第17話
その日から僕は輪をかけて鬱屈した気持ちで日々を過ごした。
既に夏は終わりを迎え、新しい月は目前に迫っていた。ただ暑さだけが変わることなく人間の頭の上に降り注ぎ、熱射病の患者を増やし続けて、病院を大繁盛させていた。ロシアでは最高気温が四十度までのぼり、水を求めて暴動を起こしていた。中国では洪水で大量の行方不明者が出ている。
僕はそれでも熱いシャワーを好きなだけ浴びた。飲みたいだけビールを飲んだ。行きたいところにはどこにだって行けたし、好きなだけ本を読むことができた。なのに、何一つ僕の心を満たしてはくれなかった。底に穴の空いたグラスに水を注いでいるみたいに、いつまで経ってもグラスに水が溜まることは無かった。無性に渇いていた。砂漠に一滴水が落ちたところで渇いた砂が潤うわけは無かった。
その日から僕は今までよりも更に多くのことを考えるようになった。とっくに容量オーバーを起こしてオーバーヒートしてしまっていた。しかし、今まで何となくあいまいにしてきたことに、ここら辺で全て綺麗にけりをつけてやろうという気になっていた。
久しぶりに部屋の掃除をした。山のように詰まれた本をまず片付けた。よくもまぁこんなに本を読んだなと思うぐらい本は沢山あった。大学に入ってこの八畳のアパートを借りた時から、読んだ全ての本がこの部屋には残っていた。ほとんどの本は二度と開かれること無く、読み終わったら積み上げられていく。その知識の塔を一つずつ崩しながら、僕は過去を振り返るように本を処分していった。
千冊くらいの本の中から、今後も共に過ごして行こうと思える友は、僅かに二十冊しかなかった。「ロング・グッドバイ」ももちろんその中の一冊だ。残りは今まで僕が投げ捨ててきたもののように、翌日の燃えるゴミと共に灰へと姿を変えるだろう。ブック・オフにまとめて売って小銭を稼ぐということも考えたが、それは止めておいた。誰の手に渡ってしまうぐらいなら、自分の手で処分したかった。
本の中の一冊に、以前犬に借りた偉大なるバンド「ライフライン」のボーカル、モンロー・ウォークの自伝本があった。
タイトルは「くそったれな世界」。
中を捲って少しだけ読んでみた。モンロー・ウォークは生きることについて以下のように語っていた。
「世の中って言うのが何なのか、結局俺には分からないし、分かりたくもない。そんなものは結局数パーセントの人間が作り出したまやかしで幻想なんだ。だから俺達はそんな奴らの世界で生きようと思わない。自分が正しいと思ったらそれをするべきだし、犯罪だって犯せばいい。俺は安全な所で正論を述べているだけの奴より、そういう人間を支持するね」
続いて死ぬことについて語っている。
「俺はいつ死んだって構わないんだ。だって毎日を全力で、後悔なんて思いつく暇も無く駆け抜けてる、その中で灰になるって言うなら本望だろ。だから俺達が死んだって悲しまないでほしいんだ。もし死って奴が俺の背中に追いついてその鎌を振り上げようとしたなら、俺は舌を出して言ってやる。くそったれって。だから俺が死んでも悲しまないで笑って欲しい。だって、俺は死に一泡吹かせてやったんだぜ」
その一週間後に、モンロー・ウォークとバンドのメンバーは不運な事故にあって死んでしまった。
僕はモンロー・ウォークの自伝本、「くそったれな世界」を焼却する本の中に入れた。彼の思いを背負って生きるには、僕には些か荷が重過ぎる。
そうやって部屋の中の掃除を始めると、部屋は物凄く簡素で小奇麗な部屋へと変わってしまった。二十冊の本と、ベッドと、木製の背の低い大きな机、ノートパソコンにCDが十枚程度、それだけしか残らなかった。テレビもラジオもカーテンも無いがらんどうな部屋。
そして、空っぽの僕が残った。
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