研究部の真実 12

「今から10年ほど前、この学校は手の付けようがないほどに荒れていました。

 いくつもの暴力事件が起こり、飲酒、喫煙、さらには薬物事件で補導され、果てには窃盗事件を起こすものまでいたようです。こんな状態で、生徒たちの心も荒んでいました。教職員も彼らの生徒指導の傍ら、校舎の清掃や学級崩壊したクラスの監視などの仕事もあり、学校運営はたやすいことではありませんでした。幸いなのは久葉中に指導力のある先生方を迎えることができたことです。ここにいらっしゃる4人の先生方もそのうちの1人です。

 さて、私たち教員もこのように長く生徒と接していると、生徒たちのことが見えてきます。中にはしっかりした生徒も、充実した学校生活を願っている生徒も大勢います。私たちの中でこうした生徒たちにある1つの結論が出されました。部活に打ち込んでいる生徒たちは授業や委員会活動にまじめに取り組む、いわば模範的な生徒たちだ、ということです。彼らは事件とは無縁であり、校則やルールを守り、委員会活動や行事等にも積極的に取り組んでいました。

 彼らのような生徒を増やしたい、そう考えていた私たちの中に、ある1つの考えが浮かび上がったのです。

 生徒全員が部活動に打ち込むようにすればいいのではないか。

 部活動の目的は活動を通して人間性や社会性を身に着けることです。生徒がこうした力をつけてくれれば、久葉中学校は荒れた学校から脱却できます。また部活動に加入すれば、生徒は担任、副担任、顧問とより多くの先生が1人の生徒にかかわることができる。教育はチームワークです。職員全体で多くの生徒の実情を把握できれば、お互いに助言や励ましもできます。私たちは最善の方法を考え付きました。そしてその次の年度から規則を1つ加えたのです。

 生徒はどこかの部に必ず入部すること、というものです。

 新年度が始まり、その年に入学した1年生たちはそれぞれ部活に入り、意欲的に活動してくれました。

 しかし、問題は続きます。部活に加入していない2・3年生は相変わらずです。そしてとうとう、彼らが1年生を締め上げるという事態が起きてしまったのです。私たちは悩みました。1年生は守りたい。でも、部活に入っていない2・3年生を統制しきれない。

 ならば彼らを集めて部を作ってしまえばいいのではないか。

 部活に入っていない彼らの鬱憤の1つが学力における劣等感です。部活に打ち込んでいた生徒たちは志望校に受かるだけの学力をつけています。そこで受験のために勉強をする勉強部をつくったのです。今思えば強引ではありましたが、彼らが高校に行きたい気持ちも、私たちが志望校に受かってほしい気持ちも強かったのは事実です。部活動に加入していない生徒を勉強部にほぼ強制的に加入させ、手の空いた先生方が交代で指導していく形を取りました。

 最初は嫌々だったものの、途中から成績が良くなる生徒も多く、結果もついてきてくれたのです。久葉中は少しずつではありますがよくなっていきました。このまま何とか久葉中学校はよくなっていく、私たちは6年前の新年度、蓬莱先生が赴任してくるまではそう思っていました。

 蓬莱先生は勉強部、ひいては久葉中学校の部活動の指導の実態について批判しました。部活動は人間性や社会性を学ぶ場でもあるが、まず生徒たちが自主的に活動できる場でなければならないのではないか、と。教師が部活を生徒を更生する道具として扱ってもいいのか、生徒たちが自ら考える場も必要ではないか、とも言いました。私たちは猛烈に反対しました。まず生徒たちには社会規範や協調性を学んでもらわなければならない。もちろんこれが大きな理由ですが、私たちには苦しんで出した答えを新入りに批判された屈辱が心の片隅にあったはずです。

 私たちが勉強部の顧問をしている間、彼は勉強部、ひいては他の部活について行けなくなった生徒を集め、ボランティアを行わせたのです。最初は学校周辺の掃除から始まったこの活動は、やがて募金活動、校内美化、さらには老人ホームや保育園、地域イベントのボランティアにまで幅を広げました。彼らの活動内容は生徒たちの話し合いで決めたもののようです。

 蓬莱先生はあくまで彼らの活動のための環境を整えるだけ。自分たちで考え、挑戦したいことに取り組む、自主性を重んじた活動方針だったようです。人数もたちまち増えていき、一番多い時でおそらく全校生徒の半数以上がこの集まりに参加していたと思われます。驚くべきことにこの集まりは生徒同士の間で情報伝達が行われて自主的に参加し、楽しんでいたということです。中には受験のために奉仕活動にいそしんでいた生徒もいたようですが。蓬莱先生はボランティア活動だけでなく実験・観察教室、地域調査などの調べ学習、作文や文集指導、行事の裏方作業、レクリエーションなども行っていたようです。私たちはこの集まりで時折見かける生徒たちの笑顔を愛憎半ばに見ていました。

 しかし、問題も起きていました。あまりにこの集まりに生徒が吸い上げられてしまい、部活が成り立たなくなってしまったことです。

 当時部活における生徒指導は過激になっており、厳しさに耐えられない生徒が続出しました。すると残った生徒たちに指導の目が向けられ、さらに1人1人に対して厳しい指導がなされていったのです。また、大会やコンクールに出場できるかどうかわからないほどに人数が減ってしまった部もありました。勉強部の方にも熱が入るようになり、勉強だけの毎日にしびれを切らした生徒が勉強部から逃げて行ったのです。

