祝福の子よ、泣くな 07
眉を寄せて考え込む女に、ロゼアが静かに問いかけてくる。視線をあげてにっこり笑い、女はソキから手を引きながら言った。
「コップに水注ぎすぎて、上から溢れちゃってる感じ。魔力回復過多なのね。消費量とつりあってないの。だから、内側に溜めておける量を超えちゃって外に出てくる……今まで、なにか、恒常的に発動させている魔術があって、それを最近やめたりとかしませんでしたか?」
「しました、です」
「それに、体がまだ慣れていないんだと思います。魔力の消費量と、回復量がつりあってないだけ、というか……なにもしていないのに、普段なら減る分の魔力が注ぎ込まれちゃうから、漏れだしている。それだけのことだから……私みたいのとは違ますから、安心していいと思います。なにもしなくても二日か、三日くらいでなんともなくなると思いますけど……対処。対処、ねえ」
私が無理矢理蓋してもかまわないんだけど負担はかかるし、と眉を寄せ、ついで告げられた女の言葉に、談話室の空気が凍りついた。
「言葉魔術師呼んできてください」
「……え?」
「ああ、もちろん、ツフィアで。連絡くらいは取れる筈でしょう? ツフィアなら、一発でこんなのどうにかできる筈だか……ら……え、私はなんでそんな顔をされなきゃいけないの……」
凍りつくロゼアとソキを不思議そうに、やや心配そうに眺めやり、女は無垢な仕草で首を傾げてみせた。
「だって、そうでしょう? 黒魔術師の『鞘』が存在するのと同じことで、ツフィアなら、予知魔術師の変調を正しく整えられる筈だわ」
「……鞘?」
なにか引っかかった様子で呟くロゼアに、女は真面目な顔をして頷いた。
「そう。私たち黒魔術師に、必ず存在する能力の制御役。それを、『鞘』と呼ぶの。黒魔術師の魔力は、『剣』に例えられることが多いでしょう? その『剣』に対しての『鞘』、生まれながらにしての、一対。……まだ習っていないかも知れないけれど」
黒魔術師には必ずそれが存在するのよ、と女は教師のような口調でロゼアに囁いた。それは同時代に生きる魔術師の誰か。属性や適性は決まっていない。同性であることも、異性であることもある。
確実な条件として存在しているのは、同時代に生きる魔術師の誰かであること。そして、黒魔術師には必ず『鞘』が存在すること。この二点。それが誰なのかは分からない。まだ出会っていないのかも、もう出会っている誰かであるのかも。その時まで、本人にすらそれは分からない。
その時って、と問うロゼアに、女はすこしだけ辛そうに目を伏せ、笑った。
「極端に言うと、魔術暴走を起こしてしまった時……触れるだけでその力を宥めてしまうのが、『鞘』よ」
こうやって、と女は手を伸ばし、茫然とするロゼアの頬に触れた。
「接触するだけで、『鞘』は黒魔術師の暴走を食い止めてくれる……。ごく、ほんの僅かな例外を除いて」
「例外も、あるんですか」
「魔法使いの暴走は、魔法使いにしか食い止められないの。『鞘』は、壊れてしまう……」
女は、ロゼアから手を離して指先を握り締めた。
「あまりに大きすぎる魔力を叩きつけられた『鞘』は、壊れてしまうの。砕けてしまう。……『鞘』を失った黒魔術師は、やっかいよ。能力の制御は出来るわ、もちろん。自分で出来る範囲でね。でも、もし、ひとたび、魔力がその手を溢れて暴走してしまったら……普通の魔術師であれば、魔力が枯渇すれば収まる。……でも、魔法使いに、魔力の枯渇は存在しない」
溜息のようなちいさな囁きは、ロゼアにも、ソキの耳にも届くことはなかった。女は気を取り直した表情で笑い、絶対に嫌なのでそんなことをされるくらいならこのままでいいです、とばかり涙ぐむソキに、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ツフィア、会ったことある? いや?」
「……会ったことないですが、絶対、いやです」
「ソキさ……ん、が、いやなら無理強いはしません。そうすると……どうしようかな。ちょっと時間はかかるけど、確実な対処をすることをお勧めします。私がへんにいじるより、そっちの方が絶対にいいと思うし……」
どうするですか、と問うソキに、女はにっこりと笑って。魔力、使ってください、と言った。
つまり、使ってないから溢れて漏れてしまうのだ、と女は言った。消費しているうちに適切な回復量を体が覚えれば、今回の場合は収まるのだという。
かくして、先程から興味深げにロゼアが見つめてくる中、柘榴石の蝶を次々と具現化させながら、ソキはにこにこと笑う女に視線をやった。女はソキに向かって飛んで行く蝶を手招いては、手でぱんっ、と潰して細かい砂の欠片に変化させている。
そのたび、己の魔力がどこかへ消えて行くのが分かった。消えて行く赤い砂粒を指先で弄びながら、女は興味深そうに目を輝かせている。
「攻撃性も、防御性もなし……これなら、多少漏れていようが、予知魔術師であろうが無害なものだと思いますけどね。ええと、もうすこし出せます……?」
「はい。ソキ、もうちょっと頑張れますですよ」
言うなり、ぽん、と柘榴石の蝶が現れるが、それは意図せず漏れてしまったものだった。もぉー、とむくれるソキの前で女はそっと苦笑し、蝶を招いて手の中で呼びこむと、またぱんっと手で潰して存在を消してしまう。
そうしながら女がすこし眠たげにあくびをしたので、ソキはあることを思い出して目を瞬かせた。そういえば寮長は、起きたと報告が来ていない、とそう言っていなかっただろうか。
レディさんは寝てたですか、と問うソキに、女は背をまっすぐに正してから頷いた。
「寝てました! 私はソキさ、ん、の、魔力漏れとはちょっと違っていて、起きてる間中、魔力を消費していないと体がもたない体質なんですけれど……寝るのと、起きるのの時間がちょっと普通と違ってて、だいたいいつも二ヶ月くらい寝て、そのあと、二ヶ月くらいは起きてるんですが、今回ちょっと寝坊してしまって……」
「ふぅん?」
聞いておいて、微妙に興味がないらしい。わりとどうでもよさそうな返事をしたのち、ソキはぽんと音を立てて現れた蝶を、女の方へと差し出した。女はそれを恭しく受け取り、またぱんっと音を立てて叩き潰す。
蝶は指先にからむこともなく消えゆく風と化し、あたたかな魔力をやわりと振りまき、瞬く間に溶けてしまった。己の魔力を次々と消して行く魔法使いをどこかうっとりとした眼差しで眺め、ソキは静かに息を吐きだした。
その感情は、どこか憧れに近く。女はやはり、ソキにひかりの印象を与える者だった。窓の外に満ちるもの。扉の外へ広がるもの。辿りつけぬ場所。世界。
ソキは無意識に、女に向かって手を伸ばしていた。ソファから落ちかける体をロゼアが支え、女が慌てた様子で、伸ばされたソキの手を握ってくる。
大丈夫ですかっ、と大慌てで問いかけてくる女に頷きながら、ソキは触れられた手に視線を落とし、ようやく安心したような気持ちで微笑んだ。女はひかりだった。ひかりは、世界だった。
世界に、ようやく、触れられた気がして。ソキはおおきく、息を吸い込んだ。
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