地に住む家とてなく〜土竜の描いた夢〜
掛布団
0章:払暁
0
アセチレン灯が坑道を、人を照らす。
男である鉱夫たちは
地下深くだというのに人間というものは全くたくましいものだ。
人よりもはるかに緩やかな時を刻み静寂で支配されていた世界は、俺たちの生み出す音で大層賑やかであった。
「おい、ここらは岩がよくハネるぞ!気ィつけろよ」
自らの手足であり家族である堀子達に怒号を飛ばす。
岩というのは確かに硬くただそこに黙して埋まっているものだが、地の圧力とは凄まじいものであって土という壁がなくなると割れてしまう。
割れた破片は弾け飛び、時には人の体に食い込み目にでも入れば一大事であろう。
その現象のことを俺たち鉱夫は「岩ハネ」と呼ぶ。
「頭ぁ!斜坑んとこの浮石が取れてねぇ!あぶねぇぞあれはぁ!」
全く、手子どもは何をやっているのやら。
圧力によって割れた岩は必ずしも弾け飛ぶものではなく、まるで古くなった皮膚のように浮き、剥がれる。
表面が少しといった程度なら問題はない。
岩の皮膚が大きくはがれ落ちようとしている時それは死をも引き起こす。
落盤、崩落というのははがれ落ちる皮膚が大きい時に起こるものだ。
なればこそ人の手によって、そこに剥がれ落ちそうな皮膚があるのならば崩して事故を防ぐ。
本来ならば木材や鉄骨で通り道にむき出しになっている岩肌を抑えてやればその圧力を化現させることができるので事故も減るが、お役人様達は随分と急いていらっしゃるようだ。
人手も必要な資材さえも補給がままならない状態で掘り進めろとおっしゃるのだから、当然切羽の最前線はハネるし浮くむき出しの岩肌のままである。
近くにいた鉱石を運んでいる
坑道は時に縦横に張りめぐらせる場合がある。
高低差のある切羽を毎回岩をよじ登り降りていては上階で採掘された岩をトロッコまで運ぶ手子の負担は計り知れない。
そこで、さほど高低差のない切羽をつなぐ道としてはしごを使う。
いたって原始的かつ簡易。
もちろんそのようなはしごでは届かないような高低差のある場所ではケージに乗って昇降するエレベータを使用する。
現代で使われる技術は古代人から受け継がれた知恵であるが、その無駄な機能をそぎ落とし非常にシンプルで機能的だ。
「お、頭じゃねぇですか。この辺は岩ハネあるんで気をつけて下さいよー」
「それはさっき下で同じこと怒鳴ったばかりだ。なんだこっちも大分浮いてやがるな」
歩くたびにぶつかり合う音が鳴るほどに腰にぶら下げた道具たちは鉱夫の証。
その中から玄翁を取り出し、手近な岩肌に浮いた皮膚を砕き落とす。
この切羽はまだ掘り始めて日も浅いゆえ狭い。
となれば掘り出す鉱石の量はさほどでもなく、手子たちの出入りも多くはないため浮石取りがおろそかになるのも仕方ない。
「ええ、つい最近ですがね。俺らとしては掘りやすくなってありがたいんですが……」
この新入りは全く、切羽を舐めているのだろうか。
剥がれやすい切羽こそ危険は増すというのに。
玄翁ではその被ったヘルメットが壊れてしまう可能性がある。
だからこそ、木槌でその頭を釘打ちよろしく叩いてやった。
「あだっ」
「ばっかやろう。浮石ナメてんじゃねぇ。死ぬぞ」
「すんません、軽率でした」
ここには俺の言うことを素直に聞いてくれるやつしかいない。
と言うより、言うことを聞かない奴は現場から外す。
自分のミスで自分が死ぬのは勝手だが、他の家族を巻き込まれてはたまったものではない。
何より、俺がしっかり説得していればなどと悔やむのも馬鹿らしい。
「時に頭、せがれさんは、いつんなったら、鉱夫になるん、ですかい?」
狭い切羽なので、ここには掘子は1人しかおらず話し相手はたまに来る手子だけ。
このむさいオヤジにまで話し相手をお求めるのだからよっぽどだ。
集中して掘ってほしいが、気持ちはわかるので自分もタガネと玄翁を出して少しだけ手伝ってやる。
狭い空間で黙々と岩を掘っていくのは、自分がだんだんと機械のように感じられてしまいなかなかに辛い。
「まだ2歳、だからな。俺の、仕事道具を、いじって、庭を掘る、のが関の、山だよ」
「はっはっは。将来有望、じゃねぇです、か。いやぁ頭に、似てさぞかし、優しい子、なんでしょうなぁ。」
「……薄気味悪ぃこと言ってんじゃねぇ。褒めても今日の
イシクラ集落には無数の組合があるが、その給与形態は様々だ。
俺の組合では日当制でやらせてもらっている。
月締めでまとまった額が入るのは非常にいいことだが、そんなものでありがたがるのは働き始めから金のある奴だけだ。
日々の生活に困窮した状態で雇い入れたものは?
