朽ちた花でも、何度でも 04
しくしくと痛みを発する胃を己の白魔術で回復させながら、フィオーレが主君そのひとに問いかける。王は特別なことなどなにもないという風に、いたって平然としてした。
「だって、よく考えろよ、フィオーレ?」
「……なにを?」
「ソキ、俺の好みの条件ぴったりだろ? ある程度俺のことが好きで、それでいて絶対俺のことを好きにならない。俺と恋愛する気をなにを間違えても起こさないで、跡継ぎを産むことを義務だとすればそれを受け入れる。……で、ほら、俺は十代に手をつける気はないからあと七年」
分かったか、と言わんばかりにこやかに微笑んだ国王の前で、白魔法使いは床にくず折れる。よかった、本当にこの場にロゼアいなくてよかったなんていうかよかったっ、と泣き叫ぶようにして思い、がばっと顔をあげて絶叫する。
「陛下の好みが理解できない……っ! いいじゃんか王妃と恋愛すればーっ!」
「うるせぇよ。そういう性癖だとでも思って納得しろ。それに、恋愛しないだけで優しくしないとは言ってないし、愛せないとも言ってない。王宮の女も、それなりに好きだぞ? ただ、俺に恋されるとなんていうか対象外になるだけで」
はやくソキ、無防備に学園卒業して俺の魔術師にならないかな、とろくでもないことをわりと本気の声でいう主君に、フィオーレは全力で少女の守護役と、殺害役が決まり、認められることを祈った。
さもなければ少女の未来は、わりと具体的に決まっている。恐らく、本人の予想から結構ずれた形で。
「……ああ、でも」
占星術師に聞いてなんかそういうおまじないためそう、と検討しているフィオーレに、忍び込むように響く王の声。
「ソキの、あれが……解消しない限りは、七年経っても抱きはしないかな」
「あれって? ……ロゼア?」
「いや、そうじゃなくて。……お前もその場に居たから覚えてると思うけど。二年前、ソキを保護した時に、性的なことされてないかの確認で聞いたことがあっただろ? 十一のこどもに、遠回しに母親になる為には男となにすればいいのか知ってる? とか聞かないといけないとかなんの苦行だよ、とか思ったんだけど……つーか別にあれ俺が聞かなくてもよくね? 王宮魔術師仕事しろよ」
その、仕事の治療の場に現れて自主的に問いただしたのは目の前にいる国王そのひとであるのだが、フィオーレは慎ましく、その事実を忘れてやることにした。
ハイ、ソーデスネ、ソノトオリデスネ、と頷きながら言葉を返し、記憶をゆっくりと辿って行く。その時、ソキがなんと答えたのか。思い出して、フィオーレは、あ、と言った。
「……なにするか知ってる? って聞いて、ソキ、確か」
「うん。アイツ、『はい。大丈夫です。ソキはちゃんと、そういう時、なにをされるか知っていますですよ』って言ったんだよ」
だから、そういう意味ではなにもされていません。首は締められましたが、と続けられたことも同時に思い出して呻くフィオーレに、砂漠の王は深々と息を吐く。
「お前は、気がついてるか分からないけど。……受け答えとして、ちょっとおかしいだろ」
「……そう、ですか?」
「そうだよ。なにを『する』か知っているか、と聞いたんだ。俺は。……することを、知っているかと聞いたのに。ソキは、なにを『される』のか知ってるって言ったんだよ。悪いことに、知識としては完璧に保有した状態でな。……『花嫁』として育てられるとこうなるのか、と思った」
だからそれが改善されるまでは、もし四年後に鳥籠の王宮魔術師になって、その三年後に愛妾にしたとしても可愛がるだけでなにもしない、と王は言った。ソキにとって、それは恐らく耐えるものなのだ。
裏を返せば暴力と一緒であり、受け入れるべき義務なのだ。その歪みが改善されない限りはただ大事にするだけで触れない、と言いながら、砂漠の王はやや心配そうな眼差しで彼方を見つめる。
「つーか」
本のしおりを取りあげたり、また挟んだりという意味のない行為を繰り返しなながら、首が傾げられた。
「学園でそれが改善するとも思えないけどな」
「えーっと。ほら、その……ロゼアが、いるし」
「ソキに恋愛感情を抱かない傍付きになにが出来るって?」
ばぁか、と言いながら王の指先がしおりを挟み、ひらひらと振って遊んでいる。その動きをなんともなしに眺めながら、フィオーレは何回か瞬きをした。えっと、と口ごもりながら、ぎこちなく問いかける。
「ロゼアって……ソキのこと好きなんじゃなくて?」
「好きか嫌いかで言えば好きだろ。恋慕じゃないだけでな。……フィオーレ」
