1章:彼誰時
1−1
終業の鐘が第1坑道ターミナルに響き渡った。
少年は半球状に大きく堀広げられたターミナルの個別換金所で本日拾った鉱石を売り、帰宅するための列車が出る駅へと向かう。
この列車は朝と夕方のみにしか運行していないので、乗り遅れたら事だ。
出発まではあと30分くらいあるだろう事を確認して、駅舎横のフェンスにもたれながら他の鉱夫や鉱員の帰りを待つ。
第1坑道は古い坑道だが、採掘途中で捨てられた坑もあり人の出入りは決して少なくはない。
駅舎向かいの無人ラーメン屋台には、屈強な体つきの男たちが腹拵えに立ち寄る姿が見えるし、他にも続々と鉱夫や鉱員がターミナルからこちらへ向かってきている。
それに伴い屋台にも人が増えて行き、賑やかな声がさらに大きくなってきた。
列車の時間まではそう余裕があるわけでもないが、注文とほとんど同時に商品を作り上げる
席なんて早い者勝ちで、ほとんどの人たちは立ち食いの様相だ。
佇む少年の名はツカサといい、普段は一人で坑に入って取りこぼした鉱石を拾っているだけの寂しい少年だが、知り合いがいないわけではない。
「あれ、トリガラじゃねえか。お疲れさん。どうだ、今日は飯食えそうか。」
屋台で注文したラーメンを受け取りながら声をかけてくれた人に走り寄る。
鉱夫に恥じないその体つきの脇には、髪と蓄えた髭の色こそ白が多く混じって灰色になっているけれど、見た目以上にしっかりした立ち姿の老人が居た。
「パンくらいは買えるよ、おっちゃん。じいもお疲れ様。」
2人は受けとったラーメンをすすりながら人の良さそうな笑みをツカサへ向ける。
この水田を知っている鉱夫鉱員は皆水田の爺さんとか鬼じいなどと呼ばれていて割と有名であるが、なぜかどこの組合にも所属しないでこのようなところで慎ましく石を拾っていることが多いのをツカサは疑問に思っていた。
「坊主もお疲れさん。今日はな、こーんなでかい斧石が取れたんだ。」
水田が持っていたラーメンの丼を鳥越にもたせて、手のひらより少し小さいくらいの輪っかを作った。
15センチくらいだろうか。
長い年月を鉱夫として生きてきたその手指は見るからに硬そうで、何より指が太い。
この二人はツカサの師匠であり、下について色々と文字通り叩き込まれていた際は、鬼じいと呼ばれることが痛いくらいに理解できた。
普段は剽軽な爺さんであるのだが、坑道の中では人が変わる。
「えぇ!すごいじゃん!いくらくらい?2000とか?」
斧石とはここら辺じゃ珍しい、斧のように鋭い石のことだ。マグネシウムや鉄を含んでいたり、静電気を起こしたりするので割と高く買い取ってもらえるし、見た目が綺麗なので蒐集家にも売れると。
ここに住むほとんどの人は坑道で働いているのでそのような人が本当にいるのか、という疑問は払拭しきれないが。
「はっは。そんなにはならんよ。それでも聞いて驚け、800だ。」
「ええ……僕なら1週間はご飯に困らないよ」
落ちている石を拾う分には問題ないのだが、岩肌を穿って採掘する場合は役人への申請が必要である。
ツカサの所持する身分証明書ではそのような許可は下りない。
「お?だから今日は半ラーメンじゃねえのか。ほれトリガラ。一口食ってやれ。」
「いいの!?」
水田の返答を待たずに、鳥越が差し出してくれた箸にツカサがかぶりつく。
久々の脂が体を駆け巡る感覚がこそばゆい。
かつて水田は、ツカサに対しこのようなことを言ったことがある。
曰く「坑の中で
だから基本的にこの2人はいくらツカサが食べるものがなくて困っていても、哀れみで食べ物を恵んでくれることはない。
稼ぐ術は教えてやったからあとは自分でなんとかしろということなのだろう。
だけどたまにこうして食べ物をわけてくれるあたり、親のないツカサをこっそりと気遣っているのだ。
ツカサは一生この人たちに頭が上がらないだろうと考えていた。
