灯篭に鎖す、星の別称 05

 息をする瞬間を待っている、宝石のように。すぅ、と光を孕んで爆発するようにきらめく瞬間を、メーシャはすぐ傍で見ていた。

「ロゼアちゃん……!」

「ソキ。ただいま。……メーシャ、ソキの相手してくれてたのか? ありがとう」

 ぱたん、とそこでようやく扉が閉じる。ほんのかすかな足音が部屋の前で立ち止まり、扉が内側に動いた瞬間に、もうソキがその名を呼んでいた為だ。

 ロゼアの、ありがとうな、と感謝を告げる言葉に生返事を返しながら、メーシャは少女の前にしゃがみ込んだ中途半端な姿勢のまま、まじまじとソキのことを見ていた。とても、数秒前とは同じ存在とは思えない。

 まるで人形のように愛らしい幼い少女に、命が通っている。指先まで瑞々しく鼓動を巡らせ、赤らんだ頬と唇はふわりと咲く花のようで、やや腫れぼったい目尻にも体温がよみがえって行く。

 整えられた砂糖菓子のような声が、甘くほろりと崩れて喜びを宿した。ロゼアちゃん、ろぜあちゃん。一心にその存在だけを見つめて、はちみつみたいな笑顔で囁く。

「ロゼアちゃん。あのね、ソキね、いいこで待ってたですよ!」

「……ソキ、椅子に座らせて行かなかったっけ?」

「諸事情により移動しましたですよ。フィオーレさんにひょいってされたです」

 遠回しに、自分からは動いていないことを主張するソキは、ロゼアに向かって両腕をあげてみせているだけで、今も自分からは立ち上がろうともしていなかった。

 ふーん、と納得しているような、していないような声で頷き、ロゼアは足早に部屋を横断すると、メーシャの隣で立ち止まる。ちょっとごめんな、という囁きは、恐らくメーシャに向けてのものだ。

 ひょい、とあまりに簡単に、あまりに慣れた様子でソキを抱きあげたロゼアの手が、少女の背をぽんぽん、と撫であやす。ソキはロゼアの首に腕を回し、体をぴったりとくっつけて、満足そうに肩に頭を預けてしまった。

 ふにゃあ、とソキの体から完全に力が抜けているのが、メーシャの目からも分かる。ロゼアはそのまま、立ったままでソキの額にてのひらを押し当て、数秒考えた後に熱は出てないな、と安堵したように呟いた。

 確認の後、ソファに戻される気配を察して、ソキの腕に力が込められる。

「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。ソキ、やです」

「いやでも、メーシャとお話してたんだろ?」

「ソキは嫌だって言ってます」

 ぷー、と頬を膨らませて主張するソキに、ロゼアは困った様子でメーシャを見た。僅かばかり考えた後、ロゼアはソキを腕の中に抱いたまま、ソファに腰をおろしてしまう。

 肩に額をくっつけ、目をぎゅぅっと閉じて動きたがらないソキの髪を、ロゼアの指が梳いて行く。

「じゃあ、これでいいだろ? ソキ」

「……はい」

「ごめんな、メーシャ。普段はもうちょっと聞き分けてくれるんだけど……」

 するり、指から抜けて行くソキの髪を何度も、何度も掬いあげて梳きながら、ロゼアは困惑したようにぴったりくっついて離れない少女に、そぅっと声を吹きこんだ。

「眠いのかな。ソキ、眠い? それとも、おなかすいたか? なにか食べる?」

「……ソキは、ロゼアに会いたかったんだと思う」

 どうして、こんな簡単なことが分からないんだろう。いっそ不思議な気持ちで立ち上がりながら、メーシャはロゼアと視線を合わせ、きょとんとする目を覗きこみながら、言い聞かせるように繰り返した。

「会いたかったんだと思うよ。だから、離れたくないだけなんじゃないかな。……そうだよな?」

 ごくごくちいさなこどもに確認する口調に、ソキは声を出すのも出来ない様子で、こくこくと必死に頷いている。その目はぴたりと閉じられていて、すりよる体温と、あたたかな熱の匂いに意識を全て集中させているようだった。