「ふえ?」
あれ、えっと、そうだったっけ、と混乱するフィオーレは、唐突な王の呼びかけに間の抜けた声をあげる。お前もうちょっと主君の前で気を張れよ、と言わんばかりの慈悲深い笑みで、王はそっとしおりに口付け、ちらりと視線を扉へ投げた。
「時間切れだ」
「この私が! この国の王宮魔術師である限り!」
派手な音を立てて扉が開かれる。静かに、と注意することを諦めた眼差しで眺める王の視線の先で、ラティが胸を張って言い切った。
「夜更かし、寝不足、不眠症は認めません! 陛下なんでまだ起きてるんですか! フィオーレも寝ろーっ!」
「俺まだ調べものの最中。フィオーレは連れて行って良い」
「フィオーレを寝かしつけたら次は陛下の番です。まったく、夜更かしして!」
もう、と怒りながらずかずか寝室へ入ってきたラティは、フィオーレの腕を掴んで引っ張りながら怒っている。おやすみ、と笑いながら手を振って、王はごく素朴な疑問をラティに向かって投げかけた。
「魔力もつのか? フィオーレにも、俺にも魔法かけて眠らせるのは構わないが」
「大丈夫です。フィオーレの分は節約します」
しゅっ、しゅっ、と片手を握りこぶしにして素振りをしながら告げるラティに、砂漠の施政者はやんわりとした笑みで頷いてやった。
「はやく寝ろよ、フィオーレ」
「あのさあラティ。それさ、絶対個人的な怒りとか恨みだろ……? だ、大丈夫だって! メーシャはちゃんと回復させてきたし、ラティの分も可愛がってきたから! 抱きあげてくるくるしてぎゅってしちゃった!」
無言で笑みを深めたラティが、フィオーレをずるずると引っ張っていく。おやすみなさいと頭を下げられ、寝室の扉が閉められた。
遠ざかっていく二人分の足音は騒がしく、フィオーレが一方的にメーシャの可愛らしさを語っている声が響いている。
ぱぁんっ、と平手打ちの音が響き、ぎゃあぎゃあと言い争う二人の声が、静かだった夜の空気を震わせていく。白魔法使いの、明日の予定を休みにしてやってよかった、と王はしみじみと思った。
心配することはないだろう。あの二人は、喧嘩するほど仲が良い、の好例なのだから。
私だってメーシャに会いたかったんですよむしゃくしゃするから殴らせろ、ついでにフィオーレの意識も刈り取って夢の国へご招待っ、ときらっきらに輝く笑顔でラティに殴りかかられた白魔法使いは、その宣言通り、最後の記憶から六時間後に瞼を持ち上げた。
眠っていたというよりも気絶していたに近い睡眠の仕方であるのだが、恐ろしいことに、すっきりとした目覚めである。十分に回復していた。
夢属性の占星術師、ただし物理系、の本領をいかんなく発揮された結果に、フィオーレは寝台の上で釈然としない息を吐く。疲れが消えた目覚めは良いことなのだが、もやもやした気持ちが残るのは昨夜の主君との会話のせいだろう。
言葉魔術師を殺すことは、叶わない。
その結論だけが、重たく心に圧し掛かっていた。窓の外を見ると、空はすでに白み始めている。このまま起きてしまおうか、もう一度寝てしまおうか考えながら、フィオーレは枕を抱きよせて目を伏せた。
目を閉じれば、瞼の奥によみがえるのは赤だった。悲鳴染みた、血のような、陽が暮れる瞬間の空の色。ああ、と息を吐き出し、フィオーレは微笑む。
「……そっか」
告げるべき言葉を間違えていたことに、今更気がつく。いいよ、ではなかった。大丈夫でも、安心してでも、なかったのだ。
「止めてやらなきゃ、いけなかったのか」
壊れたものを、なおすのではなくて。そうしない為にどうすればいいか、一緒に考えてやれば。きっとそれだけで、よかった。すこしだけ、笑う。
彼は一度も、フィオーレを友とは呼ばなかった。
フィオーレも、彼を友と呼ぶことはなく、そう思ったことも、きっとなかった。
きっと、一番最初から、二人は互いにすこしずつ間違えていて。後戻りできない場所まで辿りついて、ようやくそれに、気がついたのだ。目を開いて、窓の外を眺める。
朝の光が世界を染め上げるさまを、そのままずっと、見つめていた。
壊れた鞘でも、欠けた石でも。
零れた水でも、破れた紙でも。
それを、嫌だと言ってくれたら、なおしたよ。
枯れた森でも、朽ちた花でも。
望んでくれたら、何度でも。
何度でも、何度でも。
絶対に、なおしてみせたよ。
お前が。
ただ、それを望んでくれたなら。
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