27日目

 ソキは、真夜中に熱を出した。添い寝していたリトリアがすぐに気が付き、同僚の白魔術師と医者をすぐに呼びだしたが、対処をしたのは後者だけだった。砂漠の国で白魔術師の最高位、魔法使いフィオーレによる回復を受けたばかりの体である。

 これ以上の魔術回復は逆に毒になりかねず、また、それだけの回復を受けながらも崩れてしまう体調であるならば、薬と睡眠でじっくり癒す他はないとのことだった。リトリアも納得したのだが、しかし、意識も戻らず苦しげに眠り続ける後輩を見守るのは、苦しいのだろう。

 朝の早くから動きだし、氷水で冷やしたタオルでソキの顔を拭っては、溜息をついている。守りの盾も必殺の剣も持たない予知魔術師として王宮に引き取られたリトリアの仕事は、普通の王宮魔術師とは異なっている。

 主に国王や、同僚の雑用をこなしているのだというリトリアは、重要な立場ではないからこそ臨時の休日にしてもらって、ソキの傍に張り付いていた。そわそわと落ち着かない様子で寝台の傍に椅子を寄せて座り込みながら、リトリアはさらに馬車で移動させたのが駄目だったのかしら、と呟く。

 だいたい、首都までの移動で吐いて動けなくなる程に疲労していたのは、もう迎えに行った時に一目で分かることだったのに。気持ちがせいて、満足な休憩も与えずに連れてきてしまったから、としょんぼりするリトリアの額を、妖精は容赦なく蹴った。

『落ち込まないでよ、うっとおしいったら!』

「……妖精ちゃんが優しくなった、と思ったのは私が昨日の夜に見た夢だったのかも知れません」

 額を手で撫でながら恨めしく言うリトリアに、妖精は腕組みをした姿でふん、と鼻を鳴らした。

『コイツ、すぐ体調崩すし、すぐ寝込むの。別に、アンタのせいってわけじゃないわ。きっかけくらいには、なったかも知れないけど』

「……もしかして、慰めてくれています?」

『なに。アタシがアンタを慰めたりしたらいけない?』

 不愉快そうに睨んでくる妖精にくすりと肩を震わせて笑い、リトリアはいいえ、と囁いた。

「ありがとうございます、妖精ちゃん。……それにしても、こんなに起きないと心配になりますね」

 だってご飯も食べていないんですよ、というリトリアは心配しつつも朝食は食べに席を外したし、昼食も食べて、今しがた戻ってきたばかりだった。オヤツは持ってきました、と言ってリトリアがおいた編み籠の中には、ほどよく焼き色のついたパウンドケーキが三切れ入っている。

 アンタ昔からくいしんぼだったものね、とあきれ果てながら、妖精もやや心配そうにソキを見つめた。

『この間も、その前も、倒れた時は一日中寝てたのよ……』

「お腹が空いて、切ない気持ちで起きたりとかしないんでしょうか」

『コイツ、そもそもあんまり量は多く食べないのよね。街でなにか食べる時も、一人前を少なめに作ってくださいってお願いして、それも一生懸命なんとか食べてる感じがするし』

 胃がちいさいのだろう。その代わりにすぐ消化はしてしまうのか、多いと日に五回くらい食べるが、普通の食事回数に朝と昼過ぎのおやつも計算に含めて考えれば、別におかしいと思う頻度ではなかった。

 それなのにリトリアはすごく悲しそうな顔をして、ソキを見つめる。

「はやく、いっぱい食べられるようになるといいですね」

『……病気とかで食べないのとは違うと思うんだけど』

「でも、この子、砂漠の……ええと、なんていうか、ちょっと待って……」

 輸出品、商品、花嫁。それらの呼び方は色々あるが、どれも口に出して言うには悪口めいている。あくまで当事者ではない者たちが俗称として口に出すものだからだ。

 訝しげに見てくる妖精に言葉に悩みながら、リトリアはええと、と視線を彷徨わせた。

「う……運動とか、しない生活でしたでしょうし、同い年の他の子と比べても、多く食べないのは仕方がないと思うんですね。でも、学園だと動き回るようになるから、体もまだ成長するでしょうし、量が増えるんじゃないですか?」