 離れたくない、と全身で物語っている。そのことが、メーシャにはすぐに分かった。親から引き剥がされたこどものようだった。ようやく、拠り所へ戻れた、迷子のようだった。

 可愛いと思うと同時にどこか物悲しくて、メーシャは息をつめてソキのことを見つめてしまう。すん、と鼻を鳴らすソキが泣いているようで、メーシャまでくるしい気持ちになる。

 大丈夫だよ。もう、大丈夫なんだよ。そう言ってやりたくても、言ったとしても、きっとソキに言葉は届かないのだ。分かったから、言えない。

 きっとこの少女は、もたらされるなにもかもを信じない。受け取って、にっこり笑って、どこかへしまい込んでしまう。もしくは、繋ぎとめても、そっと空へ解き放つ風に紛れさせ、やがて告げられたこと自体忘れてしまうだろう。

 すこし話して、メーシャにはそれが分かった。ソキには鍵がかけられている。内側からも、外側からも。硬い錠。おおきな錠だ。それは冷たくて、熱くて、痛くて、悲しくて、今のメーシャには触れられない。

 それでいて、それは他者に対する拒絶ではないのだ。そういう触れあいしか、ソキにはできない。そういう風な形に、育てられてしまった。そのことを半ば意識していながら、根本的に本人が理解していない。

 言葉はなにも届かない。響いて響いて、消えてしまうだけ。

 けれども。それでも、響くから。響くのは分かったから、メーシャはゆっくり、それを口にした。

「大丈夫……って、ロゼアが言えば安心すると思うよ」

 届かないなら、届くように。花束を贈るような気持ちで、言ってあげて、と願うメーシャに、ロゼアがゆっくりと瞬きをする。なにを言われているのかよく分からない風に、ロゼアの瞳がソキを見つめた。

 ソキ、と囁くように名が呼びかけられる。ぱちりとようやく開いた少女の目が、じっとロゼアのことだけを映しだした。頬に手を触れさせながら、ロゼアは静かに問いかける。

「ソキ」

 一度だけ、名を呼ぶ。それが言葉の全てで、それこそがメーシャの言葉に対する問いだった。今も安心しきれていないのかと、問う。なにか不安になることがあったのかと、怖いことがあったのかと。そう、伺う声だった。

 ぱたぱた、まばたきをしたソキの目が、ロゼアを眺めて甘やかにきらめく。呼吸をする宝石の瞳。生ける喜びを宿す石。それこそが少女を『宝石の姫』と成らし得るうつくしさなのだと知らぬまま、メーシャは息を吸い込んだ。

 視線ひとつで物語る。命がけの愛おしさと、それを越す切なさ。ろぜあちゃん、とふわふわに解けた声が、青年を呼んだ。心の優しい場所、なにもかもを捧げるような、まるで無防備な響きで。

「……そんなことより。ロゼアちゃんは、なんの魔術師さんなんですか?」

 それなのに。一呼吸だけで気持ちを落ち着かせて、ソキはロゼアの問いを受け流した。なにがあったのかと、そう尋ねる意思に、肯定も否定も向けずに。言葉を返さないまま一方的に打ち切って、にっこりと笑う。

 返されない答えにロゼアの眉が寄るも、ソキはにこにこと笑うばかりで応えようとはしない。柔らかな風を抱く動きで振り返り、ソキがちょこん、とメーシャに対しても首を傾げた。

「メーシャくんは?」

「え……えっと?」

「メーシャくん。なんの魔術師さんで、なんの属性さんだったですか?」

 あ、あとメーシャくんも座っていいと思うですよ、とたった今思い出したように、ソキの手がぺちぺちとソファを叩いて着席を促した。どうあっても答えないつもりのソキの態度に、ロゼアが深々と息を吐く。

 その腕の中に甘えながらもちっとも気にした様子がなく、ソキはメーシャをじぃっと見つめたまま、ロゼアの隣に座ってくれるのを待っていた。怖々とした動きで腰かけながら、メーシャは思わず、ロゼアの肩に手を乗せる。

 なに、とばかり向けられる視線に、メーシャはなぜだか、心から言った。

「うん。頑張れ?」

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