第27話 あなたを好きになってあげるから幸せにしないと許さないんだから!

 有栖川亜梨沙は大富豪である有栖川龍之介の一人娘で、高校二年生です。


 亜梨沙はそれなりに美少女ですが、胸が小さいのを気にしています。


 そんな亜梨沙の邸に新しく執事が来ました。


 その人の名はトーマス・バトラー。執事の本場である英国の出身です。


 金髪で碧眼。その上イケメンで、亜梨沙は完全に一目惚れしてしまいました。




 いつも、奇妙奇天烈な事を言ってトーマスの前から逃げ出していた亜梨沙ですが、今日は何とか踏み止まり、トーマスを真正面から見ました。


(ケイトが応援してくれているんだから……)


 トーマスの妹で最大のライバルと目されていたキャサリンが何故か励ましてくれたのが不可解のままですが、それでも嬉しい亜梨沙です。


 トーマスの笑顔は夕闇で威力が半減していますが、亜梨沙はクラクラしてしまいました。


(あああ、もうどうにでもしてええ、トムゥッ!)


 心の中で絶叫する亜梨沙です。


「お嬢様?」


 トーマスが不思議そうな顔で亜梨沙を見ています。


 直視に堪えられなくなった亜梨沙は俯いてしまいました。


「トムに謝らないといけない事があるの」


 亜梨沙は爆発しそうなくらい顔を赤くして言いました。


「私にはお嬢様に謝罪をされるような覚えはありませんが?」


 トーマスは首を傾げて言いました。


(執事さん、私をお嫁にもらって!)


 二人の様子を木の陰から見ていたそちらの世界の庭師がもうすぐ昇天してしまいそうです。


「うわ……」


 蘭の事が気になった高司譲児は、有栖川邸の門をくぐった所で亜梨沙とトーマスに気づき、足を止めました。


(有栖川、息を止めてるのか? それともライトのせいか?)


 顔が不自然に真っ赤になっている亜梨沙を見て譲児は思いました。


「有栖川ァ……」


 譲児の背後からコソッと顔を出し、泣きながら亜梨沙を見る元セクハラ魔神の早乙女小次郎です。


「お前、何しに来たんだよ、小次郎?」


 そんな小次郎を白い目で見る譲児です。


 


 亜梨沙がトーマスに向き合っていた頃、坂野上麻莉乃先生は心臓をバクバクさせながら路地を歩いていました。


「坂野上先生にお似合いの人を紹介します。期待していてください」


 保健の先生である里見美玲にそう告げられ、麻莉乃先生は逃げ出したい衝動を何とか抑制しました。


(踏み出さなきゃ……。もうバトラーさんは諦めたわ)


 麻莉乃先生は、トーマスとキャサリンのキスを目撃して、ずっと誤解したままです。


(あんな奇麗な彼女がいるんだもん、私みたいなデブの出る幕じゃないわ)


 麻莉乃先生は自分が太っていると思い込んでいます。


 本当に太っている人が知ったら、リンチにされそうです。


 麻莉乃先生は太っているのではなく、巨乳なだけなのです。


(こんな私でもいいって受け入れてくれる人とお付き合いしよう。そして、三十歳前に結婚よ!)


 いきなりガッツポーズをしたので、すれ違った人がビクッとしたのに気づかない麻莉乃先生です。


 


 また亜梨沙がトーマスとキャサリンを見かけたコーヒーショップのカウンター席では、美津瑠木新之助先生がソワソワしながら腕時計を見ていました。


(錦織の奴、こんな所に呼び出してどういうつもりだ?)


 志望大学に推薦入学が決まっているはずの錦織瑞穂なのですが、新之助先生に進路の相談をしたいと言って来たのです。


(相談なら職員室か進路指導室でした方が……)


 瑞穂が仕掛けた罠とも知らずに真面目にどんな相談なのかと思いを巡らせる新之助先生は哀れです。


「先生、お待たせ」


 ソワソワしている新之助先生の後ろで瑞穂の弾んだ声が聞こえました。


「遅いぞ、錦織。時間に正確なお前が……」


 そう言いながら振り返った新之助先生は言葉を飲み込んでしまいました。


 そこには瑞穂がいたのですが、睫毛をボリュームアップし、ルージュを引き、両肩を出した真っ赤なチューブトップドレスに白のレースストールを羽織っていました。


 スカート丈は短く、太腿が剥き出しで、しかも生脚です。


 実は脚フェチの新之助先生は教え子だという事を忘れてしまうほど、瑞穂の脚に見入ってしまいました。


(掴みはオッケーね)


 瑞穂はニヤリとしました。履き慣れない高いヒールのリボン付きの黒のミュールが擦れて痛いのですが、気合いで乗り切ろうとしている瑞穂です。


(卒業したら、先生に会うのは難しくなる。だから、今日決める!)


