灯篭に鎖す、星の別称 02

 仮にそれを、とエノーラは指輪を示しながら言う。

「私が、なんらかの理由で作りなんらかの理由でそれを忘れていてなんらかの理由でそれを思い出せないとして、あれなんかこれすごい頭悪い言い分な気がしてきたなんか泣きそうなんだけどここでくじけたらいけない気がするから頑張れ私頑張れ私終わったらご褒美に陛下に踏んでもらおうそれがいいわぁ素敵! ソキちゃんところで今日のパンツ何色? ブラの色でもいいよ?」

「ソキ、変態さんとは口を聞かないようにって言われてるですよ」

「ちっ、手ごわい。話の流れでうっかり教えてくれると思ったのに」

 仕方ないので白だと思いこんでおくわ清楚で可愛いから、と溜息をつき、エノーラはなんだか逃げたそうにもぞもぞしているソキに、にっこりと笑いかけた。

「仮に、それを作ったのが本当に私だとしたら、銘を入れないなんてことはありえないのだけれど」

「……はい」

「銘を入れないように作ったのだとしたら、納得できるかな、と思ったのよね。違い、分かる……訳もないか。ええとね、錬金術師が魔術具に銘を入れるっていうのは、そのまま、ものに名前を書くのと同じ意味なの。所有物の宣言であり、所有者を明らかにして万一の時には責任を取る為にね。だから、名前を書かないっていうのは責任の放棄だとして本来絶対にやってはいけないことなんだけど……」

 特にこの指輪は、ちょっとした悪戯でしたごめんなさいで許してもらえる範囲を明らかに超えてるし、と言葉を区切り溜息をついて、エノーラは嫌そうに首を振った。

「銘を刻むとね、つまり、魔力が混ざるの。厳密に言うと混ざりはしないんだけど、ひとつの魔術具につき、効果を発揮する魔力がひとつ。銘を刻み、誰のものであるかハッキリさせる、署名の為の魔力がひとつ。二つの魔力が、魔術具に対して書きこまれる訳ね? そうすると……稀に、ごく稀に、よ。反発しちゃうの。原因とか、理由はまだ分かってないんだけど、効果が消えちゃう訳でもないんだけど……うまく行かない魔術具になるの。時々、なんでかそういうのができる……それを、絶対に阻止したいんだったら。必ず、なんの不安もなく、その効果だけでるような魔術具を作りあげたいんだとしたら……私は、私の才能と、努力と、知識。設計にも計算にも、誇りと自負を持ってる。だから、絶対、絶対、そんなこと……認めたくないし、やりたくないけど。でも……でも、なんだろう。もし、もしも、本当に、そうしなければいけないんだって、それ以外には絶対って、言い切れないんだって、そういう状況。そういう理由。そういう感情が……あったら。あったんだとしたら、私は、私の努力の敗北を認めるわ」

 頑張っても出来ないことはあるのよ、絶対にね、と。不屈の意思を秘めた瞳が、燃えあがるような感情で煌く。

「これを作った……のは、私だと思うんだけど、仮に、私だとして。私は、だから……なにか、信じたの、かな? ……ううん、信じたんだと思う。だから力を貸したし、自分のできる限りの最高の状態で、最高のものを仕上げた。その為に、絶対に銘を刻むことはしなかった。本当に、どうしてこんなものが存在しているのか、見ても触っても分からないんだけど……」

 溜息をつき、錬金術師は言った。

「分かりませんでしたって素直に報告しておくわ。それでお終いだと思う。だって、私が分からないんじゃ、他の誰にも分かる筈、ないし。悔しいけど。分からないとか言うの、超、悔しいけど! ひとつだけは分かったから、それで良いってことにする」

「分かったの、なんですか?」

「うん? それはね」

 すこしだけ得意そうに笑って、エノーラはソキを見つめる。

「他の誰でもない、あなたの為に存在するものだってこと。経緯も、理由も分からないけど、それはソキちゃんの為だけに作られたもので、ソキちゃんの為だけに存在しているもの。恐らく、他の魔術師には使用できない筈……というか、同じ予知魔のリトリアが私には使えないと思うって言ってる時点で、効果がないってことなんだと思う。それは、ソキちゃんには魔力、魔術の制御装置として正しく機能するけれど、他の魔術師にしてみればごくごく簡素なただの指輪。なんの働きもしない装飾品ってトコね」

