1−3
列車から降りた後、4人は明日からのことをまとめるため近くの居酒屋に入った。
と言っても水田と鳥越の2人はさすが慣れたもので、そのグラスが2回か3回ほど空いたぐらいで話はまとまってしまう。
場所、時間、採掘層の様子、人員、道具、目的。
いろいろなことを話したが、ツカサは組合のように諸々をきちんと決めて大人数で掘るということの経験がないのでこの頭は何が覚えなければいけないのか、そうではないかをうまく判断できない。
水田ははそんなツカサを見かねて、時間と場所さえ間違えなければ、あとはいつもの持ち物で問題ないと上機嫌に笑っていた。
雑談に花を咲かせるわけでもなく、ツカサが初めて入った居酒屋に感動を覚えるのもつかの間、外が未だ夕暮れと呼ばれる照明が落ちない頃に4人は解散することになった。
明日の仕事の準備もあるし、何よりツカサはこれから引越しをしなければならない。
他の店では同じく仕事を終えた鉱夫や鉱員、砕女の笑い声が漏れ伝い、屋台から湯気や煙がもうもうと立ち上る中を4人で昇降ケージへ向かう。
巨大な立坑の真ん中に柱のように立つイシクラの外周は、基本的に何かの店になっていて、それは飲食店だったり、鉄工所であったり、工具店であったり業種は様々だ。
この200番(駅)地区は各ターミナルや他の集落につながるプラットホームになっているので、最低限の柱だけを残して大きくくり抜かれた空洞になっているが、その柱の周りにも店を構える猛者がいる。
駅ということで人の流れが非常に多い。
そして人の流れが多いところは、商売どころ。
少しでも空いた空間に店が雑多に並び、看板が重なりすぎていて一見どこの看板がどの店のものだかがわからない。
空間を少しでも有効活用しようと、自分たちで外壁に鉄の床を溶接し、階段まで作って出店しているのだから見上げたものだ。
落ちたら最下層まで真っ逆さまな柵にすら寄っかかって、大勢の酔っ払いが仕事の疲れを酒で流している様は、よその集落の者からしたらちょっとした祭りでも開かれているのかと疑うことだろう。
先ほどまでいた<200番横丁>の奥には<茶化(ちゃんか)通り>という看板がツカサの目に入ったのだが、水田はそのことを詳しくツカサに教えなかった。
もちろん気になるのでそれがどういったものかをツカサが尋ねようとしたが、ミスミがひどく嫌そうな顔をしたので真相は謎のまま。
「じゃ、多分2時間くらいしたら部屋に着くと思うから、寝ないでね」
「わーかってるわよ。誘った当日からそんなひどいことしーまーせーん」
どうやらミスミは酒が弱いようで、その顔はほんのりと赤くなっている。足取りはしっかとしているので一人で帰すことは問題なさそうだが、ツカサがその家を訪ねるまでに起きているかは運次第かもしれない。
自分の引越しにさほど時間がかからないとわかっているツカサだったが、できるだけ早くに終わらせてしまおうと帰り路を急ぐ。
ケージに乗って先ほどまでの華やかな場所を去り、我が家へ向かう途中には別の地区のお店が見える。
今まではそこから漏れる匂いに、大変な空腹を覚えて歯噛みをしていたが、今日自分はあの世界に混ざったという満足感がある。
それいつもの暗い帰り道を大層明るくした。
ミスミにおごってもらった焼き鳥はタレが香ばしく皮もぱりぱりしていてとても美味しかったし、オレンジジュースもツカサの記憶の限りでは初めて瓶1本飲んだ。
大天井に備えられた照明の光が届かず、年中暗いこの420番地区に点々と付けられた足元灯もどこか幻想的に見えるほど。
どうやら僕は相当に安い人間らしい、などとにやける顔を隠そうともせずに長屋へ帰ってきたと同時に、隣室の扉が開いて、中から髭面の男が顔を覗かせる。
「……おー。坊主、なんだご機嫌だなぁ」
「柴崎さん。お疲れさまです」
柴崎は昔、採掘途中に事故にあって足が自由に動かせなくなってしまったとツカサは聞いている。
自分の自由に動かせない体では組合も雇ってはくれないのだろう。
以降彼は一人で坑に入り、細々と採掘をしているとのことだった。
しかしこのようなところに住んでいるのだ。
その成果は予想できるというものだろう。
「ふん、ふん。煙の匂いがするな。もしかして居酒屋デビューか?お?」
見知らぬ人は、大方この髭面とその眼光で臆するのだが、その実話してみるととても気さくでお人よしな人物だ。
ツカサがこの長屋に住み始める前からここに住んでいて、母親共々よく世話になった。
その母親は7歳の頃に体調を崩して亡くなったが、泣きわめくツカサの代わりに母親の遺体を供養したのもまた、柴崎。
まだ幼く、まともに稼げなかった時分には、柴崎自身の少ない稼ぎで買った食料を分け与えてくれたり、道具の手入れを教えてくれたりもした。
傷を抱えたその体は、水田までとは言わないが老いさらばえて動くのも億劫そうである。
時折傷が痛むのか、夜遅くに唸り声が聞こえる時もあったので、ささやかな恩返しとばかりに痛みを和らげる鉱物薬を渡したり、血行を良くするためにマッサージなどをしてお互いに助け合って生きてきた。
しかし、それも今日まで。
「うん、そう。明日から組合に入ることになって、その話し合いに……」
長年無気力に開けている、といった瞼をしているものは、その目つきや眼の濁り具合からわかるものだ。
その目が、久々に活力を得たと言わんばかりにきらめく。
「おお、おお!そうか!坊主、組合に入れたんか!」