慌てて水田が丼をひったくった時、すすり切れていなかった麺がツカサの口から垂れ下がってしまったのでそれを慌ててすすりあげる。
「ありがとう。久々にラーメン食べたよ、美味しかった!」
そうかそうかと笑う鳥越は自分のラーメンを啜るが、それを恨めしそうに水田が睨む。
「三分の一になっちまった……。あ!鳥越テメェ!メンマもつまみやがったな!」
うるさそうに苦笑いをする鳥越には何を言っても無駄だと踏んだのか不満そうに自分のラーメンをすすっていく。
列車の時刻までそう長くもないので言い争いをしているよりは早く胃袋に入れてしまった方がいいだろうし、ツカサが食べてしまったものはもう戻らない。
「まあまあ爺さん、けち臭いこと言うなって。爺さんだってトリガラが鶏になるところを見たいだろ?」
煽るようなそれはつまり、ツカサが太るところを見たいということなのだろう。
ろくに食べ物を食べていないせいでひょろひょろな体つきのそれは、鳥越のいうとおりまさしく鶏ガラのようだ。
「わしから養分取って鶏になったんなら、鍋に放り込んでうまい汁を作ってやろうじゃないか。はっは!自分でこさえた鶏はさぞかし旨いに違いない!」
半ば八つ当たり気味に笑う水田はその実さほど怒ってはいないのだろうツカサと思う。
実際八つ当たりされても食べてしまったことは事実だし甘んじて受け入れるしかないのだが。
「それでまたトリガラにされちゃうのは嫌だけどね。じいがくたばりかけたらオムツくらいは変えてあげるから安心して寝たきりになってよ」
もう水田は50と半分をとっくに過ぎて、60に指がかかってる年だ。
2年も見ず知らずの子供に対して技術や社交を叩き込んだ水田達には、それが困った時には無条件で助ける義務があるとツカサは思っている。
しかしそれを面と向かって言うのはまだツカサの精神は幼く、何より確実に拒絶されるだろうから口にすることはないだろう。
「馬鹿を言え。あと30年は掘れるぞ。それに坊主にシモの世話されるくらいならわしゃ自分から発電所に入ってやる。」
このように。
ツカサは身振りだけでラーメンを食べてしまうように促す。
「坊主がなぁ。貧乏長屋から引っ越せれば俺らが口聞いてどっかの組合に雇ってもらうんだけどよ」
いつの間にか食べ終わったラーメンの容器を屋台脇の洗浄機械に投げ入れて鳥越がぼやく。
銅製のそれは同じような扱いを何度も受けているのかあちらこちらがゆがんでいて、逆にスープが飲みやすそうな形に変わっていた。
「はっ。坊主の年じゃ試験も受けれねェししゃあねえだろ」
ツカサの住む町は1番から500番までの区画に分けられていて、基本的に420番までが居住区となっている。
数字が小さくなればなるほどこのイシクラの上階、つまり高級住宅になっていくのだが、貧乏長屋と言われているのは400番地区。
ほぼ最下層にある。
これより下は浮浪者や犯罪者などがそこいらの通路で雑魚寝している、居住区とも呼べない地区となるのだ。
大きな部屋をベニヤで細かく仕切っただけのスペースが家としてあてがわれるこの長屋は、もちろんお風呂などの気の利いたものがあるわけもなく帰る途中の配管を少し開けて、流れている生活用水を拝借して頭からかぶるだけだ。
トイレも下水管を開けて行うしかない。役人もこのような下層にまで出向くこともあまりないので、このような自由な振る舞いでも特にトラブルもなくやっていけているのだ。
もちろんそんな底辺の人間の多い地区に住むものを好んで雇う組合なんてあるはずもなく。
「そういえばさ、2人は370番台地区でしょ?なんで1坑なんかにいるの?」
麺を食べ終わって、ゆったりとスープを飲んでいる水田と水だけ飲んでいた鳥越は顔を見合わせる。
これはずっとツカサが気になっていたことだ。
そもそも水田や鳥越は色々な組合から誘いを受けているはずである。