「……じゃあ、こっちは?」

「こっち? ……こっちって?」

 てのひらを差し出しながら問うソキに、エノーラはぱちぱちと瞬きをして不思議そうにしている。だから、と言って、ソキはもっと見やすいように、座っていた椅子から身を乗り出して言った。

「こっちの指輪です。小指の」

「……うん?」

「アクアマリンの……藍玉? 水宝玉です? 呼び方はどれだっていいですが、この」

 指輪は、どういう。そう問いかけて、ソキはエノーラの視線に気がついた。錬金術師の視線は、確かにソキの小指を見つめてはいるが、ちいさなアクアマリンがきらめく銀の指輪を捕らえてはいないように思える。まるでそこに、なにもないような。探し物をしている視線。ぴたりと話すのをやめてしまったソキに、やがてぎこちなく、エノーラが問う。

「み……右手? 左手? それとも、足の指だったり……?」

「……いえ。左手ですよ」

 息を吸い込んで、どくりと嫌な音を立てる心臓を、胸の上から右手で抑え込んで。ソキは光を弾いて輝く、とうめいな薄い水色をした石を見つめた。それは確かにそこにあるのに。今も、小指に通されている感覚が、あるのに。

「見えないです、か……?」

「触ってもいい?」

 ためらうとするより、緊張した様子で、エノーラが問いかけてくる。こくりと頷いて、ソキは左手を差し出した。人差し指には変わらず、制御の為の指輪が通されている。エノーラはまずそれに指先で触れ、ほぅ、と安心したように息を吐き出して。

 それから、ソキと目を合わせたまま、指先を手の端へと移動させた。肌を撫でて行く指がこそばゆく、ソキの眉がやや寄せられる。ごめんね、と言いながら、エノーラはソキの小指の付け根に触れた。指輪がある筈の場所を、指先がすり抜けて行く。

 思わず、ソキは瞬きをした。何度見ても、指輪はちゃんとそこにある。感覚もちゃんと、指輪が通されていることを教えてくれる。それなのに、エノーラの指は、ソキの肌をやんわりと撫でた。

 指輪が通されている、触れられない筈の肌に、触れていた。

「ソキちゃん」

 そこに。指輪がある筈の肌に触れながら、エノーラがまっすぐな視線で問う。

「ここに、指輪が、あるの? ……もうひとつ」

「……あります、ですよ」

 言いながら、ソキは泣きそうな気分で鼻の奥を痛くする。とらないで、と何故だか思った。とらないで、これは、誰かが、お守りだって。大切に、大切に、くれたものだから、だから。とらないで。大事にさせて欲しいのに。

「……分かった」

 全身に力を入れて息を詰めるソキの背を、エノーラの手がやんわりと叩いて行く。よしよし、慰めの言葉と共に触れられて、ソキは拗ねた声でありますよ、と言った。うん、とエノーラは頷く。嘘だとは思っていないようだった。

 嘘だと、思う必要がないことを、魔術師は知っている。この世界には神秘があることを。確かに知っている者の顔で、エノーラは笑った。

「分かった。……フィオーレを呼ぶから、ちょっと待っててくれる? まだ、入学式、始まらないよね? ……誰も検査から戻って来ないし」

 そう言われて、はじめてソキは他の入学予定者が、魔術師の適性検査と属性検査の最中であることを思い出した。ソキはそれを、すでに白雪の国で終わらせている。ウィッシュが学園にその報告をしていなければ、ソキはまだやってませんと言い張って、決してロゼアの腕の中から離れはしなかったのだが。

 必ず戻ってくるから、いいこで待っててな、と言われてしまったので、仕方がなく、ロゼアと再会した談話室で待つことにしたのだった。待つにしても、ロゼアと離れて数分もしないうちにエノーラが走り込んで来たので、ひとりでいる時間など殆どなかったのだが。

 ロゼアの不在を思い出すと途端に寂しくなって、ソキはしょんぼりとした声でまだですか、と呟いた。

 エノーラは苦笑いをして時間がかかるかもね、と囁き、フィオーレを呼ぶ為に彼の現在位置について考えを巡らせる。体調不良の入学予定者と案内妖精の回復の為に呼ばれていた白魔法使いは、帰ったという話を聞かないので、まだ学園のどこかにいるだろう。

 エノーラが錬金術師の最高峰であるのなら、フィオーレは魔術師たちの頂点。魔法使いのひとりだ。彼ならばエノーラには見えない、触れられないものが分かるかも知れない。そう思って、エノーラは泣きそうに唇を尖らせるソキの頭を、ぽんぽんと手で撫でてやった。

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