第11話 私があなたの事を好きだと思ったら、大間違いなんだから!
有栖川亜梨沙は大富豪である有栖川龍之介の一人娘で、高校二年生です。
ちなみに亜梨沙はそれなりに美少女です。でも胸が小さいのを気にしています。
そんな亜梨沙の邸に新しく執事が来ました。
その人の名はトーマス・バトラー。執事の本場である英国の出身です。
金髪で碧眼。その上イケメンで、亜梨沙は完全に一目惚れしてしまいました。
でも誰にも言えずにいます。
ところが、親友の桜小路蘭には見抜かれてしまいました。
でも、亜梨沙はそれに気づいていません。
舗道に植えられたイチョウの木もすっかり葉を落とし、踏み潰された銀杏のそこはかとない香りが漂う季節になりました。
今日も今日とて、ない胸を全く揺らす事なく、亜梨沙は走ります。
(昨日のトムと高司君の挟み撃ちで、おかしな夢を見て寝過ごしちゃった!)
クラスメートの高司譲児とトムに
(私はトムだけ! トムだけ好きなの! ごめんね、高司君!)
勝手に譲児を振っている亜梨沙です。譲児もいい迷惑です。
「お嬢様、ご迷惑でなければお車でお送り致します」
早口言葉のようなトムの申し出を、
「今日はいいわ!」
と目を合わせずに断わり、赤チェックのプリーツスカートをヒラヒラさせ、ピンクのパンツをチラチラさせながら、亜梨沙は邸の庭を出たのでした。
「はあ、はあ……」
始業の予鈴まであと五分ほどです。
もう絶対に間に合わないと悟った亜梨沙は、走るのを諦めました。
「ダメだ。入学以来続けて来た無遅刻無欠席が……」
途端に力が抜け、フラフラッとしてしまいます。
「諦めるな、有栖川!」
声が聞こえました。セクハラ魔神の早乙女小次郎の声です。
「早乙女君?」
振り返ると、猪のような勢いで走って来る小次郎がいました。
「諦めるなら、また尻を揉んじゃうぞォ!」
エロ全開の顔で小次郎が叫びました。しかも両手をモミモミしています。
一歩間違えれば犯罪者です。
「何考えてるのよ!」
亜梨沙は身震いして、慌てて走り出します。
「うへへえ、有栖川ァ、尻揉ませろよォ!」
目を血走らせた小次郎が迫ります。鼻息も荒いです。
「いやあァ!」
亜梨沙は日本陸上連盟がスカウトに来るかと思うほどの速さで走ります。
恐るべし、小次郎のセクハラマジックです。
「はあ、はあ……」
こうして亜梨沙は予鈴が鳴る頃には、高等部の玄関に着いていました。
その代わりに、亜梨沙をエロ全開で追いかけていた小次郎は校門前で力尽き、あえなく遅刻です。
(あいつ、まさか、私を遅刻させないために?)
本当に少しだけですが、小次郎を見直す亜梨沙です。
マイナスからの出発ですから、今やっとスタート地点に立てた小次郎です。
(今日はいつもより余計に有栖川のパンツ見られた……)
それでも嬉しい小次郎でした。どうしようもないお下劣さです。
遅刻した事を生徒指導部の先生にこってり説教され、その上ホームルームでは最近ずっと機嫌が悪い坂野上麻莉乃先生に嫌味を言われ、小次郎は燃え尽きそうです。
「はあ……」
机に突っ伏し、大きな溜息を吐く小次郎です。
出っ歯が机に当たります。自慢のソフトモヒカンも項垂れています。
それを悲しそうな目で、親友である譲児が見ています。
小次郎に声をかけに行こうにも、金髪効果で集まった女子達が取り囲んでしまい、身動きが取れないほどのモテぶりです。
「元気出せ、変態」
小次郎の
「ヒヤッ!」
小次郎は洒落ではなく、そう叫んで顔を上げました。
「はい、さっきのお礼。これで貸し借りなしだぞ」
亜梨沙が缶コーヒーを買って来て、差し出したのに気づき、思わず泣きそうになる小次郎です。
それを見て、クラスの男子達が殺気立ちます。
(早乙女、許すまじ!)
特に貧乳至上主義の幾人かは本気で小次郎暗殺を考えるほどです。
(今日帰ったらネットで検索してみよう)
もしかすると、小次郎は短い人生になりそうです。
「ありがとう、有栖川。お前、本当にいい奴だな……」
弱っている小次郎のその一言は、亜梨沙のハートに響きました。
(こいつ、エロがなければ、普通に付き合えるのに)
亜梨沙は周囲の男子達の殺気など感じるはずもなく、小次郎から離れます。
「亜梨沙ちゃん、やっと仲直りしたのね。心配したわ」
天然爆弾娘の桃之木彩乃が涙ぐみながら言いました。
天然爆弾がいきなり炸裂です。
隣に呆れ顔の蘭がいます。
「仲直りも何も、あいつとは付き合っていないからね、彩乃。いい加減わかってよ」
亜梨沙はもう言い返すのが面倒臭いと思いましたが、一応言ってみました。
「ええ、そうなの?」
彩乃はビックリして目を見開き、蘭を見ます。
「やっとわかった、彩乃? 亜梨沙は早乙女君と付き合っていないし、私も高司君と付き合っていないのよ」
良い機会だと思ったのか、蘭は自分に対する誤解にも注釈を付けました。
「ホントなの? じゃあ、今まで二人共、私をからかっていたのね」
今度は違う方向に逸れ始める彩乃です。しかもまた涙ぐんでいます。
「どうすればいいのよ、全く……」
亜梨沙は項垂れ、蘭は呆れ返ります。
「もう、酷いわ」
一人で妄想世界を行く彩乃です。
先日、麻莉乃先生を襲って撃沈した里見美玲先生は、職員室へ向かっていました。
里見先生は、あれ以来、時々こうして職員室を覗きに行き、麻莉乃先生を遠くから「愛でて」いるのです。
そんな事情を知らない能天気な男の先生方は、里見先生が来るたびに一生懸命身だしなみを整えます。
哀れを催す光景です。中年男達の愚かさを感じます。
但し、麻莉乃先生命の美津瑠木新之助先生を除きます。
新之助先生は、先日の保健室の一件以来、里見先生が麻莉乃先生に何かをしたのではないかと鋭い推理を展開していました。
(里見先生は坂野上先生の方が男子に人気があるから、嫉妬してるんだ。だから……)
全然見当違いの推理でした。さすが麻梨乃先生信者です。
しかし、里見先生は、新之助先生が何か気づいているのではないかと警戒していました。
(あの筋肉バカ、邪魔ね。場合によっては……)
里見先生の目がギラッと光りました。新之助先生が危ないのかも知れません。
里見先生は職員室のエロ男性教師達の期待虚しく、そのまま去ってしまいました。
エロ教師達は、里見先生が入室しないで帰ってしまったので、がっかりしています。
里見先生がいなくなったのを見届けてから、麻梨乃先生は職員室を出るようにしていました。
(また何かされたら、今度こそ許さないんだけど……)
麻梨乃先生は、どうして里見先生の行いを誰にも話そうと思わなかったのか、自分でも不思議なのです。
(もしかして……?)
あるいは自分にも、里見先生と同じ感覚があるのかしら?
そんな風にも思ってしまう麻梨乃先生です。
里見先生は保健室に戻る途中で、一年生女子のヒソヒソ話を聞きつけました。
「ねえ、有栖川先輩のお邸の執事さん、イケメンよね」
里見先生はある意味ライバルであるトーマスの話をしているので、気づかれないように立ち止まって聞き入ります。
「そうねえ。でもさ、麻莉乃先生が露骨に狙っているから、絶対無理よ、私達なんか」
女子達はケラケラ笑いながら話に夢中で、まさか里見先生に聞かれているとは思っていないようです。
「それに桜小路先輩も参戦してるんでしょ? もっと無理だわ」
「桜小路先輩って、狙った獲物は絶対に逃さないし、ライバルを蹴落とすためなら何でもするって聞いた事あるし」
里見先生はハッとします。蘭が保健室を訪れて、自分に相談した事を思い出しました。
(もしかして、桜小路さん、あの時私を!?)