『もしかしてコイツ、あんまり食べないからいつまで経っても体力つかないのかしら……』

 移動してだいたい三日目になると体調崩すし、一回持ちこたえてもその次でやっぱり倒れるのよね、と溜息をつく案内妖精に、リトリアは眉を寄せて首を傾げた。体力がつかない、というより。

「そもそも、体力がつくつかないじゃなくて、疲労が回復しきってないんだと思うんですね。フィオーレの魔法レベルの回復魔術があったから、砂漠からここまでなんとか持ったみたいですけど……。なんて言えばいいんでしょうか。熱を出して意識が回復しないくらい、消耗した状態から、一日で回復してくるのはソキちゃんの魔力がさせるわざだと思って間違いがないと思います。ただ、その回復は、体力増強の補助にはならないでしょう? もうちょっとゆっくりしたペースで運動なり、体力つけようとするなりすれば、別問題なんでしょうけれど。現状の移動速度がそもそも、ソキちゃんの体には健康を損なうレベルでの負荷なんです。負荷をかけ続けて、それに耐えきれなくなるまで頑張って、倒れて、回復して、また負荷がかかっての繰り返し。無理ですよ」

『……リトリア』

「はい」

 浅い呼吸を繰り返すソキの額に浮かんだ汗を、冷たい布で拭ってやりながら、リトリアは柔和な微笑みを浮かべた。相変わらず少女の意識は浮上しない。その気配もない。

 それでも、汗を拭われるとほっと体の力がわずかに緩むのが、たまらなく愛おしかった。もうすこししたら、水分をとらせなければいけないだろう。つらつらと考えながら、リトリアは言葉を続けない案内妖精に、聞いていますよ、と視線を向けた。

 どうしました、と問うより早く、かたく強張った案内妖精の声が、問う。

『コイツを楽音の国から、学園に直接送り届けるべきだって、私が主張したら』

「現在の状況だと、受理するのは非常に難しいですね。本人に先に進む意思があり、移動目安となる日数を考えれば夏至の日まではまだ余裕があり、能力は安定状態にある。……あくまで、最終手段なんですよ、妖精ちゃん。あなただって分かっている筈でしょう? もし、もっと日数が差し迫っていたりするなら、話は別です。行きたくないと本人が主張していたり、抵抗するようであれば、ということで用意されている最終手段なんです。それに……倒れても、ソキちゃんはすぐに回復します。長期的な治療が必要な状態で、なおかつ、日数が差し迫っていれば、楽音の王宮魔術師はそれを受理したでしょう。旅の中断と、直接の移動を」

 けれども一番重要とされるのは、本人の向かう意思ですよ、と歌うようにリトリアは囁いた。

「私たち魔術師として学園に呼ばれた者が、本当の意味で、本人の意思で自由に行動できるのは、この旅で最後なんですから。なるべくなら強制したくはないじゃないですか。……学園に集められた魔術師たちは、魔術師ではない一般の人という存在に対して、敵意と悪意を徹底的に封じ込められますからね。牙は抜かれるし、爪は折られるし、ある程度は性格の矯正もされる。ほんものの……なんていうんでしょうね、下種とか、悪人は魔術師にはいませんよ。そういうシステムで、その為の卒業資格です。たまぁにうまーく隠して外に出てくるのもいますが、だいたいは卒業資格なしとして学園に封じられるか……不幸な事故にあいますよね」

 抜け出てきても、刑罰係から逃げられるわけもないですし、と溜息がつかれる。

「たぶん、ソキちゃんには最初の自由で……本当に、最後の自由だから、好きにさせてあげたいじゃないですか。まあ、私はいまでも自由ですけれど。考え方ひとつなんですよ。だって私は別に、ひととしての尊厳を奪われて生活している訳ではありませんから。というか、生活自体は結構な高水準なんですよね。衣食住に困らないし、オヤツまで出るし、夜食だって貰えるんですから! 仕事もあるし、思考に制限はなく、発言も盗聴されてたり記録されているわけでもない。定められた規則、ルールが、厳しいだけのこと」