「んーまぁ、いろいろ理由はあるんだけどよ」
「一番の目的はあれだな」
にまにまとした2人の顔がツカサの顔を覗き込み。
「持ち主のいなくなった坑道で金でも石炭でもまた出てきたら、全部俺のもんに出来るじゃねえか」
「……ああ、そう」
なんとも夢物語だが、鉱夫ならば誰もが一度は夢想することだと教わった。
まだ人が地上に住んでいた頃の大昔、日本ではない別の国では金を掘り出すためにわざわざすべてを投げ出すことが流行になったことがあると。
昔は色々と変わったことが流行になっていたらしいが、もう2000年も近く前のことだ。
古代人にも古代人なりの楽しみがあったのだろうと考えるしかない。
現に掘り当てられたらとてつもないほどの金が舞い込んできたと伝えられている。
「おいおいトリガラなんだ気のねぇ返事だなぁ。もっと夢を持たなきゃだめだぞ」
「だって新しく掘り進めないと無理な話だしね。ツカサじゃあその許可もらえないし。その辺にあるのを拾っても出がらしじゃあ夢も希望もないよ」
かー、これだから最近のガキャあと水田がわざとらしく手を当て、悲しそうな顔を作るが実際そうなのだから仕方がなかった。
ツカサが入れるような坑道では落ちているものも大したことがなく、その多くはズリと呼ばれるただの石だったり粘土だったり。
大きな儲けが出るようなものをツカサは自分の手で拾ったことはなかった。
「俺らの証明書が緑以上なら鉱員組でも組んでトリガラに小手子でもさせんだけどよ。したら俺らが掘って坊主が選別。効率も上がるだろ」
「青だしな。それによっぽどのことがなけりゃあげる気はねェからなわしらは。残念だったな坊主。はっは」
水田達はその実、鉱夫としての実力はとても高い方だ。
それがなぜ下から数えたほうが早い青の身分証明で止まっているのか、詳しいことをツカサに教えたことは一度たりとてない。
「もういい加減あげたら?いろんな人から上げろ上げろって言われてんでしょ2人とも」
何度も聞いているのだが、その度に笑ってごまかすのだ。
今日もそのようになるのかと思っていたツカサだが、ふと鳥越がツカサの背後に目を向けたまま動かなくなった。
訝しんでいるのもつかの間。後ろからお尻にヒザ蹴りを入れられた後ツカサの頭が撫でくりまわされる。
それはゴツゴツした男の手ではなく、もう少し細い、わずかに柔らかい手。
「げ……」
「おい鳥越。げっつった今。げっぷの音の聞き間違いだよね?こんな美人さんに声かけられて、げ、はないよねー、ねーツカサー」
ツカサはそのまま振り向くことも許されず今度は抱きしめられる。その後頭部に柔らかいものが当たるとなれば、ツカサの交友関係の中で想像できるのはもう一人しかいない。
「ミスミ姐。砕女の人たちはもう列車だよ」
先ほどラーメン食わせてもらった鳥越に、一応話をそらすための助け船を出しておく。
正確には水田の、ではあるのだが。
さりげなく鳥越がツカサに対し、親指を立てていた。
「つかなんでオメェがここにいんだよ。こないだ昇格試験受かったつったから3坑に行ったとばかり……」
ここイシクラで働く者たちの身分証明書には色が付いている。
色によって入れる坑道が増えたり、住居地区をもっと上層に移せたり、自分で組合を作れたり坑道を新しく掘れたりといいことづくしではあるのだが、残念なことに試験を受けなくてはならない。
年4回で、満16歳から。ツカサは13歳なので、あと3年はあの貧乏長屋で暮らさなければいけないことが決まってしまっている。
「その話は列車の中でしてあげる。いいから早くしないと、行っちゃうよ」
気づけば発車まであと5分。水田は丼を屋台脇の洗浄機械に放り投げ、目の前の改札に急ぐのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます