26日目

 夕闇に包まれはじめる楽音の首都、その都市の入り口に、次々と乗合馬車が到着していく。そのひとつ、砂漠寄りの都市から到着したばかりの馬車に、一人の少女が歩み寄って行った。足取りは迷わず、視線はひとつの所を見つめている。

 人々でごった返す降車場であるにも関わらず、少女の足は止まることがなかった。一定の足取りで靴音が響き、少女に場を譲るように、人が避けて行く。恐れるようであり、敬うようであった。ふわ、と吹き抜ける風が、少女のまとうローブをはためかせる。

 魔術師の証となるローブには、王宮魔術師の印が確かに刻まれていた。夜の中であっても淡く燐光を発するように見えるのは、特殊な糸でその証が縫い付けられているからだろう。

 ざわざわと噂する人々に目もくれず、少女は乗合馬車のひとつに足をかけ、ぐっと身を乗り出して中を覗き込んだ。御者が困ったように見て声をかけてこようとするのを、手をあげる仕草で黙らせる。

 あっと驚きに目を見開く案内妖精にふわりと微笑んでやってから、少女は息も絶え絶えに蹲り、立ち上がることさえ出来なくなっている幼い少女に声をかけた。

「こんばんは。ソキちゃん」

 息を飲む音が響き、ゆっくりと幼い少女の視線が持ち上げられる。泣きぬれたような碧の瞳は、前評判通り確かに美しいものだった。確かにこれは、砂漠の国が輸出する『人形』であり、『花嫁』になる者だったのだ。

 奇妙な感動すら覚えながら、少女は警戒も露わに黙りこむ少女に、けれども柔らかな笑みでもって告げた。

「こんばんは、はじめまして……私は、リトリア。楽音の国の王宮魔術師をしています。……あなたが今日ここに来ると知って、迎えに来たの。立てる? 立てないのなら、手を貸します。王宮まではすこし距離があるし、歩くとなると時間がかかるから、辻馬車を拾って行くことになるけど……大丈夫? すこし、休んでからの方が動けるのかな……」

「な……で、です、か」

 掠れた声でようやっと告げ、ソキは口に手を押し当てて何度も咳き込んだ。道行きのどこかで、吐きもしたのだろう。独特のにおいがつんと鼻を掠め、御者が迷惑そうな顔をする。

 軽く溜息をつきながら用意しておいた小銭を御者に投げ渡し、リトリアはこれで文句がないでしょう、とばかり睨みつけて黙らせる。げほげほとひどく咳き込むソキに手を伸ばし、リトリアは瞳を覗きこむようにしながら、告げた。

「あなたに会いたかったの、私。……とても、とても、会ってみたかったの。話がしたかった。どうしても」

「……なんで、ですか」

 絞り出される声にお水を飲みなさいな、と囁いて、リトリアはソキの脇に手を差し入れ、よいしょ、と声をかけて馬車から抱き下ろした。すえた匂いのする汚れた服に手を伸ばすことも、触れることも、ためらわない仕草だった。

 だめなんですよ汚れちゃうです、あとソキを抱っこしていいのはロゼアちゃんだけなんですよやぁんやぁんっ、と半泣きでぐずられながらちたぱたちたぱた抵抗される。

 本人としては全力で一生懸命な、淡い抵抗に苦笑してすぐ下ろしてやりながら、リトリアは場に現れた時から変わらぬ、優しい微笑みで囁いた。

「一緒だから」

 訝しげに眉を寄せるソキに笑みを深め、リトリアはあなたと私、と歌うように告げた。

「一生会えないと思ってたの。でも、会えた。だから私は、あなたに会いに来た……私は予知魔術師。あなたと同じ。今のところ、この世界にたった一人の、同じ魔術師」

 幸せそうに囁き、リトリアはしゃがみ込んでしまい動けない、ソキを覗き込むようにして笑みを深めた。夕闇の中、不思議に、リトリアの姿は浮かび上がるようにしてそこにある。

 長く伸ばされた髪も、喜びにきらめく瞳も、どちらも紫の花の色をしていた。あまい蜜のような雫に艶めく。五月の陽に透ける風に揺れる。満開に咲く、藤の花のようだった。




 リトリアがソキを連れて帰ったのは、白雪の国で黒魔術師の青年が少女を泊めたのと、だいたい同じような大きさの部屋だった。もしかすれば王宮魔術師に与えられる部屋というのは、各国で共通した規格があるのかも知れない。

 身の置き所に困った様子でもぞもぞと椅子の上で身じろぎをするソキは、お風呂に入れられたせいでほかほかしている。ごめんなさいちょっと済ませなければいけない用事があるの、その間にお風呂でも入ればいいわ、とリトリアが同僚の女性にソキを引き渡したせいだった

