48日目(学園)

 ソキを出迎えてくれた青年は、己のことを副寮長だと名乗った。学園に集う者は全員が寮に住まうが、その場所の監督は基本的に生徒に委ねられている。

 そのうち、王宮魔術師のように誰か卒業生が仕事として寮長や副寮長を名乗ることがあるかも知れないが、現在は単に役職であり、青年はそれを行っているのだと。

 お名前は、と当然のように尋ねたソキに、副寮長は柔和な笑みでこう言った。寮長を紹介する時に、一緒に名乗らせて頂きますね。二人一組扱いが好きなので。その返答にソキは、このお兄さんちょっと変なひとですよ、という正直な感想を持ったが、口には出さなかった。

 全員こんなんだったらどうしよう、と思ったからである。口に出したら実現してしまいそうで嫌だった。

 はくり、口を動かして結局なにも言わず、複雑そうに閉じた動きには気がついていたのだろう。ゆっくりと、歩くのが苦手な者が苦にならない速度で後をついて来れるような、絶妙な速度で先導をしていた副寮長は、口元に浮かべる淡い笑みを密やかに深めてみせた。

 後輩の勘違いを微笑ましいと、そう思っているような笑みだった。くす、くす、ゆったりと奏でられる靴音に合わせるように静かに笑い、副寮長は後をついてくるソキを、やや振り返りながらこう言った。

「新入生には、一室で待機してもらうのが伝統です。他の新入生はもう来ているので、ソキさんが一番最後の到着になりますね。……長旅、おつかれさま」

「……はい」

「疲れてはいませんか? 怪我とか、病気とか。なにか異変があるようなら医務室へ行きますが、ないならそのまま新入生が待機している、専用の部屋へ向かおうと思いますが」

 廊下の分かれ道で立ち止まって、副寮長はそう尋ねてきた。ソキは、そういうこの青年も、数年前には同じように旅をしてここまで辿りついたのだという、当たり前の事実を不思議に感じながらも、己の状態をよく考えて、いいです、と言った。

「ソキ、元気ですよ」

「分かりました。では、こちらへ」

 青年が選んだのは突き当たりで分岐していた道の右で、左へ行くと医務室であるらしかった。入学予定者のうち、一人はあまり体調がよくないのでまだ医務室で寝ているかもしれませんが、と説明しながら青年は歩いて行く。

「他の二人は部屋に居る筈です。……行動に強い制限はかかっていないので、校舎の見学をしている可能性もありますが。誰もいなかったら、しばらく、そのまま待っていてくださいね。戻ってくると思います。俺が一緒にいてあげられればいいんですが……」

 あいにくと用事があるのだ、と申し訳なさそうな副寮長に、ソキはこくりと頷いた。

「ソキ、ひとりでも待てますよ。……リボンちゃんに、えっと、案内妖精さんに聞いたですが、入学式は夜なんです?」

「ええ。新入生の、属性検査と魔術師の適性検査、あとは健康診断ですね。全員集合次第、これを行って、終わったら入学式になります。今年の入学予定者は、ソキさんを入れて四人なので……まあ、三時間。四時間後くらいだと思います、入学式」

 四人、という人数。それが多いのか少ないのか、ソキには分からないことだった。はい、と頷いたソキに、副寮長はでもソキさんは終わっているんでしたね、と確認する口調で告げた。

 てちってちっと後をおいかけ、転びかけてあわあわと手を振り回して耐えながら。ソキはきょとんと首を傾げて、青年の笑みをゆるく深めさせた。

「終わって……なにがですか?」

「属性検査と、適性検査。風属性の、予知魔術師だと。……ああ、大丈夫ですよ、警戒しないで。あのね、俺たちは、ソキさんと同じに魔術師です。それも、ソキさんより魔力や魔術師について知ってるし、能力の制御もできる先輩な訳ですし」

 ぎくりと身を強張らせたソキの前にひょいとしゃがみこみ、その顔を覗きこみながら副寮長は言った。全く気負いのない声の響きだった。

「だいたい、ちょっと前まで学園にはリトリアがいました。予知魔術師の扱い、皆ちゃんと分かってるので……安心して、いいよ。怖かったですね。ソキちゃんの能力は、ある意味、自分が一番怖く感じるものでしょうから」

 けれども予知魔術師については、今はまだソキ自身よりも学園生徒の方がよく分かっているだろうし、取り扱いも知っている。なにも不安に思うことはないし、怖がることもないのだと告げられて、ソキは目を瞬かせた。