 瑞穂も麻莉乃先生と一緒で、無意識のうちにガッツポーズしていました。


(な、何だ?)


 新之助先生は瑞穂の服装と謎のガッツポーズにビクッとしてしまいました。


「そ、相談て何だ、に、錦織?」


 新之助先生は瑞穂の姿を見て欲情しそうになった自分を戒め、顔を引きつらせて尋ねました。


「私、進路に迷っているんです、先生」


 瑞穂は上目遣いで新之助先生を見つめたまま、隣の席に座ります。


 座ったせいで瑞穂の太腿がますます近くなり、しかも上の方まで見えているので、新之助先生は顔を背けました。


 パンチラどころか、もろに見えてしまいそうです。


(俺は何を考えているんだ!? 相手は仮にも教え子だぞ、新之助!)


 欲望を抑えるために右手で左手の甲を力一杯つねる新之助先生です。


「迷うも何も、お前は推薦入学が決まっているじゃないか……」


 新之助先生は上ずった声で応じます。すると瑞穂は新之助先生の右腕にしがみついて来ました。


「それ以外に私の進路がある気がするんです」


 新之助先生は瑞穂の切なそうな声にキュンとなりかけますが、更に右手で左手を強く抓り、よこしまな心に抵抗します。


「そ、それ以外って、他に志望校があるのか?」


 新之助先生は瑞穂を見ないままで尋ねました。瑞穂は新之助先生の腕をギュッと握り締め、


「志望校はありません」


「だったら……」


 あまりにも意味のわからない事を言う瑞穂に業を煮やし、新之助先生は思わず彼女を見てしまいました。


 瑞穂の顔は新之助先生の目の前に迫っており、潤んだ瞳とツヤツヤした唇がいけない事を妄想させそうです。


「だったら、お前はどうしたいんだ……」


 新之助先生はそれだけ言うのが精一杯で、固まってしまいます。


「先生のお嫁さんになりたいんです」


 瑞穂の言葉に新之助先生の意識が飛びそうです。


(お嫁さん? オヨメサン? ナニソレオイシイノ……)


 限界水位を突破してしまったので、新之助先生の思考回路はショートしてしまいました。


「先生?」


 瑞穂は新之助先生が動かなくなってしまったので声をかけました。


 


 麻莉乃先生は里見先生に教えられたカクテルバーに着きました。


(素敵な場所ね)


 照明を落とした薄暗がりの店の雰囲気に大人の出会いを予感する麻莉乃先生です。


 そして里見先生の指示通り、彼女の携帯に連絡します。


「里見先生、今お店に入りました」


「麻莉乃先生、そこからカウンターの方に行ってください。左端の席にお相手がいます」


 里見先生の声が答えました。


「わかりました」


 麻莉乃先生は携帯を切り、店の奥にあるカウンターへと歩き出します。


 店内にいる男達が麻莉乃先生に気づき、熱い視線を送りますが、麻莉乃先生は見向きもしません。


(どんな方かしら?)


 麻莉乃先生は頬を紅潮させ、足取り軽くカウンターの左端の席を目指します。


 そこには黒尽くめのスーツを着た人物が座っていました。


 黒の中折れ帽を被っています。


 店の端なので、他の席より暗く、顔どころか背格好もはっきりしません。


 それでも妄想を膨らませている麻莉乃先生には素敵な背中に見えていました。


(私の事を気に入ってくださるかしら?)


 不安になる麻莉乃先生ですが、


(三十前に結婚!)


