予言

 障子越しに降り注ぐ白い光が、日に焼けた畳を焦がすように暖めていた。


 土方は眉間に深い皺を寄せて背後を睨み付けるも、更紗は初めて見た本物の武士の姿に釘付けであった。



「部屋にいねぇで何処へ行ってやがった」


「……わぁ、お侍さんだ」



 いつも一つに束ねられて後ろに流している黒髪は、ボリュームのある艶やかな丁髷に結われている。


 両肩布が張り出た水浅黄色の裃姿が、容姿端麗の男の精悍さをより一層際立たせていた。


 丁髷の男性には見慣れてきたものの、普段の土方から想像出来ない時代劇さながらの変貌ぶりに、更紗は赤の他人を前にしているような錯覚を覚えていた。



「…何だ文句でもあんのか、てめえはよ」


 複雑に交差する袴紐を器用に結ぶ土方は、凝視してくる女に殺しの流し目を送るが、更紗は気まずい関係であることも忘れて興味津々に見つめていた。



「…いや、逆ですよ。その姿、すごく素敵です。何でも似合うんですね」


「たりめぇだろうに。俺を誰だと思ってやがんだ」



 土方は表情を変えもせず身なりを整えて顔を上げるが、それを横から黙って見上げていた山南は徐にふっくらとした頬を緩めて笑い。



「土方君は美丈夫だからね。本当に何を着ても様になるから羨ましいよ。市村君からもお褒めの言葉が貰えるんだ」


「…んな事より山南さんよ、近藤さんと黒谷に行ってる間、此奴が下手な事しねぇか見ててくれねぇか」



 着付け終わった侍が腰を下ろしながら鋭い眼差しで自分を睨みつけるが、更紗は土方の放った、ある単語にだけ反応して言葉を続ける。



「今から黒谷へ行くんですか?…もしかして、肥後守様に会うんですか?」


「近藤さんと俺だけ直々に呼ばれちまったんだよ。もうなるようにしかならねぇ、沙汰を受けるまでだ」


「……そうだね、少しでも善処される事を願うばかりだよ」



 苦り切った顔で言葉を吐き捨てた土方に同調し頷いた山南は、言葉の意味を噛み締めるような表情を浮かべる。


 土方が武士の礼装である裃を着用した理由は、直属の雇主である会津藩に正式な形でのお呼び出しを受けたからであった。



「…実は、七日前に会津から藩士が一千ほど上洛したのにも拘らず、国元へ帰る筈の藩士が今だ黒谷に留まったままです。町では大和屋焼き討ちの騒ぎが収まるまでの特別措置だと噂が立ってまして……現在、会津藩邸内の兵力は通常の倍である二千になってます。お陰で長州藩も大人しいしてますけど」


「焼き討ち如きに大層な処置なこった……最悪、組の長が責任取って切腹もんだ。芹沢なら一向に構わねぇが近藤さんにお声がかかっちまったのは、どうにも具合が悪りい」


「……最早、壬生浪士組の解散は免れないかも知れないが、近藤さんを失わねば我々で新たに徒党を組めばいい。何とか容赦頂けたらいいんだがね…」



 さりげなく傍に寄って裃の形を整える山崎の言葉に土方が溜め息を落とせば、伝染するように山南が憂鬱な声を室内へ響かせていく。


 更紗はそんな男たちのネガティブな会話を聞きながら、内容に反比例して胸懐が高揚するように張り詰めてくるのを感じていた。


(……落ち着け、私。聞いたことを冷静に判断しなきゃ…。)



 たった今、得た有力情報は、呼び出しをくらった近藤と土方が会津藩主の待つ黒谷本陣へ向かうこと、一週間前から会津藩士の兵力が二倍あること、お陰で長州藩が行動を起こさず静観していることである。


 そして京の町には、粗暴な芹沢対策に備えて会津藩は兵力を増強させたまま、騒ぎが収まるのを待っているという趣旨の噂が流れているようであり。


(……これって…絶対に大和屋事件を矢面に立たせて、兵力アップの理由を隠そうとしてるよね?本当の理由は…きっと…)