日払いしてやった方が今日のメシに困らないし、逆に金銭管理をしっかりするようになる。
月末の支払いのために毎日少しずつ貯金をすることを覚えてくれるし、それによって1日の終わりに飲みすぎることも少なくなるのだ。
「滅相も無い。俺らみたいな貧乏人を雇って仕事をくれるんだ。みんな神さん呼ばわりだよ。あ、仏さんとも呼ばれてましたがね」
「俺を勝手に殺したやつを教えろ。今からぶっ叩いてくる」
日々の生活に困窮するようなやつのオツムはその技術を詰め込んだせいで他に気を回せないということがままあるのが問題ではあるが。
仏なんてのは死んだ奴に使う言葉だと文字通り叩き込んでやった方がいいだろう。
「あ、それで頭、奥さんの方は、その」
どこか言いにくそうにまごついているが、それもそうだろう。
俺のカミさんは子供を産んでからずっと、体調を崩してほとんど立ち上がれなくなってしまった。
逆を言えばずっと家にいるのでツカサを安心して任せてられるが、もう子供も好き勝手歩き回るのが楽しくて仕方のない年だ。
しかし、何もそれが悪い方向に向かうばかりではない。
「なぁに、大丈夫さ。最近じゃあうちのやんちゃ坊主があちこち動き回るせいで、それになんとか付いて回ってるよ。体調も良さそうだし、いいリハビリになってそうだ」
「そうですか、そうですか」
そう言ってまるで自分のことのように嬉しがってくれる。
俺はこういうとき、組合を立ち上げて本当に良かったと思えるのだ。
機会がなければ一生話すことなどなかったであろう、極貧の生活を送る者たちは粗暴なやつらが多い。
そのようなやつらを集めて組合を立ち上げるといったとき、師匠には随分反対されたっけな。
「つか、お前ぇもちゃっちゃとカミさん見つけろよ。うちに入って生活は安定しただろ?」
話してみると、確かに粗暴である者がほとんどだった。
しかし、こちらを認めさせさえすれば、実に気持ちのいい奴らだったのだ。
今じゃ休みの日に何人もうちに来て子供の遊び相手までしてくれるし、カミさんが遠くまで動き回れないので買い物に行ってくれたり廃材で車椅子を作ってくれたり。
逆にこっちが申し訳なくなるくらい世話を焼いてくれる。
「はははっ。金はできてもこのツラじゃあ、よっぽどの物好きじゃねぇと相手にされませんって」
「それもそうだな。まずはその伸びっぱなしの髪の毛をさっぱりさせて来い」
「はぁ。髪なんて切っても女は近寄ってくれねぇと思いますがねぇ」
無駄話に小さい花を咲かせれば、浮きやすくもろい岩肌は大きく崩れ足元には掘り出した石が溜まっていく。
一旦話を切り上げ、メインの切羽に降りて近くの手子に声をかけた。
「おう、そこの手子!上行って石抜いてきてやれ。トロまだ走らせてねぇから、
「承知です頭ぁ!」
メイン坑道であるここはレールを敷いて鉱石運搬用のトロッコが走らせているが、先ほどのおしゃべりが居た上坑で採れたものは一度ここまで降ろしてもらうしかない。
さすがに道具も何もなくなんて非効率なことはしないが、人がその背中に背負ったカゴに石を入れここまで運ぶ以外の手段が現状ないのだ。
もう少し切り開ければ
「おい、
背後から鉱夫にしては綺麗な身なりの男に話しかける。
狭い切羽には入らなそうな腹をしたそいつはうちの組合への依頼人でありスポンサー。
何を隠そうこのイシクラ集落の
現場じゃあこちらの意見を通させてもらっているが、方向性などの大きな決断の決定権はこいつにある。
「風見主任。いやこんな息苦しいところまでわざわざ。よけりゃ事務所まで行きましょう」
「いや、ここでいい。最近この辺はあまり掘れていないようなのでな。気になったんだ」
「この辺は岩がハネるのも多いし、浮きやすいです。慎重に慎重を重ねないと危ないのでペースが落ちるのは仕方がないんです」