 馬車移動で体力が底をついていたのに、さらに王城まで馬車を使われたソキは、恐らく半分意識を失っていた。気がついた時には風呂上がりの状態で髪を拭われ、服を着せかえさせられていたので、眠っていた可能性も高いだろう。

 王宮の侍女たちは意識を失った少女の取り扱いにも慣れているのか、あら気がつかれましたか、と言ってソキに薄荷水といくつかの菓子を与え、リトリアの部屋へ連れて行ってくれた。

 リトリアの告げた用事は、ほんの僅かな時間で終わるものだったのだろう。

 出迎えたリトリアは待ち焦がれた笑みでソキを出迎えた。手を引き、椅子に座らせて、それからなにも言わずに笑顔で眺めている。

 ソキはひどい人見知りはしないが、饒舌なたちではない。もぞもぞとしながら、助けを求める視線を妖精に向ける。妖精は腕組みをしながら仕方がなさそうに降りてきて、ソキの膝の上でリトリアに呆れた表情を向けた。

『なにか話してあげなさいよ、リトリア。……アンタ、王宮魔術師になってたのね』

「お久しぶりです、妖精ちゃん。八年ぶりです。……はい、今年の誕生日に。卒業させて頂きました」

 八年という年月を口にしたのに、少女はソキよりも随分年上には見えなかった。驚くソキに、リトリアはにこにこと笑いながら私ね、と告げる。

「七歳で入学したの。それで、成人になる十五で学園を出てきたのよ。勉強は終わっていたけれど、十五にならないと卒業は許されないことだから」

「……そんなに、はやく、入学するひとも……いるですか」

「最年少は六歳って聞いたことがあるから、記録を塗り替えることができなくて、すこし残念でした。でも、年齢が一桁で入学するのは、ほんのひと握りみたい。私は、たまたま、本当に偶然、ちょっと早かっただけで……成人したばっかりとか、それくらいの年齢で来るひとが多かったと思います。歴史をひもといても。ただ、二十を過ぎてっていうひとは、ちょっと珍しいんですが……その年齢までには、だいたい、入学許可証が届くしくみになっているとのことですし。私は……たまたま七歳になったばかりだった、だけなんです」

 で、その時私を迎えに来たのがこの妖精ちゃんなの、と指差されて、ソキは思わずぎょっとして膝の上に立つちいさな存在を見つめてしまった。確かに先日、何回も入学予定者を案内していると聞いた覚えがあるが、それにしても。

「……リボンちゃん、予知魔術師の担当なんです?」

『やめて恐ろしいこと言わないで! 違うわよ! 単なる偶然以上のなにものでも……なにものでもないですよねっ! そうですよね陛下ーっ!』

 星降の国へ続く方角を見つめながら絶叫する妖精に、リトリアはそっと視線を床に外して、微笑みながら沈黙している。やがて、アンタたちが勝手に予知魔術師だっただけでしょうがっ、と切れた妖精の発言に肩を震わせながら視線をあげ、リトリアはそうですね、と囁いてから頷いた。

「私たちがどんな魔術師であるか、ということは、学園に行くまでは誰にも分からない筈です。調べないと、いけないものだもの。……理論上」

『いいから、リトリア! アンタ、なんでコイツを連れて来たのよ! 説明もしないでにやにや見つめてばっかりで!』

「ふふ、つい。嬉しかったんだもの。一人きりだと思っていて、巡り合えるだなんて、思っていなかったんだもの……。ソキちゃん。ソキちゃん、と呼んでもいい? 私のことは、リトリア、と呼んでくれますか? フィオーレが……砂漠の、白魔法使いが、教えてくれたの。今、こちらにあなたが向かっていること。会えてよかった。本当に、嬉しい」

 両手をぎゅっと握ってくるリトリアは、不思議そうにするソキにうっとりと微笑んでいる。

「会いたかったの。本当に、本当にそれだけなの。今日を逃せば、私たちはきっともう会えないと思うから、どうしても」

「……会えない、ですか?」

「そう。……ソキちゃんは、予知魔術師に課せられる、暗黙の了解の話は聞いた?」

 伝えられたと聞いているけれど、と確認するリトリアに、ソキはこくりと頷いた。己を守る者と、己を殺す者。その二人を得て認められない限り、予知魔術師に自由はない。この世界のどんなものからも。守り、殺してくれると。信じられる相手を。得ない限り。