 私たちは会議の結果、この集まりの行動に制限をかけていきました。

 責任問題や自主性の面から校外ボランティアは原則禁止、パソコン室や理科室の利用は1か月に2回だけ、学校で購入した消耗品は使用禁止……。それでもやりたいという生徒は大勢いました。しかし、蓬莱先生1人で目が行き届いているとは言えなかったのです。後で佐川先生のように手助けをしている先生がいると知りましたが。

 この状態が続けばまた元の荒れた学校に戻ってしまう。それだけは避けたかった私たちは、強行手段に出ました。

 その年度を区切りとして部活に所属していた生徒は元々属していた部に戻し、それ以外の生徒は全員勉強部へ入部させました。しかし、このやり方は生徒や保護者の反感を買いました。何しろ立派な活動ではありますから。ですから私たちは『受験』を武器に、生徒や保護者を説得していきました。公立高校はまだしも私立高校の合否は学校側の内申評価で決まってしまうことを知っていたのです。まずは授業や学校内の活動を頑張ってほしい、ボランティアは自分たちで行った方がいい、まず勉強はしなければならない、大事な中学3年間は部活に精一杯取り組むことは将来の糧になる。そう訴えると、いとも簡単に彼らは蓬莱先生の集まりから抜けて行ったのです。

 これに味を占めた私たちは、蓬莱先生を孤立させていきました。

 人間は1人では弱いもので、多くの生徒から見放され、手を差し伸べてくれる先生もいない蓬莱先生は次第に気力を失っていきました。そして遂に蓬莱先生は姿を消しました。3年前の春です。私たちは教員の失踪ということで大混乱を起こしましたが、こんな事情を話せばせっかくいい方向に向かっていた久葉中学校が再び崩れることがわかっています。私たちはだんまりを決めました。

 ところで、その年からは「文武両道」という新しい目標を加えて、新入生を全員勉強部以外の部に入部させ、全校生徒に充実した学校生活を送るよう促しました。部活も勉強部も相変わらず、教員の叱る声と生徒の批判ばかりが飛び交っていました。

 しかし、1つ変わったことがありました。蓬莱先生の集まりに熱心に参加していた生徒たちが、再び集団を作り、顧問を何人もの先生方に依頼して活動を始めて行ったのです。彼らは「研究部」と名乗りました。彼らは他の生徒と同じくらい、いやそれ以上だったかもしれません、何事にも真剣に取り組んでいたのです。

 私は彼らを見て気付いたことがありました。一生懸命取り組める何かがあれば、それを認めて応援してくれる人がいれば、自分を必要としてくれる場所があれば、人間まっすぐに生きられるのかもしれません。あの荒れた生徒たちも本当は非行なんかではないやりたいこと、自分自身を認めてほしかったのかもしれません。偏った尺度で測られてしまうことがどんなに苦しかったでしょう。

 それと同時に、蓬莱先生を否定してきたことに背筋が寒くなりました。教員1人の意見を素直に受け入れられないで何が教育でしょう。そんな大切なことに気付くのに、私はあまりに長い時間と大きなものを失いました。

 私は夏休みに入る前にある提案をしました。勉強部をなくすことです。もちろん反対もされましたが自主性を重んじる現代の教育方針にそぐわないこと、生徒・保護者からの批判が絶えないこと、何よりほとんどの生徒が部活動に加入して一生懸命活動していることです。もう久葉中に問題を起こす生徒はほとんどいません。目標は達成されたのです。これからは、クラスで、部活動で、その他行事や委員会活動等で生をを見守っていけばよいのです。勉強部で行っていた進路指導は全員に手厚く行うことにしました。

 それに、部活をやめてしまった生徒には、研究部が声をかけてくれたのです……」

 ここまで話をすると、増田教頭先生は倒れるように床に座りこんだ。

 誰も、言葉を発することはできなかった。語られた真実は、今の久葉中を作ってきたものだったからだ。

「久葉中学校はこの通り、活気ある、きれいな、素晴らしい学校になりました。――ただ1つ、蓬莱先生の身の上が分からないことを除いては。こればかりは立場もあって、警察に任せるしかありません。蓬莱先生や君たち家族には、謝っても謝り切れない……」

 増田教頭先生はそのまま膝に手をつき、俺に向かって頭を下げた。

「そんなことで許されるわけがないでしょう! 生徒たちのために頑張ってきた父さんが、どうしてここまで追い込まれなければならなかったんですか? 父さんは、久葉中のために頑張ったのに。

 どうして、どうしてですか!」

 そばにいた篤志や澄香が俺の腕をつかんで牽制している。田村先生も割り込んで入ろうとする。俺は彼らを振り切って増田教頭先生の前に出た。

「学校って何なんですか? 答えてください!」

 俺はありったけの声で叫んだ。

「――人を教え、育てる場です。その意味を、考えていなかった……」

 増田教頭先生は力なく言った。

 横から高瀬先輩が、俺の肩を叩いた。

「確かに、久葉中の状況を考えても蓬莱先生にした仕打ちは許されることではない。だからこそ、研究部がこうして残っている。すべて1人で抱え込まないように、二度と同じ過ちを繰り返さないように」

 俺は先輩の方を見た。現在たった1人で研究部の活動をしている。

 自分がやるべきことをやり続けなさい。それだけの力を持てる人間になってほしい。

 父さんが言いたかったことは、そういうことだったんだ……。

「――俺、父さんは間違っていなかったと言いたい。だから、だから――」

 俺も人のためにできることをしたい。俺はそう言った。

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