大した地熱もなく涼しいくらいのこの切羽で、風見主任は額に髪の毛を張り付かせている。
それが健康的なものであれば見ていて清々しいのだが、ネットりとしているのか顔全体が灯りに照らされテカっていた。
そんな顔が不機嫌そうに歪む。
「こちらは急ぎでという注文だったはずだが。だからこそ坑夫頭もこのようなものたちを集めたと思っていた」
それは、と言いかけたところで俺たちとは違う意味で大きな手が顔の間に差し出される。
反論は耳にタコが出来るほど聞いたから黙れということか。
「……できる限りは急ぎますが、現場の安全の判断は俺の裁量でやらせてもらいます。それよか、別の方向から掘っちゃダメでしょうか?正直、ここをこのまま掘り進めるのは危険です。本当に」
「ならんな。坑道を広げるのは大歓迎だが、方向と距離はこちらが指示した通りにやってもらう」
坑道は声が響く。
その会話は気をつけて声を低くしない限り割と遠くまで聞こえるが、近くにいればもちろん当然のことであろう。
会話を聞いていた仕事中の負子が舌打ちしたのが聞こえた。
「おうおうおうお役人さんよう。頭のいうことは聞いた方がいいあ”いだっ!」
「口挟む暇あったら石運べバカ野郎!」
このバカ野郎が。
木槌でヘルメットをぶっ叩いて背中の石が大量に入ったカゴをガンガン叩く。
役人様に悪い意味で顔を覚えられたらどうするつもりだ。
「……随分教育が行き届いているようだな?誰だアイツは」
さあ、ととぼける。
俺をかばってくれるのは嬉しい。
だが、相手を選んでほしい。
ここイシクラで役人に嫌われたらどうなるか。
鉱夫の道具は没収され、まともな切羽へ入るための申請が通らなくなる。
俺たちイシクラの鉱夫にとってそれは屈辱以外何者でもない。
「とにかく、明日からは今までの遅れを取り戻せ。あと、もう少し掘り進めたらそこを広く切り開いてもらう」
「……承知しやした」
その体を狭いトロリーの隙間にねじ込み、彼奴は坑道入り口付近の事務所へ戻っていった。
近くにあった浮石を力任せに砕く。
「頭、頭。んなにしなくても浮石取りは手子がやりますから。頭に血ぃ上ってんのはわかりますが、落ち着いてください」
近くで話を聞いていた掘子に水を渡されたしなめられてしまった。
それを一息に半分ほど飲み干し、深呼吸。
よし、だいぶ落ち着いた。
「いいんです、頭。お役人になんて言われようが、頭が俺らを使ってくれるだけでありがたいんです。」
「家族をあんな言い方されて怒るなっていう方が無理だ。それにキレたのはそれだけじゃねぇ。あのバカはここのキナ臭さをわかっちゃいねぇ。俺なら速攻でこの坑を捨てるレベルだっつうのに」
浮石の多さもそうだし、補修もしてない裸の坑道だ。加えてこの辺の岩はそこまで硬くないし、ロクな鉱石も取れなくなってきた。
お役人が何を考えているのかさっぱりだが、利益のためならいますぐにでもここを捨ててもっといい石が採れる場所に行った方がいい。
「確かに、下の坑じゃあもう水が出てきて大変ですからね。減水方が死にそうになってましたし」
土の下を掘り進んでいれば水脈に当たることもある。
地下水のたまった空洞に当たることもある。
この下の坑道じゃ水がそれはもう大量に湧き出て、その水を排出する仕事の奴らはいくら汲んでも減らない水に辟易としているだろう。
「まぁお役人に言われちゃしょうがねぇ。崩れる時も水にのまれる時もガスでやられても、みんなで仲良く成仏しようぜ」
「頭と心中かぁ。なら砕女のやつらとした方が報われらぁな」
おぞましい冗談で笑いあい、お互い仕事に戻る。
やれと言われたならやるしかないのだ。
それが俺たち鉱夫なんだから。
カザミ-5坑道崩落事故。
坑内作業員全員死亡という大事故は、この2週間後に起こることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます