もうすこし、同じ速度で 08

「はい。ソキねえ、ロゼアちゃん以外には抱っこされないんですよ!」

 それは『花嫁』に定められた明確な決めごと、という訳ではない。

 けれどもだいたいの『花嫁』、あるいは『花婿』は己の最も近しい『傍付き』以外に身を委ねることをしなかったし、周囲もそれは分かっていて、求めることはすれど強要することは決してなかった。

 ナリアンはあっさりと腕を引き、そっか、と頷くと苦笑する。

『……ソキちゃんは、ロゼアくんのことが大好きなんだね』

「はい!」

『なるべく、早く帰ろうか』

 きっとすぐ許可頂けると思うんだ、と告げるナリアンに、ソキは機嫌良くはい、と言った。ナリアンはそんなソキにやわりと目を細めて笑い、伸ばした手で少女の髪をふんわり撫でる。やわらかな感触に、ナリアンは一瞬、なにか大切なことを思い出しかけたのだが。

 ナリアンとソキの名を呼びながら走ってくる星降の国王があんまり嬉しそうだったので、すぐにそのことを忘れてしまった。




 ソキとナリアンの両腕いっぱいに向日葵をお土産に持たせ、星降の国王は二人が『扉』の向こうへ帰るまで見送ってくれた。花を抱えて歩かなければいけないので、二人の歩みはなおのんびりとしている。

 時々、ソキが転びかけるたびにどこからともなく風が吹き、ちいさな体を支えては去って行く。それが、ナリアンを愛する風の加護だと未だ知ることはなく。

 ソキはほっとした様子でまた危なっかしく歩き出しながら、懐にしまった新部設立許可証に、満面の笑みを浮かべていた。

「すぐに許可くれてよかったです」

『早かったね……』

 ナリアンはしみじみと頷いた。なにせ、用件を聞いた瞬間に、星降の国王はにこりと笑って良いよ、と言ってくれたからだ。

 寮長が許可下してるのなら俺から特に言うことはないよ、と続けられた言葉には、彼の王が青年に向ける信頼を伺わせたので、ソキとナリアンは思わず心配になった。

 寮長のなにがそんなに信頼できるのか、ソキにもナリアンにも、さっぱり分からないからである。その困惑と不安が、すぐに伝わったのだろう。

 執務室に戻るでもなく、木の幹を机代わりに持っていた筆記具で署名しながら、星降の国王はいかにも楽しげに喉を鳴らして笑った。

「今は分かんないだろうし、結局分かんないままで卒業してくかも知れないけどさ。シルは信じられるよ。俺はそう思ってる」

 その信頼を押しつけるつもりも、強要するつもりもないのだけれど。笑いながら許可証を折り畳んでソキに持たせ、向日葵も持ってって寮とかお部屋に飾りな、と告げながら星降の国王は悪戯っぽく唇を微笑ませた。

「信じるのはひとりじゃなくてもいいんだよ、ソキ」

「……よく分からないです」

「そのうち分かるよ。もうすこしすれば」

 言葉は廟で告げられた祝福のように身に馴染んで響き、予知めいた印象を残して消え去った。ナリアンにもなにか耳打ちしていたようだが、ソキに聞こえるものではなかったので、分からない。

 考えながら歩いていると、また転びそうになったので、ソキは向日葵をぎゅぅと抱きしめ、寮までの残り短い道のりで決意した。とりあえず、歩くことに集中しよう。

 よし、と頷いてちまちま歩きだすソキの隣で、ナリアンはややぼうぉっとしながら道の先を見ていた。その先に、寮の建物が見えてきた所で、ナリアンがあ、と声をあげる。

『メーシャくんだ! ロゼアくんも居る……なにしてるのかな』

「お迎えですよ!」

 ロゼアちゃんっ、とあまくほどけた声が青年の名を呼ぶ。すぐに気がついて歩いてくるロゼアを追いながら、メーシャは二人の持つ向日葵に目をまるくしていた。

 そういえばメーシャは無事にアレから逃げ切れて、そして何事もなく部活を決めることができたのだろうか。

 聞いてみよう、と思うナリアンの視線の先で、腕からばらばらと向日葵を落としてしまったソキが、その代わりのようにロゼアに腕を伸ばし、抱きあげてもらっている。

 あーあー、と苦笑しながら片腕でソキを抱き上げ、もう片方の手で器用に向日葵を拾いあげながら、ロゼアは一応少女を叱っているのだろう。それでも、幸せそうに笑いながら頷くソキは、きっと全く反省していないに違いない。

