灯篭に鎖す、星の別称 21

「……ふえ?」

「すこし前まで学園に居た予知魔術師。リトリアの武器も、やはり本だったから……予知魔術師だけがその武器を手にする訳ではないんですが、歴史に残されている分だけでも、予知魔術師を選ぶ武器はなぜか全てが『本』なんですよ。彼女の本は雲を透かした乳白色の、空の色をしていました。ソキのものは、白いのですね」

 言いながら、副寮長はじっとソキのことを見つめていた。ロゼアがやや心配そうにソキの額に手を押し当て、熱を計っている。気が付いたメーシャもソキの顔を覗きこんでいるが、副寮長は近寄ることをせず、意識を集中させてそれが発動する瞬間を待っていた。

 やがて、ふわり、魔力が流れるのを感じる。

 それは甘い花の香に似ていた。ソキの浅く、早めだった呼吸が徐々に深くなり、平常のものになっていく。顔色もよくなり、辛そうな表情もロゼアの腕の中で溶けてしまった。報告にあった、恒常魔術が発動したのだろう。

 ふむ、と気がつかれないようにガレンは目を細め、どうしたものかと思案する。まあ、彼女はかの白魔法使いと懇意にしていることだし、なにかあればそちらから意見のひとつでも来るだろう。たぶん。

 三ヶ月以内になんの音沙汰もなければ、そこで初めて問題として提出すればいいだけのことだった。今必要なことではない。

 意識を切り替え、ガレンはソキの顔色が戻ったことで嬉しそうにはにかむ、メーシャの武器を視線で探した。剣ではなさそうだ。槍や、杖でもない。弓でもなさそうだ。

 指輪や、装飾品の類がこの華やかな新入生には似合いそうだが、その身を飾る品が増えた形跡もない。悩む副寮長の視線が、どこか戸惑ったように、どうしていいのか分からないように、体に隠すようにして手に持っていたそれを見つけ出す。

 夥しい程の魔力に、一瞬息がつまり、鳥肌が立つ。

 それは、天才と呼ばれるとある錬金術師がひとつだけ作りあげ、設計図を焼き捨てた曰くつきの武器だった。世界にひとつ。本当にたったひとつしかないそれを、その錬金術師は『扉』の向こう、武器庫へと安置した。

 いつかその力が必要になる時が来る。その時まで眠らせておかなければいけない。錬金術師はそう言って、誰にも設計や製法を明かすことなく、この世を去って行った。

 その武器はかつて一度、とある魔術師を『選び』、共に旅だった筈だった。その魔術師の手の中でふたつに別れ、移し身を彼の元へ残し、我が身を再び武器庫の中へ戻してしまうまで。

 あまりに殺傷力の強い武器だから、王宮魔術師、王の守り手たる彼には相応しくないと、『武器』が判断したのかも知れない。すくなくとも、周囲にはそう思われていた。ひとの命を、あまりに容易く奪うことのできる武器。

 失われた設計図によりつくられた、その武器の名を、銃という。

「ストルの……銃?」

「え」

 聞き取れなかったのだろう。きょとんとした目で振り返るメーシャに、ガレンはなんでもないと首を振りながら、慎重にその武器を観察した。何度確認しようが、その武器はこの世界にひとつしか存在しない。

 けれども、藍玉のあしらわれた位置が記憶と一致するので、それは紛れもなく星降の王宮魔術師、ストルの手にかつて持たれていたものと同一だろう。なぜ再び『選んだ』のかを考えかけ、ガレンは胸中で溜息をつき、未熟な予知魔術師に視線を走らせた。

 思えば、リトリアが己の『守り手』と『殺し手』の存在を放棄した時期と、ストルの手からそれが消えた時期が恐ろしいことに一致していた。

 怖いので、世の中にはすごい偶然もあるのだということで思考を切り上げ、副寮長はなにか物言いたげな視線を向けてくる新入生たちに、穏やかな笑みを浮かべて対峙した。

 彼らの不安、聞きたいことはなんとなくわかるが、告げるのは己の役目ではない。

「皆さん、武器を手に入れられたようですね。では、あなた方の担当教官が来ていますので、案内します」

 ついてきてくださいね、と言い、ガレンは身を翻して歩き出す。その背にかける言葉を持たず、どこかとぼとぼとした足取りで、新入生たちは後を追いかけた。まあ、そう長くない道のりであるので、元気がなくとも歩けるだろう。