 よかった、とリトリアは弾んだ声で微笑んだ。説明が省けることに、安心しているような響きだった。

「私、そのどちらもいないの。だから、楽音の国から離れることができない。……今日お迎えに行ったのは、陛下に外出の許可を頂いたのよ。どうしても、とお願いして。さっきは、そのお礼を言いに行っていたの。本当は、城からも出てはいけないから。ひとりで出歩くことも難しいんだけど、あんまり何人もでお迎えに行くとソキちゃんが緊張しちゃうかな、と思って……離れた所にいてもらったの。気がつかなかったでしょう?」

 ソキは、こくりと頷いた。馬車の降車場にあらわれたリトリアは、まったく一人で来ていたように見えたからだ。ソキは今でこそひどいひとみしりをしないが、あの体調で見知らぬ者に取り囲まれれば、警戒してうまく話をすることができなかっただろう。

 ありがとうございますですよ、とリトリアの気づかいに感謝するソキを、予知魔術師の少女は優しい目で見つめた。二つ年下なだけの後輩を、守りたがる眼差しだった。リトリアさん、と思わずソキは呼んでいた。どうして、守るひとも、ころしてくれる、ひとも。いないですか。

 誰かにだめっていわれちゃったんですか、と問うソキに、リトリアはゆるく首を左右にふった。すこしだけ、痛みを堪えるように眉を寄せ、胸元に指先を押し当てて。リトリアは、静かに、それを告げた。

「……私は、自分の意思で選ばなかったの」

「ど、して、ですか」

 だって、と。リトリアのふるえる唇が言葉を奏でかけ、きゅぅと結ばれる。なんらかの感情に揺れる瞳はここにはいない、誰かの姿を求めるよう、床の上をゆらゆらと彷徨っていた。

「きらわれちゃった……から、かな。私が、いいこじゃ、なかったから……でも、ソキちゃんはきっと、大丈夫。ちゃんと、運命に巡り合えます。私とソキちゃんは同じ予知魔術師ですが、あなたとわたしは……ちがう、もの。だから大丈夫」

 告げる言葉は不思議な響きを帯びていた。それこそが、予知であるかのような声だった。私はこの楽音の王宮から出ることはできないし、これからもそのままだから『学園』にも行くことは難しい。うたい囁くように、リトリアは告げて行く。

「ソキちゃんがこの都市を通過していく時だけが、会える、唯一の機会だと思ったの……。だから陛下も、外出の許可をくださったのだと思う。予知魔術師が一人以上存在する、ということは大戦争が終わって以来、なかったことだから……私も、会えるとは思っていませんでした。嬉しい。魔術師の適性が一緒でも、私はあなたの教員にはなれないから、先生として呼ばれることもなかっただろうし……」

「……先生、です?」

「そう。学園に入学するとね、主に魔力の制御なんかを目的とした実技授業があって、それは個別授業として行われます。もちろん、そうなると、ひとりひとりに担当教員がつく訳なんですが、それは普通は同じ魔術の適性を持つ魔術師が担当してくれます。黒魔術師なら、黒魔術師。白魔術師なら、白魔術師。召喚術師も同じ。時空魔術師だけは、複合型で滅多にいないから……空間魔術師か、時間魔術師のどちらかが担当になるのが普通です。時空魔術師がいても、いろんな事情があって、教員に選ばれないこともありますし……。単に手が空いているとか、属性が導きやすいとか、適性が一緒だけではない基準があるそうなのですが、そのあたりは私にはちょっと分からなくて……必ず同じ適性の誰か、ということだけは確実なことなんですが、でも、予知魔術師だけは……誰でもいいんです。どの属性、どの適性の魔術師でも、いいの」

 正しく導けると判断されたら、誰でも。魔術師であるなら、導けると王たちに認められたのなら、誰でもいいのだとリトリアは言った。

「魔術的に暴走するのは、予知魔術師に関してはありえないことです。詠唱を完全な形で告げなければ発動しませんし、発動も百パーセントの決まった状態でしか行われません。予知魔術ではない、通常の魔術発動であれば。だから、どんな魔術師でも、どんな属性でも、別に関係ないの。ただ、同じ予知魔術師だけは、どうしても教師として相手をすることができません」

「どうして、ですか? ……あぶないです?」

「ううん。危ないっていうか、なんて言えばいいのかな……予知魔術っていうのは、魔術的に言うと、組合せの結果なんです。いろんな魔術を組みあわせて、望む結果を出す、予知魔術師しかできない……魔法」

 予知魔術、ちゃんと使ったことありますか、と問われて、ソキは眉を寄せて考え、首を横に振った。もしかしたら無自覚になにかしてしまったことがあるかも分からないが、自覚的に使ったことはない筈だった。