 星降の国王がソキに告げた言葉は、ナリアンの耳にも届いていた。

「ナリアン。おかえり……ぼぉっとして、どうかしたのか?」

 不安そうに問いながらナリアンの隣に立つメーシャの腕に、何本か向日葵が抱えられている。すこしばかり花がくんなり疲れているのは、ソキがぎゅぅっと抱きしめて歩いたせいだろう。

 寮に帰ったらすぐ、水につけてやろうと決意しながら、ナリアンは静かに首を横に振った。

『なんでもないよ、メーシャくん』

「そっか。なら、いいんだ」

『うん。ありがとう……そういえば、メーシャくんは何部に入ったの?』

 これでもし狂宴部とか言われたらあの寮長を襲撃しよう。ひそかに決意するナリアンに、メーシャはそれが、とやや口ごもって告げる。

「部、というか……委員会? 委員、部……? に、入った」

「ナニソレ」

「ロゼアちゃん。あのねえソキねえ、ちゃんとひとりで行って帰ってきたですよ?」

 思わず突っ込んだロゼアの腕の中で、ソキは嬉しそうに報告している。それにうん、と頷いてやりながら、ロゼアは訝しげな視線をメーシャに向けていた。

 もし寮長になにかされてアレな感じだったら襲撃しよう、という意志が見え隠れしている。うん、二人とも止めような、と柔和な笑みで宥めながら、メーシャもしきりと首を傾げていた。

 どうも、自分でもよく分かっていないらしい。

「こう、声をかけられて、気がついたら入部していたというか……とりあえず、部員っていう呼ばれ方じゃなくて、委員会部だから、委員長って呼ばれる? らしい?」

『……ねえ、メーシャくん。それは、なにをする部活なの?』

 メーシャは可憐な花が散るかのごとく、地に目を伏せて儚く笑った。

「なんだろうな……?」

 そうだ、寮長襲撃しよう。ロゼアとナリアンの意志がひとつになった。ロゼアに抱きあげられたソキは、誰もちっとも話を聞いてくれないことに気がついたのか、不満そうな顔をして息を吐いている。

 それでも、なんとなーく、メーシャの身に降りかかった不幸を把握していたらしい。ロゼアの腕の中ですっかりくつろぎながら、ソキはぐーっと手を伸ばし、メーシャの頭をぺちぺちと撫でた。

「きっと、好きな委員長になる部活なんですよ。メーシャくん、元気出してくださいです」

「うん。……ありがとうな、ソキ。ロゼア、ナリアンも」

 ただ、襲撃はしなくていい。二人の物騒な気配にやんわりと釘をさしたメーシャに、ナリアンもロゼアも心から仕方がなく頷いた。そんな三人を不思議そうに見比べていたソキが、突然、きゃぁっと悲鳴を上げる。

 びっくりしてソキを抱きなおすロゼアに、少女は腕の中で大慌てしながら大変ですよっ、と言った。

「ソキ、お花持ってたのどこかへ落としちゃいました!」

「……俺が拾ったから大丈夫」

「さすがはロゼアちゃんです!」

 今の今まで、存在そのものを忘れていたらしい。なんだ、と脱力しながら苦笑する二人に、ロゼアはソキがごめんな、と呟いた。ソキは交わされていた会話を全く聞いていない態度で、そういえば、と首を傾げる。

「新部設立許可証、持って帰ってきたですが、これ……もしかして、寮長に……ていしゅつしなければいけないですか」

 心の底から嫌なのだろう。灰色の声で呟くソキに、ナリアンは遠い目をしてたぶんと呟き、メーシャは終わっていなかった災難に気がついて世を儚み、ロゼアは深く息を吐いて少女を抱きしめた。

「俺も一緒に行くから……」

「ロゼア。俺も行くよ」

『大丈夫。四人で行けば寮長は俺に来る』

 その時がお前の最後だ覚悟しておけ、という声が聞こえたのは気のせいなのだろうか、とロゼアとメーシャは視線を見交わした。気乗りのしない様子でソキは息を吐き、ロゼアの腕をぺちぺちと叩く。

「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。ソキ、歩いていきます」

「あ、うん。分かった」

「でも、手を繋いでくださいね」

 すとんと地におろされた体をまっすぐに立たせながら、ソキはロゼアに向かって手を差し出した。その手を大切に繋いでやりながら、ロゼアはしっかりと頷く。じゃあ、行こうか、と促すと、ソキはゆっくりと歩きだした。

 歩幅を合わせるのは身長差から難しいので、なるべく同じ速度で、ロゼアも歩きだす。そういえばこの向日葵どうしたんだ、とナリアンに問いながら、当たり前のようにメーシャがついてくる。

 うん、あのね、とないしょ話のような響きで、ナリアンの意志が優しく、空気を震わせた。


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