とても嬉しそうに。
まるで自分の息子がいい組合に入れたときのような喜びようで。
「で、どこの組合なんだ?支倉か?如月会か?」
その2つの組合は、世間に疎いツカサでも知っているほど有名な組合だった。
数百人の鉱夫が所属していて、採掘を行う規模も大きい。
そこに所属していると役所から特別手当があるなんて噂も聞こえてくるほど、役所との関係も密接だという話は鉱夫なら大体の者が知っているだろう。
「いや、マルサカ研究班ってところなんだけど……」
壁は薄く、自分の部屋に入っていても会話はできてしまうので、引越しの作業を進めながら柴崎との会話を続けることにした。
あまり遅くなるとミスミが寝てしまうという妙な焦燥感もある。
「んーマルサカ、マルサカ……知らねぇな。新しくできたところか。ま、住めば都っていうしなぁ、どこでもしっかりやりゃまともに稼げるさ。んで、坊主はゴソゴソ何やってんだ?」
「そこに誘ってくれた人が、一緒に住もうって言ってくれて。で、突然なんだけど今日、引っ越すことになって」
少し間が空いた。
そうか、とまるで何かを懺悔するかのように落ち着いたその声は、ツカサには悲しんでいるのか安堵しているのか、区別がつかない。
「……ごめんなさい。今までお世話になったのに、こんな急にいなくなっちゃって」
「いや、そうじゃねぇんだ。めでてぇ、めでてぇよ本当に。そのお大臣様はどの地区に?」
「270番地区、って聞いてるけど」
そうか、そうか、と一言ずつかみしめるように柴崎は一人つぶやく。
ツカサの引越し作業は、その荷物の少なさからすでに終わっている。
写真、母親の形見である指輪、砥石、予備の工具、毛布と木で自作した歯ブラシ。
あとは肌身離さず持ち歩いている工具と、少ない貯金、身分証明書。
これがツカサの全財産だった。
「それじゃあ、いい暮らしができそうだな。本当に、良かった」
たった一つの麻袋にまとめたそれを担いで家を出ると、柴崎も出てきてその不自由な体で危うげにバランスをとってそれを見送ろうとする。
「ちょ、柴崎さん、危ないから、見送りとかいいって!」
「ははっ、これでも週3日は坑に入ってんだ、立ち上がることくらい訳ねぇさ」
壁に寄りかかりながら、その髭面を締めてツカサに向き直る。
「ツカサぁ」
「は、はいっ」
おそらく初めてであろう、彼の口から出た自分の名前に、ツカサは思わず姿勢を正した。
伸びっぱなしの髪の毛に隠れた、あの濁っていた目は今やしかと焦点を定め、ツカサの目を見つめている。
「体、きぃつけんだぞ。メシも食えるときにゃちゃんと食え。あと、お前はどうせ手子だろう。給料ででかい水筒を買え。現場の奴らに振舞ってやるんだ。あと、世話になる家じゃちゃんと礼儀正しくするんだぞ。頭(かしら)の言うことは、何があっても聞くんだ。それと、現場の奴らはみんな家族だからな。絶対ぇそれは忘れるな。えーと、あとそれから……」
まるで父親が子を独り立ちさせるかのようなその別れの挨拶は、ひどく不器用なものであった。
しかし、ツカサは人生の半分近く、ほとんど毎日会話を交わしていた相手と、もう気軽に会えなくなるということが、寂しかった。
ただ、寂しかった。
「柴崎さんこそ、体に気をつけてね。もし動けなくなったりして、ご飯たべれなくなったりしたらすぐに呼んで。これ住所だから。絶対に遠慮とかしないで」
と言って走り書きしたその紙を、やんわりと柴崎は断る。
「ははっ。チビっ子坊主が生意気ぬかしやがる」
「……恩返しくらい、させてよ」
「ガキはガキらしくしてりゃあいいんだよ。ガキが笑えるように努めるのが、大人の仕事だ」
彼はその手に持っていた工具を差すベルトをツカサに手渡す。
「就職祝いだ。持ってけ」
それはよく使い込まれているが、同時に手入れもよくされていてどこにもほつれなどは見当たらない。
よくなめされた皮で作られていて、ところどころ革細工も仕込まれている。
工具を差す輪だけでなく、左右には小物を入れるような袋もあり、そこにも細工が入れられて鋲まで打ち込まれていた。
ツカサのような子供が持つものではなく、一端の鉱夫が使用するもの。
「こんな高そうなの、もらえないって!」
「うっせぇ。こういう時は何も言わずにもらっとくもんだ、坊主。じゃあな、もうこんなとこ戻ってくんじゃねーぞぉ」
有無を言わさず自分の部屋に戻る柴崎に、ツカサはそれ以上引き止めることはできない。
しつこく追うのも、やぶさかというもの。
ありがとうございます小さく呟き頭を下げて、その場所から遠ざかる。
そしてそのままツカサは振り向かずに、7年間の寝床となり、わずかな母親との生活の思い出のつまった420番地区を去った。
柴崎にその声は聞こえていたが、それには返事をすることもなく、腐りかけた床に座り一人つぶやく。
あぐらをかき背中を丸め、何かに祈るように頭を下げたその姿で。
「頭、ミズキさん。あんたらの子供が今、独り立ちしましたよ。生意気にも俺に恩返しするだの、飯の世話するだのほざきやがりました。あんたらに似て、優しい子だ。どうか、あいつを見守ってやってください。俺にできるのは、ここまでだ」
遠ざかる足音に、その声は聞こえることはないだろう。
彼が大層世話になった恩人の忘れ形見は、今彼の手を離れてこの薄汚れた地区を出て行った。
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