 そう言えば、そうなのだ。ソキと同じ予知魔術師、リトリアはほんのわずか前まで学園に在籍していたのだから、周囲が扱いを知っていて当たり前なのである。

 そうなんですね、とぽつりと呟いたソキに、副寮長はしゃがんでいた姿勢から立ち上がりながら、さらにこう告げた。

「あと、砂漠の宝石の君……宝石の姫、でしたっけ。そう呼ばれている、『花嫁』さんとか、『花婿』さんの扱いも、だいたい分かっていますから。最初は体力的にだいぶキツいだろうけど、こっちも出来る限りのことはします。男女差もあるでしょうから、俺たちも戸惑ってしまうことも多いでしょうが……お互いに慣れていくでしょう。よろしくお願いしますね」

「……ふぇ?」

「ウィッシュ。……君の、お兄さん。ウィッシュも、ちょっと前までここに居ましたから」

 ソキちゃん、環境的にはとても運がいいですね、と笑われて、ソキはぽかんとしてしまった。ソキが自覚しないまでも不安に思っていたことはたくさんあるのだが、そのだいたいが大丈夫なような気がして、体から力が抜けて行く。そっか、とソキは呟く。

「ありがとうございますです」

「いえ、どういたしまして。……さて、もうすこしだけ歩けますか? もう、すぐそこが新入生の待合室です」

 ほら、あの扉がそうですよ。指差して示されて、ソキは大丈夫ですよ、と頷いた。歩けます。ここまでだって、ずぅっとソキは歩いてきたんですよ。すこしだけ胸を張りながら言うソキに、副寮長は頑張りましたねと穏やかに笑い、足元をふらつかせる少女の背に手を添えた。

「さ、到着です。……俺はもう行きますが、本当にひとりでも?」

「ソキ、ちゃんとご挨拶できますですよ!」

 それが、嘘になるとはその時は思ってもみなかったのだが。副寮長はそうですかと頷いて、ソキの頭を撫でて立ち去ってしまった。ソキは扉の前で簡単に服や髪の乱れを整え、深呼吸をしてから手を持ち上げた。コン、コン、と二回、扉を叩く。こんばんはと言う前に、中から声が響いた。

「……どうぞ?」

 耳が拾い上げたその声を、ソキは到底信じることができなかった。頭の中が真っ白になって、いつ扉を開けたのかもよく覚えていない。嘘、うそ、と何度も何度も叫ぶように心の中で繰り返しながら、室内に飛び込むように体を滑りこませた。

 背のすぐ後ろで扉が閉じる。大きな音がするが、室内は静まり返っていた。もしかしたら、ソキがそう感じただけで、音はあったのかも知れない。うそ、と己のちいさな声が耳に響いた。

 返事をしてくれたその人は、窓辺にぼんやりと佇み、視線を外に投げかけていた。まだ、ソキの方を振り返らない。その横顔を知っていた。

 誰より、ずっと、求めていた。

「……ろぜあちゃん」

 声は疑問に揺れることもなく、ただ掠れながら零れて行った。喉がひきつって、声がでない。上手く息もできない。ソキの呼びかけに、青年がようやく室内を振り返る。けだるげな顔がソキを眺め、驚きに表情が変わる。

「ソキ……?」

 気がついた時には、ソキはもうロゼアに向かって歩き出していた。どん、とぶつかるように抱きつき、腰に腕を回してぎゅうぎゅうと体をくっつかせる。離れたくなかった。

 傍にいたかった。もうほんのすこしだって我慢ができなかった。どうしてこの存在なしで普通にしていられたのかすら、よく分からなくなる。息が苦しい。何度も、何度も、確かめるように名前を呼ぶ。

「ロゼアちゃ……ロゼアちゃん、ロゼアちゃん、ロゼアちゃんっ……!」

「ソキ。……ソキ?」

 必死に、その名前を呼ぶ。たくさん言いたいことはあった筈なのに、名前だけで精一杯で、後はみんな忘れてしまった。ロゼアちゃん、と泣きながら、ソキは青年にすがりついた。いつもならすぐに抱きあげてくれる筈の腕が、ぎこちなくソキの背に回される。

 ロゼアの視線は茫然と、扉の方を向いたままだった。まるで、そこに幻が今もあるのだというように凝視しながら、ロゼアの指が、手さぐりでソキの髪に触れてくる。

 やわらかな髪を、慣れた仕草で梳いて行く手と指。心地よさにソキが頭を擦りつければ、ロゼアはぎこちなく、掠れた声で囁いた。

「ソキ。……は、はは、ソキだ。ソキ……なんで、いんの?」

 思わず、顔をあげたソキが見たのは、記憶にないロゼアの顔だった。視線はようやく、己に抱きつくソキを見ている。その表情はひどく複雑で、喜べばいいのか悲しめばいいのか、泣けばいいのか、分からない風でぐしゃぐしゃだ。

