第24話 あなたの一番が私だからって調子に乗ったら許さないんだから!

 有栖川亜梨沙は大富豪である有栖川龍之介の一人娘で、高校二年生です。


 亜梨沙はそれなりに美少女ですが、胸が小さいのを気にしています。


 ですが、男子達の多くは亜梨沙と付き合いたいと密かに願っています。


 そんな亜梨沙の邸に新しく執事が来ました。


 その人の名はトーマス・バトラー。執事の本場である英国の出身です。


 金髪で碧眼。その上イケメンで、亜梨沙は完全に一目惚れしてしまいました。


 誰にも言えずにいましたが、親友の桜小路蘭には見抜かれてしまいました。


 


 トーマスから、十年前の話を聞いた亜梨沙でしたが、トーマスのあまりにも破壊力のある笑顔に堪え切れず、また病室を飛び出してしまいました。


(何なのよ、トム、何の話よ!?)


 亜梨沙は十年前にトーマスと英国の王立病院で出会っていると言われましたが、全然記憶にありません。


 覚えていないのが恥ずかしい上、トーマスに幼い頃の自分が何を言ったのかと想像すると、亜梨沙はどうかしてしまいそうでした。


(トムから直接聞くのは危険過ぎる。パパは覚えているかしら?)


 当時、一緒に英国に住んでいた父親の龍之介に真相を確認することにしました。


 すっかり日も落ちた大通りの舗道を亜梨沙は相変わらずのパンチラダッシュで走ります。


「有栖川ァ……」


 そんな亜梨沙を悲ししそうな目で街路樹に隠れて見送る早乙女小次郎です。


 あまりにも悲しいため、大好物である亜梨沙のパンチラにも反応しない小次郎を見て、


「大丈夫か?」


 心配になって声をかける親友の高司譲児です。


「大丈夫じゃない……」


 小次郎は項垂れて亜梨沙が走り去ったのとは逆の方向へとトボトボと歩き出します。


 人生最大の勇気を振り絞ってした告白を亜梨沙に聞いてもらえず、何もかも嫌になってしまった小次郎です。


「小次郎君、元気出して」


 するとそこに何故か天然爆弾娘の桃之木彩乃が現れました。


 両手にレンタルショップで借りたDVD入りの袋を持っています。


 これから家に帰って恒例の「ジョニデ祭」のようです。


「ありがとう、桃之木。やっぱり俺、桃之木の方が好きなのかも」


 早速立ち直った上、いきなり乗り換えスタートをする小次郎です。


 その節操のない変わり身の早さに譲児は唖然としました。


「え? 何か言った、小次郎君?」


 彩乃はずっとイヤフォンで音楽を聴いていたようです。


 また無駄な告白をし、その日二度目のフリーズタイムの小次郎です。


(少し反省させよう)


 譲児は固まってしまった小次郎を見捨てて帰る事にしました。


「何だ、私の勘違いなのね。恥ずかしい」


 小次郎が無反応なので、彩乃は勝手に納得して、そのまま帰ってしまいます。


「桃之木、夜道は危ないから、途中まで送って行くよ」


 譲児はさり気なく言います。


「ありがとう、譲児君。優しいんだね」


 彩乃はニコッとしてお礼を言いました。


(譲児ィ……)


 あっさり彩乃と帰ってしまう譲児に血の涙の抗議をしたいけどできないフリーズ中の小次郎です。


 


 亜梨沙は邸に帰り着きましたが、龍之介はまだ帰宅していませんでした。


「パパは何時に帰って来るの?」


 亜梨沙はロビーにいたメイドに尋ねました。


「旦那様は本日はお帰りが遅くなるとおっしゃっていました」


 メイドは申し訳なさそうに言いました。


「そうなんだ」


 亜梨沙はがっかりして自分の部屋に行こうとしました。


「お嬢様、フィッシュアンドチップスは如何でしたでしょうか?」


 厨房からちょび髭のコック長が出て来て亜梨沙に尋ねました。


「え、あ、そうね……」


 亜梨沙は口籠ってしまいます。


 まさか「トムはフィッシュアンドチップスが食べられないの」とは言えません。


 亜梨沙が答えてくれないので、コック長の顔が引きつります。


「ま、まさか……」


 彼は最悪の事態を想定し始めていました。嫌な汗がたくさん顔に噴き出して来ます。


「トムは明日退院だから、直接訊いて」


 亜梨沙は苦笑いして、廊下を走り去りました。


 ますます嫌な汗が噴き出すコック長です。


 亜梨沙が取り乱していないのを廊下の角から見て、キャサリンは驚いていました。


(どういう事なの? フィッシュアンドチップスをトムに渡さなかったの?)