 再びその誓いを思い出し、歩を早め、その人物の後ろに立ちます。


「あの、坂野上麻莉乃と申します。里見美玲さんに紹介されて参りました」


 するとその人物は微かに頷き、右手で麻莉乃先生に隣の席に座るように指示しました。


「失礼します」


 麻莉乃先生は高鳴る鼓動を感じながら、その人の隣の席にゆっくりと座りました。


 


 トーマスは亜梨沙に微笑み、


「お嬢様、夜風に当たるのはお身体に悪いですから、お邸に入りましょう」


「あ、はい」


 亜梨沙はトーマスに言われるがままに歩き出します。


「私ね」


 亜梨沙は思い切って話し始めました。


「はい」


 トーマスは亜梨沙を気遣いながら歩いていましたが、ニコッとして彼女を見下ろします。


「私、十年前に貴方と王立病院で会った事を全然覚えていないの。ごめんなさい」


 亜梨沙は立ち止まって頭を下げました。


「お顔をお上げください、お嬢様。そのような事でお詫びいただくのは恐縮です。私の方こそ、勝手な思いだけでこちらにお伺いして、申し訳ありませんでした」


 トーマスは恭しい仕草で亜梨沙に頭を下げました。


 亜梨沙は驚いて顔を上げ、トーマスを見ました。


「え? それどういう事?」


 亜梨沙にはトーマスの話が理解できません。


「話が長くなりますが、お聞きいただけますか?」


 トーマスが不意に顔を上げて尋ねたので、亜梨沙は至近距離で笑顔爆弾を浴びてしまいました。


「え、ええ、いいわよ、忙しいけど、付き合ってあげるわ」


 半分意識が飛んだ状態でも強気発言をしてしまう亜梨沙です。


「ありがとうございます、お嬢様」


 トーマスの顔は何故かホッとしたようでした。




「うおお、有栖川!」


 雄叫びを小声であげる奇妙な小次郎を哀れんだ目で見る譲児です。


「本当にお前、何がしたいんだ?」


 譲児はもう一度小次郎に尋ねました。首を横に振って何も言わない小次郎です。


「帰るぞ、小次郎」


 譲児は血の涙を流している小次郎の襟首を掴み、ズルズルと引き摺って有栖川邸を出ました。


 


 麻莉乃先生は胸を抑えつつ、隣の人物を横目で見ます。


 その人は中折れ帽を目深に被っているので、顔は半分見えていません。


 只、薄暗がりの中でも、顔立ちが端正なのはわかります。


 麻莉乃先生の鼓動はますます高鳴りました。


「あ、あの、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 麻莉乃先生は勇気を振り絞ってその人物の方を向きました。


 するとその人は中折れ帽をスッと取り、麻莉乃先生を見ました。


「里見美玲です」


 何と麻莉乃先生を待っていたのは、里見先生でした。


 帽子の中に納められていた長い髪がバサッと広がります。


「え?」


 麻莉乃先生は何がどうしたのか理解できないようです。


「申し訳ありません、麻莉乃先生。貴女にどうしてもお話したい事があったので、こんな事をしました」


 里見先生は男装をしていました。


 顔の化粧も某T塚を思わせるものです。


「お願いです、麻莉乃先生。私とお付き合いしてくださいませんか? 汚らわしい男などと付き合ったりしないで」


 里見先生は目を潤ませ、麻莉乃先生の手を取りました。


「はい……」


 麻莉乃先生は頬を赤らめて言いました。里見先生に落ちてしまったのでしょうか?


「ほ、本当ですか?」


 里見先生はあっさり返事をした麻莉乃先生に逆にビックリしてしまいました。


「私、保健室で里見先生にあんな事をされて、最初は酷い人と思いました」


 麻莉乃先生は里見先生の手を握り返して言います。


 今度は里見先生がドキッとし、顔を赤らめました。


「でも、何故か貴女の事を理事長や学年主任に言う気になれませんでした」


 麻莉乃先生の目がウルウルしているのを見て、里見先生はオーバーヒートしそうです。


「私、自分の気持ちがわからなくて、随分悩みました。それで先日、里見先生に恋愛相談をしたんです。自分の気持ちを理解したくて」


 麻莉乃先生は更に手に力を入れます。里見先生は卒倒しそうです。


「それで、貴女に相談して、ようやくわかりました。私は貴女にされた事に嫌悪感がないのだと」


「麻莉乃先生……」


 里見先生の目もウルウルして来ました。


「こんな私で良かったら、是非お付き合いさせてください」


「麻莉乃先生!」


 二人は人目も憚らず抱き合いました。カウンターの向こうにいるバーテンダーは心得たもので、何事もなかったかのようにグラスを磨いていました。


 麻莉乃先生は知らなかったのですが、そのお店は実はそういうお店だったのです。


 バーテンダーも男装の女性で、麻莉乃先生に熱い視線を送っていたのも男装の女性でした。


 


