29-30日目

 ソキの旅日記 二十九日目

 楽音の国の王宮に来たのは、三日前の夜のことです。三日です。三日も前です。

 三日のうち二日くらい寝てた気がするですよ。

 ソキはもうすっかり元気です!

 だから、出発することにしました。

 出発するんです。決めたんです。

 ソキは行くんですよ!




 あ、これもしかして『出発しました』って書けば予知になったりして行けたりするですか、とはっとした顔でペンを持ち直すソキの背後から手を伸ばし、リトリアは厳かな表情で後輩になる予定の少女から、日記帳を取りあげた。

 全く、安静に寝ていなさいと言ったのに、どうして日記なんて書いているのか。見ればしまっておいた筈の外套やら鞄やらも引っ張り出されているので、リトリアがもうすこし戻ってくるのが遅くなれば、部屋から姿を消していた可能性もあった。

 もっとも、苛々と腕を組んでソキを睨み、行かせないって言ってるでしょうが、と呟く妖精が、王宮魔術師に即座に告げ口したのは間違いないだろうが。

 今だってリトリアは、妖精が『ねえちょっとアンタ早く戻って来なさいよ。コイツ抜け出すつもりでその予定を日記に書いてるのよ?』と知らせてきたので、王宮魔術師たちの集う会議から抜け出し、廊下を走って自室へ戻ってきたのだった。

 やですうう取っちゃやあああっ、と半泣きで文句を言うソキの顔は、未だ下がり切らない熱の為に赤らんでいる。半泣きでぐずる様子が、珍しいのだろう。

 ソキの顔を覗きこんだ妖精は慰めるでもなく、ふぅん、と興味深そうに頷いたあと、泣くのなら泣いてみなさいよ、ほら、と言って少女の頬をちいさな手でぺちぺちと叩いている。

 いじめ、だめ、絶対、とうんざりとした声で呟きながら、リトリアは妖精の銀に輝く半透明の羽根を、羽虫を捕まえるのと同じ手つきの指先で摘んだ。

 そのまま羽根が痛むのを無視して引っ張り、リトリアはぽいとばかりに妖精を空へと投げ捨てると、不満げにベッドでもぞもぞとしているソキの顔を覗きこむ。

 行くですよ、と言いたげに、頬をぷぅ、と膨らませて幼子がリトリアを睨んでくる。ふくふくとした頬を指先で突きながら、まったくもう、と溜息を吐く。

「すっかり元気、というのは、熱が出ている状態のことを言うんですか?」

「……もうちょっと、あと一時間くらいすれば、大丈夫なんですよ」

「恒常魔力が回復させちゃうだけで、身体的に健康になるからではありませんよ、と、私は今朝ちゃんと説明した筈なんですけれどね……?」

 あと、百歩譲ってそれで元気になったと認めてあげたとしても、とリトリアは腕を組み、眉を寄せながら言い放った。

「残念ながら、ソキちゃん。王宮魔術師の会議の……まだ過程であって、結果ではないんですが、まあ。途中意見を踏まえ、先程、妖精ちゃんが私を呼ぶほんのすこし前、国王陛下から正式な通達が出ました。ソキちゃんの身柄は、明日まで、楽音の国の王宮預かりとします。この決定はなににも優先され、案内妖精であっても異論を申し立てることはできません。王宮魔術師を擁する、守る義務のある、国王陛下直々の決定です。分かりました?」

「ソキ、分かんないです」

『……なんかあったの?』

 このすべすべもちもちほっぺはどこまで伸びるのかしらねー、そしてどこまで伸ばせば反省とかそういうものが引き出せたり、素直になったりするのかしらねー、と言いながらソキの頬を思う存分引っ張って伸ばすリトリアに、妖精は呪いをかける準備をしながら問いかけた。

 苛めてるのはどちらだと言うのか。妖精が、呪われろ、という言葉の『のろ』まで言った瞬間に、リトリアはこなれた仕草で角砂糖を取り出し、それを小さな口の中へと突っ込んだ。

 がりがりがり、と角砂糖をかじる妖精に、リトリアは重々しく頷いた。

「その通り、なんかあったんです」

「リボンちゃんー! リトリアさんがソキを苛めるですうううっ! ソキのほっぺ、引っ張ってくるですー! やんやん、リトリアさんがソキをいじめるですうぅー!」

『……なにがあったの?』

 リボンちゃん無視しないでください、としょんぼりするソキを眺めながら傍へ寄り、妖精はちいさな手で頬を撫でてやった。ソキは嬉しそうな顔で、案内妖精の名を呼んだ。妖精はそれに、うん、と頷いてやりながら、ソキの熱が本当に上がっていないかを確かめている。

 朝の寝起きよりは、確かに、通常の体温へ戻っているようだ。リトリアの言葉通り、湧水のように満ちて行く少女の魔力が、強制的な回復をさせているに過ぎないのだが。

「見目麗しいのとか、可愛いのとか綺麗なのとか、格好いいのとかを誘拐したり、たぶらかして、奴隷として売り飛ばす一団が存在していて。……悪いことに、ここ十数年、逃げ伸びていたのだけれど。そのこと、妖精ちゃんは知ってる?」

『知ってるわよ。そういう気持ち悪い人間は呪われればいいと思うわ。……それが?』

「ここ数日、うちの国内……王宮周辺で、一味と思われる者の目撃情報が出てるの。どうも国境で取引してるらしいって聞いて、騎士団と、憲兵と、彼らの護衛に王宮魔術師が向かったんだけど、なんていうか、その……ちょっと、間に合わなかったかな? みたいな?」

 視線を泳がせながら言うリトリアに、半目になった妖精が、低い声でなにそれ、と毒付いた。その者が目の前にいれば即座に呪いそうな雰囲気で、妖精は吐き捨てるように問う。

『売られたあとだった、ってこと?』

「う、うーん、うーん。そうじゃないんだけど、そうじゃないんだけどね……」

 言いにくそうに唇を結んで、リトリアは微熱でぼんやりしているソキを見た。告げていいものか、それとも、言わないでいるべきなのかを迷っている表情だった。

 なに、と妖精が問うより早く、ソキの目がまっすぐにリトリアの視線を受け止め、やんわりと笑う。

「だいじょうぶです。……わかりました」

「……え、っと?」

「ソキ、自分にどれくらいの価値があるか、ちゃんと分かってますですよ。ソキは『砂漠の花嫁』です。だから、ふつうより、ずっとずぅーっと……危ないんです」

 特にソキみたいな『花嫁』はひとりで外を出歩くことがないですから、目をつけられれば終わりなんですよ、と。告げるソキの目は、己という存在の価値を正しく客観視していた。砂漠の国の輸出品。

 その、最高級のものの、ひとつ。『花嫁』。己の身を守る術もなく、それを教わることもない存在に捧げられる価値は、おぞましいほどに高い。

「……捕まるまで、大人しくしていないと、だめなんですよ」

『アンタは……それでいいの?』

「ソキの意思は関係ありますか」

 問いかけですらない、言葉だった。それなのに、はきとして空気を震わせ、響いて行った。

「国王陛下と、王宮魔術師さんが、決めたことに……ソキが、いいとか、だめとか、思っても仕方がありませんですよ。ソキは、わかりましたって、言ったです。……リトリアさん」

「うん、なーに?」

「ソキでも、移動できるようになったら、砂漠の国で使った魔術を使って、移動してもいいですか? ……砂漠の王宮から、国境まで、ソキはそうやって移動したですよ。でも、使うの一回だけって言われちゃったです。でも、ソキ、間に合いたいです」

 このままだと、どんなに急いでも、夏至の日までに目的地へ到着するのは難しいだろう。一応陛下にも聞いてみるし、砂漠の王宮にも問い合わせしてみるけど、と言いながら、リトリアはあっさりと首を横に振った。

「無理だと思うわ。間に合うのが、じゃなくて……魔術、使うの」

「どうしてですか?」

「……え、えっと。ええっとね……?」

 なぜか、それを、リトリアはとても言いたくないようだった。苦手な食べ物を目の前につきだされているのと同じ表情をして、視線をうろうろと彷徨わせ、けれども結局、口を開いて言葉を告げる。

「こ、国内の空気が荒れてるから……」

『……アンタなに言ってんの?』

「察してください、妖精ちゃん! 私たちの言う、空気が荒れてるって、だからつまりアレですよ、あれ!」

 あいまいな物言いに、妖精はにこりと笑みを深めた。

『ハッキリ言え』

「国境付近で魔力暴走が起きたとの報告が入ったので、二の舞になるとも限らないし、ソキちゃんが意識的に魔術をつかうことは許可されないと思うの」

『……暴走?』

 妖精の訝しげな声に、リトリアはこくりと頷いた。視線が、恐る恐るソキを向く。唇が開き、なにかを言いかけてやめ、また息を吸い込んで、ぎこちなく動いた。

「……どうにか、遅れを取り戻せるように、移動できる方法……考えるから」

「はい。よろしくお願いしますですよ」

「うん。よろしくお願いされました。……じゃあ、妖精ちゃん。私、会議に戻らないといけないので行きますが……手段は問わないので、ソキちゃんを部屋から出さず、出来れば眠らせておいてくださいね。結局、一番回復するのは睡眠ですから」

 角砂糖をかじりながら、呪われるのと自主的に眠るのならどっちがいい、と問う妖精に、ソキはしぶい顔をしていた。それでも文句を言わず、もそもそとベッドへ潜り込んで行くのを見ると、状況の理解は出来ているようで、体調がすぐれないのも分かってはいるのだろう。

 恐らく、ソキは分かっている。リトリアは部屋から居なくなったのを見計らい、妖精を言いくるめて抜け出しても、その身柄はすぐに捕らえられる。守るように捕らえられ、閉じ込められる。最後の自由も、そこで終わるだろう。

 安全の為に、ソキは外に出されず、学園に送り込まれる。ロゼアに会いたい、探したい、というソキの希望はそこでつぶされ、消えてしまう。この自由を最後に、ソキはもうどこへ行くこともできなくなるのに。王の許しなければ、魔術師に自由など、存在するものではないのだから。

 リトリアは、足早に会議室へ戻りながら考える。どうすればソキの旅路を、最初で最後の自由な道を、思うまま歩かせてあげることが叶うのだろう。




 ソキの旅日記 二十九日目:続き

 行きたかったですが、ソキ、お外に出られなくなっちゃいました。

 リトリアさんが言うには、今日と、明日くらいまでの我慢みたいです。

 ……あと、十九日で、星降の王宮まで行かないといけないです。

 半分、きました。

 もう半分も、歩きたいです。



 ソキの旅日記 三十日目

 朝の体調。熱は本当にちゃんと下がりましたです。咳も出なくなったです。

 でもちょっとくらくらしました。

 ご飯もあんまり食べられないです。いつもの半分くらい。

 何日も寝てたからでしょうって、リボンちゃんは言います。

 そういえば、リボンちゃん、ソキが寝てる間もちゃんと角砂糖食べてましたですか?

 あんまり減ってないですよ?


 ……厨房から自主的にもらってきてたみたいです。リボンちゃんたくましいです。

 でも、それ、泥棒っていうんじゃないでしょうか……。

 あとで、リトリアさんが、ちゃんと買い足してたみたいです。

 リボンちゃん、リトリアさんに、ごめんなさいしないといけませんですよ!


 お昼すぎ。国王陛下にお会いしました。

 リトリアさんが、ちょっとおいでって部屋から連れ出してくれて、向かった先が陛下のお部屋でした。

 お話は聞いたことあったですが、国王陛下、ほんとうに美人な男の人でした……!

 ソキ、お家のひと以外で、ほんとうに美人な男の人に会ったの、はじめてです……!

 びっくりしました。びっくりするくらい綺麗でした。


「閉じ込めてごめんね」って言われました。

「明日にはきっと出してあげるから、もうすこしだけ待っていてくれるかな」って言われました。

 頭を撫でてくれました。良い匂いがしたですよ。

 ……ロゼアちゃんも、いいにおいするですよ。


(会いたい、と書いて、ぐしゃぐしゃに線を引いて消したあとがある)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る