祝福の子よ、泣くな 09

 肌をぞろりと這って行く夥しい程の魔力に、ストルは一瞬で眠りから覚醒した。寝台から身を起こそうとするが、肩が強く押さえ付けられていて身動きひとつ取ることが出来ない。

 触れられているのは肩だけであるが、全身を押さえ付けるように、魔力そのもので圧がかけられている。灯篭に宿した火は消されていて相手の顔を見ることは出来なかったが、こんな風にでたらめな魔力の使い方を出来る相手は限られた。

 その中でストルにこんな馬鹿げた真似をしかけてくる者など、一人しかいない。喉を締めつけるような息苦しさに眉を寄せながら、ストルはどういうつもりだ、と顔を覗き込んでいる影に問いかけた。

「レディ。離してくれないか……なにを怒っているのか知らないが」

「怒る?」

 馬鹿にしたような声の響き。笑い声は確かに響き、直後、燃え盛る火の熱がストルの全身に叩きつけられた。瞬きより早く不死鳥を具現化させ、その光で室内を赤々と照らしだしながら、女は不愉快そうに目を細めている。

 獣が獲物を押さえ込むように、ストルの肩に全体重をかけて押さえ付けながら。同僚の顔を覗き込み、女はゆるくその口元に笑みを浮かべた。

「あなた、私が怒っているように見えるの?」

「……違うのか?」

「違わないわ。確かに怒ってる、けど……こんな時間に女が部屋を訪ねたのなら、他に聞くべきことがあるんじゃない?」

 今まさに獲物に止めを刺さんとする獣のような目をしてなにを言うか、と思いながらも、ストルは女の気まぐれに付き合ってやることにした。どうせこの会話をこなさなければ、離してやるつもりも、眠らせてやるつもりも、ないに違いないのだから。

 全身にかかる圧は、骨を軋ませる程に強くなっている。息を浅く繰り返しながら、ストルは不愉快げに女へ向ける眦を険しくした。

「それでは、レディ? こんな夜更けに、なにを?」

「あら、決まっているじゃない」

 問いは、女の気に入るものであったらしい。機嫌の良い笑みになりながら、女は首を傾げて言い放った。

「夜這いしに来たの」

「帰れ」

 気力で頭の下の枕を引き抜き、それを全力で女の顔に投げつけたストルの体から、ふと圧力が消え去った。枕を顔で受け止めた女が、びっくりして魔力を拡散させてしまったらしい。

 濃密な、それだけでも息苦しいような火を思わせる魔力が、拘束を解かれて空気へ溶け消えて行くのを感じる。寝起きとはとても思えない疲弊し切った体を寝台の上に起こし、ストルはつまらなさそうに唇を尖らせる女へ、ぞんざいな仕草で手を払った。

「帰れ。相手をしてやるつもりはない」

「ちょっとした冗談じゃないの……。鼻打った、痛い……」

「話があるなら、朝に聞こう。学園に来ていたのを、置いて帰ったのは悪かった」

 言ってから、ストルは女が一人で帰ってきたのであればこの時間に星降の王宮内にいる筈がないことにも気が付いたのだろう。誰に送ってもらったんだ、と視線で問われるのに、女は柔らかな笑みを浮かべ、ナリアンの名を囁き落とした。

 そうか、と無感動に頷きながらも、ストルの手が床に落ちた枕を回収していく。埃を払い、形を整えて、ストルの手が枕をぽん、と寝台へ戻した。

「明日、会ったらお礼を言っておくことにしよう。寝るから部屋を出て行ってくれるか?」

「話があるって分かってるのに、追い出す?」

「言っただろう。朝に、なったら、聞く」

 眠いんだ、寝かせろ、と文句を言うストルに、女は深々と息を吐きだした。

「あなた、もしリトリアちゃんが訪ねてきたとしても同じ対応するの?」

「まさか。……こんな時間に来るくらいだから、なにか悪い夢でも見たんだろう。暖かい飲み物を飲ませて、落ち着かせて、そうしているうちに眠ってしまうだろうから、朝になったら部屋まで送るが?」

「夜這いに来たの、って言ったら?」

 その手慣れた対応、どうかと思う、と言わんばかりの笑みで問いを重ねる女に、ストルはふと笑みを深くした。

「男の怖さを知らずに言うものではないな。……朝になったら部屋まで送るが?」

「うわぁ……」

 これでどうして嫌われているなんていう勘違いが出来るのかと思うが、そうなった理由も女は知っていたので、呆れに息を吐きだしただけだった。あの二人は、絶望的に話し合いが足りない。

 さあもう良いだろう、帰れ、とひらひら手を振って追いだしたがるストルに、魔法使いは不愉快な気持ちを再燃させた。不穏な気配に気が付いたのだろう。

 怪訝そうに、なんだ、と問いかけてくるストルを睨みつけ、女は椅子を寝台の傍に手繰り寄せて座り、腕組みをしてから口を開いた。

「単刀直入に聞くけど、あなたリトリアちゃんのことどう思ってるの?」

「世界で一番可愛いと思っているが?」

「喧嘩売るような口調で直球で惚気られた……やだもう私挫けそう……」

 先に喧嘩を叩きつけたのは女の方であるのだが。椅子の上でぐったりする魔法使いを訝しげに見やり、ストルはやや眠そうな顔つきで朗々と言った。なにもおかしなことなど言っていない、と主張する表情だった。

「リトリアは、可愛いだろう」

「本人にちゃんと言ってあげた?」

「……レディ。さっきからなんなんだ」

 なにを言いたいのか分からない。苛立った風にそう告げるストルに、女は肩をすくめ、椅子に座り直した。

「依頼が来てるの。依頼っていうか、陛下は頼みごととしか仰らなかったけど。あれは実質的に私への依頼の予告で、そう遠くない時期に実現してしまうことだと思ったから、ストルに言っておこうと思って?」

「……なにを」

 苛々と問うストルに、魔法使いは憐れむような表情を向け、息を吸い込んだ。

「予知魔術師を殺す者になれ、と」

「……は?」

「リトリアちゃん、三ヶ月に一回くらいは『学園』に戻らないといけないことになりそうなの。体調の問題でね。そこは、詳しくは私は知らないんだけど……その外出の為に、もうちょっと保険が必要っていうか……。もうすこし待遇をよくする為に、殺す相手と守る相手を、一応でも決めておこうかっていう話になっているみたいよ? 今、まだ、協議中みたいだけど。私が、殺す方。守る方はフィオーレ。……あなたと、ツフィアじゃなくて」

 本決まりになってもあくまで仮決定みたいな措置だから、私としては受けてしまってもいいんだけど、と不本意そうに魔法使いは膝に肘をつき、手にあごを乗せて目を伏せた。

「あの子は、卒業の時に私を守ってくれるひとも、殺してくれるひとも、いないって言ったの。選べないって。……選べないっていうのは、候補がいた、ってことよね? それはもちろん聞かれたわよ? 最終的に予知魔術師本人の意思確認が必要ないとはいえ、各国にだって候補者の情報は届いてた、なのに……心当たりもいない。迷惑もかけたくない。だから探さないでください、お願いって言って、泣いて……あの子の身柄は楽音の王宮預かりになった。ねえ、ストル」

「……なんだ」

「私、あの子を愛してないけど、殺すことができるのよ?」

 そして、あの子を守る役目はフィオーレのものになるんだわ、と囁き落とし、魔法使いは伏せた視線を持ち上げて、ストルのことを真正面から見た。

 いますぐに女が部屋を出て行ったとしても、朝まで眠ることすらできないであろう、強い意志が魔法使いを睨みつけている。口元に笑みを浮かべて椅子から立ち上がり、女は静かに、考えなさいな、と言った。

「時間の猶予は三ヶ月。それまでに動きがない限り、私とフィオーレがあの子を貰うことになる」

「……レディは、それで、いいのか」

「陛下がお決めになったことであれば、私はそれに否を唱えられる立場ではないの。……まあ、気のりはしないけど? いいんじゃない? 別に。今のままでいるよりは」

 残念ながら私はあの子を愛しているとは言い難いけれど、好きか嫌いかで言えば可愛いと思うし好きだとも思うから必要とあらば殺してあげるくらいのことをしてあげてもいいと思うし、と告げながら扉へ向かい、魔法使いはそれじゃあおやすみなさい、と肩ごしにストルを振り返った。

「ああ、そうそう。私明日、楽音に出かけてくるから」

「そうか。……道に迷え」

「かっわいくないの!」

 笑いながら部屋を出て行く魔法使いをぐったりした気持ちで見守り、ストルは深く息を吐きだした。気のせいだろうか。頭痛がする。頭に手を押しつけながらまた深く息を吐き、ストルはひとつの指輪を取り出し、手の中に強く握りこんだ。

 指輪の内側に埋め込まれたアクアマリンは、以前の武器からそのまま継承されたものだった。かつてのストルの武器の名を、銃。今はメーシャの手の中にある、世界にたったひとつ、純粋にひとを殺す為だけの武器の、名残だった。

 記憶の中で、藤花色の瞳を輝かせ、少女が笑う。胸を掻き乱される想いに指輪を握る手に力を込め、ストルは少女の名を呟いた。ストルさん、と記憶の中から甘やかな声が呼び返す。

 何度も、何度も。一番最後に。震えながら泣くように、囁かれた声までも。思い返して、ストルは強く目を閉じた。眠れそうにはなかった。




 真夜中に。誰かに名前を呼ばれた気がして、ひとり、リトリアは身を起した。薄暗い部屋の中、視線を彷徨わせるが、しんとするばかりで誰の姿もない。

 寝ぼけてしまったのだろうか、と思いながら寝台に逆戻りして、リトリアはふと暗がりの中、腕を伸ばした。指先は誰に触れることもない。抱き寄せてくれる腕も、繋いでくれる手も。かつてはあり、そして今はなくなってしまった。

 無性に切ない気持ちになって目を閉じ、リトリアはくちびるでその名を囁く。声に出すことはしなかった。呼んで、なにも返ってこないことが、一番恐ろしくてならなかった。涙が零れ落ちて枕をぬらす。

 シーツをぎゅぅっと握り締めて、リトリアは息を吸い込んだ。

「……さみしい」

 声はなく、触れて暖める体温もなく。長い夜をひとり、耐えるようにリトリアは目を閉じた。


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