28日目(夜)

 険悪に睨みあっている、と言うには、二人の視線は交わっていなかった。一時でも視線を外したらなにをするか分からない、という警戒と怒りの入り混じった針のようなそれを向けているのはリトリアだけで、レトニは少女を視界にすら入れず、ふぅんとどこか興味深そうに薄暗い室内を見回していた。

 妖精の目から、『彼』は華奢な印象の、たよりない少年に見えた。ほっそりとした手足は鍛えられた風でもなく、どことなく、精巧に形作られた人形めいている。けれどもその印象は無垢ではなく、純粋ではなく、どこか禍々しいものだった。空恐ろしい程、美しい存在だった。

 心の中の、感情のある所。感覚が、うつくしい、と感じる場所。そこを無遠慮に暴いて己という存在を植え付けてくるような、強制的な印象すら漂わせている。

 十人に聞けば十人が、百人に聞けば百人が、千人であっても一万であっても、感情があり言葉を知るいきものに彼の印象を聞けば、同じ言葉が返ってくるだろう。美しい。ただひたすらに。

 息を忘れる程に、視線を奪われて動かせなくなる程に。美しく、綺麗なもの。それでいて、清らかでは決してない。震えが走る。妖精の身に宿る魔力そのものが、ざわりと音を立てるようにそれを感じ、警告する。

 レトニの瞳が、凍りついたように動かないでいる妖精の姿を認めて、からかうように細くなる。獲物をなぶる、猫の目だった。

「……ほんっ、とに……アンタって……!」

「ん?」

 本気の舌打ちを響かせ、低く呻くように吐き捨てたリトリアの声に、少年の意識がすいと移動する。身を硬くしていた力を抜いた妖精を庇うようにてのひらで抱き寄せ、リトリアは苛立たしく言った。

「腹立たしい美人よね!」

「ねってなに、ねって。その発言でどうして僕に同意を求めるの君は。馬鹿なの? なんなの? それとも言葉の使い方を根本的に分かってないの? そういう馬鹿なの?」

「妖精ちゃんに話しかけたんですー! アンタに同意を求めた訳じゃありませんー!」

 言いながらもリトリアは、妖精を眠るソキの方へぽいとばかりに投げ捨てた。仕草は乱暴だが、レトニの意識や視線の向く場所から逃がしてくれたのだろう。

 仲介者の視線がそれ以上妖精を追わないように、リトリアは後輩を背に隠すように立ち位置を変えた。腕組みをして言葉を待つ少年に、深呼吸をしてから口を開く。

「さて、あなたを呼んだ用件だけど」

「僕が君の願いを叶えてあげる理由が分からないから言わないでいいよ。というか、君、なんで僕の嫁の指輪持ってるの? まさかとは思うけど、落ちてたのを拾ってくれたの?」

「……そこで、盗んだの? とか、奪ったの? とか聞かずに、落ちてたの拾ったの、って聞く所が絶滅したかと思われながらもか細く生き残ってるアンタの可愛いらしさだと思うわ」

 レトニは、なにを言われているのかよく分からない、という顔つきで、あどけなく首を傾げてみせた。ぱしぱしと瞬きをした目が、いくぶん、機嫌の良い輝きでリトリアを見つめ直す。

「僕が可愛いのなんて、当たり前のことだよね? それに、君、ひとのもの盗ったりしないだろうし、だったら落ちてるのを拾ったとしか思えないもん。常識的に考えなよ」

「常識を凌駕してる存在に! 常識的に考えろとか言われる! 理不尽!」

「ねえ、そんなに騒いで、あのこ起きたりしないの? 僕は別にいいんだけどさ」

 爪先で軽く床を叩く仕草でふわりと空に浮かびあがり、少年は床にしゃがみ込んで拳を打ちつけるリトリアを、上から覗きこむようにして問いかけた。少女はいじいじと床に座りこんだまま、感情が高ぶって生理的に浮かんで来る涙をそのままに、じっとりとレトニを睨みあげる。

「……それで、用件なんだけど」

「あ、心配しなくてもいいよ。僕は寛大だから、落ちてるものは拾ったひとの物だと思うし、その無断使用は咎めないよ? 落とした嫁に折檻はするけど」

「ウィッシュさん、落としたりしていませんから! 彼女にあげたものを、私が使っただけな……なに、その、顔」

 うふふ、うふふふふ、なんの折檻しようかなぁ、と花を撒き散らしてうきうきと考えていた少年の表情が、あげた、と聞いて訝しんだものになる。あげた。その言葉が未知であるかのように口の中で何度か転がし、それをぽい、と何処へと捨てて。レトニは再び、あどけなく首を傾げた。

「あげた? あげたって……か、貸してあげた? ってこと? だよね?」

「なにをそんなに直視したくないのかと思うけど」

 呆れて溜息をつきながら、リトリアが言う。

「分かりやすく言うと、譲渡。譲り渡す。そういう意味の、あげた、です」

「うわあああああんっ! 僕が知らない所で嫁が浮気してるの知っちゃった気分っていうか僕が浮気させられてた気分っていうかどうしよう意味が分からないんだけど! な、なんで? なんでーっ? ちょっとねえ僕のなにに不満があるっていうのこんなに美人で綺麗かつ可愛い旦那さんとか世界中どこを探しても僕しかいないと思うんだけどそれなのになんで僕の召喚具をひとにあげたりとかしてるの僕に会いたくないのそうなのっ? もしかしてこないだのアレをまだ怒ってるのっ? 違うんだよしばらく会いに行けなくて連絡もできなかったのには色々と事情があってっ」

 わめくレトニをうんざりとした目で見つめたあと、リトリアはきょろりと室内を見回した。しばし考えた後、本棚に歩み寄り、少女の手が辞書を引っ張り出してくる。そこからの動きに、ためらいというのはなかった。遠慮も存在しなかった。

 ごく当たり前の動作であるかのごとく、本の角でごすっ、と仲介者の頭を殴って強制的に黙らせた魔術師は、溜息をつきながら辞書で肩を叩く。肩が凝っているらしい。

「うん。あのね? 用件なんですけど」

「……僕、君のそういうしつこいとこ、別に嫌いじゃない。でも僕の顔を狙うのはホントどうかと思う」

「わめくから。顔を攻撃するのが、一番はやく冷静になるじゃないですか?」

 それで話を聞く気になってきましたか、と辞書を振って殴る仕草を繰り返しつつ問うリトリアと、レトニはじりじりと距離を開けた。

「聞いてやらなくいもないけど……君、あの暴力系魔術師に似てきたんじゃない?」

「ラティ先輩の悪口はそこまでですよ。いいじゃないですか、素敵だと思いません? 私、先輩の考え方、好きなんです。魔力を使いたくないなら、攻撃力をあげて物理で殴れば良いじゃない、っていう。……それで? 話を聞いてくれる気に? そろそろ私の手首が辞書を投げたがる頃なのですが。顔を狙って」

「……話を聞いてあげる、僕の心の広さにめいっぱい感謝しながら、言えばいいと思うよ」

 だから辞書は本棚に戻しなよ、さもないと帰る、と幾分本気の声で言われて、リトリアは残念そうにぶ厚い武器を元あった場所へと戻してやった。ついでとばかりに本棚の整頓を始めながら、リトリアは訥々と語りだした。

 途切れながらの言葉は思考をまとめ切れていない証拠だったが、そのわりに、聞いているだけの妖精にも、分かりやすい説明であるように思えた。

 言葉はまず指輪がなぜ譲渡されたからの説明からはじまり、ソキとウィッシュが血の繋がらない兄妹であることを教え、つまりは過保護な兄が命綱代わりにお守りを渡したのだと結論付けられる。

 言葉は、たくさんの場所へ無節操に飛び回りながら、ゆっくりとした旅路のように『用件』に向かって進んで行く。魔術師のこと。最近、魔術師が起こした事件のこと。それによって起きたいくつかの問題のこと。

