灯篭に鎖す、星の別称 03

 ソキはエノーラが部屋に突入してきてからずっと、ふかふかのクッションが敷かれた椅子の上に座っていて、動くことを許されていなかった。そもそも、他の新入生が戻ってくるまで、ソキは談話室から出てはいけないのだという。

 不用意に学内を歩きまわると魔術的になにが起こるか分からなくて危ないから、というのがその理由だが、ソキの怪我防止の意味も強いだろう。そーっとソキをこの椅子の上に座らせたロゼアは、つまらなさそうに唇を尖らせる少女の頬にてのひらで触れ、指で髪を櫛梳るように撫でてから離れて行った。

 それから一歩も動いていないことを知れば、良いコにしていたと褒めてくれるだろうか。動かないのは、ソキにとって苦ではない。動き回れ、と言われる方が大変なくらいだった。

 ソキをはじめとした花嫁、あるいは花婿と呼ばれ、育てられる者たちは、基本的に自分で動き回るように作られていない。運動が得意になるようには育てられなかったし、ごく慎重に活発さの芽は摘まれ、移動方法は制限された。

 部屋の中から出てはいけないことも、座った場所から動いてはいけないことも、すこし前の、案内妖精を目にする前のソキには当たり前のことで、それに不服を覚えた訳ではなかった。ソキは不満なのは、たったひとつだ。どうしてロゼアから離されなければいけないのか。

 もっと厳密にするならば、どうしてロゼアがソキの傍から居なくなるような状況がそこに存在しているのか。せっかく会えたのに。離れたくなんてなかったのに。抱きあげられたままでいたかったのに。どうして。

 エノーラという非常に偏った性癖を持つ変態という衝撃からやや立ち直った為に、ソキの機嫌はじわじわと悪くなって行く。ロゼアちゃん、まだですか、とむくれながら呟けば、至近距離から笑いを堪える気配がした。

「……今、なにが楽しかったの? フィオーレ」

「んー? ……ソキ、本当にロゼアのこと大好きだなぁ、と思って。可愛くて、つい」

 不思議そうなエノーラの問いに、フィオーレはくつくつ、幸せそうに喉を鳴らしてかすかに笑った。視線がゆるりと持ちあがり、ソキの顔を下から覗きこんでくる。

 背の高い椅子の上に座っているソキの前に両膝をついてしゃがみ込む青年の両手は、少女の左手を目の高さへと引き寄せ、観察していた。おおまかな説明だけ、待機していた保健室からこの談話室へ来るまでの道のりで聞いたのだという白魔法使いは、ごく慎重な様子でソキの手に触れていた。

「ロゼアたち、適性検査と属性検査の最中だろ? どんなに早くても、あと一時間はかかるよ。平均で、いっつも二時間くらいかかってるし」

「ソキは?」

「ソキは待機ー。もうちょっとだけ良いコにしていようなー?」

 にこりと笑うフィオーレの、薄紅梅と赤薔薇の二色が不規則に混じり合った不思議な髪の、一筋だけが細い三つ編みにされているのが見えた。染めているのではなく、地毛であるらしい。

 男にしてはやや長めに伸ばされた髪は細く、猫の毛のように柔らかくふわふわしていて、ひんやりとした花の香がした。フィオーレって基本的に女子みたいな匂いするわよね、と面白そうに呟くエノーラに白魔法使いは眉を寄せてやや不服そうな顔つきをしたのち、なにも言わずに目を細めてソキの手へ集中しなおした。

 じっと肌を見つめ、考え込む瞳も、髪と同じく二つの色が混ざり合ったつくりだ。油絵の具を水に落としてぐるりと混ぜ込んだように、花緑青と鉛の色がゆらゆらと濃淡を変えている。

 それも別段、魔力が強すぎる影響が出ている、という訳ではないらしい。一族全員二色だから、俺のこれも遺伝なんだよね、と改めて不思議そうに見てくるソキに、フィオーレはかすかな笑いを滲ませる声でやさしく囁いた。

 ソキのちいさな手を、フィオーレの両手が包み込むようにして触れている。

「さて、俺にも見えないし触れないみたいだけど……確かに、なんかあるね。左手の小指」

「分かりますですか?」

「魔力が円を描いてるのなら分かる。ただ、役目を終えたのかな? なんか、残り香みたい。消えちゃいそう」

 残念そうに呟いて、フィオーレはふわりと瞼を閉じた。その状態で、うん、と白魔法使いは微笑む。

「ひかり、だね。暗闇の中の光、夜に輝きだす星、導きの灯台みたいな、そんな魔力。火じゃなくて、光。ひかり、だ。きらきらしてる……これが、指輪? ソキには、指輪に見えるんだ?」

「……はい」

「ふぅん。別に、魔術具でもなさそうだけど……俺にはただの魔力に見えるし、ソキは残念かも知れないけど。もう長持ちしないと思うよ」

 この魔力に託された想いはすでに報われてるから、と白魔法使いは静かな声で言った。嫌ですよ、と告げようとしたソキの目を覗きこみ、フィオーレは少女の手をやんわりと握りこむ。

「花が枯れるのを、止めたらいけない。俺たちは、やろうと思えば、そういうこともできるけど。……そういうことは、しちゃいけないし、やったらいけないと俺は思うよ。基本的にはね。俺が言ってること、分かる?」

「……ソキは、これ、大事にしたいんですよ」

「うん。大事にしてあげれば、くれた人も喜ぶと思うよ」

 ただし、終わりがあることを分かっていること。にこにこ笑いながらも否を言わせない様子のフィオーレに、ソキは視線を彷徨わせた後、仕方なく頷いた。よしよしソキはいいこだなー、とフィオーレが少女の髪をくしゃくしゃに撫でる。

 いやいやと身じろいでむずがるソキの前で立ち上がり、フィオーレは見守っていたエノーラに、そういうことだから、と告げた。

「ほっといていいと思うよ。魔術具じゃないことだけは確かだから」

「はーい、了解。じゃあ報告しないでいいや。めんどくさいし。フィオーレ、内緒にしておいて?」

「いいよ。俺の条件飲んでくれれば」

 にっこおっ、と笑みを深めるフィオーレに、エノーラがなぜか青ざめて一歩引く。ちょっとやめてなに怒ってるの怖い、と焦りながら、エノーラはじりじりと白魔法使いとの距離を広げて行った。当然、ソキからも遠くなる。

「わ、私は別に、その……! 訳あって目を見て話すことはできないけど盗撮とかはしていないわ……!」

「……他国の王宮魔術師の更衣室、盗撮しようとするのは、洒落にならないから本当にやめような?」

 額に指先を押し当てながら言うフィオーレに、エノーラはぶんぶん首を横に振っている。

「し、してないったら! まだ! 興味はあるけど! 時にフィオーレ、今日はいてるパンツ見せてくれたり?」

「しない。つーかお前のその下着に対する執着はなんなんだよ……。男のパンツ見てなにが楽しいの?」

「なんで私の性癖を事細かに説明しなきゃいけないの?」

 きょとん、として首を傾げながら、エノーラが頬は人差し指を押し当てた。

「でもまあ、あえて言うなら恥ずかしがる顔が見たいのよね。ずばっと見せてくれても、それはそれで構わないんだけど。全然ありだけど。あと、女の子は色を聞く所から楽しみたい。で、教えてくれたら確かめさせて? って言いたい。それで、恥ずかしがってじわじわ持ち上げられていく布の動きと太股の露出していくあの感じを心行くまで楽しみたい。いつも思うんだけど、スカートめくりする奴ってなんなの? 本当に分かってない。いい? スカートっていうのはめくるものじゃないの。めくらせるものなの。自分でやるんじゃなくて、やらせる、やってもらうものなの! そこに浪漫というものが詰まってるの!」

「お前、本当に、変態をこじらせてるよなぁ……」

「ソキはなんにも聞かなかったことにするですよ……」

 げんなりするフィオーレの背に隠れるようにひっつきながら、ソキは心の底からそう言った。うん、忘れな、と髪を撫でてくるフィオーレの手に、ソキはぐりぐりと頭を懐かせる。猫みたい、とほんわりした声で呟き、フィオーレの目がちらりと錬金術師を見た。

「で、交換条件なんだけど?」

「う、ううぅう……なに?」

「ちょっとさぁ、俺が良いって言うまで部屋の外に出て扉の前に立っててくんない? 誰が帰ってきても、俺が良いって言うまで部屋の中に入れないで。メーシャも、ナリアンも駄目だけど、ロゼアは特に絶対駄目。時間かかることじゃないし、すぐ終わると思うけど」

 はいじゃあ出てって、と手をひらつかせるフィオーレに、エノーラの眉が寄る。いいけど、と扉に向かって歩きながら、女性は僅かばかり心配そうな目で、ソキを振り返った。

「いじめちゃダメよ?」

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