 なにせ武器庫へ繋がる『扉』があるのは寮の一階の片隅であり、副寮長が彼らを連れて行くのは同じ階にある談話室なのだから。

 昨夜と同じく、多少の興奮にさわがしく空気が揺れている部屋の前で立ち止まり、ガレンはにこやかな、心からの笑顔を浮かべてひとつだけ、忠告をした。先に言っておきますが、と。

「訓練された寮長派以外は直視することをお勧め致しません。薄目で見るか、鏡で反射させて見るか、そういった各自の対処をお願い致します。耳栓が必要だと思われた場合、以後は各自で用意しておいてくださいね」

「寮長、なにしているんです?」

 純粋に不思議がるソキに、副寮長は悪戯っぽく笑みを深め、こう言った。彼の女神に、日課となるであろう愛の告白を、すこし。扉の向こうに、混沌がある。

 その予感でいっぱいになる新入生たちに、さあ担当教官が待っていますよと笑って、副寮長は談話室の扉を押し開いた。




 窓辺の椅子に座る女性にナリアンが呼びつけられ、担当教員の名乗りを受けている。その足元で、寮長が女性の靴を恭しく持ち上げ、柔らかな布で磨きあげていた。

 寮長なにしているんです、と談話室に入ってから五回目くらいの呟きをくちびるで転がし、ソキはううん、とふかふかソファの上で首を傾げた。ロゼアが体ごと反転させてソキの視界からそれを排除した為、声くらいしか聞こえなかったので、よく分からないのである。

 入室前に副寮長が言っていた通り、確かに寮長は愛の告白をしているようだった。

 ちらりと、一瞬だけ見えた姿が確かであるのなら、ものすごく眠たくて限界を突破しているのも関わらず寝ることだけが許されていないので仕方なく起きている女性の、恐らくはナリアンの担当教官の前に片膝をつき、うっとりとした微笑で女神とか天使とか妖精とか俺の光とか、そういう単語を口走っていた筈だった。

 そしてその囁きは、今も切々と捧げ続けられているらしい。なぜかやや怯えた表情で女性の前に立っていたナリアンが、ちらりと寮長に視線を落とすなり、非常にうっとおしそうな顔つきになった。なんなのこのひと、ほんとうなんなの。

 意志として響いてくるでもなく、声が聞こえた訳でもないが、ナリアンの横顔からその気持ちを読みとって、ソキはのんびりとあくびをする。

 傍に行ってナリアンのことを宥めてあげたい気持ちもあるのだが、ロゼアの抱っこからソファの上に降ろされた今、ソキには移動手段というものが存在していないのである。

 数秒後、そういえば自分の脚でも歩くことができるのだと思いだしたソキは、けれどもごく僅かに眉を寄せ、服の上から足に手を触れさせた。武器庫で、約半日ぶりに立ったからだろうか。

 痛みはないものの、なんとなく、違和感が付き纏っている。旅の間には、こういうことはなかった筈なのだが。

 白雪の国から『学園』へ来る間は無意識が緊急事態だと判断し、有事にのみ発動する回復魔術を、ある時からそれこそ文字通り恒常的に発動させっぱなしであった事実を知らず、ソキは溜息をついて足から手を離した。

 痛くはないし、ひねったりした訳でもないので、そのうち違和感は消えるだろう。ソキ丈夫なんですよ、と口癖のような言葉をぽつりと呟けば、違和感がすうと消えた気がしてそっと安堵の息を吐く。うん、ほら、大丈夫だ。

 よかったと胸を撫で下ろしながら、ソキは傍らに立つロゼアにちらりと視線を向け、眼差しでその存在を確認すると、改めて手の中の本を見つめた。帆布の張られた、真っ白な本である。

 この本を落ち着いて読みたいから、ソキはロゼアの腕の中ではなく、ソファの上に降ろしてもらったのだ。なにも書かれていない、ちいさな蛍石が表紙の端できらめくばかりの本をひとなでし、武器庫でのことを思い出す。

 

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