 リトリアが知っていたのは、砂漠の国で言葉魔術師が事件を起こし、幽閉されたということと、眠りにつかされまだ生きているということだけで、その仔細は知らないままだったのだ。知らされないままだった。

 それはリトリアが剣と盾を持たぬ予知魔術師であるからという理由ではなく、どの国の、どの王宮魔術師に対しても同じだったのだ。それはなぜか、各国の王宮魔術師に情報を共有されず、砂漠の国の中だけで処理された。

 詳しく知らされないことに、不満を持つことも、疑問を抱くことも、魔術師たちには許されず。そういうものだと思え、という命令が染み渡り、魔術師たちはそれを受け入れていたのだった。

 それなのにリトリアの問いに対して、時効だと言わんばかり、素直に情報は明かされた。恐らくは全てではなく、あたりさわりのないことだけを選んで教えられたのだろうけれど。

 それでも、あっけなく渡されたその情報を、リトリアは言葉にして告げて行く。ソキとロゼア、という名の少年が巻き込まれた、魔術師が起こした事件のこと。ソキは七日間、誘拐されていた。

 ロゼアはソキがいなくなって数日後、同じ事件に巻き込まれた。二人は共に衰弱した状態で発見され、保護され、そして言葉魔術師は捕らえられた。過ちを犯した魔術師は、通常であれば許されずに殺されるのに。

 その言葉魔術師だけは、なぜか、幽閉されたこと。この夏の報奨金代わりに、砂漠の王宮魔術師のひとりが、その殺害許可を国王に求めていること、恐らくは受理されないだろうこと。

 すこし前に学園を出て来てこの国の王宮魔術師になったのだとリトリアが告げれば、仲介者の少年はひどく不愉快そうに目を細め、殺すのと守るのはどうしたの、と少女に問いかけた。

 リトリアは苦笑いをして知っているでしょうと笑い、私には必要ありませんよ、と囁けば、少年は溜息と共に君は馬鹿だよ、と呟いた。その剣と盾を持たない君は飼殺される籠の鳥、そんなことは分かっていただろうに。

 そして君は、そういうの嫌いじゃなかったっけ、と問われ、リトリアは肩を竦めて笑みを深めるばかりだった。自由ですよ、とリトリアは言う。

 私が思っていたより、あなたが思っているより、私はずっと自由で、そして自由なままなんです。ふぅん、と気に入らないように仲介者は呟き、それきり、そのことについて言葉を発しはしなかった。

 リトリアはきれいな歌を奏でるように告げて行く。青く晴れた空を、海の色をまっさらに広げて行く真昼になる前の、まだ目覚めたばかりのぼやけた霧をまとう、くすんだ紫と黒と、黄と赤とくれないと、透明な金と銀の入り混じる、一瞬で、それでいて永遠のような、朝焼けの間際の世界の光景。

 空、そら。そら、というものを、はじめて、感じることができたのは学園を出てから。息をすることにそっと怯えて眠るような、ゆりかごの世界より、厳しくても、冷たくても、私は、この空の下がいい。

 鳥籠でも、牢獄でも、その隙間から、世界を見上げることができるのなら、それで。中間区にも空はあるけど、世界はあるけど、朝焼けは来るけれど、それでも、でも、なぜか。その空を、私は、自由だと思ったの。私の自由だと。だから、剣と盾のない今の状態が一番いい。

 けれどもこのこには必要でしょう。剣も、盾も。空も、自由も。世界そのものも。なにひとつ知らない、このこには。なにひとつ持たないこのこには。子守唄のように優しく寄り添う声に、仲介者の瞳も穏やかにソキを見つめた。

「つまり、これが、君が僕を呼んだ理由?」

「……暗示がかけられているの、分かります? それを解いて欲しいんです」

「暗示?」

 小馬鹿にするようにそう言いながら、少年が眠るソキのすぐ傍に腰を下ろす。

「僕ならこれは、呪いって呼ぶけどね」

「悪質ですからね……解けますか?」

「誰に言ってるか考えてからもう一回聞きなよ。できるけど……この呪い、暗示? どっちでもいいけど、かけた奴は相当性格悪いね。心底性格歪んでると思うよ。僕、なにがあってもお近づきにはなりたくない」