 亜梨沙とトーマスは空いている客間に入りました。


(ト、トムと二人きり……)


 今更ながらオロオロし始める亜梨沙です。


「どうぞ、お嬢様」


 トーマスが亜梨沙に来客用の背もたれと肘掛け付きの椅子を用意しました。


「あ、ありがとう」


 カチンコチンになりながら、亜梨沙はその椅子に座ります。


 トーマスは亜梨沙の前に立ったままで話を始めました。


「王立病院でお嬢様とお会いした時の事は、今でも鮮明に覚えております」


 トーマスは懐かしそうな顔をしました。亜梨沙はまたシュンとしてしまいます。


(トムと初めて出会った時の事を全然覚えていないなんて……)


 このまま消えてしまいたいくらい悲しい亜梨沙です。


「その頃、私はまだ中学生で、近所の女の子にチヤホヤされて舞い上がっているような人間でした」


 トーマスは自嘲気味に話していますが、


(ああ、その中学生女子に加わりたかった……)


 妄想が酷くなっている亜梨沙です。


「女の子は誰も自分の虜。そんな慢心すら抱いていたのです」


 トーマスの言葉に大きく頷く亜梨沙です。


(それは慢心ではないわ、トム。正しい考えよ)


 すでにトーマス教の信者亜梨沙です。大丈夫なのでしょうか?


「そんな時、私はフィッシュアンドチップスを食べて食中毒になり、王立病院に救急車で運ばれました」


 トーマスは食中毒、自分は単なる食べ過ぎ。恥ずかし過ぎて記憶から消去したくなる亜梨沙です。


「幸い、症状は軽く、私は一日入院をするだけですみました。ですが、それこそ神のお導きだったのかも知れません」


 トーマスの言い回しに亜梨沙はドキドキして来ました。


(なになに、どういう事、この展開?)


 期待値が上がり過ぎて鼻血が出そうな亜梨沙です。


「私が治療を受けている向かいの診察室に小さな女の子が運ばれて来ました」


 「小さな女の子」という言葉にドキッとする亜梨沙です。


(食べ過ぎの私だ……)


 今度はガックリと項垂れてしまう亜梨沙です。


「その子は始めは随分苦しんでいたようでしたが、お医者様や看護師さん達の懸命の処置で回復していきました。全く知らない女の子でしたが、私はそれを見ていてとても感動しました」


 トーマスは微笑んで亜梨沙を見ますが、亜梨沙は恥ずかしくてトムを見られません。


(トムは知らないのね。私は只の食べ過ぎで、その後お通じがあって回復したのを……)


 ますます落ち込んでしまう亜梨沙ですが、トーマスはそんな亜梨沙の心情に気づかないのか、微笑んだままです。


(十年前から私はトムとはそんな関わりなのね)


 ショックを受ける亜梨沙です。


「その女の子とは退院のタイミングも一緒で、私はその子にロビーで声をかけました。天使と呼ぶに相応しいほどの可愛い女の子でしたから」


 トーマスがそう言ったので、亜梨沙は頭が爆発しそうです。


(て、て、て、天使と呼ぶに相応しい?)


「ですが、私はその女の子にあっさり振られてしまいました」


 トーマスは苦笑いして言います。


(何て身の程知らずなの、七歳の私!)


 亜梨沙は自分に激怒してしまいました。


「その女の子は、よほど私がションボリして見えたのでしょう。去り際にこう言ってくれました」


 亜梨沙はまだ続きがあるのかと唾を飲み込みます。


(七歳の私は更にトムに酷い事を言うの!?)


