4日目

 角砂糖をかじりながら、妖精はひややかな眼差しでソキに言い放った。

『いいから、一番動きやすそうなのにしなさい。動きやすそうなの』

 それなりの大きさがあるベッドの上いっぱいに広げて並べられた服を、途方にくれた眼差しで見比べながらも、ソキはなんとか、こくりと頷いた。

 様々な民族衣装、普段着、あるいは訪問着などは、もちろん身一つで出てきたソキのものではない。行き倒れたソキを保護してくれた、城門警備兵とその関係者の皆さまの御好意である。

 つまりは殆どが古着である筈なのだが、どう見ても新品にしか見えないものが混じっているのは、昨日と本日の警備当番に女性が多いことが関係しているに違いない。

 昨日一日を体力の回復に努めた、というか、あまりに回復しなさすぎて部屋とその周辺をよろよろびたんっ、ふらふらびたんっ、としていたソキは、彼女たちの保護欲や可愛いものを愛でたい気持ちなどを刺激しまくってくれたらしい。

 その結果が貢物のような、服だの靴だのの山である。ここまでソキが着てきた服は土汚れでぐちゃぐちゃで、枝に引っ掛けて切れたりもしていてもう着られるものではなかったので、とてもありがたくはあるのだが。

 妖精は角砂糖をもぐもぐと食べながら、深く息を吐きだした。

『もう立てるの?』

「ソキ、昨日だって、立てました、です」

 もぞもぞと服を脱ぎながら不満げに告げられた言葉に、普段の三倍はすっ転んでいたくせになにを言うのか、と言おうとして。妖精は思わず、下着姿で洋服と格闘しているソキを凝視した。

 細く、たよりない形に整えられた少女の体は、柔らかな肉に包まれていた。筋肉が殆どついていない体だ。どちらかといえばほっそりとしている体だから、ふわふわとした、強く掴めば壊れてしまいそうな危うさがある。

 白く瑞々しい肌は、恐ろしいほどきめ細やかだった。服を着れば隠れてしまうだけで、胸元も豊かである。

 ふんわりとした柔らかな曲線で形作られた体は、意図して整えられた印象が強かった。悪意を持って断じるならば、性的な欲望を持つ者には極上のものだろう。

 年齢の幼さがかろうじてそれを隠し、守っているだけで、好むものにはぞっとするほど魅力的だ。妖精からの視線の意味を、正しく理解したのだろう。

 ひどく無感動に頷いたソキは、妖精の言う通りに動きやすそうな服を選んで袖を通すと、ぶかぶかのマントを一枚拾い上げて、全身を覆いかくすようにそれをはおってしまった。

「ソキ、結婚しなきゃいけなかったですから。頑張って育てさせられたですよ。お姉さまも、みんな、そうです」

『……アンタ、姉、いるの?』

「お兄さまも、お姉さまもいます。ソキとお母さまが一緒なのは、レロクおにいちゃんのひとりだけです。あとはみんな、お母さまちがうんですよ。ソキはお屋敷の、御当主さま、と血が繋がってますが、そうじゃない『花嫁』と、『花婿』も、たくさんいるです。……リボンちゃんは、『砂漠の花嫁』とか、『砂漠の花婿』って言って、なんのことだか分かるですか? ソキは、『砂漠の花嫁』です。砂漠の為に、嫁ぐ、為に、育てられたです」

 ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、ソキは淡々とした声で告げていった。

「砂漠のオアシスは狭いです。食糧も、水も、分け合うものです。奪いあってはいけないです。……でも、砂漠にある分だけでは、足りないです。足りない分は、他国から買ってくるしかありません。買うにはお金がいります。砂漠では宝石がとれます。それは魔術師たちに高値で売れます。杖や、武器に加工できます。研究にも、魔術の触媒にも使います。なくてはならないものです。だから高く売れます。でも、全員の水と、食べ物を準備するには、それでは足りないです。……み、ぶんが、上の……者は……」

 語る、顔色は、ひどく悪かった。視線はどこかを見つめていた。

「義務が、あります。砂漠全体を、飢えさせない義務です。渇きを覚えさせない義務です。家と、親と、食糧と、水に困らない場所に生まれた砂漠の人間は……養う、義務があります。幼くは、世話役を雇い、その者と家を養います。成長したら、他国に売り込みます。合法的にです」