 恐怖がトリガーになってる、と仲介者は言った。あまりにあっさりとした言葉だったので、思わずリトリアが問い返す。

「恐怖? ……暗示の、ですか?」

「そう、暗示の。発動するトリガーが、条件付けでもなんでもない、感情そのものにかけられてる。ちょっとした天才だね、これやった性悪。だから、この暗示……なんて言ったらいいかな。リトリア、君、これがどういう性質のものか分かってる?」

 魔力そのものに、と言いかけて、リトリアは眉を寄せて考えた。リトリアが感じ取れた情報は、あまりに少ない。

 暗示が掛かっていることを確信したのは、ソキの体内に妙な働きをする少女以外の魔力の存在を探知したからだし、それが悪いように作用しているのは、暴走しかかったのをこの目で見ているからだった。

 その時に、妙な魔力がソキの力をさらに混乱させ、かき混ぜているようにも感じた。恐怖、という言葉を当てはめて考えるのなら、それはソキの表情だろう。ソキはなにかを異常なまでに怖がっていた。何度も、繰り返し求められた存在がある。

「……ロゼアくん。彼女の、ソキちゃんの……幼馴染、みたいなひとを媒介に、されてる? 媒介そのものではないと思うけど、なんだろう、恐怖の……ソキちゃんの、たぶん、一番怖いものの中に、ロゼアくんがいる、のかな?」

「恐らく、一度……精神を砕かれて、覗かれたんだろうね。かわいそうに」

 いつの間にか、眠るソキを覗くように身を屈めていた少年の手が、閉ざされた瞼の上を撫でていた。てのひらがゆっくりと動き、頭を撫で、頬に触れて、なまぬるい体温に指先を握る。

 一度力を込めた拳が、ゆるゆると解かれて、細い糸を摘んだかのように、指先が擦られた。心を縛る魔力そのものに触れながら、浮かび上がる言葉を少年は口にする。

「このこにとっての、一番怖いこと。一番我慢できないこと。一番、耐えられないことが、たぶん……その、幼馴染を、奪われること。それに付随する、恐怖。喪失、憎悪、それから、悲しみ。……奪われることだけが、怖いんだね、君は。自分が、彼から離れることならば耐えられる。離れる行くことも、別れることも、会えなくなることも……受け入れてる。離さなければいけないことも、分かっていて、それは耐えられる。耐えようと思っている。ただ……彼から、離れられること、と。奪われることは怖いんだね。……約束? なにか約束してるから、大丈夫なのかな。ああ、でも……なんて悪質。かわいそうに」

「……美人さん?」

「一定条件を満たせば作用する暗示ならよかったんだろうけど、ある程度以上の恐怖を覚える、あるいは恐怖という感情と一緒にその幼馴染の君を考えると、感情が膨れあがる仕組みだよ、これ。つまりね、気が狂う程の恐怖で魔力は暴走させられるってことで……悪いことに、恐怖そのものの記憶というのは、消えるものじゃないんだよね。分かる? ……そうさせてしまう仕組みは、消えるよ。もう消した。あの呪いがトリガーになることは、二度とない……けど」

 怖いと思った記憶は残るよ、と言って、仲介者の指先がソキの額をそぅっと撫でた。何度か、慈しむようになぞって、離れて行く。

「そのことが、どんなにか怖かったか。それを、このこは忘れられない」

「……呪いじゃないですか、そんなの」

「言っただろ?」

 苦笑して、仲介者は立ち上がる。踏み出した足が、その存在を『向こう側の世界』へと戻して行く。輪郭が、ばらりと、音を立てて崩れ。

「呪いだよ」

 最後にそう、言葉が残った。




 ソキの旅日記 二十八日目

 夜です。目が覚めちゃいました。

 でも夜です。

 ……しょうがないので、寝ます。

 明日は出発したいですよ。

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