 亜梨沙を問い詰めて確認しようと思い、キャサリンが廊下を歩き始めた時でした。


 彼女のエプロンのポケットに入っている携帯電話が鳴りました。


「トム?」


 その着メロはトムからの電話専用です。キャサリンは携帯を取り出しましたが、出るのを躊躇ためらいます。


(このタイミングでかかってくるという事は……)


 トムが真相を知ってしまったとキャサリンは思いました。


 廊下に着メロが響き続けているので、他のメイド達やコック達が廊下に出て来てキャサリンを見ました。


 キャサリンはそれに気づき、慌てて自分の部屋へと走りました。


「どうしたの、トム?」


 キャサリンは部屋のドアを閉じてから携帯の通話をオンにしました。


「ケイト、私がどうしてお前に電話をしたのか、わかっているよね?」


 トムの澄んで落ち着いた声を聞き、キャサリンは思いがけず膝が震えます。


「な、何の事?」


 それでも惚けようとするキャサリンです。今度は唇が震え出します。


「ケイト、お前はそんな嫌な子ではなかったはずだよ」


 トーマスの悲しそうな声がキャサリンの胸に突き刺さりました。


 彼女の奇麗な瞳から涙が零れ落ちます。


「だってトムが、私の大好きなトムが他の女を……」


 キャサリンは嗚咽でそれ以上言葉を口にできません。


 しばらく沈黙の時が流れました。


「ケイト、お前の事は大好きだよ。でも、これ以上お嬢様に意地悪をするのなら、考えを改めなければならない」


 その静寂を破るには威力があり過ぎると思われるトーマスの言葉が受話口から聞こえました。


「嫌よ、トム。それだけは嫌。ごめんなさい、トム、ごめんなさい……」


 キャサリンは泣き崩れ、床にペタンと座ってしまいました。


「それなら、もうこれ以上お嬢様に意地悪はしないと誓いなさい」


 トーマスの声には有無を言わせない強さがありました。キャサリンは息が止まりそうになりました。


 それでも彼女は、


「だって、あの女が悪いのよ。あの女はトムの事を忘れて日本に帰って、トムに再会した時にも何も覚えていなかったじゃないの!」


 キャサリンの声があまりに大きかったので、自分の部屋から廊下を歩いて来た亜梨沙の耳にも聞こえました。


(ケイト、泣いているの?)


 トーマスとキャサリンは二人で話す時は英語なので、亜梨沙にはキャサリンが何を言っているのかはわかりません。


「そのせいでトムが苦しんでいる姿を見て、私はあの女が許せなくなったのよ! それのどこがいけないの!?」


 キャサリンは錯乱しているのか、喚き散らしました。


「わかった。明日邸に帰れるから、その時もう一度じっくり話そう」


 トーマスはそれだけ言うと通話を切りました。


 ツーツーツーという音だけがキャサリンの携帯から聞こえています。


「ううう……」


 キャサリンは携帯を床に投げつけ、泣き伏しました。


(ケイト……)


 亜梨沙には何があったのかわかりませんでしたが、キャサリンが泣いているのだけは理解できました。


 声をかけようかどうしようか考え込んでいると、玄関に人が集まる気配がしました。


(パパが帰って来たんだわ)


 亜梨沙はキャサリンにはまた後で声をかけようと思い、ロビーに向かいました。


 


 亜梨沙の予想通り、玄関の前には龍之介を乗せたリムジンが停まっていました。


 運転手が後部ドアを恭しく開き、中から龍之介が降ります。


「お帰りなさいませ」


 メイドと玄関担当の警備員がお辞儀をして言いました。


「変わった事はなかったかね?」


 龍之介は頷きながら質問します。するとそこへ亜梨沙がパンチラさせながら走って来ました。


 龍之介は愛娘の走る姿を見てニンマリしますが、スカートが相変わらず短過ぎるのに気づきました。


(やはり、天照寺理事長にお会いした方がよさそうだ)


 龍之介は知らないのです。スカートの丈を短くしているのは亜梨沙自身なのだと。


「お帰りなさい、パパ。早かったわね」


 亜梨沙の言葉に顔が緩み、龍之介は仕事モードからパパモードに切り替わります。


「お前の顔が見たくて早く帰って来たんだよ」


 龍之介は亜梨沙が喜んでくれると思ってそう言いましたが、


「そうなんだ」

 

 あまりに薄い反応の亜梨沙に軽くショックを受ける龍之介です。


 亜梨沙はそんな龍之介の手を取ると、グイグイと引っ張って、奥へと連れて行こうとします。


「おいおい、亜梨沙、そんなに引っ張らんでくれ。パパは疲れているんだから」


 龍之介は重い身体を揺り動かしながら亜梨沙に言いました。


「いいから来て、パパ!」


 亜梨沙はムッとした顔で振り返ると、またグイグイ龍之介を引っ張り始めます。


 龍之介は諦めたように肩を竦め、右手に持っていた黒のアタッシュケースをメイドに渡します。


「一体どうしたんだ、亜梨沙?」


 龍之介が尋ねます。すると亜梨沙は前を向いたままで、


「内緒の話があるの」


「内緒の話?」


 ギクッとする龍之介です。


(まさか、付き合いたい男がいるとかか?)