 タイムマシンに乗って当時の自分を叱りつけに行きたい亜梨沙です。


「『十年後も私を好きだったら結婚してあげる』と」


 トーマスは俯く亜梨沙の顔を覗き込むように腰を屈めます。


(バカバカバカ、七歳の私のバカ! 何て事を、何て事を言うのよ!?)


 掘削機で穴を掘って入りたい心境の亜梨沙です。


「その言葉を信じ、私はこうしてお嬢様のところに参りました」


 亜梨沙はその声についトーマスを見てしまいます。


 トーマスの微笑みこそ、天使のそれだと思う亜梨沙です。


「私は今でもお嬢様の事を好きです」


 亜梨沙には、トーマスの言葉が遠くで聞こえた気がしました。


「ですから、私と結婚してください」


 トーマスは亜梨沙の右手を取り、その甲に口づけました。


 亜梨沙がそのまま卒倒したのは言うまでもありません。


 


 次に亜梨沙が目を覚ましたのは、客間のベッドの上でした。


 以前、トーマスに挑んだ麻莉乃先生が気絶して寝かされたベッドです。


「大丈夫か、亜梨沙?」


 目を開けると、龍之介が心配そうに亜梨沙を見ていました。


(うげ、一番最初はトムの顔を見たかったのに……)


 亜梨沙は真相を知ったら龍之介が世捨て人になりそうな酷い事を考えました。


「とうとう、フィッシュアンドチップスが取り持つ縁が繋がったみたいだな」


 龍之介は後ろに控えていたトーマスとキャサリンを見て言いました。


「ありがとうございます、旦那様」


 トーマスは深々と頭を下げました。隣のキャサリンはそんな兄を嬉しそうに見ています。


「亜梨沙、パパは結婚相手がトムなら何も問題はないと思うから、反対はしないよ。後は亜梨沙の返事次第だ」


 龍之介は妙に嬉しそうに亜梨沙に尋ねました。


(何よ、パパは? キモいわね)


 亜梨沙はムッとしながら起き上がります。キャサリンが素早く動き、亜梨沙を補助しました。


「ありがとう、ケイト」


 亜梨沙はキャサリンを見て微笑みます。キャサリンも微笑んで、


「どう致しまして」


とお辞儀をしました。亜梨沙は意を決してトーマスを見ました。


(ああ、クラクラする……)


 亜梨沙はまた気絶しそうになりましたが、何とか堪えました。


「あなたを好きになってあげるから幸せにしないと許さないんだから!」


 またしてもとんでもない事を言ってしまう亜梨沙です。


「ありがとうございます、お嬢様」


 トーマスは深々と頭を下げました。


 キャサリンは微笑んでいますが、龍之介は呆気に取られていました。


 


 そして、翌日の事です。


 譲児と小次郎はいつものように学園へと舗道を歩いています。


 小次郎は時々動かなくなり、譲児に引き摺られて進むという事を繰り返していました。


 そこへ蘭と天然娘の桃之木彩乃が現れました。


「おはよう」


「おはよう」


 蘭や彩乃と譲児はごく普通に挨拶をかわしますが、小次郎は項垂れたままです。


「どうしたの、小次郎君? 元気ないね?」


 彩乃が目をウルウルさせて尋ねます。


(また勘違いをさせるような目で……)


 蘭が苦笑いします。


「俺の事は放っておいてくれ!」


 小次郎はダッと駆け出しました。


「ああ、小次郎君!」


 何故かそれを追いかける彩乃です。


「あ」


 二人きりにされた譲児と蘭は互いを見ました。


「あのさ」


 蘭が恥ずかしそうに切り出します。


「な、何?」


 譲児はビクッとして応じました。


「私、トムに振られちゃったんだ。慰めてよ、譲児君」


 蘭は譲児の左腕に自分の右腕を絡ませて言いました。


「俺で良かったら」


 譲児は微笑んで応じました。




 小次郎は彩乃が追いかけて来ているのに気づきました。


(おお! 桃之木、それほどまで俺の事を!?)