 たったそれだけのことなんですよ、とリトリアは笑い、けれど、と繋げて言った。それがたまらなく苦痛なひとも、我慢ができないひとも存在するのは確かです。

「で、そういうひとが事件を起こして、魔術師に対しての世論が悪化するんですよ……!」

『……最近、なにかあった?』

「ソキちゃんの反応が心配だったので、早朝に砂漠の国にお問い合わせしてきました。なにか、過去に魔術師関わる事件、事故に巻き込まれていないかを! ばっちり! 事件の! 被害者でした! その……えーっと、ロゼアくんも含めて!」

 言ってよそういう大事なことはっ、と叫んだリトリアは、水桶に叩きつけるように布を突っ込んだ。勢いのある言葉は、けれどそれ以上続けられることがない。震える、なんらかの意志を押し殺すように、リトリアは唇に力を込めていた。

 祈るように、一度、強く目が閉じられる。吐息に乗せて囁かれた名は、妖精にはあまり覚えのないものだった。なに、と問う妖精に、リトリアは無言で首をふる。夢を閉ざすようなつめたい眼差しで瞬きを繰り返し、リトリアは眠るソキを見た。言葉は、なく。

 見つめるリトリアを訝しみながら、妖精は砂漠の国で聞いたその事件を思い起こした。でも、と首を傾げる。

『その事件は解決したし、暗示も……解かれた、と聞いたけれど?』

「その時にかけられていたものは、きちんと解除された、というだけでしょうね……時限式の呪いですよ、言うなれば。なにが仕掛けられているのかは分からない。でも、なにかは確実にあるんでしょう。私の予想が正しければ……ロゼアくんに関して」

 予知魔術師の嫌な予感というものは、占星術師の未来視に相当してしまうことがありますからね。これは確実なことでしょう。嬉しくない事実ですけれど、と吐き捨て、リトリアはでもまあ、と気を取り直した風に呟いた。眠るソキに指先を伸ばし、胸元にそっと触れる。

「誰がなにをした、までの特定ができました。手が打てます」

『……どんな?』

「ソキちゃんは、良縁に恵まれていますね」

 妖精の問いに直接は答えず、リトリアはやんわりと微笑んで、少女の首筋に手を移動させる。首にかかっていた細い鎖を引き抜き、二つの銀の指輪をあらわにさせた。

「これ、なーんだ」

『……ものすごい魔力の籠った、よくわからない魔術具』

「これ、契約者専用の召喚器ですよ。『向こう側』の世界の、『仲介者』を召喚する為の。見た感じ、使い捨てみたいですけど。……ウィッシュさん、こんなものを二つもあげるだなんて、どういうことなんでしょうか」

 思い悩むリトリアに、妖精は彼とソキが血の繋がりのない兄妹であると告げた。そこで、白雪の黒魔術師の前歴を思い出したのだろう。ああ、と納得した顔をして、リトリアはほっと胸を撫で下ろした。

「そういうことならよかった……。ともあれ、これがあればソキちゃんの呪い……暗示かな? それは、解けますよ。恐らく、どの魔術師でも相当に難しいでしょうが、彼らなら可能でしょう」

 体調が回復したらさっそくやりましょうね、と言って、リトリアは眠るソキの様子を伺った。朝と比べて、ほんのすこし顔色が良くなったような気がするが、表情がよくない。すごく、悲しいことを、苦しいことを思い出している、切ない表情だった。

 思わず両腕を伸ばしてそっと抱き、リトリアはよしよし、と言ってソキの背を撫でてやる。夢を見ているのだろう。リトリアの服を、ソキの手が掴み、唇がなにごとかを告げる。声はなかった。けれども、手が震えていた。怖い、と訴えて、助けを求めているように見えた。




 覚えている。

 まだ覚えている。

 忘れたいのに、忘れることができない。


 腕が上手く動かせない。

 皮の手枷で繋がれている。

 立つことができない。


 体には傷ひとつ付けられなかった。

 けれども、心は暴かれ、えぐられた。


 血に濡れたその場所に、恐怖の種が植えられる。


 薄暗い部屋の、窓から、まっすぐに差し込んでくる、光の眩さを覚えている。


 囁かれた、呪いのような言葉を。

 覚えている。


 七日間の、あれは悪夢だった。

 七日目の夜に、焼けおちるまでの。


 怖い、こわい、夢だった。




 ソキの旅日記 二十七日目

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