 そして、ひどく傷ついた目をしていた。ソキはかかとを持ちあげてうんと背伸びをすると、ロゼアの頬に触れ、指先で乾いた肌を撫でる。胸の中に、言葉が溢れた。

「ろぜあちゃん……ロゼアちゃん、あのね、ソキね。あのね……?」

「……うん?」

「……ふぇ」

 柔らかく目を細めて問うロゼアに、ソキは結局なにも言えなくなってしまった。その時、扉が開き、誰かが入ってくる。守るように、ロゼアの手がソキの肩を抱き、己の方へ引き寄せた。

「……えっと?」

 入ってきたのは、同じ新入生のようだった。もの慣れない様子でロゼアとソキの様子を見比べ、ああ、と頷かれる。

「その子が、最後の? 新入生、だよな?」

「……新入生?」

「うん。君と、俺と、もうひとりと……その子の四人が、新入生だって聞いたけど?」

 いぶかしく問い返したのは、ロゼアだった。ソキはその声を聞いていたが、ロゼアにくっつくのと泣くので忙しく、なんの反応も返せない。ただ、どこかで聞き覚えがあるような声だと、そう思った。

 覚えていられない、夢のなかで。やさしく響くのを聞いたような気がする。

「ソキが、新入生……? 魔術師の、たまご……」

 そっか、とロゼアが温かな溜息のように囁く。そうなんだ、と納得したように繰り返したのち、ロゼアはソキの前で膝をついてしゃがみこんだ。腕が広げられる。伸ばされた手が泣きじゃくるソキの頬を撫で、視線が重ねられた。

 ソキ、とロゼアが呼んで来る。どんなにかソキが聞きたいと思った、甘く響く、青年の声。

「ほら、いいよ。おいで」

「……ろぜあちゃん」

「うん。俺だよ、ソキ。……ソキ」

 やんわりと微笑むロゼアに、ソキはおずおずと両手を伸ばす。ぺたぺたと顔に触れて確かめたあと、首筋に腕を回して縋りついた。ぎゅぅ、と力強く抱き締められる。

 ぽん、と背を撫でながら抱えあげられると、慣れ親しんだ体温と匂いに包まれた。肩に、頭を預けて目を閉じる。存在ごとロゼアの腕の中に預けて、深く息をした。ソキ、と耳元で名前が呼ばれる。

 ぎゅぅ、と手に力を込めて体をくっつけて、ソキは、はい、と返事をした。ソキ、もう一度呼ばれる。髪をそっと手で撫でられながら、さらに繰り返される。存在を確かめるように呼ばれ、そのたびに、ソキはちいさな声ではい、と言った。

 時折、ソキを抱く腕に力が込められる。それだけで、ロゼアはソキを離そうとしなかった。

 足が完全に浮いていて、ソキはロゼアの腕に軽く腰かけるように抱かれている。重たくない筈がないだろうに、ロゼアはやがてけろりとした表情で、先程声をかけてくれた青年へ向き直った。

「ごめんな。ちょっと、びっくりして……ええと、名前」

「メーシャ、だよ。俺は、メーシャ。よろしくな、ロゼア?」

「よろしく、メーシャ。……この子は、ソキ。人見知りはしないんだけど、今はちょっと会話無理かも」

 お話できるか、と尋ねられて、ソキは無言で首を振った。まだ、自分でも泣きやめないでいる。しゃくりあげながらロゼアちゃんと名を呼ぶと、それだけで心得た表情で、青年の手がソキの頭を抱き寄せた。

 ぽん、ぽん、と一定のリズムで頭が撫でられる。

「ソキ。……ソキ、ソキ。ソキ?」

「はい、ロゼアちゃん。……はい、はい。はい、なぁに?」

「いや、呼びたくて」

 ソキだ。満たされた風に囁きながら、ロゼアはソキを抱きなおした。ずり落ちかけていたのを安定させて、腕の中に閉じ込めてしまう。ぬくもりに身を寄せ直して、ソキはゆるゆると目を閉じた。

『会えるよ』

 どこかで、声がした。

『絶対に会えるから』

 消えてしまう夢のような、声がしていた。

『……この指輪のあった未来へ。その、先へ』

 いくつもの想いが響きあって。

『辿りついて』

 願う、せつない祈りに、想いに。ソキははじめて、うん、と頷いた。




 ソキの旅日記 四十八日目

 ソキ、学園についたです!

 ロゼアちゃんがいたんですよ! ロゼアちゃんです! ロゼアちゃん!

 ソキ、ずっと、ずぅっと、会いたかったです。


 んと。

 新入生は、ソキと、ロゼアちゃんと、あとふたり。

 ナリアンくんと、メーシャくん、というそうです。


 もうちょっとで入学式です。

 まだ準備中で、ナリアンくんは体調がわるくって、保健室で寝ているそうです。

 メーシャくんはその様子を見に行っていたそうです。

 ソキと、ロゼアちゃんも、これからお見舞いにいくですよ。


 学園についたです。

 ソキはこれから、魔術師になります。


 だから、旅の日記はこれでおしまい。

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