 更紗は早鐘の如く打ち続ける鼓動を抑えるように、胸にぐっと手をあてると、目蓋を下ろして深く思案を巡らす。


 仮に明日起こるとされる歴史上のクーデターの敗者は、公卿と呼ばれる、公家の中でも権力を持つ長州系の高官と長州藩であった筈である。


(……会津藩は芹沢先生の失態を起死回生のチャンスと捉えて…わざと長州藩へのトラップとして大和屋事件の処罰を今日まで放置したとしたら…。)



 倒幕派の人間が裏で加担して佐幕派を陥れようとした焼き討ち事件を、佐幕派の人間が逆に利用して倒幕派を京から追放する、その心は───



「……八月一八日の政変だ……教科書通りで間違いない」


 自分なりに出した答えの明快さに、更紗は静かな声で呟き口元を綻ばせると、震えそうになる両の手を合わせて握り締めていた。


「……更紗、どした?全く笑える話ししてないで?」



 てんで場違いな女の反応に、それに気づいた山崎は首を傾げて更紗の顔を見やり、苦笑を漏らす。



「……すみません、何でもないです」


「政変っつうのは、何の事だ」



 更紗の呟きを逃さなかった土方は訝しげな表情を浮かべると、見開いた碧色の双眸を真っ直ぐ捉えて離さない。


(……どうしよう…話して問題ないかな?)



 既に変えようのない未来なのであれば、今、ここで彼らに伝えてしまっても問題はないかもしれないが。



「……えっと…言っていいのか…」


 更紗は視線を泳がせて気まずそうに言葉を続けるが、それを見ていた山南は柔和な笑みを浮かべて口を開いた。


「…ひょっとして、明日…何か起こるのかい?」



 もうここまで読まれてしまったら、今更、嘘を吐く方が難しいだろう。


 観念したように一呼吸置くと、隣にいる山崎の顔を見据え、唇を動かす。



「……じゃあ、言っちゃいますけど…ちょっと前に山崎さんからの情報で政局が動くかもしれないっていうの、ありましたよね?」


「あぁ、大和屋の焼き討ちがある少し前に仕入れたやつやな」


「そうです。その政変、私の知る歴史通りに事が動くなら……明日起こります」


「でもやなぁ……あの焼き討ちのお陰で、その話しは一旦ご破産になってる筈やで」


「……私もそれを心配してたんですけど…今の話しを聞いて政変が起こるって確信しました。あの焼き討ちの対応を大義名分として、会津藩は長州藩に真意を悟られないまま堂々と兵力を増やしてる。今日、黒谷に呼ばれたのは、明日の出動要請の件だと思います」



 更紗の解説に聞き入っていた山南は、目を丸くし、小さく感嘆の溜め息を吐く。



「成る程、そういう目論見があったとは……では、壬生浪士組への処罰は一体どうなるんだい?お咎め無しという訳にはいかないだろう」


「…それは、ですね……ちょっと詳しくは…」


「おめえはそれ以上、話さなくていい」



 山南からの質問に狼狽の色を隠しきれない更紗を見つめていた土方は、無表情のまま流れる会話を遮っていく。


「どんな処分が下されようとも逃げるつもりはねぇ。だから、沙汰を知るのはそん時でいいんだよ」



 土方の声に耳を傾けていた山南は、更紗を見据えて眉を下げると申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。



「……そうだね、土方君の言う通りだ。市村君、不躾に尋ねてしまって悪かったね」


「そんなことないです!誰だって先のことは気になるだろうし……でも、私…そこまで詳しくは知らないんですよね」



 大和屋襲撃が芹沢粛清への引き金を引いた事件であると思うのは、ただの自分の憶測だった。


 けれども、一度廻り始めた歯車はそう簡単に止まることはないのである。



 更紗のスタンスとしては、これから起こる芹沢暗殺の未来を彼らに伝えるつもりは毛頭ない。


 故に、土方が詰問を制してくれた時、内心かなりホッとした自分がいたのである。


(……もしかして、気遣ってくれた…?)



