第13話
僕は死ぬことについてよく考える。そして生きることについても。それは果てしなく長い荒野に放りだされ、孤島の浜辺から海を眺めていることと同義だと僕は考えている。
彼女が僕に尋ねた、死にたいって思ったことがある、という質問と、彼女が言った、自分は死にたいと思ったことがある、と言うことについて考えた。
僕は死にたいと思ったことがあるだろうか?
あるようで、ない。
そう答えるのが正解のように思えた。
自分というものを終わらせたい、何事もなかったようにしてしまいと思うことは確かにあった。でも、それは死にたいというよりも、新しくやり直したいという意味で、ネガティブな発想ではなくてどちらかと言えばポジティブ、ペシミズムよりはオプティミズムだと僕は考えている。
身勝手な大人は、僕達の世代をリセット世代なんてセンスのない埃臭い名称で呼んだりするが、僕の世代の誰しもが人生をリセットすることなどできないと知っているし、生きることはゲームではないと理解していた。だからこそ、悩み、苦しみ、もがきながら、この曖昧で粉々に砕けたガラスのような時代を生きているのだと僕は思っていた。
僕達の大先輩である戦争を行き抜いた人々。その後に生まれ、今のこの国に蔓延する空気を作り出した、ぬるま湯に浸かり続けて脳みそまでもふやけてしまった、その後の世代。彼らの作り出した価値感や、社会のルールの中では、差別や、争い、死という物が一切排除され、多くのことが思考停止のまま、時間だけが流れてしまった。
彼らの時代はそれでよかったのかもしれない。
日本は敗戦国だったし、先進国へと急激な成長を遂げていたし、何より多くの望みや、希望、救いがそこには存在していたと思う。でも僕達の世代は違う。僕達は平和というものに懐疑的になっているし、今の世の中に蔓延する事無かれ的な空気を嫌っている。
それもそうだろう、世の中が急激に温度を上げて、目まぐるしく変化を遂げているのに、暢気に気持ちよく風呂に浸かっていられる人間なんてそうはいない。
僕達は立ち止まりたくないと思っている。
前に進みたいと。
前の世代の人々が歩みを止めてしまったことの多くを背負ってでも、僕達は前に進みたがっている。そうすることで僕達は生きることの実感を取り戻し、死ぬことへの恐怖を思い出せる。人が恐怖という感情を手に入れたのは、死というものを実感することにより、自らを防衛することにある。僕達は自分の中の恐怖と向き合わなければいけない。それがどういう感情なのかを知らなければいけない。
今考えてみてもこの夏を境に僕は先鋭化し、多くのことに鋭敏に、過敏になっていったと僕は思う。神経を剥き出しにして、自分という刃を細く、薄く研いでいった。そのことで切れ味は確かによくなったが、僕の刃は極端に脆く、折れ易くなってしまったと思う。
多くのことを切り捨て、失った。
僕は一体どれだけのものを傷つけてきたのだろうか?
皆目検討もつかなかった。
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