耳にしました」

「……なんでしょうか?」

「アリス……白雪の女王陛下の護衛は、今年もエノーラだそうですよ」

 がたあぁっ、と音がした。キムルの隣で、チェチェリアが全力で頭を抱え込んだ音だった。冷静な女性の常にない姿だったが、誰もそれに突っ込みを入れなかった。へえ、とキムルがしっとりと、笑みを深める。

 楽音の王宮魔術師たちは、各々が胸に抱く戦慄に身を震わせ、視線を床にたたき落とした。知る者は知っている。白雪のエノーラと、楽音のキムル。この、両者の関係は。一言で表すのなら。

「それは……とても、楽しみですね。陛下」

 天敵である。それを楽音の王は、十分に知っている筈だった。それなのに、そうでしょう、と笑みを深めて王は頷く。

「ああ、キムル。分かっているとは思いますが、エノーラは白雪の女王の王宮魔術師です。手段は選びなさい」

「御意に、陛下」

「……楽しみですね」

 彼女の困る顔が、と聞こえたのは、恐らく王宮魔術師たちの聞き間違えではないだろう。彼女というのは、エノーラのことではない。白雪の女王、そのひとのことである。楽音の王は、別に白雪の女王が嫌いな訳ではない。

 その逆である、ということを誰もが知っている。王は幼馴染でもある女王をこよなく愛し、故に。時々、わりとえげつない手でいじめて突いて、困ったところを助ける、というのを趣味のひとつにしているだけである。

 好きなこ苛めたいをこじらせた進化系、と評したのは同じく幼馴染である砂漠の国王だが、それを聞いた時、楽音の王宮魔術師たちは一人残らず心の底から全力で思った。

 どうしてそうなる前にたしなめたり改善させたりしてくださらなかったのですか砂漠の陛下、と。

 無理、俺コイツは手に負えないって知ってる、と笑いながら匙を投げ捨てた砂漠の国王は、つまり楽音の王の性格が黒く歪んでいるのを承知しているが、白雪の女王は未だに、いまひとつそれを理解していないのだという。

 うちの陛下どう思いますか、と楽音の王宮魔術師に聞かれた彼の女性は、すこしだけ考えた上で、やんわりと微笑んだ。時々すこしいじわるかな、と。

 いえ真相は時々でもすこしでもないので全力でお逃げください女王陛下、うちの陛下がもう本当すみません、と問うた者は思ったらしいが、それを告げはしなかったという。

「それと」

 まだなにかあるんですか陛下、とすでに胃が痛そうな魔術師たちの視線を受けながら、王はくすくす、楽しげに喉を震わせた。

「なにを話すか、決めておくといいですよ」

「……はなし?」

「太陽の黒魔術師、ロゼア。チェチェリアの生徒で、今年の新入生の彼に、同じ属性を持つ者として話をしてあげなさい。……太陽属性は少ない。魔術師としての適正が違うにしても、参考にできることはあるでしょう」

 二人でゆっくりじっくり語り合ってくれても構いませんからね、と告げる王の笑みに、その隙をついて逃げるので、と書かれているのに気が付けない楽音の王宮魔術師は存在しない。

 陛下に紐付けておきたい、絶対このひと今年も逃げる気だ、というか白雪の女王陛下は今年こそ逃げ切ってください逃げてほんとうもう超逃げて、と胃の痛みにばたばた机に倒れる同僚たちを暢気にみやり、リトリアはこてり、不思議そうに首を傾げた。

 もくもく、ごくん、と飲み込んでミルクココアに幸せに目を細め、ほぅ、と息を吐き出して問いかける。

「……たべないんですか?」

 パーティーってそんなに大変な行事だったかしらとばかり眉を寄せるリトリアは、いまひとつ、己の主君の性格を正しく把握していない。そんなリトリアに、国王は歳の離れた妹をかわいがるように目を細めてやんわりと微笑み。

 どうなんでしょうね、と笑みの滲む声で囁いた。

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