#16:勇気をこの手に - 2

 ──ごとり。


 物音がした。

 窓を眺めると月はまだ高い位置にある。この時間に来訪者ということは考えられない。

 エーラは気配を殺しつつ、腰の短剣を掴んでゆっくりと立ち上がった。


 ──ぎし、ぎし、ぎし、ぎし……


 誰かが上がってくる。足音を聞くに、だいぶ大柄の男だろう。

 食事を取りにいった際、厩舎の係が言っていたごろつきをさりげなく探してみたが、確かに何人か当てはまりそうな男がいた。その内の一人かもしれない。


 ──────ぎし。


 薄い戸を一枚挟んだ先で音が止まる。

 しまった、とエーラは思い出した。この戸には穴が空いている。覗き見でもされたら勘繰られるだろう。

 エーラは足音を立てずに素早く戸の真横の壁にぴたりと張りついた。静息を心がけ、五感を研ぎ澄ませる。


 一呼吸、二呼吸……。


 ドアノブが少しずつ回り始めた。いよいよ中に入り込むらしい。エーラは腰からナイフを抜き、月光を受けないように低い姿勢で構えた。


「…………ッ!!」


 男が大きな一歩を踏み込んだ。と同時に、エーラは素早く側面から背後に回り込み、見知らぬ男の首にナイフを突き付ける。


「ひいいっ!?」

「飲み過ぎて部屋でも間違えたか? それにしては足どりがしっかりとしているようだが」


 男の悲鳴で、弾かれたようにシュテラが飛び起きた。

 声を上げる間もない。シュテラは目の前に飛び込んできた事実を見て、途端に言葉を封じられた。

 男は諸手を挙げたまま、引きつったような声で白状する。


「ほ、ほんの出来心なんでぇ! あんたら、いい服装をしてたからさぁ!」


 その言葉を聞いてシュテラは思い出した。先刻、エーラがマントを隠すように言っていたのを。

 しかし、そんな予防策を講じたというのに、危険は直ぐ目の前に迫っている。これは一体どういうことなのだろう。


「ただの盗っ人だろうが、騎士の紋を知らぬわけではあるまい」

「そ、それは……」


 男の顔がにやける。悪い顔だ、とシュテラが思ったその時。


「きゃあああああっ!?」


 突然、窓を突き破って何者かの腕が伸び、シュテラの服の襟を掴んだ。

 そのまま担がれ、外へと引きずり込まれる。


「しまった!」


 エーラは素早く傍の戸を開け、男の背を蹴って階下に突き落とすと、直ぐにバルコニーへ飛び出した。


「動くな! 武器を捨てろ!」


 だが、そこで足を止めてしまう。シュテラは細い石畳のアーチの上で顎を掴まれ、首にナイフを突き付けられていた。

 力を発揮すれば状況は覆せるというのに、恐怖のあまりか、そんなことも忘れてしまっている。


「武器を捨てて金を出せ! そうしたら助けてやる!」


 エーラは仕方なくナイフを放り捨てた。そして、腰にくくり付けた巾着の紐を緩め、首を締めるように掲げる。


「こっちに投げろ!」


 下手投げで巾着が弧を描いて飛び、男の目の前に落下した。

 背中から蹴飛ばされたシュテラは、ふらふらとよろめき、エーラの前で頭から突っ伏した。


「シュテラ!」


 エーラが駆け寄る間に素早く巾着を拾った男は走り去って行く。

 ナイフを投げようとも思ったが、ここで事件を起こすのは得策ではない。衛兵に捕まり、事情徴収される時間はないのだ。


「こわい……こわいよぉ…………お願い、おうちに帰らせてぇ……」


 シュテラはパニックに陥っている。わずか七歳でしかない少女にとって、このような事件の後では無理もなかった。

 だが、今からサイラスの屋敷に戻れば、それこそ取り返しのつかないことになる。当然ながら、やるべきことは一つだ。


「あなたが下した選択ですよ! 今更取り消すことは出来ません!」

「知らないっ! こんなことになるなんて思わなかったもん! 帰らせて! お願いだから帰らせてよぉっ!」

「…………ッ!」


 真夜中の静けさに大きな破裂音が反響した。


「あ……」


 シュテラは叩かれた頬を手でなぞり、目にじんわりと涙を浮かべた。


「思い出して下さい、シュテラ! あなたは何のために家を出たのですか!? 副団長すら乗せなかったエフィリオをあなたが説得した。その心は偽りなのですか!? あなたが先程言ったことさえも、全て嘘だというのですか!?」


 シュテラは唇を固く結んだ。

 頭で分かってはいた。なのに、たったの一歩が踏み出せない。恐怖に抗えず、どうしても逃げ出したい気持ちに負けていた。

 足下を見下ろすと、むき出しの膝ががくがくと震えている。

 エーラは跪いてシュテラの頭を撫で、同情するように哀しげに微笑んだ。


「ここを出れば、後は城下町へ行くだけです。こんな宿場町よりかずっと安全ですよ」

「……ほんとう?」

「ええ、本当です。それに、あと一晩しかない。もう急ぐしかありません」


 シュテラは空を見上げた。まだ夜が明ける気配はない。

 とはいえ、こんな騒ぎでもう一度寝られるわけもなく、こんな宿に長居したくもない。

 シュテラは震える膝を押さえつけ、何度も叩いた。震えはまだ止まっていないが、今なら何とか動けそうな気がした。何より、動こうという意思が勝っている。


「行こう、エーラさん。少しでも早く、出来れば夜明けまでに城下町に着くの!」

「ええ、その意気です。あなたの勇気と英断に感謝します」

「ううん、お礼を言うのはわたしの方だよ。それに、ごめんなさい。今度はわたしの勇気が逃げないように強く握りしめてるから!」


 それは、シュテラなりに思いついた子供らしいおまじないのようなものだと、エーラは理解した。シュテラにとって最も頼りにしているのは、己の力を発揮できる拳そのものである。その中に強い力──即ち最も信頼できる怪力という力で「勇気」を閉じ込めておけば、「勇気」が逃げだすことはないのだと。


 エーラはシュテラの持つあらゆる可能性、成長に驚いていた。

 シュテラは子供どころか、大人さえも持っている「恐怖」という大きな壁を乗り越え、自分よりも他人を優先することを選んでくれたのだ。

 彼女は騎士になることを望んでいるという。だが、それはまだ子供としての夢であり、一時的な判断なのかもしれない。

 もし、本当に騎士の道を選ぶことになったら、その時は自分が導いてあげよう──エーラは、そう決意を固めるのであった。

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