祝福の子よ、泣くな 06


「うううぅうう、ソキさ……ソキさん優しい……!」

 半泣きでそろそろ体を起こし、魔法使いは一度立ち上がると、今度は綺麗な仕草でソファの前に片膝をついて体勢を落ち着かせた。腰かけるソキの顔をほんのすこし下から覗き込むようにして、魔法使いは人懐こい笑みでふわり、笑いかけてくる。

「体調が悪くはなっていないようで、安心致しました。報告ではまだそこまでの段階ではないと分かっていたのですが……今は、なにか不調を感じたりすることは? 魔力も、変に荒れている感じは受けないのですが、落ち着いてらっしゃいます?」

「だい、じょうぶ、です……けど、あの」

「はい?」

 談話室の入り口付近で、ようやくその動きを思い出したという風に、メーシャが扉を閉めているのが見えた。そんなメーシャを出迎えながら、寮長がやや驚いた目を向けてくるので、恐らくソキの印象は間違っていない筈だった。

 意味の分からない混乱に襲われながら、ソキはひたすら恭しく見つめてくる魔法使いに、そーっと首を傾げた。

「ソキ、なにかしたですか……? なんで、そんな、丁寧です……?」

 丁寧、とするよりも、それは礼節を尽くされる感に近いものがあった。女と、ソキは初対面である筈だった。こんなにも印象的な存在を、一目みたなら決して忘れることはしないだろう。

 それとも、ソキが覚えていないだけで、どこかで顔を合わせたことがあるのだろうか。じっと見つめてくるソキに、女は困ったように目を伏せて笑い、ちらりとロゼアに視線を投げやった。

「いいえ……ただ、ロゼアくん? 君なら分かってくれるかな……」

「え?」

 反射的にソキを庇うそぶりで警戒を失わないまま、きょと、とした声を出したロゼアに、女はちいさく頷いた。そして、吐息に乗せるよう囁く。

「私、砂漠の国出身なの。ちいさな、オアシスだった……。砂漠出身者なら、多かれ少なかれ、私の気持ちは分かってくれるんじゃないかと思う。君には……君が『傍付き』である以上、またすこし、受け止める感覚としては違うかも知れないけど。だから私は、今も……ウィッシュの前では、うまく、立っていることができない……」

 名前を呼ぶことだけは何年かで慣れたけど、と告げる女に、ロゼアが反応を返すより、はやく。歩み寄ってきた寮長が、ああそうだお前は砂漠のヤツらの中でも特にそうだった、と呻きながら、女の肩に両手を乗せる。

「立て。気持ちは分かってる、けど、立て。……ソキは予知魔術師だ。それ以上とは決して思うな」

「む……むりですううぅ!」

「レディ。お前、なにしに来たんだ? ……魔法使いとして、魔力漏れを起こしている予知魔術師を調査し、調整し、整えてやる為だろう? ほら、分かったらすべきことをしろ」

 そして立て、と腕を引っ張ってくる寮長にいやいやいやと首を振って抵抗しながら、女はせめて、せめて座らせて床とかにっ、と涙ぐんだ。

 そこでどうしてソファに座るとか椅子持ってきて座るとか出来ないんだお前は、と叱りつけながら、寮長はあっけにとられているロゼアとソキに、ややうんざりとした目を向ける。

「もうちょっと待ってやってくれるか? ……レディ。お前、ソキの前でそんな態度でいいのか?」

「きゃああぁ! ごめんなさいちゃんとします!」

 ぴょんっと飛び跳ねるように立ち上がり、そわそわと周囲を見回したのち、女はものすごく膝を折りたそうな顔つきになりながらも、なんとか、寮長の運んで来させた椅子に腰をおろした。

 落ち着かない様子でもぞりと体を動かしながら、女はすっかり警戒してしまっているソキに、申し訳なさそうに視線を向ける。

「ソキさま申し訳ないのですが御手に触れてもよろしいでしょうか……」

「レディ。敬語。あと呼び捨てろ。これ、お前の、後輩」

 女を一人で向き合わせておくと、なにも進まないと思ったのだろう。椅子の背側に立ちながらあきれ果てた声で指摘してくる寮長に、女は金無垢の瞳にぶわっと涙を浮かばせ、全力で首を左右に振った。

「やめてやめて寮長ホントやめてお願いだから! いくら私が魔法使いだからと言っても可能なことと不可能なことというのは確実に存在していてなんていうかそれらは私の中で無理っていうかなんていうか! ごめんなさい許して! ……分かったわよ、わたしがん、が、がんばるから! 呼び方だけでも! えっと、えっとっ……そ、ソキさんって呼んでいいですか……」

「それを敗北感にまみれた顔と声で、しかもロゼアに尋ねるお前の思考回路マジ理解できない」

「寮長に思考回路理解できないとか言われた泣きたい」

 お前は本当に在学中から、俺に常に常に喧嘩を売ってくるな、といらっとした満面の笑みを浮かべる寮長に、女は心底不本意でならないという表情で、小刻みに首を振った。

「だってロゼアくん、ソキさ……さん、の傍付きだって書いてあったから。こっちに聞くのは当たり前っていうか」

「お前俺に何回同じこと言わせるつもりだ? これは、予知魔。それで、こっちは、黒魔」

「ちょっとソキさまを指差さないでくださいこの不届き者が!」

 ぱぁん、と音を立てて寮長の指先を手で叩き払った女に、寮長はごく冷静に笑みを深めてみせた。

「レディ?」

「なに」

「お前の鳥がいまどこにいるかよーく考えてから発言しろよ?」

 とり。口に出してそう呟いたのち、女はようやくそれに気が付いた表情で談話室を見回した。部屋の端から端までくまなく視線を走らせたのち、女の視線は寮長へ戻り、鋭く細められた。

「……私の鳥を、どこへやったの」

「ははははこの女。その発言はせめて二時間前に聞きたかったぜ……! あの鳥は! お前と違って! ちゃんと三時には談話室に辿りついてたんだよもうお前心底マジ意味分からねぇから! なにをどうしてどうやれば自動追尾付いてる具現化した魔力の鳥とはぐれられるんだよ! 離し飼いにするんじゃねぇよそこらじゅうが火事になるだろ! お前と違って! こっちは! 燃えるんだ!」

「えっ、え。そんな前からいなかったの……? えっ、イケメンくん! ねえ、イケメンくん! イケメンくんと会った時、私の後ろに鳥ちゃんいたよね? こう、燃えてる感じの。燃えてるっていうか火そのものっていうか、そんな感じの超絶かわゆくかつ格好いい鳥ちゃんいたよねっ?」

 ところでソキはもうお部屋に返ってもいいでしょうか、飽きたです、とロゼアの服の袖をひっぱり訴える『花嫁』にも気がつかず、女は半泣きでメーシャを振り返った。部屋の隅でオレンジジュースを飲んでいたメーシャは、突然のことに何度か咳き込んだのち、記憶を探るまでもなく否定に首を横に振った。

「いいえ、いませんでした……」

「……寮長ごめんなさい。私の鳥ちゃんどこでしょうか」

 俺は基本的に女に手をあげるとかしないけどコイツだけはマジ例外、というなまぬるい表情で女の額を指の背で小突いたのち、寮長は溜息をつきつつ、部屋の隅に控えていた副寮長を手招いた。

「ガレン。もういい、コイツから反省を引きだそうとした俺が愚かだった」

「あれ? 私もしかして? 馬鹿にされてる? あれ?」

「……管理はしっかりしてくださいね、レディ」

 溜息をつきながら歩み寄り、副寮長が女に手渡したのはちいさな飾り灯篭だった。繊細な装飾の成された六角形の硝子の中に、よくよく見れば、ころころと丸いなにかが動いている。

 女は一瞬呆けたのち、ガレンの手から灯篭をひったくるように受け取った。大慌てで入口を開け、灯篭を振って『それ』を外に出すと、ためらいなく手で包みこむ。それは火の鳥だった。ただし、女が記憶しているよりも大分ちいさい。

 直径三センチほどの、ころころとしたまんまるい、鳥というよりはひよこに似た形状になっているだけで。女はそれを手の中でころころと何度か左右に転がしたのち、えっ、と驚いた声で顔をあげる。

「ち、ちっちゃ……鳥ちゃんちっちゃ……や、やだなにこれえええええ! ちっちゃくて可愛いー!」

「ほら、言ったろ? ガレン。レディは悲しんだりしないって」

「その通りでしたね……あのままの大きさですと最悪、寮が全焼する可能性もあったものですから。寮の風呂に叩きこみ、氷で埋め、のち、灯篭で保管させて頂きました。それでも完全に消火できなかったのが恐ろしい限りです」

 珍しくもそろってぐったりする寮長、副寮長に目もくれず、そっか、夏場は水に叩きこんだり氷投げたりすれば鳥ちゃんこの大きさになるのね、覚えておこうっと、と声を弾ませて、女はまるっこいひよこ形状の火をころんと己の頭の上に乗せてしまった。

 そこで、ようやく女は心を落ち着けることができたらしい。胸に手をあてて大きく深呼吸したのち、女はまっすぐにソキに視線を向け、丁寧な響きで手に触れてもいいですか、と言った。

 ソキはなんとなくためらうものを感じつつ、女に向かって片手をそろそろと差し出した。女はほっとした笑みでソキの指先に両手を触れさせる。

「失礼します……ああ、確かに魔力が漏れてる感じはするけど……」

「……ソキは、どういう状態なんですか?」

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