『……結婚?』

「はい。ソキは、もうしなくていいですよ!」

 嬉しくて、幸せで、たまらないのだろう。マントの端を離した指先は、もう震えていなかった。だぶだぶの、大きすぎる、動きを阻害するであろうことが分かり切ったマントを、置いて行けとは言えなかった。

 ソキは広げた服をゆっくり、丁寧に折りたたみながら、今度は視線を動かして靴を選んでいる。こちらは、もう目星をつけておいたのだろう。履かれ慣れた風の、しっかりとした革靴が選ばれた。

 足を通して、ソキは立ち上がる。

「街に行きましょう、リボンちゃん。お買いものですよ!」

『……やり方分かったの?』

「ロゼアちゃんがやってたみたいにすればいいですよ」

 誰だそれは、と言いかけて、妖精はまあいいか、と窓枠から空へ浮かび上がる。廊下へ出るソキの頭の上に腰かけて、妖精はいいこと、と偉そうに主張した。

『角砂糖、忘れないでよ? 今まで、我慢してやってたんだから』

「はい。リボンちゃん、ありがとうございましたです。一番に買いに行きましょうね」

 案内妖精には、一日、ひと粒の角砂糖。これが原則である。妖精が今まで言いださなかったのは、ソキの出発の状況からそれを求めるのが不可能であるとみて、ものすごく我慢してやっていたからに他ならない。

 都市についたのだし、今日からはもう、遠慮するつもりなどなかった。この角砂糖も、警備の女性にソキがお願いしてもらったものだ。ゆっくり、ゆっくり廊下を歩いて行きながら、ソキはあれ、と首を傾げて呟いた。

「そういえば、お金、どうしましょう……」

『……首都に、アンタの血縁とかいないの?』

 借りに行きなさいよ、という妖精に、ソキはふぅわりと笑った。

「ソキにはよくわからないです」

『そ、そう……なら、仕方がないわね……?』

「でも、お金については心当たりがあります。銀行に行くですよ」

 本当にどうもありがとうございました、と名残を惜しむ女性たちに深々とお辞儀をして、ソキは市街へ歩きだした。




 銀行でどうするつもりなのか、ということを妖精が理解したのは、堅牢な石の建物に黄色い悲鳴が上がってからのことだった。建物の奥に佇んでいた女性が、ローブをはためかせながらソキたちめがけて駆け寄ってくる。

 女性は、一般的に『魔術師のローブ』と認識されている一枚をはおっていた。胸元には卒業者であることを示す特殊な紋章を、左袖には国家に属する魔術師であることを示す国旗が刺繍されている。銀行勤めの王宮魔術師だった。

 女性は、ソキの前で立ち止まると、またきゃぁ、と声をあげた。

「こ、こここ後輩だーっ! きゃああぁかわいい! かわいい! ちょうかわいい! ねっ、あ、あの、痛くないから、怖くないから、ちょっとお姉さんにぎゅって抱き締めさせて……? 十秒、いや、十五秒で離してあげるから!」

『変態だーっ!』

「ちょっと、失礼ね! 私は別によこしまな気持ちとかじゃなくて! 後輩後輩可愛いうへへへって思ってるだけよ!」

 羽根の先にまで力を込めて言い切った妖精に不満げに口を尖らせ、女性はわきわきと手を動かしながら、ソキに対して首を傾げた。

「わー、かんわいー。ね、お名前は? ご用事なにかな? 道に迷ったりしたのかな? 抱きしめても良い?」

「……ソキ、お金、おろしに、きたです」

「あれ? 良いとこの娘さん?」

 ゆるく笑みを深めたソキは、こくり、と頷くことで返答にした。ふぅん、へー、そっかー、としきりに頷いた女性は、じゃあこっちにおいでー、とソキの手を引いて建物の奥へと連れて行く。

 そのおかげで一度も転ばずに移動できたソキは、空間の一角にあるついたてによって区切られた場所で椅子に腰かける。わくわくした様子でソキを見ながらも、女性は職務に忠実に、一冊の本を取り出して、開く。

「さて、白雪の国、首都中央銀行へようこそ! 王宮魔術師のエノーラちゃんでっす! ここでは、お金を預けたり引き出したりできるのね。ソキちゃん、わざわざここ来たってことは分かってる?」