 感動で号泣しそうな小次郎は立ち止まって彩乃を抱き止めようとしました。


「小次郎君、ほら、学生証を落としたよ。今日は校門指導があるんだよ」


 笑顔で学生証を渡す彩乃にフリーズしてしまう小次郎です。


 


 理事長室には、新之助先生と瑞穂がいました。


 天照寺妃弥子理事長は二人の話を微笑ましく聞いていますが、生徒指導の富士原美喜雄先生はしかめっ面をしていました。


「おかしな噂が立てられる前に私に話してくれたのは良かったです。おめでとう、二人共。心から祝福致します」


 天照寺理事長は新之助先生と瑞穂の婚約報告を受けていたのです。


「ありがとうございます、理事長先生」


 新之助先生と瑞穂は声を揃えてお礼を言いました。


 二人は理事長と富士原先生にお辞儀をして退室しました。


「それにしても、本学園は婚約ラッシュですね、富士原先生」


 理事長はクスッと笑って言います。富士原先生は溜息を吐いて、


「有栖川の事ですね。驚きましたよ、あれも」


 亜梨沙とトーマスも婚約報告に来ていたのです。


「そうですか? 私は十年前から知っていましたよ」


 理事長は悪戯っぽく笑いました。


「貴女もトムの妹さんとお付き合いしたかったんでしょ、富士原先生?」


 理事長の思わぬ突込みに富士原先生は長い教師生活で一番驚いてしまいました。


「な、な、何をおっしゃるんですか、理事長! そ、そんなはずないですよ……」


 誰が見ても図星とわかるほど富士原先生は狼狽えていました。


 必死に笑いを堪える理事長です。


 


 そして、まだ誰もいないはずの鍵がかかった保健室。


 ベッドを軋ませ、二人の全裸の女性が唇を貪り合い、乳房を揉み合っています。


 里見先生と麻莉乃先生です。


「いつまでも仲良くしてください、麻莉乃先生」


 恍惚とした表情で里見先生が言うと、


「麻莉乃って呼んで、美玲」


 麻莉乃先生が里見先生の秘所を掻き回しながら言いました。


「ああん、麻莉乃……」


 二人の睦み合いはしばらく続きました。


 


 亜梨沙は邸に帰るトーマスを見送るために校庭を一緒に歩いていました。


「ありがとうございました、お嬢様」


 トーマスが言いました。すると亜梨沙はプウッとほっぺたを膨らませて、


「もう婚約したんだから、亜梨沙って呼びなさいよ、トム」


「申し訳ありません」


 深々と頭を下げるトーマスです。


「それもおかしいの!」


 更にプリプリする亜梨沙です。


 そこへ新之助先生と瑞穂が現れます。


 亜梨沙は新之助先生を知っていて、新之助先生はトーマスを知っていますが、亜梨沙と瑞穂、トーマスと瑞穂は初対面です。


(あの人、三年生だよね。美津瑠木先生と腕を組んでいるって、どういう事?)


 制服で瑞穂が三年だとわかった亜梨沙は彼女と新之助先生の関係が気になります。


(麻莉乃先生が狙っていた執事さんが何しに来たんだ?)


 トーマスの学園訪問が気になる新之助先生です。


(どうでもいいか)


 新之助先生も亜梨沙も同時にそう思い、会釈してすれ違いました。




「ううう……」


 そんな瑞穂を見て木の陰で涙を流すクラスメートの寺泉学です。


 ふと横を見ると、亜梨沙とトーマスを見て泣いている小次郎がいます。


(何だ、こいつ?)


 二人は互いを見てそう思いました。


 


 学園の校門まで来た時に、トーマスが口を開きました。


「貴女を必ず幸せにします」


 トーマスが真顔で言ったので、亜梨沙はズキュンとしてしまいました。


「もちろんよ、トム。絶対に幸せにしてよね」


 亜梨沙はまたつい威張り口調で言ってしまいました。


「はい。神に誓って」


 トーマスはそう言うと、亜梨沙に口づけしました。


 亜梨沙はその瞬間、身体に電流が流れたかのように痺れてしまいました。


「ごめんあそばせ」


 通りかかった蘭が言いました。譲児もバツが悪そうに通り過ぎます。


 亜梨沙の顔が真っ赤なのはいつもの事ですが、その時はトーマスの顔も赤くなっていました。


 二人の恋の物語はまだこれからです。


 


                                      おしまい。

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ごめんあそばせ召しませ執事? 神村律子 @rittannbakkonn

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