里見先生は、蘭に煽られて、麻莉乃先生を拉致させられたのに気づきます。
(許さないわ。小娘のくせに……)
里見先生の目がまたギラッと光りました。今度は蘭が危ないかも知れません。
麻莉乃先生は、昨夜亜梨沙の邸で、トーマスにしな垂れかかったところを譲児に見られたので、譲児を呼びつけて何とか取り繕おうと思っていました。
(高司君はそんな事を考える子ではないと思うけど、念には念を入れるべきだわ)
警戒MAXの麻莉乃先生です。場末のスナックで飲んだくれるのは嫌なのです。
「坂野上先生」
そんな事を考えている時に、間の悪い人生を送り続けて来たと思われる新之助先生が声をかけました。
「何でしょうか、美津瑠木先生?」
麻莉乃先生は作り笑顔すら面倒臭いと思い、露骨に嫌な顔で新之助先生を見ます。
新之助先生は麻莉乃先生が怖い顔をしているので、思わず身を引いてしまいました。
「あの、実はですね……」
そう切り出した時、始業の予鈴が鳴りました。
「あ、次、行かないと。失礼します」
麻莉乃先生は教材を抱えて、新之助先生を押し退けるように職員室を出て行きました。
「あ、あの……」
麻莉乃先生の身体がほんの少し触れたので、顔を真っ赤にする新之助先生です。
(や、柔らかいんだな、麻莉乃先生……)
あまりの幸福感に裸の大将化しかける新之助先生です。
ポオッと頬を染めて宙を見つめる新之助先生を見て、他の先生方はビクッとしました。
その日の授業が終わり、亜梨沙は家路に着きました。
蘭は秘密の特訓があるので、最近亜梨沙と一緒に帰っていません。
そして、彩乃は、年末のジョニデ祭を見るために先に帰ってしまいました。
ですから、今日は一人寂しく帰る亜梨沙です。
「チャンスだよ、小次郎」
トボトボと銀杏の何とも言えない香りが漂う舗道を歩く亜梨沙を見て、譲児が言います。
小次郎は、
「いや、いいよ。俺、やっぱり諦めるわ」
といつになく弱気です。
生徒指導の先生と麻梨乃先生にいたぶられた後遺症が酷いようです。
「譲児君の言う通りよ。行きなさいよ、早乙女君」
譲児親衛隊とかした高等部の女子達が、小次郎を譲児から遠ざけようとしてそんな事を言います。
「うるせえよ、お前ら」
小次郎は騒がしい女子達に言い返しました。
「何ですって!?」
途端に獲物を横取りされた野良犬のように殺気立つ女子達ですが、
「ごめんね、そっとしておいてあげて」
譲児が言うと、
「はい!」
と返事をし、引き潮のように潔くサッと引きます。譲児は苦笑いをしました。
(蘭さんのために封印を解いたのに、違う方面に作用しちゃったなあ)
金髪碧眼信仰がここまでとは思わなかった譲児です。
結局、小次郎は亜梨沙に声をかけられないままでした。
亜梨沙は邸の門をくぐり、庭を進みます。
ドーベルマンの十二神将達がご主人様の帰宅を知り、嬉しそうに駆けて来ます。
ところが、玄関からトーマスが現れると、千切れんばかりに尾を振って、そちらに駆けて行ってしまいました。
「何なのよ、あんた達……」
十二神将の現金さに呆れる亜梨沙ですが、相手がトーマスでは仕方がないとも思いました。
「私だってトムが好きなんだもん」
ほんの小さな声で言ったつもりの亜梨沙でしたが、
「お帰りなさいませ、お嬢様」
いつの間にか目の前に来ていたトーマスに気づき、トチオトメも降参するほど赤くなりました。
(き、聞かれた?)
心臓が激しく動き出し、呼吸困難になりそうな亜梨沙です。
「如何なさいましたか、お嬢様?」
トーマスは亜梨沙の様子が妙なので、彼女の顔を覗き込むようにして尋ねました。
亜梨沙はトーマスの顔が接近したので、更に紅玉も落ち込むほど赤くなります。
「私があなたの事を好きだと思ったら、大間違いなんだから!」
また破れかぶれの事を言い放ち、玄関へと駆け去る亜梨沙です。
「申し訳ありません、お嬢様」
トーマスは深々とお辞儀をしました。
そこを通りかかったそちらの世界の警備員と庭師が卒倒しました。
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