 たまに見せる優しさにこれまで何度も救われているが、一方で、合理的かつ無神経な言動に幾度となく傷付いてもいる。


 大和屋襲撃事件から数日続いている小競り合いの発端は、そもそも土方から放たれた心ない言葉であり。



(……もう、面倒とは言われたくないしね。)


 今回の新見の件で泣きつく事だけはしたくないと、意地を張ってしまっている自分に反吐が出そうになるが、ここまで来て、後にも引けない。



「……可愛げないなぁ、私」


「まぁ、そんな、つれないトコも愛らしいけど」



 ポツリと漏らした独り言が、すぐさま茶目っ気たっぷりの男の声に呑み込まれていく。


「…えっ?」



 更紗は機械のように横を向くと、意味ありげに微笑んでいる山崎を瞬きしながら見つめた。


「あんま痩せ我慢ばっかしてたら、心が可笑しくなってしまうさかい。そろそろ観念して話す様にしいや」



 話すって何のことを?だなんて、言わずもがなである。


 心の内を覗かれたような言動と、心の隙に入り込んでくる関西弁が、妙な照れと温もりを同時に与えてくれる。



「……はい」


「素直で宜しい。よしよし良い子やな」



 山崎は滑らかに笑いながら、途端にしおらしくなった更紗の頭を恥ずかしげもなく撫で回した。


 この男の自由奔放さを前にすると、いつもの天邪鬼な自分の性格もすんなりと鳴りを潜めてしまう。


(……山崎さんのマイペースさには、敵わないな。)



 山崎烝の屈託のない笑顔に釣られ、更紗の口元も再び綻び始めた刹那。


 スッと開いた襖から流れ込んでくる重い空気を肌で感じ、反射的にそちらへと顔を向ける。



「……歳、そろそろ行こうか」


 そこには土方と同じく裃姿の近藤が佇んでいたが、その落胆ぶりが殊更分かりやすいもので。



「……勝っちゃん、何つう面してんだよ」


「否、…仕立てたこの裃が私の死装束になる気がしてな」



 近藤は顔を顰めた土方を見やると、自虐的な言葉を口にして儚く笑って見せる。



「会津からの裃着用での呼び出しとて、切腹と結びつけるのは早合点だよ。いつもの近藤さんらしく無い。堂々といきませんか」


「……そうは言ってもなぁ、壬生浪士組も最早これまでかと思うと…」



 山南からの励ましにも悲観的に応える近藤に、土方は隠すことなく不快な顔を露わにする。



「べらんめえ、おめえさんは壬生浪士組の大将だ。弱音なんざ吐くんじゃねぇ。常にどっしりと構えた武士の鏡であってくれよ」


「……そうだな、武士よりも武士らしく生きると決めたんだったな。済まない、皆よ忘れてくれ」



 暫しの沈黙の後、近藤は気持ちを切り替えたらしく、いつものようにニコリと笑って威厳に満ちた風格を醸し出す。



 近藤勇という男は人情に厚い分、感情の浮き沈みが意外にも激しいことを更紗は共に生活していく中で、理解していった。


 そして、それを叱咤激励し、彼を盛り立てようとするのが、決して情というものに絆されない鋼鉄な心を持つ男、土方歳三。



 その関係性は陰と陽、静と動のように、まさしく両極端である。


 そんな相反する二つの属性は、互いの存在がなければ本来の力を発揮することは出来ない唯一無二の関係であるように見受けられるが。


(足して二で割ったら丁度いいのかも?女好きは変わらないけど。)



 一人であれこれ勝手な想像を膨らませていると、衣擦れの音を響かせて近藤の元へ歩みを進めていた土方が自分の前でピタリと止まる。



「山崎に懐っこくされて喜んでんじゃねぇぞクソ餓鬼が。俺ァ気が短ぇんだ。そろそろ白状しねぇと力尽くで吐かすからな」


「………。」



 頭上から浴びせられる冷酷な鋭い視線を避けるように、クツクツと愉しげに笑う山崎の後ろへ隠れてみる。



「何や、早う言うた方が身の為やな」


「………。」



 座り直した畳の陽だまりは、身を焦がすような熱さを更紗に与えていた。


 こうして、身なりを整えた侍たちは黒谷本陣へと旅立ち、女の予言通りの未来へ確実に進んで行くのである。

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