 そう、と頷き、リトリアはそのうち分かると思うけど、とソキの右手にある指輪を、興味深そうに見つめながら言った。

「全部、ありとあらゆる魔術をちゃんと発動させて、そのクセ……クセっていうか、クセとしか言いようがない感覚的なものなのですけれど……体からどういう風に、魔力が出て行くのかを覚えるんです。感覚で、魔力の色とか形とか、濃度とか、どんな風に形を変えて使われるか、全部全部、覚えるの。どんな魔術も、詠唱さえあれば私たちには発動できます。中には、使うと死ぬ可能性があるくらい、魔力消費と反射がひどいものもありますけど……とにかく、全部、全部ぜんぶ使って、覚えて、そうすると予知魔術のしくみが、自分の体で分かるようになるの」

 全然違う系統の魔術が、幾重にも同時発動するのが分かるのだ、とリトリアは言った。使う魔術量を百だとする。そのうち二十が火の魔術、十五が水の魔術、三十が風の魔術で、残りが光の魔術。

 詠唱を行えば常に百パーセントの発動しかしないあらゆる魔術を、だからこそ正確な物差しとして覚えれば、その判別が可能になる。自分の言葉の結果として、なにが引き起こされたのか。

 なにを使って、なにが起きるのか。それが分かるようになる、とリトリアは告げる。もの静かな。どこかさびしげな微笑み。

「分かれば、別にそこまで怖いものでもないんです。私たちの、予知魔術、というものは。……暴走すると、ちょっと厄介ですけど」

「暴走、すると……どうなるですか?」

「発言と思考が、全部無差別に予知になって、とにかく全部発動してしまう、というか……上手く、説明しきれることではないんです。でも、とにかく混乱させてしまうっていうか、改変してしまう、というか……辛い、かな。私は、すごく、辛かったです。考えてること。感情。感覚のぜんぶが、なにかしらの魔術発動に変わっていく。それが自分で分かるのに、自分の意志ひとつ、どうすることもできない。……ぜんぶ、ぜんぶ、暴かれて行く。隠しごとひとつできなくて、心が、ぜんぶ、こぼれていく……」

 ここが、とリトリアは己の胸に手を押し当てた。

「心が暴かれる。隠していたこと、忘れていたかったこと、言わないと決めていたこと。全部、ぜんぶ、ぶちまけられる。それが私には……一番、辛い。辛かった。それなのに、魔力が枯渇してもうどうしようもなくなって、意識を失うまで止まらない。……暴走した予知魔術師は、災厄と呪いの塊になる。……たすけて、なんて、誰にも言えない。ごめんなさい、許して、怒らないでって、ずっと、私は思っていました……幸い、私は二回くらいしか暴走したことないけど、でもあなたは、私よりもしにくいんじゃないかな」

 きょとんとするソキがなにかを言う前に、リトリアは指輪、と言った。

「その指輪、すごく強い封印がかけられています。それがある限り、よっぽどのことが無ければ予知魔術が制御を失うことはないと思うわ」

「よっぽどのことって、どんなですか?」

「えっ……う、うーん。……なにか、すごくショックなこと?」

 首を傾げて、考えながらリトリアは眉を寄せる。

「すっごく大事なひとが大怪我するのを目の前で見ちゃったとか、すっごく好きな人が誰かとキスしてるの見ちゃったとか、なんかそういう、精神的にちょっと折れる時。立ち直れなくなるくらい、心が痛い時。……妖精ちゃん、なんですか? その顔」

『アンタの、その二回の暴走の理由が分かった気がして?』

 苦笑いをして肩を震わせ、リトリアはソキを見た。少女の視線はひたすら、己の指に輝くリングに向けられている。その横顔を眺めながら、リトリアはそっと囁いた。

「首都に、ソキちゃんの探しているひとはいないわ」

 恐ろしいほどの勢いで、ソキの視線がリトリアに向けられる。瞳には渇望と、期待と、恐怖があった。言葉が出ない様子のソキに、リトリアはそっと首を横に振る。

「ソキちゃんが探しているのが誰なのか、私には分かりません。どうして探しているのかも、私は知らない。ただ……フィオーレに、頼まれたの。彼女が探している人物が、首都に居るかどうかを調べて欲しいって。……居なかったら、もう先を目指して行くように言って欲しいって。それだけ。あとは、私は知らないの……」

「……じゃあ!」

 悲鳴のような声だった。

「じゃあ、ロゼアちゃんは、どこにいるですかっ?」

 それはもしかしたら、悲鳴だったのかも知れない。

「いいこにしたじゃないですか! ソキ、ちゃんと言う通りにしたじゃないですか……っ!」

「……ソキちゃん?」

 椅子の上で身を固くして叫ぶソキは、リトリアの呼びかけに答えない。妖精がぎょっとした風に呼びかけるのも無視して、ソキは血を吐くような声で叫んだ。

「なにもしないって言ったですよ……! ソキがちゃんとしていれば、ロゼアちゃんに、なにもしないって……それなのに、どうしていないですかっ! どうして、いなくなっちゃった、ですかっ……!」

 ぶわ、とソキから魔力が溢れだすのを感じて、リトリアが力任せに少女を抱き寄せる。迷ったのは、一秒だけだった。

「眠って!」

 命令の形の予知が叩きつけられ、ソキの体からくたりと力が抜け落ちた。はぁ、と息を吐いて床にソキもろとも座りこみながら、リトリアは危なかった、とやや青ざめた声で言う。

「暴走するかと思いました……私、なにかいけないこと、言いましたか……?」

『……コイツ、ロゼアっていうヤツをずっと探してるのよ』

 ごく簡単な言葉を選んでロゼアについてを説明した妖精に、リトリアはふんふんと頷き、眉を寄せながら首を傾げた。よいしょ、と声をかけてソキを抱き上げ、寝台に横たわらせながら大事な人だって言うのは分かりましたけど、と訝しむ。

「……言う通りに、した……?」

『……コイツの兄の?』

「違う、気が、します。そういうお身内の言いつけとかじゃなくて、これはもっと、強い……魔術的な拘束だと、思う……んだけど……。えっと……ええと、これ、学園で調べてもらわないといけない気がします」

 一瞬だったのでうまく探ることもできなかったんですが、と言葉を切って、リトリアは心配そうに眠るソキを見下ろした。

「体の中に、ソキちゃんのじゃない魔力があります。……檻、みたいな。鎖かな? ……なにかに、縛られてる」

『……それ』

「暗示か、呪いに近いなにかです。……たぶん、そのロゼアくんに関するなにかの」

 よくないものであるのは確かだと思います、と言って、リトリアはソキの胸に触れて、そっと目を閉じた。その奥に眠るなにかを、探そうとする仕草だった。しばらく唇を噛んで集中して、けれども、やがて溜息がもれて行く。

「わからない……。私、呪いは得意じゃないもの……」

『……アンタが得意なのってなによ』

「え? えっと、それは、その、えっと……えっと、えっと。お料理……とか……?」

 それは魔術と関係ないだろうが、と白い目をする妖精からそっと視線を外し、リトリアはもじもじと指先を擦り合せた。えっと、と何度か呟いたのち、気を取り直した顔つきでこくり、と頷きがひとつ。

「どこかにはいる、とは思うんですけれど」

『なんの話よ』

「ソキちゃんの探し人さん。死んではいませんし、意図的に行方をくらませた……という感覚も受けなかったもので。いまは首都にはいない、だけだと思うんですよね……すこし前に立ち寄って、もう立ち去った感じ、というか……たぶん、そのうち会えると思うんですよね。ソキちゃん。だから、焦ったり悲しんだりしなくてもいい気がするん、ですけど、なんでそう思うのかしら……?」

 そんなことをアタシに聞くんじゃないと呆れる妖精に、リトリアはそうですよね、と呟き、溜息をついた。リトリア本人も、首都に限定して放った捜索の魔術で導かれた結果を読み説いただけなので、うまく理解できないらしい。

 リトリアは不安げな表情のまま眠りに落ちたソキをじっと見つめ、ゆるく息を吐きだしながら呟いた。ソキちゃんの。

「なにが縛られてるのかさえ分かれば、なんとかしてあげられなくもないんですけれど……。なにが、そんなに、怖いのかしら……それとも、怖く思わされてる……? うーん……」

『リトリア』

「はい。なんですか? 妖精ちゃん」

 思い悩むリトリアに、妖精は頭の痛そうな声で呼びかけた。すぐに向けられる笑顔を呆れ顔で見つめ返しながら、妖精はアンタも寝なさいよ、という。リトリアは軽く驚いた顔をした後、くすくすと笑って頷いた。

「妖精ちゃん。優しくなりましたね」

『……そうかしら』

「私の時よりは、だいぶ」

 楽しげに笑いながら、リトリアは部屋の明かりを消す。おやすみなさい、と言われる前に、妖精はふわりと空を飛び、眠るソキの顔の近くにそっと寄り添った。リトリアの笑い声が、空気を震わせている。失礼なヤツね、と思いながら、妖精は目を閉じた。




 ソキの旅日記 二十六日目

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