「はい。ソキの、本人証明をお願いしますです」

「お願いされました! まーかせてっ」

 じゃあこれ書いてね、と女性が差し出した一枚の紙に、ソキはさらさらと文字を記入していく。出身国からはじまり、名前や趣味、食べ物の嗜好など二十項目に渡るそれを書き終わり、ソキはそれを女性に手渡した。

 女性は必要以上の熱心さで記入がきちんと行われているか確認し、読みやすくてきれいな文字書くねえ、と明るく弾んだ声で頷いた。

「それでは確認します」

 ぱしん、と手に持った杖で紙を叩き、女性の声が告げる。

「正しさのみであれ、偽りは燃え落ちよ。正しくあれば祝福を、偽りあれば赤き炎で塵と化せ。火よ、青き火よ、偽りなければ踊りたまえ」

 ごう、と音を立てて紙を燃やしたのは青い火だった。満足げに一度頷き、女性は杖を腰に巻いたベルトに無造作に突っ込み、固定する。

「真偽の炎判定により、ご本人さまであると確認が取れました。いくら出す?」

「……いくらくらい必要ですか、リボンちゃん」

『アタシに聞かないでくれない?』

 困り切った様子のソキに、女性はにこにこ笑いながら身を乗り出して来た。

「旅支度? ねえねえ、旅支度するの?」

「……はい」

『ねえ、嫌だったら近寄るな変態って言っていいと思うわよ?』

 びくつくソキを助けるでもなく呆れかえった声でいう妖精に、女性は私変態じゃないですぅー、と言った。

「後輩だー、後輩可愛いうえへへへっ……やっべ声に出ちゃった。だ、だだだ大丈夫よ! 許可なくよこしまなことはしないわ! 十五歳以下にはねっ!」

『変・態・だーっ!』

「ソキ、十三歳ですよ」

 大急ぎで口にしたソキに、女性はだよねぇ、と残念そうに息を吐きだした。

「……うん、まあ、いいわ! えーっと、いくら引きだすかでしょ? 角砂糖と、自分の嗜好品を買うくらいでいいと思うわ。で、買ったら王城に行きなさい」

「……王城、ですか?」

「そう、こっから歩いてだと……三十分くらいかな? 行って、門番に入学許可証見せれば、この時期はみんな分かってるし、王宮魔術師のトコに連れてってもらえるから、そこで装備の相談とかすればいいわよ。お古でよければ貰えるし。……ちょっとした裏技だから、案内妖精は教えてくれない手なんだけど。旅の前に先輩にお話を聞いてみようかな? とか、かんわいい心がけの後輩がいたら全力で可愛がりますよねえへへへへっ、みたいな! ……そんなに怯えた顔しなくても、私みたいな性格と趣味嗜好の魔術師ばっかりじゃないわよ?」

 なにより、それが恐怖だったのだろう。苦笑して言い添えた女性の言葉に、ソキはぎこちなく頷いた。

「じゃあ、行って、みるです……」

『……嫌だったら、嫌って言うのは大事なことよ?』

 大丈夫です、とソキは呟き、髪につけた赤いリボンを手でぎゅっと握りしめた。




 ことのあらましを聞き終わった王宮魔術師の青年は、頭を抱えてその場にしゃがみこみ、そのまましばらく動かなかった。やがて、すん、と鼻をすする音がした後、そろそろと視線が持ちあがる。

「なんていうか……その、ごめんな。あとで殴っとくから」

「……いえ、お気になさらず、です」

「やー、アイツの趣味とかもあるけど、ほら、俺たち、星降の国に行くには一番遠い国に所属してるからさー? あんまり、後輩が挨拶に来てくれたりもしないんだよね? だからすごい嬉しかったと思うんだよね。この時期に妖精連れ歩いてるコなんて、旅途中の後輩しかいないから、見てすぐ分かっただろうし……」

 それにしてもごめんな、と苦笑する青年は、白いまっすぐな長い髪を、ゆるく三つ編みにして肩から胸へ垂らしていた。ソキに優しい眼差しを向ける瞳は透き通った赤で、なんとなく、うさぎのようなひとだと妖精は思う。

 つまり、これは妖精から見ても無害である。これなら大丈夫か、とソキを放り出して自由に室内を散策する妖精に苦笑し、青年はさて、と椅子に腰かけた。

「角砂糖だけ買ってきたの?」

「はい。リボンちゃんにあげるですよ」

「そっか、あとは……えーっと、リボンちゃん?」

 ちょっと、と青年に手招かれてしまったので、妖精はものすごく嫌そうな顔をしつつ、目の高さまで降りてやった。

『なによ』

「うん? 質問。このこの属性と魔術師としての適性は?」

 青年に、妖精はたぶんだけど、とことわった上でそれを口にした。

『コイツ、風属性の予知魔術師よ』

「……力が発現したのは? あと制御の度合い」

『入学許可証を持って行って初めてアタシが見えたみたい。制御はまるでダメ』

 つまり今現在、対人兵器に近いわね、と言われて、青年は再び頭を抱え込んだ。ソキはじっと黙って椅子に座り、青年と、妖精の様子を眺めている。妖精はちらり、とソキを見た。少女の碧の瞳には、なんの感情も浮かんでいない。

 自分のことに、まるで興味がないような。価値を見出してすらいないような、他人事の瞳。ソキは、朝方、己の兄姉のことからはじまった義務を語る囁きの中でも、ずっとこういう瞳をしていた。

「……今日、ここへ泊まっていきな。色々教えてあげる」

 妖精が、ソキにかける言葉を迷っているうちに、青年は少女の前にしゃがみこみながら言った。顔を、下からそっと覗きこんで、ゆっくりと、慈しむように言葉をかけていく。

「魔術のこと、魔術師のこと、属性のこと、予知っていう能力のこと。知ってから、行きな。案内妖精はなにも言わなかったかも知れないけど、君の能力は、学園まででの道行きですら、知らないでいては危ないものだよ。……歴史、勉強したろう? 俺のいうこと、ちょっとは分かるよね?」

 ソキは、しばらく返事をしなかった。言葉を探して迷っているようでもあり、聞きたくないと意識が拒否しているようでもあった。やがて、くちびるが息を吸い込む。

「泊まらなきゃ、いけない、ですか」

「うん。長くなる。色々試さないと行けないし、今からでも終わるのは夜になるから」

「……まちに」

 宿をとるから、いいです、と。たどたどしく拒否しようとしたソキに、青年は大丈夫だよ、と囁いた。少女の心にこびりついた不安を、正しく理解している声だった。

「俺も、砂漠の……『花婿』だったから、大丈夫。わかるよ。……俺は、まあ、ちょっと間に合わなくて、何年か『花婿』さん、してたけど」

 君は間に合ったね、と告げられて、ソキの顔がぱっとあげられる。そこではじめて、まじまじと、ソキは青年の顔を見た。白く、きれいな肌をした、整った顔立ちの青年だった。柘榴のような、色の瞳をしていた。その色が、遠く、記憶を刺激する。

 ソキの、言葉もなく震えた唇に、細い指先が押し当てられる。くしゃりと歪んだ瞳に涙が浮かび、零れ落ちる前に青年に拭われた。

「ね、だから、大丈夫。……俺も大変だったよ。まず歩くのが大変だった。足、痛いよな。靴も慣れないし、こすれるし、土とか石とか痛いし、すべるし、筋肉痛で動けなくなるし。……俺たち、あんま自力で歩けるように育てられないもんなぁ。馬とかラクダとか乗れないし。アレだろ? 馬車もあんま得意じゃないよな、俺たち。体力ないし、気持ち悪くなるし。……大丈夫、だいじょうぶ。わかるよ。俺もそうだった。だから、俺はほんとうに、君になにもしないよ。……色々教えてあげる。俺の専門は黒魔術だけど、学園卒業の魔術師として、教えてあげられることはたくさんある」

 だから、今日はここに泊まって行きなさい、と囁かれ、ソキは無言で頷いた。高ぶった感情に掠れた声が、甘えた響きで青年のことを呼ぶ。おにいちゃん。うん、と頷いて、青年はソキの背を撫でた。




「……お前は間に合ってよかったよ、ソキ」




 ソキの旅日記 四日目

 今日は王宮魔術師の、おにいさまの、ところに、泊まることになったです。

 属性の判定と、魔術師の適性を調べてもらったです。

 ソキは風属性の、予知魔術師ですよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る