 鼓動が速くなり、息が荒くなる龍之介です。


「亜梨沙、まず最初にその人を家に連れて来なさい。パパがどういう人間か見極めてあげるから」


 龍之介のトンチンカンな言葉に亜梨沙は思わず立ち止まって、


「はあ?」


と振り返りました。


「え?」


 亜梨沙の顔を見て、自分が思い切り見当違いの話をした事に気づく龍之介です。


「何言ってるのよ、パパは?」


 亜梨沙の信頼度が急降下したのを感じた龍之介は泣きそうです。


「入って」


 亜梨沙は自分の部屋に何年かぶりに龍之介を入れました。


 今度は感動で泣きそうになる龍之介です。


「どうしたんだ、亜梨沙? パパはもう部屋に入れないんじゃなかったのか?」


 嬉しくてつい余計な事を言ってしまう龍之介です。


「今はそれどころじゃないの! 緊急事態なんだから」


 亜梨沙はプウッとほっぺを膨らませて言います。


(相変わらず可愛いなあ、亜梨沙は)


 若い頃の亡き妻に亜梨沙が似て来たような気がして、また別の意味で涙ぐむ龍之介です。


「緊急事態? 穏やかじゃないな」


 龍之介は亜梨沙が出した折りたたみの椅子にギシッと音を立てて座ります。


 亜梨沙はベッドに腰をかけて、


「パパ、昔、イギリスにいた時の事、覚えてる?」


「何だ、急に?」


 龍之介はキョトンとしてしまいます。亜梨沙は顔を赤らめて、


「トムがその頃私と会った事があるって言ってたのよ」


「トーマスが? いつの話だろう」


 龍之介は首を傾げます。彼は毎日を忙しく過ごして来ているので、十年前の記憶はすっかり埃を被っているのです。


「覚えてないの?」


 亜梨沙の半目の睨みにギクッとし、必死に記憶の糸を解きほぐす龍之介です。


(いかん、これ以上亜梨沙の信頼度を下げる訳には……)


 嫌な汗をたくさん掻き、龍之介は一生懸命十年前の事を思い出そうとします。


「王立病院で会ったって言ってたのよ」


 亜梨沙が第一ヒントを出してくれました。


「王立病院?」


 龍之介の記憶回路が繋がり始めます。


 その頃の情景が次第に思い描けるようになって来ます。


 赤い二階建てバス、重厚な趣きのある国会議事堂、そしてビッグベン。


 テムズ川の流れを見ながら、ロンドン橋を渡った日。


「ああ、亜梨沙がフィッシュアンドチップスを食べ過ぎて入院した時の事か」


 龍之介は遂に記憶の糸を解く事に成功しました。


「え?」


 ドキッとする亜梨沙です。龍之介は思い出し笑いをしながら、


「もうやめなさいと止めたのに、亜梨沙は食べ続けてね。最後に『お腹が痛い』って泣き叫んで、大騒ぎになったんだよ」


 亜梨沙の顔がたちまち真っ赤に染まります。


「笑い事じゃないでしょ、パパ! 私が苦しんでいた時の事をそんなに楽しそうに!」


 亜梨沙は火照る顔で龍之介に文句を言いました。龍之介はそれでも笑ったままで、


「いや、すまない、悪かった、亜梨沙……。でも最後は薬を飲んでトイレに行ってすっきりしたら、元気になったんだよ」


 そんなオチか! 亜梨沙はムッとするとベッドから立ち上がり、


「パパなんて大っ嫌い!」


と叫ぶと、龍之介を部屋から追い出してしまいました。


「すまない、悪かったよ、亜梨沙、パパを許してくれ」


 口ではそう言いながらもまだ笑っている龍之介を蹴飛ばしてやりたくなった亜梨沙です。


(でも、トムと同じフィッシュアンドチップスが原因で入院したなんて……)


 何となく運命を感じ、ニヘラッとしてしまう亜梨沙です。


 


 そして翌日。


 亜梨沙はいつものように起き、いつものように朝のトイレタイムです。


(今日はお通じありそう)


 鼻歌交じりに部屋を出て、自分専用のバスルームに向かう亜梨沙です。


「おはようございます、お嬢様」


 廊下には何故かトーマスが白い歯を輝かせて立っていました。


「きゃっ!」


 亜梨沙は無防備な状態で出くわしてしまったので、思わず飛び上がってしまいました。


(お通じがどこかに行ってしまった……)


 トーマスに声をかけられたショックで、便秘の記録を更新しそうです。


「お、おはよう、トム。もう退院できたの?」


 亜梨沙は俯いたままで応じました。


「はい。特別に朝一番で退院させていただきました」


 トーマスは破壊力抜群な笑顔で言いました。


「あなたの一番が私だからって調子に乗ったら許さないんだから!」


 亜梨沙はこの場を何とか逃れようと思い、また支離滅裂な事を言い放って駆け出します。


「ありがとうございます、お嬢様」


 トーマスは深々とお辞儀をしました。

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